大学を強くする「大学経営改革」[22] 大学におけるリスク・マネジメント 吉武博通

リスクが多様化し増大する大学経営

 あらゆる組織は常にリスクに晒されている。リスクを予想し、未然に防止する、発生した場合も被害が最小限となるように事前に対策を講じるということが何よりも重要であるが、発生した場合の対応の巧拙が組織の社会的信用や存続に決定的な影響を与えることもある。

 政府・自治体や企業など様々な組織が現実のリスクに直面し、報道機関を前に苦し紛れの言い訳をしながら、組織の社会的信用を失墜させていく様子を目の当たりにすることが増えてきた。その一方で、石油ファンヒーターの品質不良に素早く対応し、全社を挙げてきめ細やかな顧客対応を徹底した松下電器のように、現実に発生したリスクへの対応が、その組織に対する評価や信頼を一段と高めたケースもある。

 大学について考えてみると、一つの経済主体として、教育サービスの提供、その対価の獲得、従業員の雇用、物品・用役等の調達、資金の調達・運用、施設・設備の運営、資産の管理等の業務を行っている以上、企業と同様の経営上のリスクに晒されていることになる。

 概念上はこれらのいずれかに含めて考えることもできるが、大学には企業等とは異なる大学固有のリスクが数多く存在する。最大の違いは学生・教員・職員という3つのカテゴリーの構成員によって成り立っているということと、その結果として組織の内と外の境界線が極めて曖昧になりがちであるという点である。

 さらに、進学率の上昇、社会人学生の増加、留学生の増加等により、学生の構成も多様化し、それに伴いこれまでとは違った種類のリスクが生じる可能性も高い。また、産学連携の推進に伴う知的財産権、受託・共同研究、利益相反等に係る問題、大学の国際化に伴う留学生交流、研究者交流、海外拠点開設等に関する問題など、大学の活動が多様化・広範化することで、新たなリスクに晒されることも考慮しておかなければならない。

 もちろん、大学の活動を拡げずに、学生の構成も大きく変化させることなく、教育の質の維持・向上に努めるという選択肢もあり得る。そのような大学が存在することでわが国の高等教育の多様性も維持されるのであるから、その判断は尊重されなければならない。

 しかしながら、多くの大学において、これまで以上に多様な学生を受け入れ、教育研究活動をより広範に展開するという傾向は今後さらに強まると考えられる。当然にリスクも多様化し増大することになるが、そうしなければ大学自体の存続の危機という、より大きなリスクに直面することになる。

リスクを戦略・施策の高度化につなげる

 このように、リスクは大学の活動と裏表の関係にある。コインの表ともいうべき大学の活動が多様化し広範化すれば、その裏のリスクも多様化し増大する。従って、大学における戦略の策定や新たな施策の立案に当たっては、常にリスクを想定しておく必要がある。

 リスクを意識すると積極的な戦略・施策が採り難くなるのではないかとの指摘もあるだろうが、リスクを想定しそれに備えることにより、戦略や施策の質を高めることができ、それらの実効性をより確かなものにすることができる。

 一例を挙げてみたい。留学生30万人計画という政府方針が示され、多くの大学が受入留学生数を増加させることを検討しているものと思われるが、留学生に関するトラブルとして思いつくだけでも、不法滞在・不法就労、大学のホームページ等で入手した事前情報と現実の違いに対する戸惑い、教育内容や指導方法に関する不満、生活・経済・健康面での不安、コミュニケーションの難しさ、宗教・慣習の違いなど様々な問題を挙げることができる。

 これらは放置したり対処方法を誤ったりすると、重大な問題に発展する可能性もある。従って、これらの問題を発生させない、または発生した場合でも初期の段階で問題を把握し対処できる、十分な教育・指導体制ときめ細やかな留学生支援システムを整えておく必要がある。そのことが、当該大学の国際戦略や留学生施策の質を高め、より優秀な留学生の確保につながるのである。

リスクは教職員を鍛え、教学と経営の質を高める

 リスクを検討することが戦略や施策の高度化につながることを述べてきたが、それは同時に教職員を鍛え、教学と経営の質を高めることにもつながる。そのことをさらに2つの事例を加えて説明したい。

【ハラスメント対策と健全な教育研究環境づくり】

 一つ目はハラスメントというリスクへの対処である。セクハラ、パワハラ、アカハラという3つのハラスメント対策に各大学とも苦慮しているのではなかろうか。懲戒処分に至るケースは限られており、黒白をつけられずに注意程度に止めざるを得ないものや、相談にすら持ち込まれず水面下に隠されたままのものも多いのではないかと思われる。

 相談窓口の整備とともに、相談が持ち込まれた場合に速やかに対策を講じ、調査を行うことのできる体制を整えておくことが不可欠であるが、何故ハラスメント行為が繰り返されるのか、その本質を見極め、根本的な対策を講じることがより重要である。教員が加害者となるケースが大半であるとすれば、教員の人格・資質、教員に対する指導・育成、教育研究環境、教員組織のマネジメント等のいずれに問題があるのかを総点検し、教育研究現場の健全性を高めるための本質的な対策を講じるべきである。

 質の高い教育研究成果は、健全で活力ある教育研究現場から生まれる。女性教員、若手教員、大学院生・学生が安心して存分に研究し学習することのできる環境を提供する義務が大学にはある。

 ハラスメントが発生した場合の対策もリスク・マネジメントであるが、それを発生させない環境づくりこそ、高度でポジティブなリスク・マネジメントである。

【経済的リスクを幅広い視野でとらえる】

 二つ目は大学経営を経済的リスクという観点から考えてみたい。

 国立大学も法人化に伴い、貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書などの決算書を作成し、寄附金や余裕資金の運用などにも取り組み始めた。私立大学に比べると資金の調達・運用の自由度も低く、経験・実績も乏しいが、学内でいま5年もの国債を購入すべきかどうかなどの議論がなされること自体大きな進歩である。

 財務戦略を検討する場合、金利の動向や運用リスクを見極める必要があるが、同時に為替や物価の変動にも注意を払わなければならない。現時点で最も注視すべきは物価の上昇である。世界的な原燃料価格や食料価格の高騰が、建設資機材、光熱費、食材費等の値上げをもたらし、基調としては今後もこの状況が続くものと思われる。教育研究活動に不可欠な電子ジャーナルも一部企業の独占状態にあり、ユーロ高(本稿執筆時点ではユーロ安に転ずる)と相俟って、大学の購入費負担が毎年増大する傾向にある。

 経済環境の変化は、就学に必要な費用に対する学生・保護者の負担感に影響を及ぼす。都道府県別の所得水準や有効求人倍率などの指標を眺めていると、地方経済の窮状が見えてくる。18歳人口の動向だけでなく、高い大学進学率を支える経済力が変調をきたしていないか、地域別に注意深く見ておく必要がある。

 また、為替変動や日本と母国の賃金・物価動向は留学生の生活に関わってくる。留学生交流、学術交流、海外拠点の設置・運営など国際化の進展に合わせて、世界や関係各国の経済動向に関心を深めることも重要である。

 以上2つの例が示すように、リスクを想定することは物事の本質を理解することであり、社会・経済など幅広い事象に目を向けることでもある。そのことによって教職員、とりわけ大学職員が鍛えられることになる。同時に、それが間接的であれ、教学や経営の質を高めることにつながるのである。

大学が想定しておくべきリスクを整理する

 次に、大学が想定しておくべきリスクについて考えてみたい。どのような観点で分類するかによって整理の仕方も異なるが、本稿では「誰または何に関わるリスクか」と「如何なる活動・行為・事象に関わるリスクか」という2つの観点からリスクをまとめてみた。(図表1)


図表1 大学で想定されるリスク


 「誰または何に関わるリスクか」という観点での分類は、それぞれのリスクを担当する部署と概ね一対一で結びつくことになり、どの部署がいかなるリスクに備えておくべきか、リスクが現実となった場合にどの部署が主体的に対処すべきかが明らかになり易いという特徴がある。

 次に、「如何なる活動・行為・事象に関わるリスクか」という観点で想定されるリスクを整理すると次のとおりとなる。

 1)の事件・事故には、学内で発生するもの、学外における教育研究活動中または課外活動中のもの、学生・教職員の私的活動中のものの3種類が考えられる。

 2)では、最近の動向を考えるとハラスメント、保有情報の流出、データの違法なダウンロード等に対策を講じる必要がある。また、4)とも重なるが、論文盗用やデータのねつ造・改ざん等の研究者倫理、遺伝子組み換え、実験動物と動物愛護、補助金・研究費の不正使用等に特別に留意する必要がある。

 5)の国際化に伴い発生するリスクは今後最も重視すべき要素である。学生・教職員の海外派遣先での事件・事故、海外拠点設置に伴う雇用関係を含む契約上のトラブル、国際交流協定や共同研究・知的財産に係る問題などに備えておく必要がある。先に述べた受入留学生の増加に伴う諸問題もこのカテゴリーに含まれる。また、6)の感染症は国際化の進展により発生確率・リスク共に高まる可能性が大きい。

 前述の「誰または何に関わるリスクか」の整理をタテ糸とすると、この整理はヨコ糸的なものが多い。完全ではないがマトリックスとして体系的な整理をすることで、想定するリスクに漏れはないか、自分の大学ではどこに重点を置くべきか、発生防止や発生時対応に関する学内フォーメーションをどのように考えておくべきかなどの検討に役立てることができる。

リスク発生時は即断できる責任者に情報を集中

 不幸にしてリスクが現実のものとなった時に、如何にしてその影響を最小限に食い止めるかは極めて重要である。あらかじめ緊急時の体制を定めておき、シミュレーションや訓練をしておくことも必要であるが、現実はそのとおりにならないことのほうが圧倒的に多い。

 リスク発生に備えて心がけておくべきこと、準備しておくべきことのうち、経験的に必須と考えていることは次の5点である。

 一つ目に、大半のリスクは時を選ばず、24時間365日いつでも発生し得る。それに対して大学が業務を行っている時間帯はその約4分の1に過ぎないということを十分に踏まえておく必要がある。

 従って、二つ目として、時間外も含めて学内外からの第一報を確実に受けられる窓口を学内外に対して明確にしておかなければならない。

 三つ目は、リスク発生時に対応策を即断即決できる責任者と、第一報を受けた窓口からその責任者まで最短で情報伝達できるルートを明確にしておくことである。責任者は総務担当の常務理事または理事など大学の組織体制全般を把握し、かつ理事長・学長にも気軽に相談できる立場の者であることが望ましい。

 四つ目として、発生した問題の性質に応じて、何を優先すべきかを明確にして対処する必要がある。人的被害がある場合はその救済や家族のケア、物的被害の場合は被害の拡大防止が最優先となる。自明の原則であるはずだが、情報管理や責任追及などに関心が向き、初期動作を誤ったがために、問題をより深刻・複雑にし、その解決に膨大な時間と労力を要する結果になることも少なくないのではなかろうか。

 五つ目は、適時適切な情報公開である。そのためには緊急事態に強い広報担当を育成することと広報部門に逸早く情報が入るフォーメーションを確立しておくことが重要である。また、短時間のうちに公表文の発表や記者会見を行う場合、把握していることと不明なことをはっきりさせて曖昧さをなくすと共に、大学の見解や姿勢を明確にし、真摯かつ誠意ある態度で報道機関に接するべきである。この対応の巧拙で報道のされ方やその後の事態収拾に大きな差が出てくる。

リスク・マネジメントは大学マネジメントそのもの

 これまでに述べてきたことから明らかなように、リスク・マメジメントは限定された事象を対象とするものではなく、その対象は広く教学・経営の全般に及ぶ。リスクの発生を最小限に止めるための対策を講じることが教職員と組織を鍛え、教学・経営の質を高めることになる。また、リスク発生時の対応でマネジメント力が試されることにもなる。リスク・マネジメントは大学マネジメントそのものと言うことができる。

 最後に、学生や教員が関係するリスクを如何に低減させるかが今後とも大きな課題であることを指摘しておきたい。学生を厳格な管理下に置くことは大学教育の目指すところではない。教員の活動は自律が基本である。しかしながら、それらを前提にしつつも何らかの工夫を講じない限り、学生や教員が関係するリスクを低減させることは困難である。

 リスクを考えることで、大学教育や大学教員のあり方に関する議論に新たな視点が加わることを期待して本稿を締め括りたい。



(吉武博通 筑波大学理事・副学長 大学院ビジネス科学研究科教授)


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