大学を強くする「大学経営改革」[23] 金融危機による世界経済の混乱のなかで 吉武博通

サブプライム問題に端を発する世界経済の混乱

 前号ではリスク・マネジメントを取り上げ、大学も経済的リスクを想定し、それに備えておくべきであるという趣旨のことを述べたが、サブプライムローン問題に端を発する金融危機が現在のような世界経済の混乱をもたらすことを、執筆時点で明確に意識していたわけではなかった。教学・経営の両面において大学が想定しておくべきリスクを洗い出すなかで、その一つとして経済的リスクに言及したに過ぎない。

 その後、この問題は金融の世界を超えて明らかに実体経済に影響を及ぼし始めた。そのことを象徴するように、新聞の見出しも、サブプライム問題、金融危機、世界同時減速、世界同時不況と変わってきている。

 国内でも日本経済を牽引してきた自動車業界の経営状況の悪化が明らかになり、トヨタ自動車は前年度比70%を超える減益予想を公表、大半の自動車会社が派遣社員を中心に大規模な人員削減を進めつつある。所得の減少や失業率の上昇による受験者数の減、採用抑制による学生の就職状況の悪化など、大学に及ぼす影響も計り知れない。

 本稿では、前半部において、金融危機による世界経済の混乱の背景と構造について概説するとともに、それが意味するものをどう読み取るかについて述べた上で、後半部において、それが大学にどのような影響を及ぼすのか、これらを踏まえて大学はいかにあるべきかについて述べることとする。

金融危機による世界経済の混乱の背景と構造

 前述したとおり、現在進行中の事態をどのように表現するかについては、時を経るごとに変化しており、論じる者の理解や立場によっても異なる。金融危機であることは概ね共通理解となっているが、若干の減速はあるもののなお高い水準の成長率を維持している国・地域があることを考えると世界同時不況という言い方は正確さを欠く。本稿では「金融危機による世界経済の混乱」という表現を用いることにする。

 今回の金融危機は、米国の住宅ローン会社が、信用力の低い低所得者層に対して長期の住宅ローンを供与する一方で、その債権を証券化して投資銀行に売り、投資銀行は他の様々な証券と組み合わせて新たな金融商品として投資家に売るという手法が拡がるなか、返済を滞る低所得者が増え始め、これらの金融商品の信用力が著しく低下したことを発端に発生したといわれている。

 具体的には、2007年7月、米国大手証券会社ベア・スターンズ傘下のヘッジファンドが破綻し、フランスのBNPパリバが傘下の3つのファンドを凍結するなどの事件をきっかけに、この問題の深刻さが広く世界に知れわたることとなった。

 世界中に売られた金融商品にどれだけサブプライムローンが含まれているかわからない、そういった疑心暗鬼が渦巻くなか、金融商品の価格は下落し、欧米を中心に多くの金融機関が巨額の損失を計上する。金融市場における信用は急速に収縮し、金融システムに対する信頼が大きく揺らいでいるというのが現在の状況である。

 このような金融危機は実体経済にも深刻な影響を与え始めている。ローンによる旺盛な消費に支えられていた米国経済が減速基調にあり、自動車の販売台数は大幅に減少している。そのことがすでに危機的な経営状況にあったGMなどビッグ3を破綻寸前に追い込む結果となった。破綻した場合の影響は計り知れない。

 米国経済の減速は急激な円高と相俟って日本企業の収益を直撃し始めた。また、国内金融機関も金融危機に伴い生じた損失を背景に融資に慎重になっているといわれており、資金繰りの悪化に伴う企業倒産の増大などが懸念されている。

今回の事態が意味するものをどう読み取るか

 今回の事態に対しては、世界各国が協調して負の連鎖を断ち切り、一刻も早く安定した状態を回復することが何よりも優先されなければならないが、そのことと併行して、以下の6つの論点についてこれまで以上に深く掘り下げた検討を行う必要がある。既に多くの識者が論じているところであるが、ここであらためて整理しておく。

 一つめは、米国とドルに対する信認が揺らぐなか、今後も米国を中心とした世界、ドルを基軸通貨とする経済が続くのか、それともEUとユーロをもう一つの極とする二極化、あるいは多極化の方向に進むのかという点である。

 二つめは、経済における金融の位置づけである。社会生活に必要なモノやサービスを生産・分配・消費するという活動を円滑に行うための手段として金融を位置づけるべきであるが、現在はその金融が実体経済を振り回す形となっている。金融の果たす役割を明確化し、それにふさわしい姿を目指して制度・システムを再構築する必要がある。

 三つめは、市場と競争についてである。市場における競争を通じて、より良質のモノやサービスがより効率的に生産され分配されるという点については、世界の大多数の共通理解となっているが、市場がグローバル化し、競争に勝ち抜くために高度で複雑な知識が駆使され、資本がより大きな利潤を求めて世界を駆け巡るなか、市場や競争の健全性がこれまで以上に問われ始めてきたというのが昨今の状況である。今回の金融危機は市場や競争のあり方に極めて重い課題を投げかけたことになる。

 四つめは、企業についてである。企業統治をめぐる議論においては、企業は究極的には株主の利益を増大するために経営されるべきという考え方と、ステークホルダー(利害関係者)全体の利益のためという考え方の、大きく分けると2つの立場がある。米国で主流であるのは当然前者であるが、経営者が巨額の報酬を得ながら短期的な利益のみを追求し、挙句の果てに会社を危機的な状況に陥れ、株主のみならず従業員をはじめとするステークホルダーに多大な損失をもたらすケースが幾度となく報じられている。松下幸之助は「利益は報酬である」と説き、企業経営において「人をつくること」の重要性を強調している。米国のみならず日本においても、企業とは何かをあらためて問い直す時期がきている。

 五つめは、自由・規制・倫理についてである。いうまでもなく市場経済においては個々の経済主体が自由に経済活動を行うことが基本である。規制を設ける場合も、市場の健全性と経済活動の公正性を確保するために必要最小限のものに止めなければならない。しかしながら、何をもって必要最小限とするかは論じる者の立場や時々の状況によって大きく異なるだけでなく、そもそも完全な制度を設計することは不可能といわざるを得ない。倫理や道徳が経済活動においても重視されなければならないのはこのためである。これをどう育み、定着させるかは今後の大きな課題である。

 最後の論点は、経済成長と人々の幸福についてである。経済全体の量的規模の拡大を通じ、人々の社会生活の基盤を安定・充実させるという考え方やシステムがこれからも有効なのかどうか、有効であるとするならばどのようにしてそれを維持するべきかといった議論がより幅広くかつ掘り下げて行われなければならない。GMやGEの収益に占める金融事業の大きさが物語るとおり、米国は金融ビジネスを拡大することで第二次産業の衰退を補い、経済成長を維持しようとしてきた。先進各国は成熟化と新興国の追い上げのなか、いかなる方途で社会や文化の質を維持・向上させることができるのだろうか。

世界経済の混乱は大学にいかなる影響を与えるか

 金融危機による世界経済の混乱は日本の大学にどのような影響を及ぼすのであろうか。具体的に影響が出てくると思われるものから順に述べることとする。

 最初に懸念されるのは、金融資産や不動産価格の下落による損失である。リスクの高い金融商品で資産運用を行ったことから巨額の損失を発生させた私立大学のケースは報じられているとおりである。筑波大学の場合、国立大学法人として余裕資金の運用方法が限られていることに加え、財務系列以外の理事や専門の教員も加わる資金運用委員会を設置するなどして、資金調達・運用の透明性・適正性の確保を図っている。金融事情に詳しい理事や職員のいない大学も少なくないと考えられる。私立大学全体として専門的な助言組織を設けることも検討するべきではなかろうか。

 次いで懸念されるのが、学生の就職活動への影響である。2009年度採用については一部で内定取り消しが報じられているが、2009年に入って本格化する2010年度採用にいかなる影響が及ぶのか慎重に見ていく必要がある(図表)。多くの業種・企業で減益が予想されているが、利益水準や財務体質は就職氷河期といわれた頃に比べると決して悲観すべき状況ではない。特に財務体質は近年格段に強化されている。問題は経営者のマインドである。労働力人口の減少が避けられないなか、企業に対しては長期的視点に立った安定的な採用を期待したい。


図表 新規学卒者の採用内定取消し件数の推移


 三点めは、円高の進行による留学生の生活への影響と今後の留学生確保に関する懸念である。為替レートについては対ドルや対ユーロだけでなく、中国・韓国をはじめとするアジア各国の通貨と円との関係を注視しておく必要がある。足元では既に在学中の留学生の生活に気を配る必要があるが、同時に、円高の進行が日本の受入留学生数にいかなる影響を及ぼすのか注視しておく必要がある。海外からの旅行者を重要な収益源にしていた観光地などでは既に深刻な影響が出始めているという。国際化の時代の大学には企業と同様に為替への関心も求められる。

 四点めとして、雇用環境をはじめ経済の先行きに対する不安が増すなか、家計部門の支出抑制が強まることが予想される。それにより、受験生一人当たりの受験校の減少、自宅から通える大学を目指す受験生の増加、私立大学から国公立大学へのシフトなどの状況が生じることも考えておかなければならない。見方を変えれば地方の大学は優秀な受験生を確保するチャンスでもある。

 五点めは、世界経済の混乱が我が国の実体経済を悪化させ、それが長期化した場合、所得の減少から大学進学率自体が低下するのではないかという懸念である。18歳人口の減少に進学率の低下が加わった場合、供給過剰が一気に深刻化すると考えておかなければならない。豊かになったといわれてきた現在の我が国において、勉学意欲のある若者が経済的理由で大学進学を断念せざるを得ない事態は避けなければならない。各大学のレベルでこれまで以上にきめ細やかな経済的支援措置を講じると同時に、社会全体として経済的に困窮する学生を支える体制を充実させていく必要がある。

 最後は、税収減による国や自治体の財政状態のさらなる悪化を背景にした交付金や補助金の縮減である。国や自治体は財政投入の総額を抑制するとともに、投入先の選別を強めることになるものと考えられる。大学ごとに教育研究の質や経営の質がこれまで以上に厳しく問われることになる。

 以上述べたような事態がすべて現実となるのかどうか、確かなことは言えない。バブル崩壊以降の長期停滞期を経て、日本企業の収益力や財務体質は格段に強化されており、中国をはじめとする新興国も多少減速したとはいえ、なお高い水準の成長を続けている。

 一方で、自動車の国内販売が低調に推移するなど経済の足取りが力強さを欠くようになっていたのも事実であり、世界経済の混乱がその状態を一気に深刻化させつつあると見ることもできる。

 起こり得る最悪の事態を想定しながら早め早めに手を打っておくこと、そのような先見性・洞察力、緊張感、行動力を持つことによって、大学も強くなるのではなかろうか。

今回の事態を通して大学のあるべき姿を考える

 今回の事態が意味するものについては先に述べたとおりであるが、これらのことを通して大学は何を考え、あるべき姿をどのように描くべきか。

 大学は社会のニーズにこたえるべきといわれるが、筆者はこの連載においても、社会のニーズとは何を指すのか、移ろいやすい時々の状況や価値観に翻弄されることなく、歴史に学び、人類社会の未来を洞察し、日本をより深く知り、世界を広く理解するなかで、確かな価値を創造していくことの重要性を強調してきた。

 人材の育成について考えてみると、ようやく氷河期を脱したと安堵していたら再び暗雲が立ち込める、就職後3年以内に離職する若者はあとを絶たず、人気の高かった外資系企業も人員削減、という状況のなか、学生たちに確かなるもの、揺るぎないものを自らの力で身につけさせて、社会に送り出す必要がある。

 何をもって確固たるものとするかは一概に言えないが、自己を信じる力、他者を思いやり社会との関わりのなかで自己を考える力、幅広い興味・関心、本質を追究し考え抜く力、専門分野に関する確かな基礎力などが今後ますます重要になってくると考えられる。それらは教員から学生への一方向的な教育だけでは身につかない。学生が明確な目的意識を持ち、自ら学び考え抜く態度を根付かせておく必要がある。

 今回の事態を大学教育のあり方を根本的に問い直す好機とすべきである。

 大学のもう一つの使命である知の創造に関しても、今回の事態は種々の問題を投げかけている。マネーゲームに翻弄される世界経済の危うさは、かねてより多くの識者が指摘していたことである。それにもかからずその暴走を止めることができなかった。経済学を中心とする社会科学分野の研究者にも責任の一端はあると言わざるを得ない。

 社会科学の場合、研究者の関心や主張が社会全体の動向に多少なりとも左右される傾向にあることは否定できない。また、個々の研究者がより狭い専門領域で成果を競う昨今の状況では、限定的・局所的な部分最適を見つけることができても、様々な要素が複雑に絡み合う現代の諸問題を解決するための有効な解を導き出すことは容易ではない。さらには、哲学や倫理学などの人文科学と連携・融合することも極めて重要になってきている。

 とりわけ我が国においては、人文社会科学分野の研究のあり方やその成果を問う声が少なくない。そのことが影響しているかどうかわからないが、社会全体で見ると空疎と思える議論やそれに基づく場当たり的な施策が増えている印象を拭えない。また、人間の生き方や社会のあり方を右か左かの原理主義的思考やゼロか一かのデジタル的発想で論じ、それらの思考や発想が振り子のごとく大きく振れることによって、人々に心許なさを与えているという面もあるのではなかろうか。

 豊かな感性と深い思慮を育む、奥行きのある質の高い社会・文化の形成を促すためにも、人文社会科学はその広がりと深さを増しながら、研究成果の発信とそれに基づく人材の育成に努めなければならない。当然、他の学問分野にも同様の努力が求められる。

 金融危機による世界経済の混乱が各国や日本の社会に今後いかなる影響を及ぼすのか、それはいつまで続くのか、確かなことはわからないが、大学を含めてあらゆる組織の社会的存在価値とその質がこれまで以上に厳しく問われ、取捨選択が急速に進むことは覚悟しておかなければならない。見方を変えれば、大学にとっては教育研究のあり方や学生・教職員の意識を根本的に変える好機でもある。

 金融から経済、経済から社会へと危機が急速に拡大するなか、これらの事態を直視し、環境変化への適応を図りながらも、同時にそれらに動じることなく人類社会の未来を見据えてどっしりと教育研究に打ち込む。大学とその関係者にはそれくらいのしたたかさが必要なのかもしれない。



(吉武博通 筑波大学理事・副学長 大学院ビジネス科学研究科教授)


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