見える研究・見せる広報/近畿大学

 志願者をいかにして集めるかが大学の重要な生存戦略になった近年、どこも広報には力を入れている。とはいえ、やみくもに情報発信をすればよいというものではなく、またその場限りの誇大広告はすぐ色あせる。大学の何をアピールするかその内実と、それをどのように見せるかの戦術が必要である。今回はその戦術が当っている近畿大学を取り上げ、戦術の裏にはアピールする実態があってのことであることを紹介したい。

理系中心大学として成長

 近畿大学は1949年に商学部と理工学部をもつ新制大学として誕生したが、その前身は1925年創立の大阪専門学校と1943年創立の大阪理工科大学である。理工系の学部をもつ私立大学は多くはないが、その後1950年代から60年代にかけて薬学部、農学部、工学部、産業理工学部と理工系の学部に特化して拡大し、1974年には医学部を設置する。さらに、時期をおいて1993年には生物理工学部を設置し、理系の領域のほぼすべてを包括する学部学科構成となった。私立大学で理系学部中心の大学は珍しく、さらに医学部、薬学部などの医療系、さらに農学部をもつところは数えるほどしかない。

 こうした特色は大学のアピール材料にしつつも、1990年前後から新たな拡大路線に転換する。それは文系学部の設置である。1つには、理系学部が充実したので次は文系の充実を図る、もう1つには、理系学部は男子学生中心になることを免れ得ないため、18歳人口減少期に遭遇したこともあって世の中の半分を支える女子にターゲットを当てる、この2つのねらいが交差したところで、1989年に文芸学部が設置される。そして、2010年には総合社会学部が設立され、文理双方を有した完全な総合大学となった。これらの文系学部を設置することで、ようやく文理の募集定員が半々になった。2010年現在では学士課程12学部48学科、文理から医薬までをそろえ「学科の百貨店」といわれるゆえんである。

 キャンパスの本部は東大阪にあるが、農学部は奈良、医学部は大阪狭山、生物理工学部は和歌山と分散し、そして「近畿」大学の名を越えて、工学部は広島に、産業理工学部は福岡にキャンパスをもつ。学生数約3万人は、全国で4位につける規模である。

 こうした学部設置は中期計画などに沿って順次設立したというわけではなく、例えば1993年の生物理工学部は、初代総長の社会から必要とされる研究を行うという考えを原点に、バイオは時代の先駆けになるという先代総長のプランにもとづく設置であり、医学部も初代総長の総合大学への思いと、医師であった先代総長の医学にかける思いを実現するかたちでの設置で、どちらかといえば上からの決定であった。他方で、文芸学部や総合社会学部は、女子の比率を高めたいという大学としての希望があることはもちろんだが、女子が多く進学できる学部が欲しいという高校からの要望もあってのことだという。さらに、来年度(2011年度)理工学部から分離独立する建築学部は、理工学部からの要請を吸い上げる形での設置であった。

 各所の要望を踏まえ、かつ時勢を見ながら学部が増設されてきたようだ。ただ、18歳人口の減少期にはいって以降、学部を創設するからには相当の覚悟が必要である。当たればよし、はずれれば途端に定員割れに陥るという大きなリスクがある。後述する2010年設立の総合社会学部はそうしたなかでの設置であった。

40年をかけた「近大マグロ」

 学生募集の点では、医学部や農学部が文系学部をリードする形でこれまでやってきた。それは私大でこうした学部をもつところが少ないということだけでなく、それらが大学外の者にも目に見えるユニークな売りをもっていることも大きい。その代表がメディアでも取り上げられる「近大マグロ」であろう。世界で初めての完全養殖に成功したのが2002年、その前史には32年間にわたる研究があり、この研究上の成功した後に商品化されるまでにまた一苦労があった。こうしてようやく実った研究は、現在、第3世代である完全養殖の稚魚が養殖業者に出荷されるまでに発展した。

 そもそも近畿大学における養殖研究の歴史は長く、臨海研究所が設立されたのは1948年と新制大学になる前年のことである。これまでヒラメ、ブリ、シマアジ、イシダイなど18種類で世界初の種苗生産に成功し、そのうち数種は大学発ベンチャーである株式会社アーマリン近大を通じて市場に出荷されている。

 興味深いのは、通常の大学の研究の多くは、完全養殖に成功というところで目的を遂げたことになるのだが、近大の場合はそれを市場価値が高まるまで改良を重ねて販売ルートに載せてきたことである。それについては、そもそも臨海研究所が戦後の食糧難を救うことを目的に設立された研究所であり、完全養殖の研究は食用にできる魚類を生産することをターゲットにしてきたという経緯があることによる。「これは建学の理念である、『実学教育』に通じるもので、近大マグロに限らず多くの研究がこうした方向を目指しています」と、広報課の角野昌之氏は説明される。確かに、ほうれん草の遺伝子を組み込んだ豚、近大マグロの次をねらう「近大おいし牛」など、話題に事欠かない。

 近年でこそ産学連携、大学発ベンチャーなど、大学の研究の実用化や商品化は推進され多くが取り組むようになったが、一昔前はご法度といった風潮も強かった。完全養殖を目指す研究に関しても、「これは研究ではない、単なる漁業だなどという指摘を受けたこともあると聞いています」と、先の角野氏は語られるが、そうしたなかで着々と進めてきたのだ。

 これまで各種の産学連携で商品化されたものは、この5、6年で主要なものだけで23種類、これからの販売予定は具体化しているものだけで3種類までになった。リエゾンセンターの根津俊一氏によれば、「近年、研究成果の実用化が進み、収入が得られる特許が着実に増加してきました。これまでの歩みがようやくポジティブな螺旋を描くようになりました」ということである。「リエゾンセンターとしては、企業からの相談にいつでもこたえられるように、日ごろから研究室を回って先生方の研究内容の理解を深めるよう、地道な活動を大切にしています。常にニーズとシーズを探っておかないと産学連携は進みません」と根津氏は言われる。

 近大のミッションである実学は、これらの理系の研究成果の実用化に生きているが、それは大学の研究を社会の目に見える形として公開することにつながり、結果として大学の知名度向上に寄与する。そのことはまた、大学を将来の顧客である高校生に対してアピールすることとなり、理系の学部の志願者数は増加傾向にある。実学の精神は目に見える実態があることで、大学の市場拡大に貢献しているのである。

総合社会学部と0期生ブライス

 そして登場するのが、総合社会学部である。女子マーケットの一層の拡大や文系学部で偏差値をトップとすることをねらっての新学部増設である。近大にとっては16年ぶりのことになる。ここ1~2年関西圏の私立大学は軒並み社会科学系の学部を増設しており、そうした動きから取り残されるわけにもいかない。かといって、同様の学部増設では、志願者の奪い合いになること必至である。総合社会学部の設置には、多くの迷いがあっての決断であったと思われる。

 新設学部が他大学の競合学部に勝つためには、まず、広報である。社会・マスメディア専攻、心理系専攻、環境系専攻の3領域からなる学部をどのような学部にしたいか、教員、スタッフ、入学センターから構成される創発型ワークショップを開催して議論を重ね、学部のイメージを固めていった。「うずもれない広報、洗練された広報でなければだめです。学部の理念云々よりも何よりも、学生にとってここで学ぶことが将来どのような職業に結びつくのか、とりわけ女子高校生にストレートに訴えかけるような広報が必要だということで、ようやく議論はまとまりました」、入学センターの事務長の世耕石弘氏は、広報の方向性を決めるまでの議論に時間がかかったことを話される。

 そこでのキャッチコピーは「ホントの社会が見えてくる。」である。問題は、まだ存在しない総合社会学部を、どのように高校生にイメージさせるかにある。既設学部であれば在学生の生の声を高校生に伝えることで親近感を高めることができるが、それができない。そこで利用したのが、ブライスというアメリカ発の着せ替え人形である。日本でも人気がではじめたもののまだイメージがついていないキャラクターを利用し、総合社会学部0期生に仕立て上げた。ブライスは、2009年の7月から大学のウェブサイトに「Peaceful Life」というブログを書き始め、新聞や車内の広告、ポスター、高校生向けのファッション雑誌の記事に、総合社会学部の女子学生としてそのときどきの季節の服装で登場して学生生活を紹介した。いくつかの新聞が、大学のPRキャラクターとして取り上げてくれたことは、図らずして広告をしたようなものでもあった。

 結果は上々であったと、入学センターの世耕氏は見ている。まず、一般入試の志願者約7、200人は、近隣の競合する類似学部の志願者を大きく上回った。2010年には近大の総合社会学部以外に、関西大学、関西学院大学、立命館大学、京都産業大学などが学部を新設しており、それらの学部の志願者を超えることができた。そして、志願者のうち46%は女子学生であった。近大他学部では文芸学部を除き女子は多くて30%程度であったから、近大にとってこれだけ女子志願者を集めたことの意義は大きい。

 ところで、新入生の約70%は、進学先を検討している時にブライスのポスターを見たと回答しているし、見たことのある者のほとんどがポスターに好印象を抱いている。ブライスの綴るブログに対しては、半数が「役に立った」としており、「役に立たなかった」と回答した13%を大きく上回っている。ブライスの綴るブログから、新しい学部や学生生活をイメージしていった高校生が多いことを示すものである。ブライス効果はあったと言ってよいだろう。ブライスは現在も在学しており、学生生活のブログを更新している。きちんと4年間の課程を経て卒業する予定であるという。


総合社会学部のPRキャラクター「ブライス」を利用したポスター


「近畿」からの脱皮か、「近畿」との連携強化か

 2011年には、新たに建築学部が設立される。これは理工学部から独立するものであり、大学全体として入学者定員などの増減はない。建築学部という学部をもつ大学もきわめて珍しいが、定員の増減がないなかであえて独立した学部とするには、学部とすることで独自の募集計画をもつことができるというメリットがあるからだ。建築という領域は、これまで建物を造るということが優先されてきたが、これからは既存の建築物の再利用や町全体のデザインを考える建築が必要になると考え、「建物を育てる」ことをモットーとする建築を重視したいと考えたそうだ。その時、理工学部の入試で必須であった物理や数学を同レベルで要求する必然性がない、また、建築という領域は女子にも人気が高い。それならば独立した学部としたほうが多方面にアピールできると読んだのであった。これが来年度どのような結果を生むかは未知数だが、学部の改組に関してハードルが下がっていることもあって、今後もこうした柔軟な取り組みは視野に入れておきたいとのことである。

 近大の魅力をいかに高校生に訴えていくかというねらいは、多々行っているが、そこで課題となるのは、その名の「近畿」をどこまで越えるかということである。確かに、広島、福岡に学部が設置されており、その意味では早くから「近畿」の域を越えて拡大している。また、過去4年間入学志願者は増加を続けており、2010年の入学志願者は16年ぶりに10万人を超えた(図表1)。


図表1 近畿大学の総志願者数推移


 その点では、何ら問題はないともいえるが、今年度の10万人の志願者のうち8万人は近畿圏の在住者である。西に拠点はあるが、関東圏は未開拓地域である。医学部と農学部については入試説明会を関東で開催しているが、それ以外の学部に関東圏からの志願者を集めることは容易ではない。関西圏でこそ近畿大学としての知名度は高いが、関東圏ではそうはいかない。だからといって、例えば東京にサテライト・オフィスを開設したとしても、今のところ十分な勝算は得られないと踏んでいる。18歳人口をマーケットとする限り、「近畿」から脱皮して全国区になることは、誰しも望むところである。しかし、それをどこまで拡大するかは、関西という地域に所在する大学にとって迷いと悩みが大きい課題である。

 全国区になることとともに、他方で、建学の精神である実学に則り、産学連携や地域連携で地元に根を張ることも重要である。今後、社会人を大学に再び呼び込むための1つの方法だからである。2004年に大学院総合理工学研究科に東大阪モノづくり専攻を開設したことは、その契機になりうるものだろう。この専攻の特徴は、学生は東大阪を中心とする企業の開発研究室に所属する者であり、そこで実務経験を積みながら大学院で専門研究と研究開発の指導を受けるという体制がとられていることにある。また、近畿大学と連携する企業との間で、まず研究テーマが設定され、入学希望者はそのテーマを選択して受験するという方法もユニークである。大学は学生の教育を企業に委託する分、企業の研究開発費を提供し企業の参加を呼びかけ、現在25の研究テーマが走っている。

 この取り組みは、「東大阪モノづくり技術者育成プロジェクト」として学部段階の教育プログラムの開発に拡大され、2007年に文部科学省の「ものづくり技術者育成支援事業」に採択された。地域産業の技術伝承と新技術の開発を、学生の教育を通じて行うことが目的の産学連携である。まだ規模は小さいものの、地域産業の発展になくてはならない大学となるべく地歩を固めている。これも見える研究の1つということができよう。

 黙っていても学生が集まる時代でなくなった今、学生への知名度をあげるための広報戦略は重要になった。しかし、単なる広報だけではいずれ底が割れる。広報を裏付ける実態があってこその広報である。近畿大学の場合、それが実学精神による見える研究といってよいだろう。ただ、近大マグロをはじめ全国レベルの実績をもっていても、それがまだまだ志願者に返ってきていないのではと、一種のもどかしさも感じておられるようだ。


(吉田 文 早稲田大学教授)


【印刷用記事】
見える研究・見せる広報/近畿大学