建学の精神と向き合い、女性のキャリアを支援する/東京家政大学

 女子教育から出発した多くの大学・短期大学が、学生確保のために共学化を進める中で、今もなお女性にこだわり、「家政」を校名として冠し続けている大学がある。今年学園創立130周年を迎えた、東京家政大学(以下、家政大)である。しかも図表1にあるように、家政大は近年、着実に志願者を増やし続けている。卒業後も在学中の専門を生かした職業に就くケースが多く、進路決定状況は全ての学科で80%以上と高い。国家資格の合格率も全国平均を大きく上回っている。

 今回、木元幸一学長と、岩井絹江進路支援センター事務部長を訪ねた。そこからは、時代の流れの中で常に建学の精神や教育理念と向き合い、それを着実かつ堅実に実行に移してきた学園の姿が伺える。

図表1 推薦入試・試験入試志願者推移

入口と出口をくっつけた、一貫したキャリア支援

 JR十条駅にほど近い白を基調とした開放感あふれる建物の一階に、東京家政大学進路支援センターがある。吹き抜けになっているホワイエとの仕切りは取り払われ、そこここにテーブルやソファーなどがあり、学生が集まりやすい雰囲気を醸し出している。進路支援センターは、入試担当部署と就職担当部署を統合して立ち上げられた組織で、「学生の生き方応援団」(岩井氏)である。専任スタッフは、入試6名、就職10名の、合計16名。常勤・非常勤あわせて31名の進路アドバイザーを有す。

 10年前、家政大OGであり当時入試担当であった岩井氏は、夢を持って入学した学生のその後を心配していた。女性の場合、結婚による改姓など、卒業後追えなくなるところがあり、教員も「彼女たちの職業人としての進歩が見えないことに寂しさを感じていた」(木元学長)。そこで、入口(入試)と出口(就職)の統合が岩井氏から提案され、当時の片岡学長や清水理事長の下で実現したのが、このセンターだ。

 この統合は冒険だったと木元学長(当時家政学部長)は振り返る。女性が就職を決める場合、教職員のアドバイスよりも親の意向のほうが強く反映されるケースが多いからだ。だが、進路支援センターの立ち上げで、入口から出口まで関わることにより、人生のなかで4年間に何を努力して何につなげればいいかを学生に明確に示すことができるようになり、教員の側も、自分の教えた学生の活躍が見えることで教育の成果が社会に繋がっていると感じることができるようになったという。「先生も育つ、学生も育つ学校」(岩井氏)である。

 毎年200校近くの高校を訪問している岩井氏だが、「高校から聞かれるのはその高校の卒業後のこと。入試と就職の現状を理解し、情報を把握しているから、入試の人間が就職をきちんと語れる。これはうちだけではないでしょうか」と、胸を張る。

分厚い入学案内の意味

 訪問早々、「うちの入学案内はこれしかありません。全国で一番分厚いと思います」と、二冊の本を手渡された。『大学で何を学び卒業後どう生きるか』と『合格応援BOOK』いうタイトルがついたその本には、志願者・在学生にとって必要な家政大の情報が集約されているが、そこには大学の教育姿勢が端的に表れている。

 本書の特徴は、教育を提供する大学の側からではなく、学生が将来のキャリアを想像しながら現在のキャリア選択が行えるよう、情報が構成されている点だ。最初に、業種・職種別に卒業生の活躍ぶりが150頁ほどに渡って紹介されている。続く学部・学科紹介も、将来のキャリアとの関係を意識しながら150頁ほどに渡って詳細に書かれてある。全体として文字でぎっしり埋められているのも本書のもう一つの特徴で、現在の高校生に受け入れられるかどうか心配になるほど、読み応え十分だ。

 「本当の人間の生きる力を伝えながら、ただ大学に入って就職するというのではなく、40歳、50歳、100歳になるまでの人生設計を描く、そのつながりを見せている」と岩井氏はいう。キャリアモデルとして紹介されている卒業生は約500名にも及び、毎年500校にもおよぶ高校訪問や、企業訪問、入学時から卒後10年目くらいまで行われる追跡調査の蓄積、OG懇談会への参加者や連絡をくれた卒業生OGへの取材など、地道な活動がこの取り組みを支える。家政大には短期大学部もあるが入学案内は共通である。「2年で社会に出るか4年で出るか。その選択は学生自身が考えるべきであり、入学説明会ではそのことをしっかり伝えるようにしている」と岩井氏は強調する。「キャリア支援」と称して卒業直後の就職に向けた支援をピンポイントで行うのではなく、学生の将来に渡るキャリアを入学前から一貫して支援するという、文字通りのキャリア支援の立場から編まれたのがこの本であり、これが家政大の教育姿勢なのだ。

 そして、入学前にこの文字だらけの分厚い本を読むことができる力を持つ学生が、入学してくる。結果、「本学の場合は、入学前から自分の夢を大きく描いて入ってくる子の大半が、専門職として就職していく学生が多い。ブレない学生を真ん中に置いて、教職員と親とが連携しながら育てる。迷い、不安になる学生には夜や土曜日などに対応したり、先生方にお願いしたりして、ゆっくり学校に戻す」(岩井氏)。

建学の精神や教育理念と徹底的に向き合う

 学生のキャリアを一貫して支援するという進路支援センターの発想は、何も「キャリア教育」という昨今のトレンドを追ったわけではない。木元学長や岩井氏をはじめ家政大の教職員が、建学の精神を日常的に意識していることの表れである。

 家政大の建学の精神の柱は、創立者である渡邉辰五郎氏の「自主自律」と「女性の専門性を高める教育」である。渡邉氏は、女性が職業に就くことは稀有とされた時代に女性の職業的自立の必要性を説いた。前身校となる和洋裁縫伝習所を設立し、教科書や教材を自ら製作して裁縫教育に力を尽くす一方、制度的に未整備だった裁縫教員の養成にも取り組み、近代女子職業教育の嚆矢となった。更に、戦後家政大初代学長に就任した児童心理学者の青木誠四郎氏は、戦後の貧しさは「生活技術」の貧しさが原因だと考え、学長着任後、子どもの発達に応じた教育、栄養や保健などの市民教育など、生活技術の向上に資する教員の養成を目指すと同時に、女性の生活信条として「愛情・勤勉・聡明」を説いた。

 渡邉氏による自主自律の精神と女性の専門性を高める教育、青木氏による生活技術の向上と愛情・勤勉・聡明な女性の育成、そして二人による女性の職業的自立と教員養成への傾注が、大学を展開する上で常にレファレンスとなっている。戦後、家庭科教員を全国に先駆けて輩出し、その後、幼稚園、中学校、高校を設置。家政学部のうち、環境情報学科は環境教育学科にし、一専攻だった児童教育を学科として独立させた。更に、人間が社会的に生きて行く上で最も大切なのは、文化的・精神的空間であるとして、人文学部を設置し、服飾・美術学科から造形系を独立させ造形表現学科を設置、という具合に着実に改組を重ねてきた。先の進路支援センターも、「教育理念を教職員が伝え続けているということであり、学生を一生支え続けていきたいということだ」と岩井氏は言う。卒業後も「辞めてから来るな、辞める前に、先生でも職員でも誰のところにでもいいから来い、と在学中から言っている」(岩井氏)。


進路支援センターの様子


「内向きの」家政から「外向きの」家政へ

 「女性」や「家政」にこだわることは、一見時代への逆行ともとれる。だが「問題は名前なのではない。中身を改善することが重要」と、木元学長は言い切る。

 家政大では創立100周年を迎える頃、校名に「家政」を残すかどうかが議論され、有識者、高校、卒業生を含めた調査も行われた。その結果、「家政」自体は人間が生きるために必要な分野であるという結論に達し、学園は自主自律の精神でこれまで職業人養成に取り組んだという自負から、「東京家政」という校名を変更しないという決断を下している。

 「学科とか専門領域レベルでは生活学科とかいう形で名称を変えているが、大学名となると別。極端な話、次の100年考えると時代が変わり続ける。大事なのは軸を守ることで、名前にこだわらず、必要なものを身につけさせるということをやっていきたい」と木元学長は語る。

 家政という分野も、女性の「社会進出」(木元学長)に伴い、良き家庭人の育成としての「内向きの」家政から、栄養士などの専門職養成としての「外向きの」家政へと変化している。「外向きの」家政への対応は学問の深化をベースにしなければ不可能であり、その対応が就職に強い大学として学生にも評価されているのだろう、と木元学長は言う。一方、学問の深化は分野の細分化をもたらすが、皮肉にも社会の課題解決には細分化された領域個別では対応できない。そこで細分化された領域を再統合し、社会に対して発信したり還元したりする組織として、ヒューマンライフ支援センターが設立されている。これは、学内各分野の専門家が横断的に集まり、社会と関わりながら学生を育てるプラットフォームでもある。

キャンパス統合を契機とした変化の浸透

 2009(平成21)年、板橋校地拡張を契機に全学部を板橋キャンパスへと集約した。キャンパス統合後1年目は志願者増となるものの2年目以降志願者減となる大学が多いなかで、家政大はむしろ志願者増を続けている。

 この2年目のジンクスは、学長も当初から意識していたという。だがそうならなかったのは、学科・組織改組も同時にやって、中身の変化を積極的に訴えたことにある、と木元学長は言う。積極的な学生支援と学力の質保証を明確にテーマとするために、教務部を教育学生支援センターへ改組した。全学共通教育科目を見直し、教育理念である「自主自律」の精神と「愛情・勤勉・聡明」の生活信条を土台とした科目群を「人間教育科目」として導入するなど、家政大としての独自性を強く打ち出した。教員養成も目的達成型の教員養成教育推進室に改組した。キャンパス毎にそれぞれ置かれていた組織も一本化され、学内の意志統一もかなり早くなったという。

 キャンパス統合は、一貫した学生支援を目指す大学に見合った効果を生み出している。統合前はキャンパス間の往来に時間がかかっていたが、現在は1カ所に教員が常駐する形になっているため、学生がいつでも教員を訪ねることができると同時に、4年間一貫して学生の面倒を見ることが可能になった。その結果、教員と学生との交流が深まり、学生の満足度は上がっている、という。同時に、木元学長の発案で、従来の教員研究室のスペースを2つに分割した。教員が論文を書くほか、クラス担任となっている1-2年次の学生が自由に相談できる教員オフィスと、卒論生や、大学院生がいつでも自由に出入りでき、実験研究や、討論を通し、研究課題に取り組むことができる学生指導室とに分けたのだ。「論文稼ぎのための研究はいらない。学生指導を含めて、学生と一体となって研究し、共に成長してもらいたい」(木元学長)というのが、その狙いだ。

 キャンパス統合を契機に中身を進化させることで、「21世紀に向かって大学全体がおなじ方向性を持つことができた」(木元学長)。そして一つひとつの進化は「学生の方を向いている大学」という評価に繋がり、それが教職員の自信へと繋がっている。

教職員の協働を支える「家政文化」と、その継承

 様々な取り組みが展開されているにも関わらず、「理事会や教授会などの意思決定システムで徹底的に議論するのが本学のやり方だ」と木元学長は言う。「本学には創設者の考えたことを後世に伝える絶対的な義務がある。実行するのは現場であり、時間はかかるがこのプロセスを経ることによって、細部に行き渡り、一歩踏み出すときに納得してやれる」(木元学長)。現場から様々な提案が上がった場合も、徹底的に議論する。ただし、組織としてまとまるには、学長・理事長が最終的にしっかり責任を持って方向性を定めることが重要で、その点で「今の家政大は、組織としては全員がきちっとまとまっていける組織」と岩井氏は言う。

 「家政文化というのはみんなで作っていく文化であり、自主自律の文化」(岩井氏)である。木元学長は、戦後何もかも失った学園を卒業生がお金を出しあい自らの手で再生したことがこうした民主的文化を根付かせたかもしれないと分析している。そこで新任教員には、二人の先達の著書を配付し、半日かけて本学の教育方針について研修を受けてもらい、さらに、併設の博物館の辰五郎・誠四郎コーナーを見学するという。研修の過程で、家政大の底流にある底力のようなものを知って衝撃を受け、卒業生か否かにかかわらず、短期間で家政ファンになる教員が多いという。実際に家政大には、退職教職員の会が存在する。教職員の帰属意識も高く、「研究活動ではない、課外での資格取得指導も、教員自身が積極的に企画し、取り組んでくれる」(木元学長)という。こうした学園文化継承への取り組みも、教職員一体となった学内での方向性の統一や民主的な意思決定を可能にする要因なのだろう。

女性の職業的自立を支援する「家政」へ

 2012(平成24)年度から、2つあった大学院を人間生活学総合研究科として一本化し、一部に高度専門職業人養成型のプログラムを導入する予定となっている。課題解決能力という今の社会に必要な大学院キャリアを持つ女性の育成を考えたが故のことであるという。一本化することは、「家政」という校名で各学部やこれまで存在した研究科の個性や独自性を均質化することではない。キャンパス間に横たわる文化の相違が取り払われた今、木元学長は、それぞれの領域が外と競争するために、「家政」という学園全体の土台の上で各学部・学科・専攻そして研究科の個性と独自性を育て強化したいと考えている。

 「全部をまとめて一気にやらずに、ひとつずつていねいに、地に足がつく形でやる」(岩井氏)。時代の流れの中で絶えず建学の精神と徹底的に向き合い、民主的な文化を基盤とした教職員コミュニティと保護者とが一体となって、女性の職業的自立を徹底的に支援する。花火を打ち上げて無理矢理PRするのではなく、学内外の様々なステークホルダーとの対話の蓄積の延長線上に取り組みを重ねる。一朝一夕ではできないこの地道で愚直ともいうべき活動こそが、家政大のブランド力に他ならない。

 50年先、100年先、「女性」「家政」はどう変化し、家政大はどう深化するのだろうか。興味津々である。


(稲永由紀 筑波大学大学研究センター 講師)


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