生命を紡ぐ大学を目指して/酪農学園大学

志願者の低下は教育力の低下

 大学名に冠する「酪農」は、さわやかな風が吹き抜ける中でのんびりと草を食む牛、なだらなかに続く雄大な大地がもつ生命の力をイメージさせる。しかし、他方で、牛を飼い、乳を搾りという作業に汗を流し土にまみれる人間の労働の姿をも連想させる。この2つのイメージを高校生はどのように切り結んで、「酪農」学園大学を選択してくるのだろうか。

 ひょっとしたらここ数年は、後者のイメージが勝ってしまっていたのかもしれない。2005年頃までは比較的安定していた志願者数が、2006年より徐々に減少を始めたからである。当該大学関係者が危機感を抱くのは当然である。酪農学園大学のどこに問題があり、それをどのように解決していくか、谷山弘行学長をトップにおいた検討委員会が2008年に設置され、検討が始まる。以下は、その改革の過程と結果である。

建学の理念再考

 谷山学長は、志願者の減少を「教育力の低下」と分析する。ただ、「教育力の低下といっても、いろいろ議論を重ねる中で酪農学園大学のこれまでの教育内容そのものに問題があるのではないとの結論に至りました。むしろ、教育内容を提示する仕組みや教育方法が、時代とズレを生じたのです。社会の中での役割を明確にすることを目的とした改革をすべきだと考えました」と語るように、酪農学園大学の創立の理念に立ち返り、それを再考したのだという。

 酪農学園大学は、「三愛主義」、「健土健民」をモットーとして掲げている。「三愛主義」とは、キリスト教にもとづく、神を愛し、人を愛し、土を愛することに徹した人間教育を行うことである。多様な人間に対する寛容の精神の涵養、そうした人間を育てるための生命を生み出す大地を愛する精神の涵養を説くこの三愛主義の重要性は、むしろ現代においてこそ高まっているという。

 また、「健土健民」とは、学園の創立者である黒澤酉蔵が提唱したものであり、健康な土から産出される健康な食物によって健康な人間が育つという考え方である。この考え方を実践する方法が循環農法である。大地で育つ食料作物で人間が、牧草や飼料で動物が育てられ、この動物はまた人間を育てる。そして、土に育てられた人間がその知恵でもって、動物の排泄物を堆肥として大地に返すことをもって、大地を肥沃にするというサイクルを強固にすることを意図した農法をいう。

 学長によれば、80年も前に説かれたこの考え方は決して色あせてはおらず、たとえばBSE、鳥インフルエンザといった問題が生じる中で再考すべきものであることはすでに実証されている。また、今回の震災以降の諸課題が提示されたことで、科学技術をますます包括的に生命と結びつけて考える必要が出てきていると力説する。

 こうした建学の理念を改革の原点とし、それをいかにブラッシュアップし、現代社会で必要な教育の形態に翻訳し実践していくか、それが課題であった。

組織改革──学群・学類制の導入

 1933年に起源をもつこの学園が、短期大学を経て酪農学園「大学」となったのは1960年である。酪農学部酪農学科という1学部1学科として発足した後は、次々と学科を増設し、さらには学科を学部に昇格させて3学部9学科にまで拡大を遂げた。酪農、獣医、食品、健康、環境と増設される学部や学科は、まさしく第二次世界大戦後の日本の農業に求められる分野の展開の縮図でもある。その意味では、酪農学園大学は時代の要請とともに発展してきたということができる。

 しかし、日本の大学は学部間のみならず学科間の壁も厚く高いという剛構造組織であるため、農業分野の領域を網羅してもそれらを幅広く学習することは容易ではない。建学の理念に立ち戻れば、土を基盤としてすべてが循環していることこそを学ぶべきであるのに、その一部分しか学習しないということになる。

 改革の方向性は、学部・学科組織の壁をできるだけ薄く低くすることと定まった。最終的には、学部・学科組織の廃止、それに代わる組織としての学群・学類制の導入である。学部・学科よりは柔軟で選択の自由度の高い教育組織を構築することができる学群・学類組織は、筑波大学に代表されるものであるが、近年注目されて増加傾向にある。いろいろ調べながらはたと気づいたのがこれであったと、学長は話す。3学部9学科を、2011年に2学群5学類に再編成して出発した(図1参照)。従来の農学と環境関連を農食環境学群とし、従来の獣医関連を獣医学群とした。獣医師養成の課程が6年であること、すでにコア・カリキュラムがあって教育内容が全国的に標準化されていることから、獣医関連が独立せざるを得なかったそうだ。設立以来の産業動物(牛、豚、羊、山羊など)の医療を中心に据えるという方針は堅持し、日本で獣医師養成の学部・学科をもつ16大学の中での差異化を図っている。

 また、獣医学群には、時代を先取りして獣医保健看護学類を設置した。これは、現在、認定資格である動物看護師の2013年からの国家資格化を視野に入れたものである。動物看護師とは、獣医師をサポートして動物の治療にあたるとともに、他方で、獣医師と飼い主とのコミュニケーションの円滑化を図る役割をもつ専門職である。従来の産業動物医療を維持しつつも、他方で、愛玩動物市場の拡大への対応を考えた措置であろう。

 もう1つの農職環境学群は、建学の理念にもとづく農業分野の再編成である。学群の掲げるテーマは「循環・健康・共生」であり、それぞれに、安全な食料供給を目指す農業を学ぶ「循環農学類」、食の生産・加工・流通と人間の栄養を学ぶ「食と健康学類」、野生動物学や生命環境学の立場から環境との調和について学ぶ「環境共生学類」が対応している。

 これが、学習の柔軟性を保証する組織構造であることは、図1に示されているように、学類の下の単位であるコースが3年になって登場していることからもわかる。1年次を中心とする基盤教育、2年次を中心とする専門基礎教育では、学群や学類の枠をできるだけ超えて学習の共通性を高めた。将来の専門分野は異なるとはいえ、低年次における学習の共通性を高めることで「循環・健康・共生」の関連を幅広く知り、その後に専門(コース)に分化するという仕組みを導入した。幅広さと深さとの両立を図った履修構造である。

 ただし、原則、入学試験はコースごとに選抜される。将来の専門を見据えたうえでの低年次での学習の共通性を高めるという方式である。条件がかなえば学群や学類の移動も可能である。

図1 カリキュラム

カリキュラム改革──目玉は農場実習

 カリキュラム改革の特色は、図1にあるように、1年次の基盤教育を学生全員の共通としたことである。ここで、学群を超えての学生交流が可能となる。わけても特色は「酪農学園教育」である。この科目区分内に、建学原論、キリスト教学など建学のミッションを教える科目があることは当然として、そのなかに新たに「農場実習」を創設したことに改革の特色が凝集されている。1年の前期の週3時間の実習、それで取得できる単位は1単位である。

 それをなぜ、カリキュラム改革の目玉だというのだろうか。大学に入学したばかりの新入生をキャンパスの広大な農地に連れ出し、畑作物を栽培・管理し、牛舎で牛の世話をしつつ酪農を体験することが主な内容である。自分の手で土に触り、作物を育て、牛に触って世話をする…これを、酪農学園大学のすべての学生のための人間教育という意味でのリベラル・アーツだと位置づけた。実習とはいわば実学教育や職業教育の一環であり、アメリカの高等教育に関する理解からすれば、リベラル・アーツとは対極に位置づくものである。しかし、それを人間形成機能という点からリベラル・アーツとして位置づけたことは興味深い。

 農場自習は多くの学生にとって人生初めての経験であり、例えば作物が1週間でどの程度成長するかを観察することが感動を呼び、強烈な体験となって残るのだという。こうした経験を通じて、農・食・環境・生命の循環を知り、農業が幅広い現代的課題を解決するための学問であるかを体得し、結果的に自らの成長になるというサイクルが期待されており、それが学長の言うリベラル・アーツなのだろう。

 こうした教育が実際に成功したか否かを論じるには、時期尚早である。実際のカリキュラムは実施されてまだ半年である。ただ、学長によれば、それなりの手ごたえは感じているそうだ。

志願者回復の鍵は、女子と全国区

 では、組織改革の成果はどのように見ることができるのだろうか。これも、改革の結果ということはできないが、2011年の志願者は上昇に転じた。しかも、それを担ったのは女子である。図2にみるように、2011年の志願者は前年と比較して330名増加しているが、そのうち314名は女子の増加によるものである。女子志願者の増加が志願者全体の増加につながったといった方がよいだろう。女子の占める比率は46.0%へと上昇した。

 実際の入学者は823人、そのうち女子の比率は345人で41.9%であり、志願率よりは低いものの、2年次生以上の在学者に占める女子の比率が34.8%であることと比較すると女子化は進んだといってよいだろう。女子化の背景には、獣医保健看護学類の創設(女子の比率は83.3%)が大きいが、それだけにはとどまらない。獣医学部の2年次以上の在学者では女子の比率が42.4%と比較的高いが、新たな獣医学類ではそれは46.3%になっている。それ以外は学部・学科との厳密な比較はできないが、女子化は少しずつ進んでいる。これまで農の背後に隠れがちであった食や環境を前面に打ち出したことは、女子学生にとっては魅力であろう。

 また、「酪農」にある土と汗のイメージを払拭するための、環境整備の努力が功を奏したのかもしれない。建物の色の統一などの工夫は、女子学生を想定したものだし、近年は、衛生面への配慮から、土にまみれたつなぎの作業服でキャンパスを闊歩することは許されない。こうした中、元気のよい女子が増えているというのが、関係者の実感だという。女子は、今後の志願者の動向を左右する1つの要因になりそうだ。

 ところで、ここまでこの酪農学園大学の所在地についてはあえて触れてこなかった。ただ、その「酪農」という名称から想像されるように北海道にある。札幌市に隣接して132ヘクタールのキャンパス、それ以外の150ヘクタールの農場は雄大である。きわめて北海道的な大学ながら実は、学生の出身地という点からみれば、まったく北海道的ではない。一般に、北海道に所在する大学の特性として指摘できることは、学生の主たるマーケットが道内だということである。2010年度の道内高校を卒業した大学入学者のうち道内大学入学者比率は71.5%、また、道内大学入学者のうち77.0%は道内高校出身者である。ちなみに、同程度の大学入学者数を輩出する福岡県について見ると、県内大学入学者比率は64.5%、また、県内大学入学者中県内高校出身者は55.4%であり、北海道の大学が道内に閉じた学生マーケットで維持されていることがわかる(数字はいずれも『学校基本調査』(2010)より算出)。

 しかし、北海道との結びつきの強さがイメージされる酪農学園大学の場合、その学生マーケットは意外なほどに道内に閉じていない。具体的な数値をあげれば、志願者中の道内高校出身者は30%程度に過ぎない。すなわち、約70%の学生は道外から酪農学園大学を選んで来ているのである。もちろん、同窓会組織を活用した学生募集、全国各地に置かれた学力試験の会場、指定校制度を活用した入学者の確保などの地道な努力が、こうした実績を挙げていることは確かであろう。とはいえ、2002年に79.3%であった道外出身者の比率は、近年、漸減傾向を示し、2010年には66.0%となっていた。

 組織改革やカリキュラム改革との因果をいうことはできないが、2011年には68.3%にまで回復した。いずれにせよ、学生マーケットの全国的な縮減の中、学生マーケットの多くを道外に求めることのできることは経営の観点からいって安心材料である。

 改革が学生募集の安定性に結びつくか否かは、この教育努力が学習成果となってあらわれ、教育力の向上が認められる日を待たねばならない。


図2 女子の志願者とその比率

数年先を見据えて

 しかしながら、学長はその日を安穏と待つつもりはないようだ。というのは、今回の改革で十分に達成できていない課題があり、できるだけ早い時期にそれに着手しなければならないと考えておられるからである。

 1つは、喫緊の課題としての教員組織の改革である。学部・学科制のもとでは教員も学生も同じ組織に所属していた。しかし、学群・学類制は学生の教育のための組織である。それに対する教員組織をどのように編成するかという課題が残っている。2年次以上の学生が学部・学科制下にあることで、それを担当する教員もその下にある。しかし、学群・学類制が学生組織である以上、いずれ教員組織として例えば学系などへの改編を考慮する必要が出てくる。それは、教員が研究に力を注ぐための改革であるという。

 もう1つ、手がけるべき緊急度の高い課題は、教育の内容および目標の再改編である。それは農や食のグローバル化に対応した問題である。これは、日本として食の量的確保はどうするか、質の確保はどうするかといった、食糧生産やその輸出入にかかわる国家的課題である。こうした課題に応えることのできる人材の育成や研究基盤の構築を、大学のミッションとして明確化する必要があるというのが学長の認識である。

 国内市場からみれば、産業としての農業および酪農は凋落し、農業系の大学の必要性は希薄になっている。他方で、視野を世界に広げれば、食や食によって育まれる生命の安全性、食糧生産の量と質の確保などはグローバルな課題そのものであり、新たなシナリオを早急に作成することが求められている。それをいかに認識し応えていくか、大学が蓄積してきた知恵が求められている。


(吉田 文 早稲田大学総合・科学学術院 教授)


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