優秀で多様な学生の獲得を目指す/慶應義塾大学

 慶應義塾大学(以下、慶應)では、「学問のすゝめ奨学金」の導入をはじめ、奨学金全般の見直しを手掛けるとともに、法学部の地方学生向けのAO入試、学生寮新設など、優秀で多様な学生の獲得に向けた改革を次々と行っている。その狙いはどこにあるのか、長谷山彰常任理事にお話をうかがった。

図1 一般入学試験の入学許可者の地域シェアの推移

「学問のすゝめ奨学金」で多様な学生を取り込む

 2012年4月から地方からの入学者を支援する「学問のすゝめ奨学金」を開始した。一般入学試験前に申し込み、書類選考により候補者認定を受けた合格者は、入学後の奨学金として60万円/年(医学部は90万円/年、薬学部薬学科は80万円/年)を約束される制度で、例えば文学部であれば授業料80万円の約8割まで賄える。慶應の理念やそれぞれの学部の教育に共鳴して、ぜひ慶應で学びたいという優秀な地方人材を引き付けるための支援策といえるが、その特徴は、「地方出身者対象・一般入学試験前予約・給付奨学金」の3点である。

 第一の特徴の「地方出身者対象」は、首都圏(1都3県:東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県)以外の地域について、北海道・東北12名、北関東・甲信越12名、北陸・東海21名、近畿19名、中国・四国28名、九州・沖縄15名と、6つの地域ブロックごとに定員を設けていることである。慶應では創立以来、学ぶ志のある者に開かれた学塾という理念で全国から多様なバックグラウンドを持つ学生に広く開放してきた。ゼミやサークルにも地方出身者は必ず何人もおり、地方に帰ってからも、よいネットワークが続いている伝統があった。しかし、景気低迷の影響もあり、地方の優秀な学生は地元に近い国公立大学を選ぶ傾向が強まり、その結果、慶應の学生のうち、約7割が首都圏出身者になった。図1には最近5年間の一般入学試験の入学許可者の地域シェアを示したが、首都圏出身者が59%から68%へと急増しており、多様な学生の確保がこの4、5年に大きな課題となってきた。

 第二の特徴は「一般入学試験前予約」である。慶應以外にも早稲田大、お茶の水女子大、新潟大、立命館大、電気通信大、関西学院大などもこうしたタイプの奨学金をスタートさせている。長谷山常任理事は、「家計水準の影響は入学後の生活水準の違いより、むしろ入学前の進学の有無や進学先の選定に対する影響が大きい」という筆者の研究※1も引用しつつ、「家計水準の影響は入学前が肝心。優秀だが、大学進学を躊躇する人が安心して大学進学を決断できる方向にサポートすることが重要」だという。実は慶應では創立150年の2008年に、地方出身者のための家賃補助制度を創設した。しかし、大きな原資で実施した割に目に見えた効果が出なかったという。地方の受験生に訴求するポイントは「私学は授業料は国立より高いが、生活費は自宅から通うのと同程度の水準にすること」だが、目に見える効果を引き出すほどの補助は私立大学には財政的に不可能であり、「選択・集中型」で誘引する方策を、という反省から、入学前の事前予約型の奨学金を新たに創設することにしたという。「一般入学試験に合格すれば、授業料が60万円安くなる」というのは高校生やその保護者にも非常に分かりやすく訴える内容で、進学や上京を後押ししてくれる制度だ。

 第三の特徴は「給付奨学金」で、返済が不要だという点である。慶應は経常費で行う貸与型の独自奨学金を1997年に廃止し、学内の奨学金は全て給付型である。貸与型はインフレ時代であれば楽に返済できるが、デフレ時代には返済の負担率が上がっていくので、この時点で廃止したのは「賢明な判断だった」という。また「良い教育に見合う学費を設定し、受験生獲得のために学費を下げることはなく、奨学金を充実させる」という原則は他大学との競争で不利になることがあっても堅持するという。大学が連帯保証人となる奨学融資制度もいち早く始め、その後連帯保証人をたてるなど一部手直しを加えたが、平成22年度より提携金融機関による「教育ローン制度」に移行している。

期待される効果

 「学問のすゝめ奨学金」は2011年5月末に発表したため、十分な告知や詳細な紹介が間に合わなかったにも拘わらず、107名定員枠のところ、30名が入学し奨学生として奨学金の給付を受けた。一般入学試験よりも入学手続き等の歩留まり率は高く、合格すればかなりの割合で入学することが検証できた。今年度以降の目標は応募総数をいかに増やせるかである。問い合わせの数も増加しているし、オープンキャンパスでの関心も高く、本当の意味での効果は来年度入試からみられると期待が膨らむ。

 今後は、さらに慶應の学費・奨学金に対する考え方を高校生やその保護者に伝えていくことも重要だ。親世代は多様な奨学金があることを意外と知らないとの印象を抱いているという。これまでも入学後のガイダンス等で奨学金の説明を行い、学生相談の窓口を充実させてきたが、「学問のすゝめ奨学金」ができたことで入学前からの問い合わせも増加した。慶應は2008年に学費体系を大幅に改定したが、私立の主要校と比較しても学費は高いわけではない。学内の学部生向け独自奨学金は約2500名の学生が受給しており、受給率(学部生約29000名のうち8.6%程度)は主要校のなかでもかなり高い部類に入り、奨学金の種類も非常に多様だ。例えば昨年は「東日本大震災被災塾生特別奨学金」を創設したが、入学後に家計が急変したケースを支援するための奨学金にも力を入れている。長谷山常任理事は、10年前に学生総合センター長をした際に、家計支持者の死亡や、リストラ以外にも複雑な家庭事情を抱えた学生など様々なケースを目の当たりにし、「これですべてが解決できるという奨学金はなく、並行して様々なタイプの奨学金を用意することが重要」であると言う。このような充実した多様な制度をわかりやすく伝えていくことも必要だ。

 これまでは教育の機会均等(ニードベース)奨学金に力を入れてきたが、育英の観点からメリットベースの奨学金も充実させていくことも課題だという。慶應ではロンドンオリンピック・パラリンピックに5人の学生が出場し、2人がメダルを取った。塾長が彼らの健闘をたたえる機会はあるが、他大学のように成果に対して報奨金のような形で奨学金を与えるという発想はない。ただ、今後は成績優秀者だけでなく、総合的な学術・文化活動やスポーツなど正課と課外教育両方に目配りをしたメリット奨学金の形を考えていきたいという。こうした様々な経済的支援をしていくためにも資金は重要だ。奨学金の原資は、通常、基金の運用、経常費、寄付金の3種類であるが、三田会奨学金、維持会奨学金など、寄付金で作られた「指定寄付奨学金」が多いのが慶應の特徴であり、強みでもある。基金の運用率が下がっている現在において、さらに寄付金を増やしていくことも課題で、卒業生から寄付金をもらうためにも、在学中に豊かな学生生活を送ってもらうことが大前提である。慶應では長年、入試形態に拘わらず、9割以上の学生が満足して卒業していくという調査結果がある。こうした良さを維持・強化していくことで後輩となる在学生への支援に結びつけていきたいという。

きめ細やかでトータルな学生支援

 地方出身者の獲得に話を戻せば、奨学金だけでなく、寮や食堂といった厚生施設などトータルな学生支援が必要である。現在、自宅外通学は9000名程度だが、もちろん全員が入寮を希望しているわけではない。横浜に寮の新設が予定されており、これが稼働すれば、日本人学生は600名以上収容することが可能になる。現在は全体で希望者の約半数しか入寮できておらず、残りの半数をなんとかするのが当面の一つの目標だという。寮の内容も非常に多様である。戦前からあり、横浜市の歴史的建造物にも指定された日吉寄宿舎のような学生自治寮(3人部屋)もあれば、2人部屋の女子寮、日本人と留学生が入寮し国際交流が可能になっているもの(1人部屋)もある。例えば、大森学生寮では日本人用101室・留学生用26室、綱島学生寮では日本人用74室・留学生用50室を設けている。なお、新築の綱島学生寮では賃料の最多価格帯は食事込みで約月8万8千円であり、地方出身者の入学をさらに後押しするものとなっている。

 トータルな学生支援を地方出身者だけでなく、塾生全体の支援にどのようにつなげるかという観点で捉えられている。例えば、日本人学生の留学を促進するためには奨学金を用意するだけではうまくいかない。留学をしても4年間で卒業できるカリキュラムや履修形態の提供、寮をはじめとする福利厚生施設の充実など、トータルできめ細やかな支援が必要になってくる。奨学金や寮の整備はこうした学生支援の一環に位置づけられている。

入試改革も並行して実施

 「学問のすゝめ奨学金」や寮の新設などの施策は、「学問による社会への貢献」といった慶應の理念や方針に基づく一貫したものだということがお話をうかがうなかで明確になってきた(図2)。慶應は優秀で多様な学生を集めるために、奨学金だけでなく、入試の改革も積極的に行っているが、これらはすべて互いに関連しあった施策である。

 法学部のFIT入試(AO入試)では2012年度から地域ブロック別定員という考え方を採用した入試制度(B方式)を導入したが、「学問のすゝめ奨学金」と非常に発想が近い。また全学的にはセンター試験を全面撤廃した。私学のなかでいち早くセンター試験に参加したのも慶應であったが、撤退し、より慶應の個性に合ったやり方で学生を獲得していくという。撤退の理由は2つある。一つは、建学の理念を大事にしたいという思いである。「慶應で学びたい」という意欲を強く持った学生は、入学後もよく勉強するし、卒業後も活躍し、支援してくれるので、こういう学生を多く受け入れたいためだ。卒業生が愛着を持ってくれるのは慶應の良さだが、センター試験はそうした理念に合った入試方式ではないためである。もう一つの理由は、センター試験は知識習得型に比重があることだ。センター試験の問題は工夫されており、非常に色々な角度から受験生の能力を見ることができる良問だが、上位層ではほとんど得点差がつかず、潜在的能力、思考力、創造力を持った学生を選抜しづらい面もある。座学だけでなく、未知の課題に挑む総合的能力を備えた学生こそ獲得したいし、国際化の時代においては、異文化を単に理解するだけでなく、主張の違いを乗り越えていく交渉力・コミュニケーション能力を備えた人材が重要だ。こうした全人教育型にシフトしており、それにあった入試方式を模索すべきだという思いからである。

 慶應の個性に合った総合的能力を見る入試とは、具体的には広い意味のAO入試だという。時代に逆行していると思われるかもしれないが、他大学が行っているAO入試とは異なる新しい形でのAO入試である。最近は法学部のFIT入試が着目されているが、ずいぶん前から文学部の自主応募制による推薦入学や湘南藤沢キャンパスのAO入試も行ってきた。こうした入試を経て入学した学生は、入学後のパフォーマンスが高いことが追跡調査から分かっているし、例えばSFCのAO入試も常に見直しを行っており、丁寧な選考を行っている。

 単に地方出身者を増やすことを目的とするのでなく、理念・方針に沿った形で地方の優秀な学生を増やそうとしている姿勢は、入試の内容にも表れている。慶應では国語の試験をしている学部はなく、すべて小論文、論述という形をとっている。文学部でさえ、30年以上前に国語の試験をなくした。地方の国公立大学を目指す学生であれば、別の勉強の仕方をしなければならない慶應は一般的には選びにくいし、高校の先生も勧めない可能性も高い。そういった意味で、奨学金や寮だけで地方の学生を引き付けるのは難しいかもしれないが、総合的能力を持った人材を獲得して、教育をするという方針を大事にしている。「量から質への転換」は地方出身者の学生確保だけでなく、国際化についても同様だ。かつては、留学生数を増やすことを一生懸命やってきたが、最近はそれぞれの学部でどのような留学生が欲しいのかという議論をするようになっているという。例えば理工学部では博士課程の学生など一緒に研究をするような留学生を増やしたいし、文学部では日本の文化や歴史に興味を持ち、日本語で学び、帰国後に日本の良さを伝える学部段階の留学生を増やしたいなど、国際化といっても学部によって目指す内容は異なる。

図2 学生支援の位置づけ(筆者作成)

学部・キャンパスの自律性を括かした運営

 こうした質を重視した改革を支える上でも重要なのが、各学部・キャンパスの自律性を活かした運営だ。学外からみると、図2に示したように最近の施策は非常に一貫性があるし、全学と並行する形で各学部の施策もなされているように見えるが、必ずしもトップダウンによる全学的な施策ではない。「学問のすゝめ奨学金」と法学部のFIT入試は非常に似た施策だが、それぞれの議論の中で作られたものが偶然にも、同時期で類似の内容だったという。またいずれの施策も発想から1年もかけずに、実施に移している。慶應の運営スタイルとして、学部・研究科・キャンパスの自律性を非常に尊重し、それを活かす形で法人が支援する形ができ上がっており、「いったん議論が始まると進むのが早い」特徴がある。他大学から見れば羨ましい話だが、経営と教学の一体化がうまくいっているからではないかという。法令上の最高意思決定機関である理事会は、理事長兼学長である塾長、塾長が指名する常任理事、学内理事としての学部長等、卒業生評議員からの学外理事という異なる3つのグループの代表者から構成されている。そこで主要な物事を決めるので、経営サイドは教学のニーズを的確に把握できるし、教学側も要求だけでなく、財政的な難しさも理解するようになる。100年ほどの時間をかけて、こうした意思決定と執行のあり方を作ってきたことが機動的な経営につながっているという。

 “高質の教育(絹)を提供するのであれば、それに見合った値段をつけるべきだ”という福澤の絹と木綿論を展開し、日本で最初に定額の授業料を徴収した大学は慶應であったが、今回の取材では慶應らしいこだわりとポリシーを感じた。こうした慶應らしい改革が今後のさらなる発展にどのようにつながるのか、楽しみに見守りたい。


(両角亜希子 東京大学大学院教育学研究科 講師)


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