地域の力に依拠して鍛えられる“社会人力”/松本大学

 2011年に大学設置基準が改正され、「大学は、生涯を通じた持続的な就業力の育成を目指し、教育課程の内外を通じて社会的・職業的自立に向けた指導等に取り組むこと」が明記され、就業力育成は大学教育の重要な課題となっている。各大学が活動の方向性を模索する中、地域産業人材の育成や地域経済の活性化にもつながるような就業力育成の取り組みが注目されている。

 この連載では、産業界との連携や地元自治体との協働によって学生の就業力を高めることに成功している事例などを、積極的に紹介していきたい。

 今回は、「地域丸ごとキャンパス」をうたう松本大学の地域密着型の教育・人材育成スタイルについて、住吉廣行学長にうかがった。

専門教育+社会人力

 住吉学長は、「個人的には、就業力を育成しようと思ったことはない」と言う。就業力の育成は教育の「結果」であって、就業力をつける「ための」教育ではないとの認識だ。

 「いわゆる就業力として今何が求められているか、どんな企業に聞いても、一番多い答えはコミュニケーション能力です。このコミュニケーション能力に、自分の意思をクリアに伝えるプレゼンテーション能力、相手のことを気遣うホスピタリティの精神を加えて、全体として“社会人力”という言い方をしています」

 大学卒・短大卒の社会人に求められるのが社会人力プラス専門性だとしたら、専門的な力量は専門教育で身につくとして、それ以外の社会人力をどこでどのように身につけさせるか。それが住吉学長の問題意識だという。

地域での経験が本当の力を育てる

 コミュニケーション能力が社会人力の重要な要素だからといって、それを身につけさせるための授業は作らないと住吉学長は言う。今の学生の特徴を「傷つくのを恐れ、対人関係を避けている」と捉え、「『コミュニケーション論』のような授業より、本当にコミュニケーションが求められるシチュエーション、人と人との接点を作ることのほうが有効」と考えるからだ。

 具体的には2つの「接点」が作られている。1つは学生の自治会(松本大学では学友会と呼ばれる)活動。もう1つが地域社会との結びつきだ。

 「学友会は、同じ学内の仲間ではあるけれど、短大と四大があり、違う学部で違う分野のことを学んでいる、ある程度は異質の人の集まりです。そういうところで意見を戦わせたり、自分の思い通りにならないことを経験したりする中で、社会性・社会人力が身についていくだろうと思います」(住吉学長)

 全学で約2000人のうち百数十人が梓乃森祭(大学祭)の実行委員になっているなど、多くの学生が学友会活動を経験していると住吉廣行 学長 いう。リーダー格の学生のためには、短大も含めた3学部合同で1泊2日のリーダーズキャンプも実施されている。

 とはいえ、学友会で体験できる対人関係は、同世代の大学生とのものに限られる。実社会そのものとの「接点」が、高齢者から子どもまで世代も様々、育ってきた文化も違う人たちと相対する地域社会での活動だ。

 一例として、人間健康学部の実習がある。健康運動指導士(予防医学的な見地で健康づくりの運動指導を行う職)を目指す学生の集まるゼミでは、主に高齢者を対象とした地域の福祉の場での運動指導の実習を行っている。

 「腰の曲がったおじいさんと話すのに、学生が普通に立つと、言葉遣い以前に文字通り『上から目線』になるから、床にひざまずいて目線を合わせろと。そういうコミュニケーションの基本から訓練しているんです」

 どういう言い方をしたら運動指導の内容が伝わるかを学生自身が真剣に考えるし、交わす会話には敬語も必要になる。教員がいちいち言わなくても、おじいさんおばあさんから「あんたの言ってることはよく分からん」「そういう言い方はないよ」などと諭されたり怒られたりする。そういう経験の中で、「本当の現場が、学生に本当の力をつけてくれる」と住吉学長は言う。

地域との関係を実現する組織

 地域で展開していく教育活動は、学内のみでの教育に比べて手の掛かるものだ。松本大学の場合、それを実現している1つの要素は、充実した組織体制だ。学生と地域の窓口である「地域づくり考房『ゆめ』」、人間健康学部の実習を支援する「地域健康支援ステーション」、教員の窓口として「地域総合研究センター」と3つの組織に、それぞれ専任の職員が配置されている(図表)。

 もう1つの要素は教員の意識の高さだという。

 「教員の採用時から、そういう人を採ろうという意図があります。要するにまず学生が好きかどうか。自分の研究活動もきちんとやって、かつ学生にフレンドリーに接し、教育に対して一定の方向を持つ人。

 例えば先ほどあげた人間健康学部の実習で、地域の高齢者に対して『上から目線』になるなというのをかなり言うんです。学生たちは、俺たちは大学で勉強してるから知ってるんだ、だからお年寄りは言う通りにやれっていうようなことを言いがちなんですが、そんなのは絶対に言っちゃいけない、人間として駄目だと。今まで日本の発展を支えてくれた高齢者を敬えというところから始まるんです。そういう人間教育もやるのは、うちの教員のすごいところだと思っています」

図表 松本大学 COC組織図

地域の力を認識したきっかけ

 住吉学長が地域連携を考えるきっかけになったエピソードがある。松本大学が短大のみだった時代のことだ。

 当時、学生の自動車通学は禁止されていたが、それでも車で来る学生がいて、「個人病院の駐車場の入口に駐車されて迷惑だ」「コンビニの駐車場が学生の車でいっぱい。営業妨害だ」など学外からの苦情が殺到していた。しばらく停学などの対応をしていたが、ある冬、「停学の代わりに、雪かき」という処分をしたことがあった。

 「『いつも迷惑かけている地域の皆さんのためにそこらじゅうの雪をかいてこい』と、地図で『君はここからここまで』って割り当てて、昼過ぎに送り出した」

 既に凍っているところもあって相当な重労働で、大学側としては苦役を与えたつもりだった。ところが夕方、多くの学生たちが喜んで帰ってきたという。地域のおじいさんおばあさんからお駄賃を2000円もらった、お菓子やジュースをご馳走になったなどの例が続出したのだ。

 「『先生、俺たち、お金もらっちゃった』『お礼言われちゃった』って感激していた。なんでそんなに喜んだかって言うと、地元の短大に進む子は、それまでの高校生活で、たぶんほめられた経験が少なかったんだと思います。そういう学生が、頼りにされて舞い上がった」

 ついには、「僕、今日で終わりって言われてるんですけれど、明日も来ます」などという学生まで現れた。

 「僕たち教員はだいたい、北風ビュービュー吹かしたらそれに従って修正されていくだろうと思い込んでいる節がある。ところが、地域のおじさんおばさんたちが全然違うスタイルで、あったかい南風を吹かしてコートを脱がせ、しかももっとやる気にさせた。これはすごいぞと。地域の人たちは別に、教育しようと思っているわけでなく、本音でただ『ありがとう』と言っただけだと思いますが、地域社会が持っているこういう力を、学生を育てるのに使わない手はないというのが、その時の僕の、率直な感想でした」

アウトキャンパス・スタディ

 住吉学長は「大学の教員にはプライドがあるから、こういう目からウロコのような経験をして初めて、地域の人にお願いしようという発想になったと思うんです。ただ、その内容は基本的に社会人力でした。専門のことをお願いしたわけでは絶対なかった」と続けるが、地域による教育の効果は「社会人力のみ」にとどまらなかった。

 「授業なんて、教員がいくら一所懸命やったって、学生が聞く耳持たなければ全く身につかない」というのが住吉学長の持論。ではどこで学生に「聞く耳」を持たせ、「勉強しよう」という気持ちにさせるか。

 「例えば総合経営学部のあるゼミで、高齢者の買い物弱者のところへ野菜の引き売りに行く活動があります。これは教員の発案ではなく、ある女子学生が自分で言い始めたものですが、近くの畑で、とれた野菜を捨てているのを見たのがきっかけだった。『もったいないよね』といって教員のところへ持っていったら、『困っているお年寄りのところへ持っていって売ってあげたら』という話になった。学生は農家へ行って、内容を説明して、安く供給してもらえないかって交渉するところから始めた」

 つまり、当初は「買い物弱者」あるいは「高齢化社会」という地域の問題解決に取り組もうとしたわけではなかった。農家との交渉、おじいさんおばあさんとの交流、テレビの取材がくればインタビューへの対応、という中でコミュニケーション能力、社会人力を自然と身につけた。さらに活動の中で、高齢者社会が抱えている問題や実態など、専門性につながる要素が見えてきたのだ。

 「おじいさんおばあさんが単に買い物に来るだけでなく、若い子が来たことをネタにしてたまり場ができていくのを見て、こういう場を作らないといけないのじゃないかと気がつく。あるいは、売りに行っているのは野菜だけなんだけれど、『おねえちゃん悪いけど、今度トイレットペーパー、買ってきて』とか言われて、大きいものとか重いものとかが困るという、買い物弱者の実態が分かる」

 こうなって初めて、自分で勉強しよう、調べよう、授業をちゃんと聞こう、先生に質問しようといった態度と行動が生まれ、専門的な力量が身についていく。これが松本大学独自の教育スタイルであり、この例や人間健康学部の運動指導実習に限らず、地域に出かけて行く授業「アウトキャンパス・スタディ」が、各学部で数多く実施されている。

課題となる国際性

 今後の課題は「国際性」だと住吉学長は言う。

 「これからの日本は、人口が減ることもあって、身近に海外の人たちが大勢いるというインターナショナルな環境になる。介護や看護の分野にだってフィリピンから人が来たりする中で過ごすのに、相手が外国人だから話せないというのでは話がおさまらない。

 ところがうちはそれが弱い。地域の中に出て行く能力までは身につけた学生も、語学に不安があるから、あるいは恥ずかしがって、なかなか一歩出ない。海外の人たちと普段から自然な形で交流できるような人材づくりのために、英語など外国語教育の強化や伝統文化に対して造詣を深めることも多少必要だと思います。また、今地域の人たちと交流できているような形で、学生たちが自然に入っていけるようなプログラム作りが課題だと思っています」


(角方正幸 リアセックキャリア総合研究所 所長)


【印刷用記事】
地域の力に依拠して鍛えられる“社会人力”/松本大学