100周年を見据えた法人横断型のブランド戦略/北海道科学大学

 北海道科学大学(旧・北海道工業大学)は、1967年創設の学生数2975名の大学である。設置者は、1924年開設の自動車運転技能教授所をルーツとする、学校法人北海道科学大学(旧・学校法人北海道尚志学園)である。系列校には北海道科学大学短期大学部(旧・北海道自動車短期大学)、北海道薬科大学、北海道尚志学園高等学校、北海道自動車学校がある。同法人では、2024年に法人創立100周年を迎えるにあたり、「北海道No.1の実学系総合大学」を目標に掲げ、法人をあげた改革を進めている。その取り組みの端緒として、2014年4月に北海道工業大学に医療系3学科を新設するとともに、大学名と法人名を改称、さらに2015年には北海道科学大学、北海道科学大学短期大学部、北海道薬科大学のキャンパス統合が予定されている。法人創立100周年を見据えた北海道科学大学のブランド戦略、具体的な取り組み内容、今後の方向性について、西安信理事長、北海道科学大学の苫米地司学長に話をうかがった。

100周年ブランドビジョンと取り組みの内容

 学校法人北海道科学大学では、法人創立90周年を迎える2014年、法人が果たすべき役割の明確化と、10年後に向けた歩みを確かなものとするために、「基盤能力と専門性を併せ持つ人材を育成し、地域と共に発展・成長する北海道No.1の実学系総合大学を実現します」との100周年ブランドビジョンを設定した。また、ビジョンの設定と同時に「私たちの信条(Our Spirits)」として「地域共育力」と「+Professional」を掲げている。単なる「Professional」だけではなく、後付けの「Professional+」でもない、基盤能力を前提とした専門性を身につけた人材像を示す「+Professional」は、法人内の全設置校共通のスローガンでもある。また、「地域共育力」を示す新しいシンボルマーク(Progress“H”)を法人内で共有し、ブランドの統一を図っている。

 100周年へ向けた取り組みの第一歩は、北海道工業大学における学科新設と学部改組であった。2013年度以前の北海道工業大学は4学部9学科体制(入学定員800名)で、創生工学部・空間創造学部・医療工学部・未来デザイン学部から構成されていた。これに対し、2014年度より看護学科、理学療法学科、診療放射線学科の3学科を新設、また工学系2学部を1学部に統合することで、工学部・保健医療学部・未来デザイン学部から成る3学部12学科体制(入学定員812名)へと移行した。これに伴い、実学系総合大学としての学問の広がりを適切に表すべく大学名を北海道科学大学に変更、併せて学校法人北海道尚志学園も学校法人北海道科学大学へと改称した。

 また2014年度には、北海道自動車短期大学を北海道科学大学短期大学部と改称するとともに、北海道科学大学への編入学の強化をはじめとする新カリキュラムを導入した。新カリキュラムでは、まず北海道科学大学と短期大学部の基本教育科目の共通化が行われた。また目標を明確にして学べるコースとして、自動車整備コース、技術開発コース、損害保険コース、マネジメントコースを新設した。整備業界に加え、製造業界、損害保険業界、運輸業、公務員、自動車関連販売業界、及び北海道科学大学への編入学といった幅広い進路への対応を図る改革である。

 さらに2015年度には、法人内部の連携強化を目指し、小樽市桂岡町にある北海道薬科大学、及び札幌市豊平区中の島にある短期大学部のキャンパスを、北海道科学大学のある札幌市手稲区前田に移転することが予定されている。今後も、法人創立100周年に向けて、北海道科学大学と北海道薬科大学の統合、北海道尚志学園高等学校の北海道科学大学への附属化が計画されている。法人が設置する高校・短期大学部・大学・大学院のネットワークを緊密に結ぶことで、高校や短期大学部から系列大学への進学を促進し、工学・医療・薬学・社会科学系の一貫教育の体制を強化することが、キャンパスの集約の狙いである(図1)。

図1 2024年、法人創立100周年へのロードマップ

90周年の改革に至る経緯と背景

 法人創立100周年に向け、確実な歩みを進める北海道科学大学の取り組みに対し、他大学からの視察も増えているという。しかし、一連の取り組みに至るまでの経緯は決して短いものではない。「はじめは50ccの原付バイクくらいでゆっくりと進めてきた改革が、最後には3000ccのスポーツカークラスのスピードで進んでいくように感じた」と苫米地学長は話す。

 北海道科学大学における改革の始まりは、西理事長の学長時代に遡る。西理事長は1976年に北海道工業大学の助教授に就任した後、教授昇格、入試部長、主任教授等を経て2006年に同大学の学長、2009年に法人の理事長に就任した。30年近くの間、同大学の教壇に立った経験のある初めての学長、理事長となった。また「教員も事務職員も家族ぐるみの付き合いができるような職場を作りたかった」と西理事長が話すように、教員、事務職員を隔てずに自ら積極的に声をかけて、関係性を築こうとするリーダーシップを発揮してきた。「そこが歴代の学長、理事長との一番の違いだった」と苫米地学長は話す。

 西理事長が学長時代に行った取り組みに、北海道工業大学を1学部体制から4学部体制へと再編した改革がある(図2)。これは学長の声掛けの下に設置された将来計画検討委員会(学長の諮問機関の位置づけ)の立案に基づいて進められたものであった。将来計画検討委員会では40代を中心とした11名を構成員として、委員長を当時の苫米地学長が務めた。委員会からの提案は、学部名称の変更、医療系や文系の創設等を内容としていた。改革の背景としては、「18歳人口が減っていくなか工学系だけでは世の中の半分だけしかターゲットにできない。文系や女子学生もターゲットとしなければいけない」との危機感があったという。

 また当時の法人について西理事長は「短期大学と高校の経営不振や、受験生の工学離れといった課題を抱えつつ、法人内での連携がとれていない状態であった」と話す。西理事長は、理事長就任後、役員報酬の削減や学長裁量経費の拡大といった法人組織のガバナンス改革を進めるとともに、法人横断型の改革を検討する場として、2010年に学園将来計画検討委員会を設置した。同委員会は、各設置校の教職員30名ほどで構成された。法人創立90周年に向けて、1~2年間で結論を得ることを目指し、月1回、計30回ほどの非常に中身の濃い議論が行われたという。

 学園将来計画検討委員会では、設置校間の連携、各種機能の統合、キャンパス施設の共同利用、学部学科の改組、UI(ユニバーシティ・アイデンティティ)の確立といった課題が話し合われ、その成果として五次にわたる答申が提出された(2010年10月に第一次答申、2012年2月に第二次答申、2012年11月に第三次答申、2012年12月に第四次答申、2013年12月に第五次答申)。特に外部関係者の意見も取り入れた第二次答申の提案は、「教学体制の再構築並びにキャンパス再整備計画」として2012年5月の理事会において承認され、北海道工業大学の学部学科改組を始めとする各設置校の教学体制の再構築や、キャンパス再整備計画マスタープランの策定へとつながっていった。また第四次答申では、法人の将来を担う若手教職員から構成された「UI策定計画のためのワークショップ」の議論を反映して、ブランドビジョン案、法人名称及び大学名称、スローガン、シンボルマーク案が提出された。このワークショップは、改革の実現にはUIを確立して、本法人の存在理由を広く社会に知らせることが重要であるとの認識に基づくものであった。

 学園将来計画検討委員会における一番の争点はキャンパスの統合であったという。分散型のキャンパスは、法人内の連携を図るうえでも、経営面の効率からみても問題を抱えていた。また北海道薬科大学の桂岡キャンパスでは校舎の耐震性の確保が課題であったが、敷地面積の狭さから校舎の建て替えに必要な土地がない状況であった。これらの課題への対応に加え、教員の担当科目の整理による人材の有効活用や、設備の共有といった点での付加価値がキャンパス統合による効果として期待されている。

図2 北海道科学大学における志願者数・女子入学生の推移

卒業生を活かしたキャンパス整備

 「実学系総合大学キャンパス」を目指し、前田キャンパスでは現在も着々と再整備と新校舎の建設が進められている。北海道科学大学におけるキャンパス整備において特筆すべきは、工学部の卒業生とのつながりの強さである。例えばHIT ARENAと名付けられた新体育館(2012年完成)は、設計から施工に至るまで北海道科学大学の教員とOBのチームによって担われた。この体育館は太陽光や地中熱を利用する環境エネルギーシステムを導入したもので、「照明普及賞」「北海道建築賞」を受賞している。

 また、北海道科学大学保健医療学部棟(C棟)、北海道薬科大学研究棟(B棟)、北海道薬科大学共用講義棟(A棟)といった新校舎の建設にも多くの卒業生が関わっている。新棟建設工事は、大成建設、伊藤組土建、中山組、泰進建設からなる共同企業体によって進められているが、工事関係者は北海道工業大学のOB色の強いチームとなっている。大学側としても、工事の入札の際に卒業生の名簿で役職名を企業側に提出させるなど、キャンパス整備におけるOB活用を目指したという。さらに建設現場の仮囲いの一部は透明化され、『Lively Teaching Material(生きている教材)』として在学生に公開されていた。後輩に“普段”の中から建築への興味を持ってもらいたい、とのOBからの発想である。

 キャンパス整備を通じた改革の象徴として、北海道薬科大学共用講義棟(2014年5月竣工)の中央エントランスには、学校法人北海道科学大学のモニュメントとしての塔時計が置かれている。札幌市時計台の機構を部分的に踏襲して作成された、米国・バルザーファミリー社製のオリジナル塔時計である。かつて西理事長が導入・復元に関わった札幌市時計台の展示と同様に、精巧な機械の稼動部分を間近に見ることができる作りとなっている。塔時計には、法人の統一シンボルマークとともに、「90」から「100」へと時を刻む意匠が文字盤にあしらわれた。100周年ブランドビジョンの実現に向けた誓いの礎として、末永く時を刻み、鐘を響かせ、学生・同窓生・教職員を将来にわたって鼓舞してほしいとの想いがこめられている。

改革の成果と今後の課題

 北海道科学大学における一連の改革の成果は、2014年度の志願者増に顕著に表れた。2013年度と比較すると、未来デザイン学部では189名から721名に、保健医療学部(旧医療工学部)では351名から5008名に、工学部(旧創生工学部・空間創造学部)では1140名から3174名に、それぞれ劇的に延べ志願者が増加した。また女子入学者の比率も、2013年度の10.6%から2014年度の22.5%へと倍増した(図2)。さらに短期大学部でも、キャンパス移転への期待感を背景に入学者数がV字回復を遂げている。

 他方、「今年度の志願者が増えたのは、期待感によるもの。これを実力とは思わないで、しっかりと教育をして欲しいと、何度も教職員に伝えている」と西理事長は話す。また工学教育のテコ入れも、残された課題であると苫米地学長は話す。法人創立100周年に向けて策定したブランドビジョンについて、いかに教育面での実質化を図っていくかが、北海道科学大学における今後の課題であるといえるだろう。

毎日の意思疎通が支える着実な改革

 北海道科学大学の取り組みは、法人創立100周年を見据えたブランド戦略として、卒業生の力も活かしながら、法人横断型の改革として進められてきた。医療系新学科の設置や、将来的な大学統合を見据えたキャンパスの集約など、一見して大規模かつ劇的な改革が短期間で行われたように見受けられるが、その背景には約8年間にわたる議論と、意識改革、ガバナンス改革の過程があった。

 学校法人北海道科学大学では、現在でも経営陣による法人運営推進のための打合せが日々行われているという。また法人本部の各部の要職者が集まり、週一回の議論を重ねている。西理事長自身も、「いつでも連絡がとれるように、毎朝9時前に出勤して、ドアをオープンにしている。学内で会うためには一切アポイントは必要ない」との姿勢で、率先して緊密なコミュニケーションを図るための体制づくりに努めている。法人創立100周年に向けて、さらにはその先の100年に向けて加速する改革を、時計が時を刻むように着実かつ日常的な意思疎通が支えている。


(丸山和昭 福島大学 総合教育研究センター 准教授)


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