入試対策等に端を発した大学マネジメント戦略/山形大学

 山形大学のIRは、「EM(エンロールメント・マネジメント)IR」としての特徴を持つ。山形大学のEMは、科学的マーケティング手法による大学マネジメント・サイクルとして位置づけられている。山形大学では入試対策を端緒として、EMの考え方に基づくIRシステムと、実施組織であるEM部を発展させてきた。また2010年度からは、学生に関する入学前から卒業後までの情報を一貫して蓄積・分析するためのITインフラとして「総合的学生情報データ分析システム」の構築も進められてきた。さらに現在では、教育・研究・社会貢献及び財務データ等を統合し、戦略的意思決定のための全学統合型IRを実現することが模索されている。IR戦略の考え方や具体的な取り組み内容、今後の方向性について、小山清人学長、EM部の福島真司教授に話をうかがった。

きっかけは入試対策

 山形大学EM部ではEMを「大学調査などによって支えられ、戦略的なプランニングによって組織され、学生の大学選択、大学入学、在学中の教育サービス、休学・退学の阻止、(卒業後も含めた)学生の将来などに関わる支援諸活動を総合的にマネジメントすること」と定義している。同大学におけるIRは、ここでいう「大学調査」に当たる。このようなIRを含みこむEMの取り組みは、「学生を知り抜く」というコンセプトのもと、個人的な考えや憶測で意思決定するのではなく、データやファクトをベースに学生の「立場になって」考える姿勢によって貫くことを目指している。

 山形大学が、EMの取り組みを始めたきっかけは入試対策であった。山形県は、人口減少の激しい東北地方の中でも特に人口流出が大きい。「県内高校出身者のうち県内の大学には約18%しか進学しない。毎年約4000人の若者が県外に出ていってしまう。ここに危機感があった」と小山学長は話す。特に2004年以降、4年連続で志願者倍率が下がるなど、入試対策が喫緊の課題とされていた。このような危機感を背景に注目されたのが、当時は国内では普及していなかったEMの考え方であった。「まずは米国のEMに関する分厚い本の勉強会から始まった」と小山学長は話す。勉強会の人数は2~3名程度で、事務スタッフと当時の総務・財務担当理事が中心であったという。

 その後、入試対策に関する評議会決定と、情報収集期間を経て、2006年7月にEM室が設置された。発足当初のEM室は、事務スタッフ3名から構成されていた。EM室の設置は、①環境変化への対応が必要である、②そのためにはマーケティングが重要である、③大学マーケティングのためにはEMが必要である、との理由に基づくもので、入試対策の柱に位置づけられていた。またEM室設置と並行して、入試緊急対策本部における議論が続けられた。この議論の結果、2007年3月に答申がまとめられたほか、緊急対策費として約5000万円が用意された。入試緊急対策本部の答申は、入学から卒業後まで一貫して学生を支援するとの考えを含んでおり、現在のEMに通じる内容であった。

 この緊急対策方針に基づき、福島教授がEM室の専任教員として着任したのは、2007年7月であった。赴任後の初めの仕事は学生募集であったという。EM室の設置以前の山形大学では学生募集は学部別に行っていたが、EM室が中心的にコーディネートするかたちで、全学統一での学生募集へと改革を行った。「若手を中心とする職員に研修を受けさせ、入試アドバイザーとして本学に入学実績のある高校を訪問させた。山形大学の職員としての自覚を持たせるうえでも非常に効果があった」と小山学長は話す。

 2007年9月には、それまで学長直下であったEM室にEM担当理事が配置された。さらに2010年度概算要求事業、2013年度概算要求事業への対応等を契機として、EM室からEM部へ組織強化が図られていった。2014年4月には新学長及び新執行部体制への移行に伴い、EM部はEM企画課、入試課、社会連携課からなる3課体制に移行した。このうちEM企画課が、従来のEM室の役割を引き継いでいる(図表1)。

図表1 山形大学EM部の沿革と発展

EM企画課の業務はマーケティング

 山形大学におけるEM企画課(旧EM室)の業務について、福島教授は「一言でいえばマーケティング」であると話す。EM部のビジネス・システムは、①学生募集、②調査分析、(EMIR)、③卒業生のコミットメント醸成及び寄付募集の大きく3つに分けられる。具体的には、①では学生募集に関する戦略的なプランニングと運営がEM企画課の業務となる。②には、学生募集関連の諸調査、学生満足度調査、保護者・卒業生・企業調査等のプランニングと運営が該当する。③は、卒業生満足度向上のためのプランニングと運営、寄付に関するニーズ調査、在学中の満足度向上のためのイベントのプランニングと運営である。EM室発足当初は、全業務の6割を学生募集が占めていたというが、現在は調査分析や卒業生対応の比重が高まりつつある。中長期的には、IR機能のさらなる強化と、卒業生と大学の強い関係性の構築を図ることで、学生募集の比重を3割、調査分析を4割、卒業生向けの取り組みを3割とすることを目指している(図表2)。

 なお山形大学には、評価に関する全学的な情報の集約を担う組織である評価分析室が、EM部とは別に置かれている。評価分析室は、各種の外部評価への対応等を目的に、制度に則った情報収集が行われている。EM部との役割の違いについては「評価分析室は公表を前提にしたデータを集めているが、EM部は公表を前提としないデータの活用もしている」と福島教授は話す。大学が抱える課題に向き合うためには、公表できないまでも、内部での問題共有を促すような幅広いデータを対象とする必要がある。企業経営に例えるならば、法律に従って粛々と実施することが求められる財務会計的なシステムというよりも、顧客満足度や従業員満足度といった金銭に換算できないデータも含めて総合的に将来構想を考えるような管理会計的なシステムを志向するところに、EM部が担う調査分析の特徴があるといえるだろう。

図表2 山形大学EM部(EM企画課:旧EM室)のビジネス・システム

総合的学生情報データ分析システム

 山形大学では、このような総合的なデータの集積と分析を支えるインフラを整えるべく、2010年度からの概算要求事業を通じ、「総合的学生情報データ分析システム」の開発を進めてきた。同システムを用いることで、各部局の持つ情報データベース等から必要情報だけを収集するとともに、各学部等のニーズに基づいて総合的な分析を行うことが可能となっている。例えば、従来は単体で分析されていた卒業生調査の結果について、在学中のGPA、満足度、出欠情報、入学時の入試区分等のデータと関連づけた分析ができる。このような分析を通じて、卒業後に成功した学生の在学中のプロファイルが明確となり、大学の強み、弱みを把握する、といった活用が想定される。

 このシステムの構築には、当初、学内からの懸念の声も大きかったという。学生の個人情報の取り扱いに対する課題や教職員の人事考課に影響を与える可能性、また、既存の評価対応とは別に改めてデータを提出することへの負担感などがその中心であった。「学内で理解を得るまでには1~2年を費やした。その間には、EM室が中心となってワーキング・グループをつくり、分析方法や情報セキュリティ、個人情報の取り扱い等について議論をつめていった」(福島教授)。このような議論を、最終的には当時教育担当理事であった小山学長がまとめ、システム構築に移ることができた。学内の説得にあたっては、学部の教育に資するものをつくる、という点を強調したという。

 学部の教育に資する分析システムという点を明らかにするうえで重要であったのが、データの見せ方であったという。データベースの開発について「使って楽しい、おもしろく見せる、使用感を楽にする、といったことを大事にした」と福島教授は話す。こういったデータの見せ方を重視する山形大学では、システム開発のパートナーとして元WEBデザイナーを専任教員として活用している。どのような企業とパートナーを組んでいくのかも試行錯誤であったという。「EMIRのシステムを組み上げるにあたっては、システムを理解できる人材が企業と対等に対応しなければ、要望も具体化もできなかった」と小山学長は話す。

データ収集から戦略的分析に課題が変化

 これら一連のEMの取り組みの成果は、まず入試倍率の改善として現れたという。また、入試アドバイザーに対しても大学ランキング等での高校側からの高い評価につながった。入試情報の分析・提供といった側面で、学部からの信頼も次第に高くなっていった。現在では、学部に赴いての意見交換会や、新採教員研修でも活用されている。「以前は、データが集まらないという悩みが中心だったが、現在は、データを渡したから、早く分析してほしいと言われるようになっている。大変だが健全な悩みになった」と福島教授は話す。

 EMIRが提供するデータが学部の戦略に関する議論を活性化した一例として、採用試験の合否要因分析がある。これは、特定職業の採用試験に合格した卒業生と、そうではない卒業生を比較したもので、在学中にどのような成績、あるいは経験を積むことが採用試験の合格につながるのか、視覚的に示した分析であった。この分析結果を学部教員に提示したところ、課題認識を可視化し、共有するものとして、高い評価を受けたという(図表3)。「データを提示することの狙いは、教育現場での議論が活性化すること。無反応では困るが、文句を言われたらかえって助かる。そこからどのような分析が必要なのか、学部とのコミュニケーションが始まる」と福島教授は話す。

 現在、山形大学では、2013年度から3年間の概算要求事業を受けて、これまで構築してきた学生情報を中心とするシステムに、研究、社会貢献、財務会計システム等のデータを統合した、「全学統合型IRシステム」の構築が進められている。同システムの構築により、学生の成長と事業コストの相関や、学生満足度と設備投資の相関など、より戦略的意思決定に資する分析が可能となる。今後、このような幅広いデータを、いかに運用していくかが、IRの中心的な課題である。また、現在の山形大学のEMIRは多くが外部資金によって運用されている。いずれ、外部資金がなくなったとしても、事業を継続していける体制を整えることもまた今後の課題である。

図表3 EMIRによる分析事例(採用試験合否要因ツリー分析)

困っていることから取り組む

 これからIRに取り組もうとしている大学に対し、山形大学の経験を踏まえたうえでのコメントをうかがった。まず、小さな成功例をつくることが大事であると、小山学長は話す。山形大学の場合、EMIRが定着する基盤となったのは入試対策であった。また具体的な課題のもとに、定着を目指すことも重要であるという。「今まさに困っていること、問題があるところに、わかりやすいデータを示す必要がある。逆に退学率など、直近の大きな問題ではないデータを提示しても、山形大学では議論を起こすことは難しい」(福島教授)。大学が抱える問題、それに対して課題の共有と議論の契機となるデータは様々である。そういった意味でもIRの取り組みは、各大学に即した手法を試行錯誤の中で見つけていくことが重要であると言えるだろう。

 それでは、各大学に即したIRを支える人材とは、どのような能力を身につけた人々だろうか。「この仕事は巻き込む仕事。統計やシステムについて一定レベルの専門知識や技術は必要だが、実際に教学や業務の改善を担うのは現場の教職員である。現場の教職員が関心を持ち、議論のきっかけとなるようなデータを、わかりやすく提示しなければならない」と福島教授は話す。また、そのためのセンスを磨くうえでも、コミュニケーションと信頼関係の構築が欠かせないという。「高校との会議に学部の先生と一緒に行って、厳しい要求に一緒に対応することで、仲間意識が芽生える」(福島教授)こともあったそうだ。加えて、IR人材の裁量を支えるマネジメント体制が肝要である。小山学長はIR人材と経営層との関係について「経営に近いというより、お互いが将来のビジョンを共有したうえで、IR人材が好き勝手に動ける環境を経営側でつくってやるというのが良い」と話す。

 山形大学のEMIRの取材を通じて、特に強く印象に残ったのが、EMというコンセプトへのこだわりと、IRを進めるうえで信頼とわかりやすさを重視する姿勢であった。数量的な分析がクローズアップされやすいIRではあるが、実際の大学の教学や経営戦略の活性化に資するためには、経営層・実践家との課題の共有、あるいは苦労の共有が重要な意味を持つ。EMも、IRも、国内に普及する以前から先駆的に取り組んできた山形大学の事例は、これからIRの定着に取り組む大学にとっても、含蓄に富むものであるように思われる。


(丸山和昭 福島大学総合教育研究センター 准教授)


【印刷用記事】
入試対策等に端を発した大学マネジメント戦略/山形大学