単科大学から17年間で9学部の総合大学へ/武蔵野大学

 武蔵野大学は、学生数7604名の総合大学である(2014年5月1日現在。このほか、別科17名、専攻科29名、通信教育部3533名の学生が在籍)。キャンパスは、85年の歴史を持つ武蔵野キャンパスと、2020年オリンピック開催予定地に囲まれた有明キャンパスの2か所ある。2014年度現在、9学部12学科・大学院9研究科・通信教育部・別科・専攻科を擁する武蔵野大学であるが、1997年度までは文学部単科の女子大学であった。今日の成長に至るまで、この間わずか17年。武蔵野大学では連続性のある改組・定員増加を通じて大学の規模を拡張し、志願者を伸ばしてきた(図表1)。武蔵野大学の急成長は、いかにして可能となったのか。寺崎修学長、落合恒企画部長に話をうかがった。

文系単科大学としての危機感とガバナンス改革

図表1 過去6年間の志願者数の推移

 大学の母体である武蔵野女子学院は1924年、浄土真宗本願寺派の宗門関係学校として、世界的な仏教学者である高楠順次郎博士により創立された。1965年に四年制の武蔵野女子大学を創設。しかし、平成に入った頃から、少子高齢化を背景とした応募者数の減少など、長期的な存続が危ぶまれる事態が生じてきた。寺崎学長が学外理事として武蔵野女子大学の改革に関わり始めたのが1994年7月(学長就任は2008年4月)。当時、寺崎学長は駒澤大学に勤めていたが(1997年以降は慶應義塾大学)、生家が浄土真宗本願寺派の寺院であること、また武蔵野女子学院中学校・高等学校の教員を7年間務めた経験を持つなどの縁があった。

 当時の課題認識について寺崎学長は、「ほかの女子大学の志願者数も軒並み下がるなかで、このままでは生き残れないと考えていた。また、良家の子女ばかりを相手にできた昔と違い、これからは就職実績が求められる以上、文学部だけの単科大学では将来が暗いとの危機感があった」と話す。具体的な大学改革の検討の場となったのは、1994年12月に理事会の下に設けられた「基本問題検討委員会」である。メンバーには学内理事4名に加え、寺崎学長を含む学外理事3名が選出された。同委員会における約3カ月間の精力的な検討の結果として打ち出されたのが、社会科学系の新学部増設という構想であった。

 しかし、新学部構想に対して当時の文学部教授会は、“大学は厳しい時期にあるが、定員割れはしていない。新学部の増設はリスクを伴う。自分たちは新学部と心中するわけにはいかない”との理由で反対した。教授会に対して寺崎学長は、検討委員会委員の1人として、「確かに新学部の設立にはリスクが伴う。しかし、このままでは5年・10年の間、大学が持ちこたえることができるかも保証できない。何もしないことはもっと大きなリスクである」と説明したという。

 理事会は教授会が経営事項を審議・決定する場ではないことを明確に説明する一方、新学部開設のための準備作業を進展させた。最終的には、教授会からの反対はそのままに、学部の新設を申請したという。この際に寺崎学長が意識していたのは、教授会を通すことなく設置が決定された、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスの事例であった。「カリキュラムをどうするか、どんな先生を選べばいいか等、教授会と相談すべきことはもちろんある。しかし、経営事項については、必ずしも教授会と合意できなくても良いということを、湘南藤沢キャンパスの例で認識していた」と寺崎学長は話す。

 また新学部の設置には、単一の教授会の意向によって大学運営が左右される状況を変えようとする狙いも含まれていた。武蔵野大学における現代社会学部の新設は、時代に対応した新たな学部を設けようとする試みであると同時に、理事会と教授会の役割を明確化し、教授会の意向を複数化するという点で、ガバナンスを根本から変える意味を有していた。「複数の教授会があれば、執行部案に対して片方が反対しても、片方が賛成してくれる可能性が生まれる。新学部を作りながら、同時進行的にガバナンスを変えることができた点が、その後の改革に続く第一歩だった」と寺崎学長は振り返る。


図表2 9学部に至る道程と今後の展望


連続的な学部増を可能とした理事会戦略と規制緩和

 現代社会学部設置を通じて確立されたガバナンスを基盤として、その後も武蔵野大学では、理事会のイニシアティブの下、次々と新たな学部・研究科が開設されていった。また2004年には、薬学部の設置と合わせ、男女共学化も実現している(図表2)。理事会と教授会の論争は現代社会学部設置のあとも続いたが、新学部の設置によって応募者が増加し、偏差値も向上するなど改革の成果が目に見える形となったことで、薬学部設置・男女共学化の頃には反対もなくなっていたという。

 武蔵野大学の学部開発におけるポイントは、冷静なマーケティングだ。新学部設置の構想は、「社会的需要はあるが大手の私立総合大学にはない学部」に着目して進められていった。例えば、看護学部・薬学部・教育学部の新設である。「武蔵野大学が他大学に勝つことのできる分野に注目した。その分野でトップ10に入ることができれば、大学の知名度を上げることができる」と寺崎学長は話す。また新興学部が認知度を上げるための拠り所として、国家試験の成績を上げるための受験指導に、教員・学生が一丸となって取り組んできた。薬剤師・社会福祉士の2013年度国家試験では、武蔵野大学が首都圏私立大学のなかで1位の成績を収めた(図表3)。国家試験での好成績は、大学全体の評価にも波及効果があり、他学部の偏差値向上にもつながっている。大学での教育成果を求める受験生やその保護者からも、支持を集めるポイントとなっている。

図表3 各種国家試験(2013年度)の合格率

 また社会的需要に即応する学部の設置と並行して、武蔵野大学では、いずれ大手総合大学に対抗するべく、大手総合大学にしか設置されていない伝統的な学部の設置が目指されてきた。そのような学部設置のためには、基盤整備と優れた人材の招聘を、時間をかけて進める必要があった。2014年、政治経済学部の改組によって設置された法学部と経済学部には、このような総合大学化への意志と努力が託されている。同様に、総合大学として地盤を固めるべく、2015年には工学部を開設する。工学部には、環境学部の改組と新規教員の採用により、数理工学科・環境システム学科・建築デザイン学科を設置する予定である。

 さらに武蔵野大学が次々と新学部増設に踏み切ることができた背景として、規制緩和の影響が無視できないという。小泉政権下において大学の新増設に関する規制が緩和され、一定要件を満たせば、届出で学部を設置することも可能となった。「規制緩和がなければ2学部までで終わっていたかもしれない。大学が危機に直面した時代に、偶然、学部を新設できる客観情勢があった」と寺崎学長は話す。

柔軟な変革を支える教職員の力

 また、度重なる改組を通じて、大学職員の力量も強化されていった。武蔵野大学における改組については、経営陣での決定のあと、事務部門が実働を担う。例えば企画部では、学部・大学院の改組がほぼ日常的となっているため、若手職員も通常業務として文部科学省とのやりとりを行っているという。急速な変化に対応できる人材の採用と育成も重要だ。「採用段階で、改革についてくることができるか、柔軟な視野が持てるか、を見極めている。中途採用も活用している。色々な経験、力を持つ人を活用する必要がある」と落合企画部長は話す。

 また企画部には、「受験生のレベルを落とさずに定員を拡大する」との難題が課されている。これに対し、落合部長は「ドラスティックに増やしているというよりは、ニーズに応じて増やせるところを増やすことで工夫している」と話す。近年、定員を増やしているのはグローバル・コミュニケーション学部や教育学部であるという。「レベルを下げなかったことが、次の募集につながっていった。職員が頑張ってくれたおかげである」と寺崎学長は話す。武蔵野大学の成長は、新学部の設置だけではなく、需要に応じて定員数を増やし、さらに成功した際には継続するという、柔軟な対応によって支えられている。

 変化に対応できるスタッフの採用という点では、教員も事情は同様だ。例えば、学士課程のみの学部について新規教員を採用する場合であっても、将来的に大学院を増設することを前提として、博士学位保持者を揃えるとの方針が採られてきた。また現在では、現代社会学部の設置以来の論争を経て育まれた理事会と教授会の役割分担が、迅速な組織決定の基盤として機能している。学部の新増設などの経営事項については理事会が担う。理事会の構成メンバーは15名程だが、そこに学部長は入らない。理事会での決定の際に、学部長に伝えるべき点は伝えているが、教授会との対応が煩雑ではないため、スピード感を持って意思決定を進めることが可能となっている。

 一方で、教学面での教員側の専門性が生かされた事例が「武蔵野BASIS(ベイシス)」の取り組みだ。2012年の有明キャンパス設置に際し、分散型キャンパスにおいて一体感を育むための教学上のアイデアがないか、理事会側から課題が投げかけられた。ここで考え出されたのが、学部・学科を越えたグループ編成とディスカッションを通じて教養教育を進める、武蔵野BASISの導入であった。教養教育という観点のみならず、他学部・学科との繋がりもでき、自分にはなかった視野や刺激を得られる場として、武蔵野BASISは在校生のみならず高校生へのアピール力も高く、受験生からは「学部の枠を越えたディスカッションが楽しみ」「学科を越えたグループでの学習は武蔵野大学でなければ経験できない」といった声が寄せられるなど、志望理由としても上位に位置するようになっている。このような成果に対して寺崎学長は、「理事会ではとても考えることができないアイディアだった」と評価する。

さらなる知名度向上のために

 今後の課題は、さらなる知名度の向上である。「そのためにも、大規模の総合大学を目指したい」と寺崎学長は話す。1万人以上の規模の大学は全国的にも数が限られてくる。関連雑誌で取り上げられる機会も多く、学生募集も安定しているとの見方だ。

 そのためにも親世代への認知度を改善することも課題だ。「高校の先生や保護者は、自分が受験生だった頃の大学のイメージが強く、現在進行形で成長している大学に注目していない。むしろ生徒のほうが、現実の大学の状況をしっかり見ている。そのため家庭の中でも進路の評価が分かれる」(寺崎学長)。同様の認識は同窓会の中にも見られるという。昨年度には、大学から卒業生に情報を届けるためのネットワークシステムを導入した。「様々な情報を発信することで卒業生に最新の大学の状況を分かっていただくとともに、同窓生同士のネットワークも育てていきたい」と落合企画部長は話す。

社会情勢の動向を逃さない武蔵野大学の瞬発力

 今日の武蔵野大学について寺崎学長は、「17年前とは、ほとんど別の大学となった」と述懐する。17年前に現代社会学部の新増設から始まった武蔵野大学の改革は、理事会と教授会の役割を明確に区分する抜本的なガバナンスの変革を基盤として、途切れることのない改組・定員増へとつながった。劇的な組織改編の裏には、従来からの教職員スタッフの優秀さとともに、既存の組織を活かしながら改革を進めてきた経営層の手腕がうかがえる。

 しかし、17年前の改革開始の時点で、現在の成長に至るまでの明確な見通しがあったわけではないという。「新しい学部の増設は賭けだった。緻密な計算があったわけではない。志願者が集まらずに失敗する可能性もあった」と寺崎学長は話す。最初は危機感から始まった改革であったが、武蔵野大学の強みは、時々の社会的需要を、客観情勢も含めて逃さず捉える瞬発力にあったと考えられる。また、組織として、総合大学化に向けた長期的な目標を持ちながら、そのために必要な方法を柔軟かつ迅速に選択できるガバナンス体制が、武蔵野大学の急成長を可能とした要であった。

 取材を通して、私立大学として社会の客観情勢に素早く対応できるメリットを十二分に活かした成果が、そのまま大学の成長に表れているように感じられた。2024年に創立100周年を迎える武蔵野大学であるが、これからの10年には、東京オリンピックに向けた有明地区の開発も含め、成長の糧となる社会情勢の変化が見込まれる。さらなる進化に期待したい。


(丸山和昭 福島大学 総合教育研究センター 准教授)


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