戦略的なネット化で進める、コスト削減と学生のICTリテラシー強化/近畿大学

 大学が象牙の塔と呼ばれたのはそれほど古い話ではない。社会と隔絶した場所で学問に勤しむ学者の集まりを揶揄した言葉で、今でもある種の大学はその趣を残す。しかし、現代社会の変化はあまりに急だ。とりわけ長足の進歩を遂げるICT技術は大学における経営や教育の相貌を大きく変えつつある。

 現代の大学には、象牙の塔を脱して新たな課題に挑む柔軟さとフットワークの軽さがどうしても必要になっている。本稿ではそんな大学の好事例を見ていきたい。今注目を集める近畿大学(以下、近大)だ。2014年度入試で初めて「志願者数全国1位」を達成して世間の耳目を集めた。それを支えた取り組みの一つがICT技術の活用だ。いかなる取り組みが、どんな効果を挙げているのだろうか。東大阪キャンパスに広報・総務部長の世耕石弘氏を訪ねた。

近大は今なぜ強いのか

 近大は、近畿地方を中心に西日本に6つのキャンパスを展開し、学部数13、学生数3万2000名余り(大学院・短期大学部等の在籍者を含む)を誇る我が国屈指の私立総合大学だ。2012年度には帰属収支差額が全国の私立大学で1位(113億円)となり、その経営力に対する評価は極めて高い。2014年3月末現在の積立資金は約880億円だ。その財務力を梃に、2020年までに約400億円を投じる「超近大プロジェクト」の下、大規模なキャンパス整備が進行中だ。東大阪キャンパスには昨年秋に文芸学部の実習棟が完成し、今年秋には新法学部棟も竣工する。新たなタワー棟や図書館の建設も予定されている同キャンパスは今後さらに変貌を遂げるはずだ。

 そんなキャンパスから放たれる活力は、教育・研究活動における次なる新たな挑戦にも結実しているようだ。来年4月には、14番目の新学部として国際学部の開設が予定されている。新学部では、語学教育で知られるベルリッツコーポレーションと連携して、アカデミックな領域だけでなく、世界のビジネス分野で通用する実践的で高い語学力・コミュニケーション能力を備えた人材を輩出していく予定だ。「実学教育」を建学の精神に掲げる近大らしい学部の開設となる。

 教育だけに限らない。研究活動でも幅広い領域にわたって20の研究所を擁するなど、世界をリードする研究が推進されている。その代表格は、クロマグロ(いわゆる近大マグロ)の完全養殖に世界で初めて成功した水産研究所だ。ほかにも、私立大学で唯一研究・教育用原子炉を有する原子力研究所、マンモス復活プロジェクトで注目を浴びる先端技術総合研究所等、近大の存在感は増すばかりだ。

 18歳人口の減少とともに市場が縮減する中、一つの大学がこうして右肩上がりの勢いを維持することは並大抵のことではない。もちろん、近大の強みはまずはそのスケールメリットにある。それは確かに、小規模な単科大学が簡単に真似できるものではない。しかし、近大にはスケールだけで説明できない強みがある。時流を見定める冷静な分析と、その分析を踏まえて次に打って出る果敢な改革力だ。近く到来する「2018年問題」を乗り切るうえで機関規模に関係なく必要になるものだ。近大の強みは、一歩先を読んで具体的な戦略に変えていける未来志向型の行動力にある。

出願・入学手続きを完全ネット化

 そんな力が遺憾なく発揮された取り組みが「エコ出願」だ。2009年からネット出願を一部導入した。ネット出願率は暫く低迷を続けたものの、2012年に「エコ出願」としてネット出願者の検定料を割引する措置を設け、ネット出願率の向上を目指した。そして2014年度入試からは完全実施に移行した。完全ネット化は日本の大学初だ。

 ネット出願を始めた理由は、まず何よりも環境保護のためだったと世耕氏は語る。近大は過去2年連続で志願者数日本一を記録し、その数は実に10万人を超える。これだけの志願者がいれば当然、願書も相当数に上る。従来は約13万部を作成し、そのうち3万部ほどが廃棄処分になっていたという。なるほど、それではエコとは言えない。ペーパーレスにすれば資源の無駄をなくすことができる。

 紙での出願をやめたことは別のメリットも生み出した。近大は現在、13学部48学科からなり、受験生は学部を超えての併願が可能だ。特に近接した学科同士の併願が可能で、例えば農学部のバイオサイエンス学科の志願者なら、生物理工学部遺伝子工学科との併願が可能だし、建築学部志望なら広島キャンパスの工学部建築学科や福岡キャンパスの産業理工学部建築・デザイン学科に併願可能だ。ただそうなると、受験生の出願手続きは一気に複雑化する。ネット化はこの受験生側の出願作業を単純化するのに最適で、それが志願者増の一因にもなっていると世耕氏は分析する。

 それはさらに、事務作業の軽減にもつながった。近年の急速な志願者増は事務手続きの増加と煩雑さを伴っていた。その膨大な事務作業の一部は外注化し、短期集中で手打ちによるデータ化を行う必要があった。加えて、願書の記載内容に不備がある場合は受験生を追いかけて対処するという丁寧な対応ぶりで、そうなると事務作業はさらに膨れ上がる。出願手続きの完全ネット化はそんなコストや作業量の削減をもたらした。約3000万円の経費削減ができたと世耕氏は言う。しかも、単なる経費の問題にとどまらなかった。従来必要だった作業が減り、職員が別の業務に注力する余裕につながったというからまさに好循環だ。

 ネット化について「今のところデメリットはほとんど見られない」と世耕氏は語る。むしろメリットのほうが大きいという。その一つは、ネット出願で受験生全員のメールアドレスが確実に把握できる体制が整ったことだ。結果として、合格発表前日の夜8時に合否結果を一斉開示することができるようになった。ネットで合否確認し、少しでも早く親子で入学先の大学について相談してもらうことが可能になったというわけだ。

 もう一つ、危機管理上のメリットもある。真冬の入試シーズンには、雪で試験開始が遅れることもしばしば生じる。そんなとき受験生のメールアドレスが把握できていれば、一斉配信で試験開始の遅延を知らせることが可能だ。実際、今年度入試で、列車事故で試験開始が遅れるという事態が発生したが、メールでの一斉通知で難なく乗り切ることができたと世耕氏はふり返る。

 ネット出願の経験を踏まえ、近大は2015年度入学者から入学手続きもネット化する試みに踏み切った。課題となったのは誓約書だ。入学手続きに際して入学予定者から誓約書を提出してもらうが、その際、自筆のサインを求めるのが慣例だった。この部分をネット化することへの反対もあったが、最終的には誓約書をネットの同意ボタンに変えた。大学規則をPDF化して提示し、クリックで同意を意思表示してもらうという仕組みだ。

 この結果、個人情報を管理する手間が削減でき、書類チェックに係る業務省力化につながった。その分、職員は奨学金に関する相談業務といった実質的な仕事に時間が割けるようになったという。

キャンパスライフでも進むネット活用

 近大におけるネット化の取り組みにはまだ先がある。図表にある通り、入学後の学生生活でも積極的なネット活用が推進されている。

 その一つが教務システムの充実だ。学生が学業を成功に導くには情報管理が不可欠なスキルの一つだ。授業の時間割、レポートの提出締め切り、成績やシラバスの確認等々、常に情報を把握し的確に管理していることが求められる。特に、授業当日の休講や教室変更といった突発的な事態に対応する際にはタイムリーな情報把握がものをいう。

 近大では、学生に必要な情報は、学生ポータルシステムである通称「近大UNIPA(ユニパ)」で一括管理されている。PCでのアクセスももちろん可能だが、今やスマホの時代。近大では新入生のスマホ利用率が年々上昇し、2014年度調査では95.2%に達している。2013年11月から近大UNIPAのスマホ対応を開始したが、2014年後期にはスマホによるアクセスがPCを逆転するようになったという。学生は、履修登録から、授業出欠状況の確認、休講・補講等の情報取得、シラバス照会、アンケート回答に至るまで手許のスマホで済ませるようになっている。

 だから、多くの大学で電話帳とも揶揄される冊子体のシラバスは、近大では廃止されている。また、休講・補講情報を紙で掲示することも禁止し、学生には近大UNIPAで確認するよう促していると世耕氏は述べる。いずれもが環境保護と業務削減につながっているそうだ。

 もう一つ注目される取り組みが教科書販売へのネット導入だ。近大は昨年アマゾンジャパンと連携協定を結び、アマゾンのサイト上に「近畿大学教科書ストア」を開設した。近大からアプローチして実現した取り組みだが、アマゾン側にも18歳の顧客層を取り込めるというメリットがあったという。もちろん最も大切なのは、学生にとっての利便性だ。例年、学期初めには学生が教科書を求めて学内の店舗に列をなしていたが、ネット購入可能となったことで学生の手間は軽減された。さらに、アマゾンでは中古書籍も購入可能で、学生にとってのメリットは大きいと世耕氏は語る。

 このシステムは、今年度から、シラバス・サイトで教科書の国際標準図書番号(ISBN)をクリックするとアマゾンや近大図書館のサイトに直接飛ぶ仕組みとなり、学生の利便性はさらに向上した。さらに、もしシラバスを紙媒体で手に入れたいと思う学生がいれば、アマゾンのプリント・オン・デマンド(POD)のシステムを通して必要な分だけ印刷物として注文購入することも可能だという。

 現代大学生はネット社会の申し子だ。大学生は幼少期から身近にネットに接し、スマホが生活上の必須アイテムと化している。そんなライフスタイルに適したシステムの整備は学生生活の充実を左右する。ならば、新たなシステムを積極的に導入していこうというのが近大の基本姿勢だ。そこに迷いは見られない。

図表 近大が進める手続きの完全ネット化(入学前後)

「ネット化」が示す大学の姿勢

 世耕氏は、ネット出願の影響もあって、ICTリテラシーに通じた学生が多くなっているように感じるという。それならば、いま近大がすべきは学生がICTリテラシーをさらに強化できる環境を意図的に整備することだ。大学がICTに関連する細かなスキルを直接教えることはないが、それを使わざるを得ない環境整備を心がけているという。

 例えば、広報部を中心にSNSで学生とつながるようにしている。今、近大発信のSNSでは、フォロワー数でラインとツイッターがツートップだそうだ。学生に必要な情報をツイートすると、瞬時にリツイートが増えて情報が拡散していくという。今年からは新入生向けに「入学式特別サイト」を立ち上げ、ツイッターでの情報提供も開始した。確かに、情報全てを紙で伝える時代ではもうない。大学側のSNS活用が学生のICTリテラシーに影響を与える時代だ。

 こうして幅広くネット化を進める意義は、「新たなことに挑戦する本学の姿勢を示すことにある」と世耕氏は強調する。世耕氏の言葉を借りれば、ネット出願は「常に新しいことに挑戦し続けてきた近大の歴史や姿勢を全部まとめて体現したもの」だった。

 それを支えるのが、「私立大学」という意識の下で独立独歩を貫こうというマインドだと世耕氏は述べる。ネット化推進の背景には、NTT出身の前理事長がネット出願やSNS活用に発破を掛けたこともあるが、そもそもこれだけ変化の激しい時代だ。法人全体がスピード感をもって事に臨まなければ立ち遅れるという意識が強い。電子決裁システムを導入してスマホで決裁が済むようにしたのもそのためだ。今後も、電子化できる仕事は全て電子化して省力化し、職員の時間は企画など知恵を絞ることに使っていきたいと世耕氏は考えている。将来的には、学内にサーバーを置かずにクラウド化する方向性も模索している。そのためにはセキュリティーを高める工夫も必要になるが、リスクを恐れるだけではダメだと世耕氏は歯切れが良い。むしろ、新しいことに挑むことでリスクに対応しようとしている。

 近大らしく常にチャレンジャーであり続けようとする姿勢が、近大の強みをさらに強固なものにしているように思えてならない。


(杉本和弘 東北大学高度教養教育・学生支援機構教授)


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