新キャンパス開設を機に地域特性に応じて学部・学科を再編/京都学園大学

 中世ヨーロッパに「大学」が誕生した当時、大学はキャンパスや建物を持たなかった。ハードなインフラは大学の存立にとって必ずしも絶対条件でなかった。大学史のテキストはそう教えている。

 しかし、現代の大学にとってキャンパスは不可欠な要素だ。それどころか、キャンパスの設置や整備には入念な戦略さえ求められるようになった。キャンパス戦略には、インフラ整備等はもちろん、大学の本丸たる教育・研究・社会貢献といったソフト面も複合的に包摂されている。キャンパスを立地条件や学部・学科構成と重ね合わせて戦略的に構想できるか否かは、大学の今後の帰趨を制すると言っても過言でない。

 その意味で、本稿で取り上げる京都学園大学(以下、京学大)の事例は示唆に富む。京学大は2015年4月、京都市右京区に「京都太秦キャンパス」を開設し、従来の亀岡キャンパス(亀岡市)と合わせたダブルキャンパス体制に移行した。新キャンパス開設は、京都市進出に加え、学部・学科の大規模再編をも伴っていたという点で、高い戦略性を有していた。同戦略はいかなる経緯で打ち出され、どんな成果を上げつつあるのだろうか。

 京都駅から約20分、地下鉄太秦天神川駅からわずか徒歩3分という交通至便な場所に立地する真新しいキャンパスを訪ね、篠原総一学長、石原祐次法人事務局長(前大学事務局長)、菅恭弘大学事務局長にお話を伺った。

新キャンパス開設の経緯と狙い

図表1 移転前後での各キャンパスの配置学部と学生数

 京学大は1969年4月、経済学部(経済学科・経営学科)のみの単科大学として開学した。その後しばらく1学部体制が続いたが、1989年設置の法学部(法学科)に続き、1991年には経済学部経営学科から「経営学部」を独立させた。さらに1999年に人間文化学部を、2006年にはバイオ環境学部を開設した。こうして40年ほどをかけて、京学大は、5学部10学科で構成される、入学定員900名・収容定員3600名の中規模大学へと成長してきた(図表1の左)。

 しかし、次第に課題も明らかになり始めていた。それは、2006年あたりから志願者が減少し始めたことだ。確かに、志願者数はそれ以降2014年度まで減少が続いている(図表3)。志願者数は最終的に最盛期の7割まで低迷し、理事会でも抜本的改革の必要性が認識されるようになっていたと石原法人事務局長は語る。といっても、改革の手段として最初から新キャンパス設置があったわけではない。

 実際に新キャンパス構想が出てくる契機となったのは、2010年7月に京都市から「山ノ内浄水場跡地」への新キャンパス設置の可能性についてアンケート調査があったことだ。京都市は2013年3月末をもって同浄水場を廃止する方針を決定し、その跡地の有効活用を模索中だった。地下鉄太秦天神川駅や嵐電天神川駅に隣接する好立地であり、民間活力導入で地下鉄増客につなげられるよう約1万坪の跡地活用を行うことは、厳しい財政状況にある京都市にとって喫緊の課題だった。

 かたや、京学大にとっても渡りに船だった。新キャンパス設置は、低迷し始めていた大学を抜本的に変えられる可能性がある。理事会はそう判断した。理事会の下に「山ノ内基本構想検討委員会」を設置し、本格的な議論を始めた(図表2)。

 議論の末、理事会は2011年12月、京都市の事業者募集への応募方針を決定するに至る。石原法人事務局長によれば、このとき、ダブルキャンパスに移行することの意義を主張したのは西井泰彦前理事長だったという。西井前理事長は私学事業団で私学経営相談センター長を務めた人物だ。私立大学経営に通暁した前理事長の存在と、2012年11月に新たに理事長に選任された、当時の京都経済同友会代表幹事と医療法人理事長を併任する田辺親男新理事長のリーダーシップが、歴史的とも形容できる大改革を方向づける大きな原動力となったとみてよいだろう。

 京都市の資料によれば、新キャンパス設置に関心を寄せていた大学はほかにもあったようだが、最終的には、京学大が京都市との交渉を経て2012年8月に協定締結に至った。これ以降、京学大の改革は「ダブルキャンパス構想」を軸に大きく進展していくことになる。その内容は、新キャンパス設置による学部・学科の再編と再配置であり、それが狙いとするところは知的好奇心が刺激される環境の創造による教育・研究の活性化と志願者増にあった。

図表2 京都太秦キャンパス検討の体制

ダブルキャンパス化がもたらす好影響

 こうした京都市内へのキャンパス進出と学部・学科の再編を基本方針として打ち出したのは理事会だった。京都市進出にあたって現行組織を変えずに平行移動させるだけでは社会に対する訴求力に欠ける。志願者が減少するなか、新キャンパス開設を機に新しい学部・学科に生まれ変わる必要があるというのが理事会の掲げた基本コンセプトだった。

 他方、理事会が決めた基本路線に沿って組織改組のあり方を具体化していったのは、学内の学部長会議だった。組織改組で最も影響を受けるのは、言うまでもなく教育・研究を行う現場であり、そこで学ぶ学生だ。理事会は大学側の意思決定を尊重した。内山隆夫前学長の強いリーダーシップと学部長会議の下で学部・学科再編が進められたと石原法人事務局長は語る。

 こうして学内で議論を重ねた結果、新たな学部・学科体制への転換が実現した(図表1の右)。収容定員3600名に変更はないが、学部・学科の構成と配置が大きく変化したことは一目瞭然だ。

 亀岡のワンキャンパスから、亀岡と太秦で構成されるダブルキャンパスへ―この転換は京学大に何をもたらしたのか。

 それは単なるキャンパスの複数化だけではない。ダブルキャンパス化を通して、京学大は自らの戦略性を高めることに成功したと言っていい。何より、キャンパスの立地条件や地域特性に応じた学部・学科の再配置が可能になった。亀岡は緑に恵まれスポーツ施設の整った都市近郊型キャンパスであるのに対し、太秦は実習先に近くフィールドワークも容易な都市型キャンパスだ。それぞれに強みがある。強みこそが戦略性をもたらす。キャンパスの地域特性を考慮した戦略的な学部・学科配置が可能になったといえる。

 その成否は今後検証されていくことになろうが、ひとまずは成功していると言っていい。京都太秦キャンパスの設置が志願者増をもたらしているからだ(図表3)。

図表3 志願者数及び学部配置の推移

 なかでも目を引くのが経済経営学部だ。これまでの経済学部と経営学部を統合して今年4月に誕生した学部で、改組を機に新キャンパスに移転した。亀岡キャンパス時代、経済学部も経営学部も志願者の低減傾向が続いていた。非都市部で経済・経営を学ぶ学生を集めることが難しさを増していた。それが一転、新キャンパスに開設された経済経営学部(2015年度募集定員300名)への志願者数は950名を超えるまでに増加し、志願倍率は実に3.19倍を記録した。これには京都市内のほかの私立大学に経済系学部が意外に少ないという事情もあるが、今回の急伸をみれば、経済経営学部を「都心回帰」させた経営判断は正しかったと言える。

 好影響はそれだけではない。オープンキャンパス参加者数が格段に増加したと石原法人事務局長は述べる。2015年度入学生向けのオープンキャンパスでは、前年度の2000名から3800名へと90%増の伸びを示した。交通至便な地下鉄駅近くの立地が奏功し、京都市内はもちろん、大阪府や滋賀県からの学生も増えているそうだ。さらに、太秦キャンパス開設を機に地域活性化を主眼とする京都市交通局と連携協定を結び、交通局とのコラボで公式キャラクター(太秦その)も作成した。アニメのテレビCMで新キャンパスの魅力を伝え、志願者増を図っている。

 ただ、良いことばかりではなく、ダブルキャンパス化でキャンパス移動が必要となり、教員の負担は増えたそうだ。しかし次に見るように、キャンパス立地がもたらす学生への教育効果を考えれば、そんな負担でさえも小さいと言えるかもしれない。

地域特性に即した学部・学科の再配置

 学部・学科再編のなかで今年度から法学部は募集停止となった。といっても単純な法学部廃止ではない。法学部が長く強みとしてきた、ビジネスに直結する法知識や警察・消防等の公務員養成機能を経済経営学部に取り込むことで新たな特色を持たせる工夫がなされている。つまり、経済経営学部はそれまでの経済学部と経営学部との単なる統合ではなく、法学部をも包摂した学部再編の結果だった。学部廃止となればその所属教員は行き先を失うことになるが、京学大はその道をとらなかった。経済経営学部の特色強化に旧法学部の力を活かしたというわけだ。

 さらに亀岡キャンパス時代、平成21年度文部科学省大学教育・学生支援推進事業に採択された学生実験ショップ「京學堂」では、学生が実地に働きながら経営を学ぶ取組みが展開されていた。その京學堂は今、太秦キャンパスの道路に面した場所で営業を続けている。亀岡キャンパス内にあった京學堂は、今後は京都市民を相手に営業を行う。学生は最前線の現場で経営の現実と向き合うことになるだろう。

 また、人間文化学部は、今回「人文学部」に改組され、学科も大きく歴史文化学科と心理学科に再編された。しかも前者は新しい太秦キャンパスに進出し、後者は亀岡キャンパスに残ることとなった。心理学科は実験心理学に力を入れてきた伝統があり、そのための実習・実験施設が亀岡に整備されていることを考慮したのだという。対照的に、歴史文化学科は太秦キャンパスにあるほうが、京都の歴史や文化を実際のフィールドワークを通して学ぶのに適していると判断された。

 健康医療学部やバイオ環境学部についても同様に、地域特性への配慮がみられる。新設の健康医療学部3学科のうち2学科(看護学科と言語聴覚学科)は太秦キャンパスに置かれた。看護学科開設にあたっては京都府立医科大学と包括協定を締結し、関連の公立病院での実習が可能になった。太秦キャンパス北側の土地には今後、専門学校や病院が入る計画もあり、そうなればさらなる連携の可能性も模索できるそうだ。他方、健康医療学部の健康スポーツ学科は運動系研究施設の充実した亀岡キャンパスに置かれ、今年バイオ環境学部に新設された食農学科も、学内に食品開発センターを設置するとともに京都の台所といわれるほど農業の盛んな亀岡に置かれた。亀岡にあるほうが教育効果が期待できるはずと石原法人事務局長は説明する。

 共通教育やキャリア教育については、これまで同様、全員が同じ教育を受けられる環境を確保する一方で、亀岡と太秦の強みを活かした教育も提供していくのだという。都市部と非都市部それぞれの地域特性を踏まえた学部・学科の配置には、十分な教育効果が担保されている。

次なる課題としてのカリキュラム改革

 京学大のダブルキャンパス化は、一つの大学が自らの危機を克服しようと再生に向けて取り組んだプロセスとして描くことができる。キャンパス設置と組織改組を一度に遂行することの苦労は想像に難くない。「職員にとっても一生に一度あるかないかの改革。今はダブルキャンパスをうまく回すだけで精一杯だ」と吐露する菅大学事務局長の言葉に嘘はないだろう。今回の改革が本当の意味で根付くにはもう少し時間が必要となるにちがいない。

 ただ、大学を取り巻く環境が日々変化のスピードを上げていることも確かだ。次の手を打っていく必要がある。今後、京学大は何を課題として取り組んでいくつもりなのか。篠原学長に訊ねてみた。

 篠原学長は今年4月に就任したばかり。しかも、学外から就任した初めての学長だ。これから本格的に京学大の改革・改善に取り組んでいくことになる。そんな篠原学長が最優先課題に挙げるのがカリキュラム改革だ。

 もちろん、新しい学部・学科体制が始まったところで、その完成年度になる4年後まではカリキュラムを大きく変えることはできない。しかし、もう一段の飛躍を期すにはカリキュラムを根本的に変えていく必要があるというのが学長の認識だ。例えば、経済学を専門としてきた学長の目には、経済学教育も問題だと映る。どこの大学でも、30年も40年も前と変わらない科目がずらりと並び、同じような教科書を用いて変わらない方法で教育が提供されている。それを根本的に変えていきたいという。

 そう考える背景には、社会自体が本質的に変化してきているという基本認識がある。これから学生が生きていくグローバル社会では、一度学んだ専門性が一生役に立つということはないはずだと篠原学長は強調する。そんな予測困難な変化に対応できる学生をどう育成するか。それこそがカリキュラム改革の原点になるという。

 そうした観点から、卒業後にどんな学力やものの見方が必要になるのかを見極め、そこに到達するために4年間でどういうことを学んだらいいのかという発想でカリキュラム改革を進めたいと学長はいう。今後1・2年をかけてカリキュラムを一から構想するため、近く外部識者も加えたプロジェクトチームを作る予定だ。

 カリキュラム改革が目指すのは、京学大を卒業する時点で社会に受け入れられるに足るレベルまで学生を育て上げることだ。そこには、現在の大学教育が共通して有すべき、愚直だが真っ当な姿勢が垣間見える。ダブルキャンパス化を果たした京学大は、これから数年後、また新たな姿を見せてくれるにちがいない。


(杉本和弘 東北大学高度教養教育・学生支援機構教授)


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