地域に根を張り世界へ広がる/信州大学

信州大学キャンパス


長野ではなく信州

図表1 5つのキャンパス

 日本の中心部に位置する長野県は大きく、周囲8県と隣接している。長野県と称しても、地域ごとの歴史や文化は異なり、それらを1つの県民性としてまとめることは困難だ。しかし、高等教育機関に関していえば、第二次世界大戦後の1府県1国立大学制度のもとで、戦前期に県内それぞれの地域特性に応じて設立されていた8機関が統合され、信州大学となった。その折にも、新制国立大学の多くが県名を用いている中、長野県の場合は「信州」とすることで、ようやく県域全体を包含する名称として受け入れられたのだという。

 信州大学の本部は、旧制松本高校や松本医学専門学校が存立していた松本に置かれたが、それぞれの地域と密着した機関はそのままそこの地域に置かれ、図表1に見るように現在5つのキャンパスから構成されている。学部構成でいえば、松本には人文学部・経法学部・理学部・医学部の4学部が置かれ、長野には信越本線を挟んで工学部キャンパスと教育学部キャンパスがあり、上田には繊維学部、伊那には農学部が置かれている。各キャンパスを移動する時間および金銭面の負担も大きい。

 これをコストと考えれば、見えてくるのはデメリットである。しかし、大きな長野県に点在するキャンパスが、それぞれの地域の特性に応じて設置された旧制の教育機関であった歴史を思い起こせば、点在するキャンパスは長野県全体に根を張るための各地域の拠点として見ることができ、それはメリットになる。「松本に一極集中していては決してできないことが、分散キャンパスだからできるのです」と、濱田州博学長は話される。

地域連携前史

濱田州博 学長

 大学のミッションに、それまでの教育・研究に社会貢献が加えられるようになったのは、1990年代以来の大学改革の中でのことだが、信州大学の各キャンパスの立地を考えると、立地する地域への貢献を明瞭に意識していたか否かは別にして、地域との結びつきを抜きにして各キャンパスは存立し得なかったといってもよいだろう。マルチキャンパスとは、地域との結びつきの強さの証左のようなものである。

 それを明確に大学の戦略として形にしたのは、1993年の長野の工学部キャンパスにおける地域共同研究センターの設置である。産学連携が謳われ始めた頃である。その後、産学連携に関しては、2002年に上田キャンパスの繊維学部においてインキュベーション施設が設置され、これをモデルとして、長野キャンパス(工学部)、松本キャンパスでもインキュベーション施設が設置された。

 国立大学の法人化はこうした取り組みを他分野に拡大することになった。産業界だけでなく、地域行政・地域住民との連携が形を明確にし、それまでの学部レベルでの連携が全学レベルになり、2004年に産学官連携推進本部が設置された。これはその後2つの方向で拡大をしている。

 1つは、信州大学を超えての連携である。2008年には長野県内の19の高等教育機関による信州産学官連携機構となって、県内各地域との連携のメッシュを細かくしていった。

 もう1つは、信州大学内でのさらなる深化である。文部科学省による国立大学の役割の再考を求める政策のもとで、地方国立大学としては立地する地域をこれまで以上に視野に置くようになる。2013年に地域戦略センターが設置され、これまでの教員個々人の様々な地域連携を全学的に組織化するための部署とし、2014年には産学官連携推進本部を産学官・社会連携推進機構とし、さらに2016年には、それと学術研究推進機構とを統合した学術研究・産学官連携推進機構を設置した。この機構下に、地域共同研究センター・地域戦略センター等、これまでの地域との各種連携組織を包含し、全学体制で地域連携を進めることとしたのである。

COC事業と「信州アカデミア」

 その頃、日本社会の少子化が地方でより顕著に進むことが明らかにされ、その事実は社会の各方面に大きな衝撃を与え、政府は地方創生を政策課題として掲げるようになった。文部科学省でも、2013年度より始まった、大学が地方自治体との連携のもとに地域課題の解決に取り組む事業の支援(COC)、その発展形態として2015年度より始まった、大学が地方公共団体や企業等と協働して、地域での雇用創出や学卒者の地元定着率の向上を図る事業への支援(COC+)を予算化した。信州大学もこれらの事業に採択されたが、それはこれまでの地域との連携を基盤として、さらにそれを促進するための起爆剤となった。「信州アカデミア」と命名されたCOCの採択事業は、図表2に示すように、大学における知の創出を軸に、地域の各事業体と協力しながら地域課題を解決する人材の育成を目指すものであり、それを担っているのが産学官連携・地域総合戦略推進本部(2016年4月地域戦略センターを改組)である。

図表2 信州アカデミアの仕組み

 この「信州アカデミア」を特徴づけるのが、「地域戦略プロフェッショナル・ゼミ」である。事前に行った行政インタビューや県民アンケート等からニーズを分析し、「中山間地域」・「芸術文化」・「環境創生」をテーマとして設定し、それぞれの分野において信州の未来を考える人材を育成するため、3つのプログラムを設計した。「中山間地域の未来学」は、長野市の中山間地域を学びの場に、信州の地勢風土に根ざした地域資源の活用を考える。「芸術文化の未来学」は松本市と上田市を学びの場として、芸術文化活動を通じて地域の活性化を模索する。「環境共生の未来学」は伊那谷を学びの場に活用して、自然と人間生活との共存や関わりを考える。

 学部や大学の枠を超えて地域在住者を対象にしたこれら取り組みは、これまでの座学中心の生涯学習とは異なり、理論だけではなく、現実的な課題設定・現場での実践を志向している。各プログラム30名を上限として受講生を選抜し、半期15回のゼミとして設計した。これにより、社会人の学び直し・地域の連携パートナーの育成システムとして位置づけが明確になった。大学の研究の中で醸成された「研究知」と、地域の中で育まれてきた「実践知」を融合した内容とすることで、履修者は課題解決を行う術を身につけ、ゼミ修了後はその術を組織的な地域活動の中で活かすことを目指す。また、産学官連携・地域総合戦略推進本部は、それを支援するパートナーとして、ゼミ修了者との連携を図っている。

 このプログラムに参加するのは地域で事業を行いたいと考える人々である。下は高校生に始まり、30〜50代が最も多い。しかも、もともとの地域在住者だけでなく、長野県へのUターン、I・Jターンまで多様である。2016年現在、まだ2回目の修了生が出た段階であるが、修了生はメーリングリスト等でつながり、いくつかの具体的な成果も出ている。例えば、農学部が開発した「夏秋イチゴ」の栽培・普及にこのプログラムの修了生も関わりを持つなど、大学と地域の連携も徐々に増えている。

 「地域戦略プロフェッショナル・ゼミ」は、地域人材の磨き込みと学び直しの機会であるが、狙いはそれに留まるものではない。というのは、「上質な地域活性化人財を育成することは、レベルの高い地域産業を育成することにつながり、それは信州大学卒業者の地域での就職に関しても寄与するものと考えます」と、学術研究・産学官連携推進機構において、このプロジェクトを推進する林靖人准教授は、期待を込めて語られる。大学の地域への貢献は、翻って大学に戻ってくることで、ウィンウィンの関係が構築されるのである。

地域人材の確保という課題

 COC事業は組み替えられて、2015年度よりCOC+事業として実施されている。そこではより、地域の雇用創出や地域への就職率の向上による地域創生が求められる。信州大学の場合、入学者の出身地域を見ると地方国立大学とは思えない。というのは、入学者のうち県内出身者は以前から30%程度に過ぎなかったが、近年さらに減少し、現在では26%である。それ以外は、関東20%強、東海20%、近畿10%と続き、入学者の出身県は北海道から沖縄までの全都道府県にわたる。他方で、学部卒業者の42%が県内に就職している。単純に言えば、学部卒業者のうち16%は、県外から入学して卒業後は県内に就職していることになる。他府県から人材を吸収し、地域人材として育成して送り出しているといえる。

 しかしながら、県内の高校卒業者の進学先地域として考えると、信州大学を始めとして県内の大学が地域創生の役割を十分に果たしているとは言い難い。ちなみに、2015年度は、県内の高校卒業者のうち県内に留まるのは約17%に過ぎず、ほとんどが県外の大学、その多くは東京を始めとする首都圏へ進学している。また、県内の高校卒業者のうち県内大学進学者の比率である大学収容力は38%であり、これは全国46位となる。県内の大学の受け入れ人数が少ないことが問題のように見えるが、県内の私立大学では10%程度の定員割れも生じている。交通網の発達に伴いより首都圏への流出が進んでいるのか、県内に魅力的な進学先が少ないのか、あるいは、信州大学への他府県からの入学者が多いために、県内の高校卒業者が進学できないのか。

表1 県内の就職率とインターンシップ参加者数目標

 こうした地域人材の損失状況に対し、信州大学が主幹大学となり、長野大学・松本大学が加わり、県内の産業界・行政の協力を得て事業協同組織を結成した。魅力ある企業の発掘に努め、学生と企業とのマッチングの役割を果たすインターンシップを増加させて、雇用創出や就職率向上を 図っている。信州大学では、表1に見るように県内就職率を2014年度の40.4%から2019年度に45.4%に、インターンシップ参加者数は201人から450人に倍増させることを目標としている。

グローバルで展開される最先端の産学連携

 地域との密接な連携は、理工系分野の研究においても進んでいる。繊維学部のある上田キャンパスにおいては、国際ファイバー工学研究所を設置し、ナノファイバーの開発に世界の繊維系大学との連携のもとに取り組んでおり、その評価は高い。繊維学部の前身の旧制専門学校は、当時の地場産業であった繊維産業発展のために設立されたが、その伝統は、今やファイバー工学としてグローバル展開するに至っている。

 医工連携の代表的なプロジェクトは、curaraというロボティックウェアの開発であった。2010年に零号機が送り出されてからも、改良が加えられ、現在の3. 5号機では、上肢、下肢、制御装置をいれても10kgにまで軽量化することができた。curaraは、5号機を最終目標として、さらなる軽量化や装着の違和感の低下などにより2020年の実用化を目指している。

 その延長にあるのが、歩行アシスト・サイボーグ・プロジェクトである。これはcuraraが装着ロボットであるがために装着していないときの身体的不自由という問題を、体内埋め込み型の歩行アシストサイボーグ技術を開発することで、常時の歩行を可能とすることを目指している。これは、バイオメディカル研究所、カーボン科学研究所、環境・エネルギー材料科学研究所に、先述の国際ファイバー工学研究所が加わった4 研究所の共同で実施されており、5年先にはプロトタイプの作成という目標を置いている。

 興味深いのは、これらの研究はいずれも世界最先端の研究だが、それを支えるのは、県内の地場企業である点だ。長野県には、日本有数の精密機械工場や薬品企業が多くあり、それらとの連携は形態としては地域ローカル連携でありながら、実質的にはグローバルな研究を進める大きな下支えとなっている。これら4研究領域に山岳科学を加えた5つを「先鋭領域融合研究群」と称し、世界的教育研究を推進するべく特色に磨きをかけている。信州大学の研究力と県内産業の技術力の高さは、軽々と地域や国境という境界を越えていく。

文理融合の地域課題解決へ

 日本経済新聞社が毎年実施している全国の国公私立大学を対象とした「全国大学の地域貢献度調査」において、信州大学は2012年から2015年まで連続総合1位を占めている。それを可能にしているのは、信州大学のそれぞれのキャンパスが、それぞれの立地する地域との互恵関係を結び、さらには研究面でグローバルを目指しているからだろう。マルチキャンパスのメリットがここに生きている。

 それに甘んじることなく、次に見据えるのは人文社会系の領域での産学連携の拡大である。もちろん人文社会系の産学連携が行われてこなかったわけではないが、理工系のそれと比較すると、そこで移動する金額、物としての形といった点において見えにくかったことは確かである。「大学の知識は無料」といった風潮も、人文社会系の産学連携を後景に押しやってきた。それを明示化していくことは課題である。

 それだけでなく、濱田学長は、「地域課題を大学の教育や研究の成果を用いて解決しようとする場合、学問分野の文系・理系といった区別は関係なくなります。それは次世代の研究を進めるにあたっても同様です。今後は、研究型の企業をさらに誘致し、地域課題の解決とともに、それにとどまらないグローバルな課題の解決に力を尽くしたいと考えています」と、野心を語られる。

 地域連携というと大学の立地する地域の問題解決に限定されるきらいがあるが、地域に根差すことで、いくらでもグローバルな展開が可能であることを、信州大学の事例は教えてくれる。確かに、地域・国境という境界線を引いているのは便宜でしかなく、大学の知はそれとは無関係な広がりをもってこそ、役立つものとなるのである。

(吉田 文 早稲田大学教授)



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