大学を強くする「大学経営改革」[29] キャリア形成の重視と大学教育の質の向上 吉武博通

就職状況の悪化と学士力の重視にどう対応するか

 卒業生の進路状況が受験生の大学選択や大学の社会的評価を左右する重要な要素となるなか、多くの大学は就職活動支援を強化するとともに、学生のキャリア形成を支援するための多面的な取り組みに力を入れている。

 このような状況の下、2010年3月大学卒業予定者の就職内定状況は、2009年10月1日時点で前年同期を7.4ポイント下回る62.5%であるとの調査結果が公表された。下げ幅は過去最大であり、水準自体も2003年、2004年に次いで3番目の低さとなっている。

 未だ内定を得ていない4年生と2011年3月卒業予定の3年生の就職活動が同時進行するという異常な事態も生じている。早期化の一途を辿る採用・就職活動と雇用環境の急速な悪化が招いた現象であるが、2年生や1年生への心理的影響を含め、大学教育に及ぼす影響は少なくない。

 一方で、大学には教育の質の保証やその向上に向けた取り組みがこれまで以上に強く求められている。中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」(2008.12)では、学士力という概念とその主な内容を提示し、学位授与の方針を具体化・明確化することを求めている。

 学士力として示されたのは、①知識・理解(文化、社会、自然等)、②汎用的技能(コミュニケーションスキル、数量的スキル、問題解決能力等)、③態度・志向性(自己管理力、チームワーク、倫理観、社会的責任等)、④総合的な学習経験と創造的思考力の4つの要素である。

 学士力はいうまでもなく学士課程4年間を通して養われなければならない。そのためにも、教育課程の体系化、教育方法の改善、成績評価の厳格化、初年次教育の充実、教職員の職能開発、質保証の強化などを、これまでにも増して強力に進める必要がある。

 一方で、学生はわずか2年半程度で就職活動を開始し、企業は2年半の学生生活と半年程度の就職活動を経ただけの学生を評価する。そのことだけを見れば学生にも企業にも学士力は関係ないことになってしまう。全学を挙げて教育の質の向上に取り組む意味はあるのだろうか。そのような疑問が湧いてきても不思議ではない。

 本来ならば早期化し長期化する採用・就職活動をどう考えるかを論じるべきかもしれないが、2009年10月に大学側と企業側が合意したばかりであり、個々の大学が独自に取り組める問題でもない。

 従って、本稿では、まず採用・就職状況の現状と今後を展望した後、企業で働くことの意味と企業を選ぶ際の視点、企業が求める人材について考えてみる。それらを踏まえて、キャリア形成に資する教育はどうあるべきか、採用する側と送り出す側の両方の経験を通して考えたことを述べることにする。

長期的観点での人的基盤強化は重要な経営課題

 最初に、大卒の採用・就職状況の現状と今後について見てみたい。

 前述の内定状況を見る限り、悪化の速度とその水準は極めて厳しいが、一方でリクルートワークス研究所が調査した2010年3月卒業予定の大学生・大学院生を対象とする民間企業の求人総数は前年に比べ22万人減少するものの、なお72.5万人、求人倍率1.62倍という水準にある(2009.7.1発行本誌157号)。

 問題は、学生の志望と企業の求人の間のミスマッチである。経済情勢が不透明さを増す中、学生の大企業志向が強まり、1,000人以上の企業の求人倍率は0.55、1,000人未満の企業は3.63と真反対の状況が生じている。金融0.21倍、流通4.66倍など業種別にも求人倍率は大きく異なる。志望と現実の狭間で自分をどう納得させるか悩む学生、時間をかけて慎重に学生を見きわめたい企業などが、内定率を押し下げているものと思われる。

 より詳細なデータ分析は専門家に委ねるとして、採用・就職を巡る現状と今後をどのように理解すればよいか、企業経営の動向を踏まえつつ考えてみたい。

 2008年9月のリーマンショックは、日本経済を急激かつ大幅に落ち込ませたが、そのような経済環境の中で、2010年3月卒業予定者の求人倍率が1.62倍に踏み止まったことは何を意味するのであろうか。

 「企業は人を単なるコストと考え人件費カットを優先する」という批判的論調を耳にするが、多くの企業はゴーイングコンサーン、つまり永続を前提に経営を行っており、縮小均衡よりも事業の維持・発展を望んでいる。だからこそ、事業構造改革に目処が立ち、団塊の世代の大量退職期とも重なったここ数年、採用を増やし人的基盤の強化を進めていたのである。

 社内の多くの部門は若い人材を欲しているし、人事部門も長期的視点から採用数を一定の水準で維持したいと考えている。その一方で、景気や業績が悪化すると経営計画や予算編成段階で人件費抑制のプレッシャーがかかる。一社一社の採用予定数にはそのような重さがあることを理解する必要がある。

 ただ、大卒の正社員に対する求人は一定規模を維持できるとして、短大卒や高卒の求人状況は厳しさが続くものと思われる。また、派遣社員や非常勤社員などの雇用環境が悪化しているという。大卒正社員採用だけでなく、雇用情勢全般に対する目配りも必要である。

働くことの意味を見いだすことのできる企業を選ぶ

 次に、現在の社会・経済環境において企業は如何にあるべきか、どのような企業なら働くことの意味を見いだすことができるのかについて考えてみたい。

 経済成長が人間の幸福に不可欠かどうかという根本問題は別にして、現在の社会システムやそれを構成する諸制度の枠組みを前提とする限り、わが国において経済の安定的成長が必須の要件であることはほぼ共通の理解と考えてよいだろう。

 その成長の多くは民間企業が生み出す付加価値の増加によってもたらされており、その担い手が企業で働く人々である。現在、その付加価値が資源価格の高騰と商品・サービス価格の低下の挟み撃ちにあう形となり、雇用環境の悪化をもたらしていることは周知のとおりである。

 商品・サービス価格の低下は、国際競争の激化に加え、縮小する国内市場を同種の商品・サービスで奪い合うことによって生じる。その状態から抜け出すためには、中国等新興国の成長を自らの成長に繋げること、環境・福祉・医療など社会的要請の高い分野で新たな技術やビジネスモデルを開発すること、ものづくりやきめ細やかなサービスにさらに磨きをかけて商品やサービスの質で勝負すること、などの戦略展開が不可欠となる。

 企業が、グローバルに活躍できる人材、新たなことに挑戦できる人材、コミュニケーション能力の高い人材などを求めるのも、このような戦略展開の必要性を感じているからである。

 戦略的側面と並び重要なのは組織的側面、つまり組織が健全であるかという点である。法令の遵守、経営の透明性、職場の活性などがその要素となる。

 差別化した商品やサービスを持たず、営業要員の頭数だけを揃え、ノルマを課し成果を競わせて売上高を確保するという方法に終始する企業では、会社の存在意義や自分が働く意味に疑問を感じることも多いだろう。

 それに対して、同じ販売業務でかつ一定の目標が課される場合でも、自分が扱う商品やサービスに誇りを持ち、チームで支え合い、顧客に喜ばれることでやり甲斐を感じるような職場もあるだろう。

 また、従来の事業のやり方を変えることなくコスト削減だけを続け、社内に停滞感や閉塞感が漂っている大企業がある一方で、守るべきものを守りながら絶えず新たな成長の機会を探し、それに挑戦している魅力的な中堅・中小企業も多い。

 このような点を重視し、働くことの意味を見いだすことのできる企業を選んでほしいが、学生が企業の戦略的側面や組織的側面を評価し、その本質を見極めることは容易ではない。では業種や事業の将来性ならわかるだろうか。その方がはるかに難しいことは企業の興亡や淘汰・再編の歴史を振り返れば明らかである。

 先のことなど読めないならば、やはり企業の今の姿を戦略・組織の両面からじっくり観察するしかない。よりわかり易くいえば、その企業の収益の源泉は何で、それは社会に役立つものなのか、将来は何を収益の源泉にするつもりか、その企業が重視している価値は何か、従業員に対する考え方や育成方針はどうか、組織は風通しがよく活気があるか、魅力的な人が多いか、等々を学生自身が肌で感じとるようにするのである。

何を勉強してきたかが採用段階で深く問われるべき

 採用する側の企業はどのような人材を求めているのだろうか。

 溝上憲文氏の本誌連載「本当に欲しい人材」は、求める人材像、能力要件、採用・育成戦略等を採用担当者に取材し、業種毎に紹介するもので参考になる。森健氏の『就活って何だ』(文春新書2009.9)は大手企業15社の人事部長にインタビューしてまとめたものであるが、各社の社風や人事部長の思いが伝わってくる。

 求める人材の要素は、①業種・企業・職種の違いや時代の変化にかかわらずほぼ共通的に重視される要素、②当該業種で特に重視される要素、③当該企業が特に重視する要素、④当該職種で特に求められる要素、⑤社会・経済環境の変化に伴って重視される要素、の5つに分類することができるが、これらを読んで改めて感じることは、当然のことながら①のウェートが大きいということである。

 経済産業省「社会人基礎力に関する研究会」報告では、前に踏み出す力、考え抜く力、チームで働く力の3つの能力とそれを構成する12の要素を社会人基礎力としている。企業が求める人材像の要約ともいえるものである。

 15人の人事部長のインタビュー録を読み、面接で学生に接する姿勢や学生をみる観点が、筆者が採用に携わった頃と大きく変わっていないことを改めて感じる。その一方で、勉強に関する事柄がほとんど触れられていないことが気に掛かった。時間や紙幅の制約もあったからだろうが、何をやり遂げたか、どう困難を乗り越えたかといった要素が重視され過ぎているように思われる。一次・二次面接の段階で問われている可能性もあるが、大学の勉強の中で何に興味を持ち、何に感動し、どのように考え、何を身につけてきたか、などについて深く問うてほしいと思う。

 職場でも人生でも「思索と実践」または「思考と行動」を繰り返すことで自らを高めていくことが求められる。実践や行動ならば大学以外の場で体験し、鍛えることができる。思索や思考、とりわけ幅広い知識をベースに筋道を立てて論理的・体系的に考える習慣や能力を身に付けるのに、大学が最も適した場であることはいうまでもない。

大学で学ぶことと社会で働くことの意味を見いだす

 繰り返しになるが、素直さと柔軟さがあれば、社会人基礎力でいう前に踏み出す力やチームで働く力は企業に入ってから十分に身につく。それに対して、興味・関心や知識の幅を広げること、考え抜く力を付けることは、日々の仕事に追われるようになってからでは難しく、大学時代に土台を築いておく必要がある。

 では、興味・関心や知識の幅を広げ、考え抜く力を付けるための教育とはどのようなものだろうか。

 一つめは、質の高い教養教育である。本誌でも紹介した北海道大学の「最良の専門家による最良の非専門教育」という考え方はきわめて重要である。

 哲学、歴史学、宗教学、心理学、社会学、経済学、数学、物理学、化学、生物学、美術、音楽などについて、平易な言葉ながらもその奥深さや面白さを伝えてくれる教師がいれば知識の幅を広げることの楽しさを実感できるだろう。客員や非常勤として学外に適任者を求めてもいい。これらの科目は、初年次から4年次までいつでも受講できるようにしておくことが望ましい。

 二つめは、専門教育の中で、当該分野の知識と固有の方法を身につけさせ、自ら課題を発見・設定し、解決できる力をつけることである。

 例えば、法学部ならば実定法や訴訟法の基本書を読み、判例を読むことで、読み取る力や問題を整理する力は格段に高まり、リーガルマインドという法学固有の考え方も身につく。企業の日常業務で法学知識が必要な場面はそれほど多くないが、文章の読み書きとリーガルマインドは仕事の土台になり得る。

 専門教育もその基礎となる部分や最も興味がわく部分を初年次に体験できるよう科目の編成や配置を工夫すれば、4年間を通してかなりの基礎力が身に付くはずである。

 三つめは、大学で学ぶことの意味を考え、そのことと社会で働くことがどう結び付くのかを考える機会を与えるということである。初年次の早い段階を含めて幾つかの節目にその機会を設けることが望ましい。

 筆者は従来の授業科目を衣替えし、「キャリアデザイン~実践ビジネス基礎」という全学共通科目を2009年度より開講した。授業の内容は、社会と経済、企業の仕組み、会計や経営の基礎などであるが、学生に対しては、経済とは、企業の存在意義とは、マネジメントとは、良い企業とは、などを深く掘り下げて考えることを求め、それらを通して働くことや大学で学ぶことの意味を見いださせるようにしている。


図 問題解決=価値創造の基本サイクル「実践ビジネス基礎」の講義内容より


 学生のレポートを読む限り、その意図は伝わったようで、働くことや大学で学ぶことの意味が自分の言葉でしっかり書かれている。専門分野を超えて学ぶことの面白さがわかったといった感想も寄せられている。

 授業自体は改善すべき点も多く、満足できるものではないが、学生の反応を見る限りこの種の授業は有効であり今後も必要だといえそうである。

 就職に関してはネットをはじめ様々な媒体でいくらでも情報を入手できる。多くの大学でキャリア支援・就職部門の体制強化も進んでいる。一方で、大学が提供する授業科目は増え、学部・学科を超えた履修、他大学との単位互換なども進みつつある。つまり、就職活動においても学習環境においても情報や選択肢は十分過ぎるくらいにあり、さらに増え続けているのである。

 それらをどのように活かして学習を充実させ、将来の仕事や人生に結びつけていくか、それを自ら考え見いだす機会や場を与えることが、今最も求められているように思う。

 説明会の長い列に並ぶ学生や何十ものエントリーシートを送り企業の反応を待つ学生の姿を想像すると心が痛むが、教職員にできることは限られているし、手出しし過ぎてもいけない。また、就職先は企業ばかりではない。国内外を問わず活躍の場は広がり、多様なものとなっていくだろう。選択するのは学生である。

 何かに気付く機会を与え、自分の力では解決できないと感じた時に立ち寄る場を与えることが大学の役割ではなかろうか。



(吉武博通 筑波大学 大学研究センター長 大学院ビジネス科学研究科教授)


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