大学を強くする「大学経営改革」[32] 地域の再生と大学の貢献 吉武博通

変化の時代に地域に根を張る大学を

 リーマンショックからの回復過程にある世界経済にギリシャ危機の暗雲が垂れこめる。100年に一度の危機が3年に一度やってくるとの専門家の発言に象徴されるように、経済・社会の変化は近年その大きさとスピードを急速に増しつつある。

 劇的ともいえる変化が次々に起こる時代を、国家、組織、個人はどのようにして生き抜いていったらよいのだろうか。生物の生存戦略に喩えるならば、動物のように適地を求めて移動するか、植物のようにその場所にとどまりながら環境に適合するかの選択が求められることになる。

 最近の企業の動きは明らかに前者であり、市場もそのような企業を評価する傾向にある。国・地方自治体や教育・医療・福祉に関わる機関・団体などは後者であり、とどまりながら環境に適合する生き方を基本とせざるを得ない。

 高等教育機関である大学も植物のようにその場にとどまりながら、個々の大学にふさわしい生存戦略を確立し、変化の激しい環境を生き抜く必要がある。樹木に喩えるならば、大地に根を張り、年輪を重ねて高みを目指す幹を育て、しなやかに枝を伸ばし、太陽光に向かって葉を広げなければならない。

 根を張る大地は“地域”である。大学が地域の再生に積極的に貢献し、地域が経済のみならず多様な意味において豊かになることで大学自身も発展するという正の循環を、より強い意志をもってつくり上げるべきというのが本稿の趣旨である。

人間の生活の場としての地域の再生

 地方分権や地域主権など用語は様々だが、国から地方への流れは、官から民へと並び、近年の大きな政治テーマとなっている。内閣府に置かれた地方分権改革推進委員会は、2009年11月までの約2年半の間に98回開催され、その成果は4次にわたる勧告として政府に示されている。主たるテーマは、国から地方自治体への権限委譲であり、分権型社会にふさわしい地方政府を実現するための自治財政権の強化である。

 地方分権改革という場合の“地方”は国に対する地方自治体を意味するものとして使われている。一方で、“地方”には東京または首都圏に対する地方、大都市圏に対する地方の意味もある。

 このように“地方”は行政的または地理的な概念として用いられることが多いが、“地域”は地域社会など人間の生活により直接的に結びついたものとして使われることが多い。

 本稿では大学が根ざす地という趣旨に鑑み、“地域”を主に用い、地方自治体との関わりや首都圏・大都市圏との比較などの場合に“地方”を用いることとする。

 それでは、今なぜ地方分権や地域主権が国の最重要課題の一つに掲げられているのだろうか。

 行政改革として中央政府のスリム化が求められていることがまず挙げられるが、行政活動の約4割を国、約6割を地方が担っているにも拘らず、国税と地方税の割合は6:4というねじれの是正も重要な課題となっている。

 また、地方を自立させ、地域の活性化を図るという狙いもある。人口減少に公共工事の削減や工場の海外移転などが加わり、地方経済は疲弊し、生活の場としての地域社会の基盤自体が揺らぎ始めている。右肩上がりの成長期においては富の再分配により、地方格差も縮小傾向にあったが、名目GDPが長期にわたり横這いを続ける中、再び格差が広がり始めていることがその背景にある。

 さらには、環境、水資源、食糧自給などの問題を考えた場合、森林の保全や農林水産業の高度化などを支える地方の社会・経済基盤をより積極的に強化していく必要もある。

 これらはいわゆる地方の問題であるが、このような構造的な問題を解決すると同時に、一人ひとりがより良く生きる社会を作り上げていくためにも、大都市圏か地方かに拘らず,地域の再生が求められている。

 神野直彦関西学院大学教授は「地域再生とは、これから始まる時代における人間の生活の場の創造」であり、「自然環境の再生と地域文化の再生が、地域社会再生の車の両輪となる」と述べている。(神野直彦『地域再生の経済学』中公新書2002)

“自立”と“身近な場所での問題解決”

 地方分権や都市再生が進むヨーロッパには“補完性の原理”という考え方があり、近年の我が国の議論にも大きな影響を与えている。家庭やコミュニティでできることはそれらに任せ、できないことを基礎自治体、さらには上位自治体、そして国が補完的に担うというのがその趣旨である。

 補完性の原理に基づく地域再生の本質は、“自立”と“身近な場所での問題解決”である。

 人間は社会と不可分な存在であるといわれるが、一人ひとりがより良く生きる社会であるためには、個々人が自立した上で相互に補完・協力しあうことが前提となる。個の自立は教育の重要な目的でもある。日本の学生の目的意識が諸外国の学生に比して希薄だといわれているのも、自立が十分に尊重・追求されてこなかった結果かもしれない。同様に個が集まる集団や組織にも自立が求められる。

 しかしながら、個人は集団や組織に依存し、集団や組織は行政に依存する、あるいは地方自治体は国に依存する、という状態から脱しきれていないのが我が国の現状である。

 “自立”と深く関係するのが“身近な場所での問題解決”である。自分の問題は自分で、集団や組織の問題はその中で解決するのが基本だが、困難であったり、個や集団・組織を超える問題であったりした場合でも、可能な限り現場に近い場所で解決するというのがその意図するところである。

 現場から遠い場所では、実態を正確に把握することが難しく、政策の成否が自分の生活に関わってくるという切迫感も持ち得ない。議論が抽象的になり、現場の実情に即した実効性ある制度設計にも限界が生じてしまう。

 地域が自らの問題を可能な限り自力で解決する中で、人も育ち、政治・経済・文化の質も高まるのではなかろうか。

人材育成をトータルで考えられるのが地域の強み

 そのような地域再生に大学はどのような形で貢献できるのだろうか。関連するデータを見ながら考えてみたい。(下記の表を参照)


図 数字で見る都道府県別の格差(上位5都府県と下位5道県)


 大都市圏に対する地方の実情を経済・財政面で見てみると、1人当たり県民所得(2006)ではトップの東京482万円と最下位の沖縄209万円で2.3倍もの格差がある。また、都道府県の歳入に占める地方税の割合(2007)はトップ東京77%に対して最下位の島根は15%にとどまり、30%未満の県が半数に達している。

 高校から大学・短大等への進学率(2007)を見ると、京都・東京など60%を超える都府県があるのに対し、最下位沖縄は36%、北海道・東北・九州に40%前後の道県が並ぶ。全国レベルでは50%を超えたユニバーサル段階にあるといえるが、約4割の道県が50%を下回っている。2000年と比較すると首都圏の1都3県では10ポイント以上上昇しているのに対して、5ポイント程度の上昇にとどまる県もあり、格差は広がる傾向にある。

 このような状況を考えると、大学が全国に配置され、地元で高等教育を受けられる機会が広く提供されていることの意義は極めて大きい。経済・財政面で厳しい環境が続く中、その重要性はさらに高まるものと思われる。

 また,学生の基礎学力低下問題への対応や高大連携が重視される中、高校と大学が近接し、地域ごとに深く連携し合うことは、様々な効果をもたらすものと考えられる。さらには、家庭・地域社会での教育、初等教育から高等教育までの学校教育、生涯学習など、人材育成をトータルで考えられるのも地域の強みである。大学が地域における教育により深くコミットすることで、その強みも一層活かされるであろう。

地域の人材が成長し続ける場づくりを促す

 大学が関わるかどうかは別にして、すでに様々な形で地域再生を目指した活動が全国各地で展開されている。筆者自身も企業城下町といわれた市の再生に直に接したり、自治体の改革や育成に僅かながら関わったりした経験を持つが、地域の良きリーダーとそれを取り巻く人材の層の厚さが決め手であることを実感させられる。

 進学や就職で人材が流出するというハンディキャップもあるが、地方自治体の職員も最近は高学歴化が進み、能力・資質の高い人材は明らかに増えている。大学卒業後に地元に戻り、それぞれの立場で地域を支える人材として活躍している人々も少なくない。

 問題は、自身の成長を促す知的刺激が十分ではなく、より高いレベルでものを考え、議論を交わす場も限られているという点である。これまでやってきたことを頑なに守り、新たなことや変化を受け入れようとしない保守性が地域社会や組織内に色濃く残っていることも、次代を担う人材の育成を難しくしている。

 地域再生の難しさは、古きものと新しきものの葛藤を避けては通れないことである。それだけに、地域の再生を担う人材には、古きものを理解しつつ新しきものを積極的に取り入れる、幅の広さや奥行きの深さが求められる。

 このような人材を育成するとともに、自身を成長させ続けられる場が至る所に見出せる、そのような地域づくりを促すことも大学の重要な役割である。

国公私立が補完・連携し合い質の高い教育体制を確立

 このような期待がなされる一方で、地方の大学を取り巻く情勢は厳しく、学生・教員・資金などが大都市圏の有力大学に集中する傾向がさらに強まりつつあるように思われる。

 この現実の中で、地域の再生に貢献できる大学をつくり上げていくためには、少なくとも10年から20年先の地域や大学のあるべき姿を見据えて、長期的な道筋としての戦略を明らかにしつつ、着実に歩を進めていく必要がある。

 そのために地方の大学がなすべきことは、これまで以上に教育にウェートを置き、大都市圏の大学を凌ぐくらいの質の高い教育体制・システムを確立することである。リベラルアーツ教育を中心に据え、その地域で求められる職業教育や特色ある産業を支える専門教育を加えた体制・システムを、国公私立が役割を分担しつつ、相互に補完・連携し合える形で築き上げる必要がある。

 大学教員の採用・評価・育成にあたっても、教育力の重視が徹底されなければならない。論文業績を中心に研究が主、教育は従、といった採用を続ける限り、有力大学から順に優秀な教員が採用されていくという状態から抜け出すことはできない。

 常勤職に就けない博士課程修了者が増え続けていることは優秀な人材確保の好機でもある。ポスドクの身分のまま1年程度非常勤講師に任用し教育力を見極めるという方法もある。教育力重視で採用する大学が増えれば、博士課程修了者を輩出する側の大学でも、より本格的なTA(Teaching Assistant)システムを導入するなどして教育力の育成に力を入れるだろう。

 官公庁・企業出身者など実務家教員の計画的な任用も有効である。経験に裏打ちされた広範な知識や豊かな人間性を兼ね備えた人材が地域の教育に参画することの意義は大きい。この場合も、1年程度非常勤講師としてその力量や人格を見極めれば、より的確な評価が可能となるはずである。研究者として実績を積んだ教員、実務家教員、若手教員がバランスよく配置されることで、教員組織の活性化も期待できる。

 研究面においては、個々の教員の研究環境を確保した上で、それぞれの大学の特色や強みを活かし、その分野ならば世界水準にあるといえるものを、大学として重点的・戦略的に推進すべきだろう。

社会人教育の充実と国際交流の戦略的展開

 社会人教育も地域における大学の重要な使命であり、その必要性は益々高まるものと思われる。大都市圏では夜間の社会人大学院が増加しつつあるが、地方では社会人向けの教育機会は限られている。

 地方自治体の政策立案力が問われる中、地方行政に必要な専門知識・能力を養うコースが夜間・休日開講されてもよい。中央省庁出身の教員と県庁・市町村の職員が地域の大学で政策を学びあい、議論しあうことは極めて意味のあることである。

 地元の産業を担う人材に対する経営教育、特定の工業分野や農業・林業などを担う人材に対する専門教育は、教育や医療・福祉分野の人材育成と並んで、地域における職業教育の重要な柱でなければならない。

 これらを目的とした社会人向け大学院を開設することは、地域の再生を強力に後押しすることになる。

 自治体や産業界などと連携して、戦略的に国際交流を展開することも大学が果たし得る貢献である。県や市の姉妹協定、地元企業の海外進出、大学の国際交流など、それぞれの事情に応じた独自の取り組みは尊重した上で、自分の地域の発展にとってより意味のある海外の市や大学と戦略的に提携・交流することも考えるべきではなかろうか。東京を経由せず直接に海外の動きが入ることの意味も大きい。地域が自らの五感で世界の動きを感じることが、これからの地域づくりには不可欠である。

大学トップのリーダーシップと幅広い支援が不可欠

 いうまでもなく地方の大学の実情は極めて厳しい。国立大学も予算縮減で教育研究基盤の脆弱化を懸念する声が少なくなく、公立大学を支える自治体の財政状況も悪化の一途である。地方の私立大学は定員割れや赤字により存続自体が危ぶまれているケースもある。

 一方で、知恵を絞り、特色を活かした取り組みを展開している大学も少なくない。これらの灯を絶やすことなく、より大きな変革の力に変えていくことが重要であり、それを主導する学長・理事長のリーダーシップと役職員の企画・実行力が問われているのである。

 大都市圏の大学の協力・支援も不可欠である。単位互換やICTを用いた遠隔地教育などで協力したり、地域にとって必要な私立大学を支援・系列化したりということもあり得るだろう。その場合、自治体を含めて地域全体で支えるという姿勢を示さねばなるまい。

 地域や大学ごとの努力だけでは不十分である。大学を活かしながら地域を再生する、という考え方に対する幅広い合意とそれに裏打ちされた国レベルでの後押しが不可欠である。

 本稿では地方に焦点をあて、地域と大学の関係を論じてきたが、地方の疲弊は大都市圏にも必ず影響を及ぼすはずである。また、大都市圏においても地域社会は様々な問題を抱えている。地域の再生と大学の貢献は、地方だけのテーマではないことを理解する必要がある。



(吉武博通 筑波大学 大学研究センター長 大学院ビジネス科学研究科教授)


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