アウター、インナー双方の改革によるブランド力向上/広島修道大学

広島修道大学キャンパス


地域の雄だからこその改革の停滞

 広島県には、1つの国立大学、4つの公立大学、16の私立大学がある。意外なほどに私立大学が多い。私立大学はいずれも第二次世界大戦後に設立されているが、そのうち学校法人として最も古い歴史をたどることができるのが、広島修道大学である。淵源を浅野藩の講学所に、そして、戦前期の旧制修道中学をもとにして、戦後の1952年に修道短期大学を設立、1960年には広島商科大学として4年制大学になり、その後は人文学部、法学部、経済科学部、人間環境学部と学部を増設し、2015年の総定員5040人、文系の総合大学として大きく発展してきた。その規模において、県内の他の私立大学の追随を許すことはない。また、入学時の偏差値においても、私立大学のなかではトップクラスに位置づいている。

 そうした機関の規模の問題もさることながら、広島修道大学が誇る点は、地域への人材輩出の度合いである。その1つであり象徴的な数字は、朝日新聞出版の『2017大学ランキング』において、社長の就任数459名が中国地方の私立大学で第1位というものである。社長が多いということは、その裾野が広がっているということである。例えば2015年度の実績でみれば、卒業生のうち、広島県内への就職者率が58%、中国・四国を含めれば約70%が地元に就職しており、そのうち公務員や金融機関への就職者数が多い。「社会人が評価する大学:中国・四国地域」(大学通信社『大学探しランキングブック2016』)においても、「地元の有名企業や自治体への就職に強い」(8位)、「企業や自治体との連携に積極的」(8 位)などベスト10 に入る項目が多くある。

 これらを総合してみれば、広島修道大学は、広島県を中心としつつ中国・四国地方に県域を広げて、地域の経済界を牽引する人材を育成してきた大学と言うことができる。その意味では地域の雄である。その確立されたポジションはそうそうには揺るがないため、少子化のなかで周囲の私学が学部の増設などの改革に走るなかでも、広島修道大学は特段の改革をすることなく2000年代の後半を過ごしてきた。

規模拡大によるサバイバル

市川太一 学長

 その広島修道大学が、再び動き始めたのは、2010年。市川太一学長が「再度」学長として登板してからである。実は、市川学長は1996年から2001年まで6年間学長を務められていた。その後2010年に2度目の学長に就かれて現在に至る。最初の学長職を退いてから8年間のブランクがあって、再び学長職に就くケースは極めて珍しい。最初の学長時代、改革派の学長として知られた市川氏が再登板するに至ったのは、学内において、いつまでも眠れる獅子ではいられないという危機感が高まったことによるものであろう。

 第2期の学長になってこれまでのところ、特筆すべき改革は他法人との合併を果たしたことである。いくつかの私立大学で異なる法人が合併した前例はあるが、40%を超える私立大学が定員割れをしているにも拘わらず、法人の合併によるサバイバル戦略をとるところは多くはない。ただ学生定員を増やせば規模の経済が働くというものではなく、法人の特性の類似性、財務状況、学部構成、学生の資質など多様な条件を考慮する必要があり、安易にそれを選択することはできない。

 そうしたなか、大学と修道中学校・高等学校からなる学校法人修道学園は、合併という道を選択した。相手は女子短期大学と女子中学校・女子高等学校を持つ鈴峯学園であった。協議の開始は2013年3月、合併の認可は2015年1月であり、およそ2年の歳月をかけて合併に至った。図表1にみるように、鈴峯女子短期大学は保育、食物栄養、キャリア創造という3学科を持っていた。これらはいずれも、広島修道大学にはなかった領域である。合併による規模の拡大と、新領域への進出とを同時に果たすことで、これまでとは異なる受験者層を取り込める可能性が広がる。

 まず、2016年には、それまでの人文学部人間関係学科教育学専攻と鈴峯女子短大の保育学科を活用して新たな教育学科に再編し、小学校・中学校・高等学校の教員免許に加えて、幼稚園・特別支援の教員免許及び保育士資格を取得できるようにした。2017年には健康科学部の開設が予定されているが、そのうち健康栄養学科では管理栄養士の受験資格が取得でき、人間関係学科心理学専攻を改組した心理学科では大学院修士課程において臨床心理士の受験資格の取得を視野に入れている。2018年には国際コミュニティ学部を設置し、一方でグローバルを視野に置き、他方で地方創生を担うような人材育成を目指すことを構想している。これが実現すれば総定員は5040人から5660人へと約12%も拡大する(図表1)。教員、管理栄養士、臨床心理士といった資格は、女子に人気が高い。また、国際関連の領域もしかりである。既存の広島修道大学には、確かに人文学部はあるものの、最近、女子高生やその保護者に人気のある資格系の学部を持たないため、女子比率が減少傾向にあった。そこにあらたな学生マーケットである女子の取り込み、附属女子高校からの進学による入学者の安定的充足、こうして一層進む少子化時代を生き抜こうという戦略をとった。

 「県内の他大学は既に新学部を設置しているため、後発であることの不安がなかったわけではないです。しかし、鈴峯学園の財務状況に問題はないしロケーションはよい。広島修道大学は、地域で築いてきた伝統がありますし、広島修道大学ならばどの学部でも良いから進学したいという層がいます。これらから、後発のリスクは回避できるのではないかと考えての合併でした」と、市川学長は話される。

図表1 広島修道大学組織図

1992年以降の最高志願者数に

 その結果、まずは「吉」とでた。図表2にみるように、2016年合併・改組後の初の入試では、前年よりも入学者定員が50人増えているなか、入学志願者は前年に比して約3000人、36%の増加である。志願倍率は前年の5.5倍から一挙に7.2倍にまで跳ね上がった。2000年代後半には6倍を超えていた志願倍率が、2010年代に入って逓減し5倍台半ばにまで下がっていたところでの7倍を超える志願倍率は合併・改組効果以外の何ものでもない。これは、1992年以降の最高の志願者数である。

 合併効果は改組された教育学科のみに表れたわけではなかった。すなわち、教育学科では定員100人のところに1500人ほどの志願者と群を抜いて高い倍率を示したが、それ以外の全学部において志願倍率が上がったという。加えて、偏差値が上昇し42.5(河合塾調べ)を下回る学科専攻がなくなったこともうれしい結果である。これは、より高学力層による志願者の増加であったことを意味し、ここ数年、やや翳ったかにみえた広島修道大学のブランド力が再評価された。それを示す別の証左として、これまでのオープンキャンパスの来場者5100人程度が、2015年度には一挙に6100人を超える人数にも増加したこと、また、中学生の見学ツアーには800人が参加したことを挙げれば、広島修道大学の評価が上昇したことは十分に納得されよう。「最近、高校の先生方からは、広島修道大学もようやく眠りからさめて動き始めましたねと、言われるようになりました」と、市川学長は苦笑されつつ話される。

図表2 広島修道大学の志願者数・志願倍率

教職協創によるマネジメント

 法人合併の過程において、学内の一部の反対があったものの、学園及び大学全体としては円滑に進んだと言える。この一大事業が滞りなく進んだのは、何よりも大学のマネジメントを担当する事務局長を始めとする事務職員の力によるところが大であった。

 大学職員のマネジメント力は今後の大学経営を左右することに気づいた大学は、各種の研修などにより職員の高度化に力を入れている。広島修道大学の場合、既に1990年代半ばに事務組織の改革に着手し職員の力量向上を図っていた。それ以来の事務組織に関する学内改革とその成果があってこそ、法人合併がスムーズに進んだと言ってよいだろう。

 市川学長が1996年最初の学長に就任したとき、110人の事務職員を年齢別に10人程度のグループに分けて全員と面談したのが、事務組織と事務職員の処遇の改革の契機であった。大学改革の鍵は、事務職員がいかに教育研究を支援し、かつ、大学を経営するマインドを持てるかにあると考えたからであるが、面談で明らかになったことは、職員の異動が少なく、大学の管理と教務との両方を理解する者が少ないということであった。そこで、7年以上同じポジションにいる者を異動の対象とし、結果的に30%以上の職員が異動することになった。それ以来、管理部門と教務部門の異動は必須となった。同時に外部機関を利用した管理職職員研修も数年間行って、職員の意識改革に努めた。

図表3 事務組織・組織風土の改革

 2010年に市川学長が2度目の学長に就任すると、「教職協創」を掲げ、教員と職員とで学内に新たな価値を創造(Co-Creation)するための取り組みを実施してきた。代表的なものは人事制度の改革であり、例えば、2011年には教員の理事ポストを職員に回し、事務局長を理事としたこと、2013年に事務組織を部制からセンター制に変更し、職員部長制を導入できるように規程改正したこと、2016年に役職定年制を導入し60歳を62歳へ引き上げたことなどである。特に、センター制・職員部長制への移行によって、センター、学長室、図書館など10の事務部門のうち5つの事務部門は教職員どちらでも長に就けるようになり、現在、学長室長、学生センター長が職員である。また、センター制の導入により、教学センター、入学センター、財務部、総務部、キャリアセンターなどでは事務部長(職員)を置いている。センター長・部長となった職員は教員と共に大学評議会に出て、運営に責任を持つようになったことは特筆に値しよう(図表3)。

 これらいずれの改革も、職員であっても教員と同等にマネジメントに参画し、大学経営に力量を発揮することができるシステムへの変更である。それは言い換えれば、事務職員がそのくらいの力を持たないと今後の大学経営は成り立たないとの判断があってのことであろう。学長は、これを「インナー・ブランディング」と呼ぶ。大学の外からの評価でもってブランド力を向上させることを、仮に「アウター・ブランディング」とすれば、学内マネジメントの改革によるブランド力の向上を、それに勝るとも劣らない重要な戦略と位置づけてこのように命名されるのであろう。いや、後者を実現させるためには前者が不可欠なのだ。事実、こうした改革を経て、「職員の職務に対するモチベーションは明らかに高まり、意思決定のスピードが違ってきました。物事が早く進むようになりました」と、市川学長は改革の成果を実感されている。

 大学の事務組織や事務職員の処遇に関する改革は、大学の外からは見えにくいうえ、それが注目を浴びることもあまりない。しかし、こうした地道な改革が大学の足腰を強くしているのだろう。いうまでもないことだが、法人合併とは、事務組織も合併する。それがスムーズに進んでいるのも、こうした事務組織の改革が基底にあるのだ。2015年に竣工した8号館は、この教職協創をシンボルとして協創館(Center for Co-Creation)と命名された。

周到な改革計画

 これで全てが片付いたわけではない。市川学長が考える主たる課題は2つある。1つは、修大附属鈴峯女子中学校・高等学校のブランド力の向上である。広島修道大学の安定的な定員充足の役割を持つ附属中等教育機関は、いわば学生の先取り機関である。いかにして質の高い生徒を引きつけるか、そのために大学への推薦枠をどのように設定するか、大学との連携による教育改革をどのように進めていくかは、喫緊の課題である。

 もう1つは、かなり以前からの、そしてかなり長期的視点にたったキャンパス・マスタープランの遂行である。1974年に現在のキャンパスに移転したため、全ての建物が一斉に老朽化の時期を迎える。2000年に、2009年から2035年までの4期に分けての「校舎等建替計画」が大学評議会において承認されていたが、実際にはその通りに進まなかった。耐震化基準の変更、監査法人からの2号基本金積立における問題の指摘などが、計画を阻んでいた。しかし、それでもって計画を取りやめるわけにはいかない。キャンパス環境の整備は、学生に対する教育の質にも直結するし、いわゆるブランド力にも影響を持つ。当初計画を練り直しつつ、長期計画をいかに遂行していくか、これが課題である。

 市川学長は、現代の大学を次のように見ておられる。「大学は、少子化時代の学生募集や卒業後の雇用など、いわば学生に関する変化だけを見ていては対応できない時代にあると言えるでしょう。大学の内外を取り巻く個々の現象を関連づけて総合的にみる視点が欠かせなくなっています。こうした変化に対応できるよう、絶えず改革を続けていかなくてはならないのです」。

 地域の雄として伝統を確立している大学でも、これだけの危機感に迫られ、それを受けて冷静に、かつ、改革の針路をとる。縮減する高等教育の時代の厳しさを教えられる。しかし、ここを乗り切り、卒業者の輩出による大学の地域社会への貢献が認知されれば、次世代の多くが広島修道大学を目指すという循環が生じるはずである。そのためにも、長期的な計画のもとに、常なる改革の継続を怠ってはならないのである。

(吉田 文 早稲田大学教授)



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