料理の研究と教育の好循環を支える教員FDを展開/辻調グループ

辻調理師専門学校キャンパス


 産業・就業構造の変容とともに職業の高度化が進む現在、質の高い一人前の職業人を育成するための職業教育のあり方が問われるようになった。「専門職大学(仮称)」の設置が答申され、新しい職業教育モデルの確立が構想されるなか、これまで職業教育を担ってきた専門学校が自らをどう位置づけ直すのか注目されている。

辻 芳樹 校長

 そこで課題となるのは、現場で必要とされる技術・技能をいかに効率的に教えるかということだけでは、恐らくない。目まぐるしく、変化の激しい21世紀である。容易に陳腐化するかもしれない技術だけを積み重ねても、先は見えてこない。むしろ必要となっているのは、教養や理論、さらには主体性、コミュニケーション力といったソフトスキルだ。変化に柔軟に対応する基盤になり得るものと言ってよいだろう。

 そんな職業教育の高度化を前に、既に一部の専門学校は進化を始めている。その代表が辻調理師専門学校だ。同校は、食の技術や知識に関する集積力・開発力・発信力を蓄積し、本物を探求する姿勢を持つ「食業人」として活躍できる専門人材の育成に尽力してきた。昨年からは、3年制学科を立ち上げる等、新たな試みも始めている。新たな職業教育を担える機関として何に拘り、どんな未来を見据えているのか。辻調理師専門学校(辻調グループ。以下、辻調)の辻 芳樹校長にお話をうかがった。

フランス料理を体系化したカリキュラムに

 戦後、料理人のほとんどは厳しい徒弟制度の下、現場での修行を通して育成されていた。必ずしも学校での職業教育が中心ではなく、調理の技術や所作は今で言うOJTを通して学ぶものだった。しかし、1958年に調理師法が制定され、調理師の資格整備・資質向上を求める動きが登場する。料理人にも社会的責任が要請されるなか、法律に従って体系的に調理師を育成する時代が到来したと言ってよい。

図表1 辻調理師専門学校のあゆみ

 この時代の風を捉えたのが、辻調の創立者である辻 静雄前校長だった。静雄氏は、調理師養成施設の必要性を感じ、それが1960年大阪・阿倍野に設立された「辻調理師学校」につながった(図表1)。

 静雄氏は学校設立を機に勤めていた読売新聞社を辞め、フランス料理の特訓と研究を開始する。当時、日本でフランス料理に関する教育は体系化されておらず、拠って立つものがほぼゼロに等しい状態だった。教科書も、翻訳された研究書や参考書もなく、まして国内でフィールドワークをして情報収集することなど到底望むべくもなかった。日本で受け継がれてきたのは「西洋料理」であって、必ずしも「フランス料理」そのものでなかった。辻校長は当時の状況をそう説明する。

 そこで、静雄氏は一から料理を学び、フランス料理を対象として研究を始めた。早大文学部仏文科卒という経歴も役立った。静雄氏はフランス本国から原書を取り寄せてフランス料理に関する本格的な研究を行い、1964年には『フランス料理理論と実際』も出版するに至っている。単に調理技術に拘泥するのでなく、積極的に本物を知る努力も払った。歴史や文化の中に料理を位置づけて理解するとともに、フランス全土のレストランを食べ歩き、フィールドワークを通して本場で学んだものを再現し、体系化してカリキュラムに落とし込む作業を続けた。それは他の職業専門学校では例を見ない試みであり、静雄氏の最大の功績だったと辻校長は語る。

 静雄氏は美食学の研究者であるとともに、熱心な教育者でもあった。1972年にはフランスからポール・ボキューズ氏ら一流シェフ3名を招聘し、特別講習を実施するなど本物を教えることに拘ったという。1975年にはTBSテレビで『料理天国』の放送が開始され、グルメ・グルマンが人々の憧れの的になった。ちょうど高度経済成長を経た日本社会が豊かさを実感し始めた頃だ。当然、料理人にもスポットライトが当たるようになった。本物を学ぶ機会を提供する学校として全国から学生を集められるようになり、定員も倍になったそうだ。

 こうして辻調は1970年代後半から拡大期を迎える。1976年の専修学校制度の創設を受け、1980年に専修学校として認可された。それと同時に校名も「辻調理師専門学校」になっている。同年には辻調グループフランス校(シャトー・ド・レクレール)が設置され、その後も、辻製菓専門学校(1984年)、辻調理技術研究所(1988年)、エコール辻大阪(1989年)、エコール辻東京(1991年)、辻製菓技術研究所(1991年)が設置されている(図表2)。現在は、運営を担う学校法人辻料理学館に出版業務等を行う株式会社が加わり、教育コンソーシアムが構築されている。1960年から我が国の料理人育成を牽引してきたのが辻調だ。一部メディアでは「料理界の東大」、「世界三大料理学校」等とも呼ばれ、これまでに巣立った卒業生は13万人にも上る。その存在感は圧倒的である。

理論と実践で高度化に対応する3年制学科の創設

図表2 グループ全体図

 ただ、辻調がそんな状況に安穏としている様子はない。辻校長の言葉や態度も常に前向きで、料理人育成にかける熱い思いがひしひしと痛いほどに伝わってくる。現代的なニーズを踏まえていかに優れた料理人を輩出するのか、そのことを常に考え続けているのであろう。

 そんな思いが形になったのが、2016年度新設の「高度調理技術マネジメント学科」(図表2)。この3年制学科が目指すのは、自ら課題を発見し、分析し、それを料理として再現できる人材を育成することだ。

 それにしても、なぜ3年制が必要だったのか。辻調が1960年の辻調理師学校の設立以来、主に提供してきたのは1年制プログラム(調理師本科)だ。料理の再現性を重視し、1年で教え込むのがそのやり方だった。しかし、求められるものはますます高度化していて、それに対応するには3年制が必要になっている。

 辻校長は、1年目にはレシピを構成する個々の技術を学ばせるだけで精一杯、2年目に学んだ技能でもってレシピを解釈できるようになるという。そして3年目に漸く、現場でどう理論が応用されているかを見定める力がつき、自分で料理を組み立てながら創造的な新しいレシピも作ることができるようになるという。つまり、3年間の学びを通して理論と実践が架橋できる力がつくというわけである。

 実際、高度調理技術マネジメント学科では、1年次に基礎的な知識・技術・理論を学び、2年次後期には学外の企業や施設3カ所で「キャリア形成実習」(384時間)を半年間かけて行う。単に学外に出て研修を受けるというのではなく、学生が個人のテーマを持って研修に臨む。そして、3年次には専門教員の指導の下で論文やオリジナル・レシピを作成していく。こうして、理論を身につけつつ、それを活かす機会が持てるよう、従来以上に現場との連携を強めるカリキュラム編成になっている(図表3)。

 「料理人が調理場で一生過ごす時代は終わった。これからは飲食業界に就職したとしても、理論的な理解がないままにただ包丁使いがうまいだけではやっていけない。先を見据える力を有し、リーダーシップを発揮して飲食業界を牽引していける人材を育成していきたい」。辻校長はそう語る。これまでとは異なる専門性が必要になるなか、単なる技能より理論が重要だという。

 もちろん、3年制学科はまだ1年目が終わろうとするところで、その成果が出てくるのはこれからだ。それでも辻校長は、3年間のカリキュラムを修了した学生達が分析力を獲得し、就職先の選択能力も磨かれているはずだと期待を込める。就職先は何も調理場に限る必要はない。例えば一般企業の商品開発部門で働いたってよい、そう校長は語る。3年間徹底的に学んだ修了生がどんな可能性を見せてくれるのか、数年後への期待が高まるばかりである。

図表3 2年制学科と3年制学科のカリキュラムの違い

強みは教員の「教育力」

 こうして見てくると、「突き詰めたところで辻調の強みは何か」という問いが頭をよぎる。この質問に対する辻校長の答えはずばり「教員の教育力」だ。そう答える校長の様子に迷いはない。

 辻調の教育理念は“Docendo Discimus”(ドケンド・ディスキムス)──「私達は教えることによって学ぶ」を意味するラテン語だ。初代校長・辻 静雄氏の教育哲学が込められている。この言葉が示唆するように、職業教育を担う教員は常にアンテナを張り、学び続けること、頭を空っぽにして新たに学び、またそれを学生に還元していくことが求められる。教員はずっと学び続け、それを見て学生も一緒に学んでいくというのが基本理念の意味だと辻校長は語る。

 それ故、プロフェッショナル教育を行うために重視しているのは教員FDだと辻校長は強調する。「これまでも教員を世界に出向かせ、フィールドワークを通して身体で覚えた味・所作を知識として教育に落とし込む。それをフランス、イタリア、中国、日本、製菓・製パン全てで行ってきた。ここが我々の最も強いところ」と辻校長は胸を張る。こうした経験を知見・知財として学校に蓄積してきた。身体化したものをいかに言語化しレシピ化するのか、つまり、暗黙知をいかに形式知に転換してカリキュラムに落とし込むのか。これはまさに、辻 静雄氏が常に拘り続け、実践し続けていた問いだ。料理技術で日本が世界トップになった今、海外に拘らずとも日本にいながらにして技術や情報を学べるようになったが、以前は教員が2年ほどどっぷりと現地に滞在してくる例も少なくなかったという。

 辻校長自身、今でも職員の顔を見れば「FD、FD」と口酸っぱく言うそうだ。一般に、専門学校は外部から実務教員を動員して最新の実践的知識を導入し、教育を行うことが多い。辻調のように専属教員を相手に熱心にFDを行う専門学校は稀有だ。そもそも静雄氏自身が、外からプロを連れてきて単に現場の技術を教授して学費をとるような学校であってはならないと考えていたそうだ。辻調では、ただ教える・与えるだけでなく、学生の可能性を引き出す職業教育を追求してきたと辻校長は言う。そのためには、専門学校にも研究機能が必要というのが基本的姿勢だ。辻調が設立当初から調理研究を重視してきたのは既に見た通りだ。加えて、近年は食品衛生管理に関するHACCP(ハサップ)やジビエに関する知識も求められるようになっている。1970年代から連綿と受け継いできた教員研修の伝統は今も生き続けている。

業界連携と海外展開で進める教育の質向上

 結局のところ、辻調は職業教育において、本物を教える、本物を見る、本物を知るという「本物との接点」を大切にしてきたと言えそうだ。そんな拘りを常に学生にも教えてきた効果が出ているのではないか。例えば、地方で人一倍手間と時間をかけて作られた料理に出会うと、それを手掛けたのが辻調の卒業生だったということも少なくないと辻校長は述べる。華やかにスポットライトを浴びているというよりも、それぞれの持ち場で拘りを持って活躍している学生が圧倒的に多いように感じるという。

 学校として成功できているか否かをみる指標として重視するのは「質」だと、辻校長は強調する。ここでいう質とは、就職時における学生と就職先とのマッチングだ。飲食業界の求人数は多く、一人あたり7~8件の求人があるなか、学生と企業とのマッチングを行うのは容易ではない。だからといって、学生にいい加減な就職はさせられない。良いマッチングを実現するために、学生の成績評価と企業評価について指標化を進めているという。企業には求人票と併せて「従業員育成プラン」をつけてもらい、それに企業評価を重ね合わせて分析することで、学生の志向性や成績評価とのマッチングを行う。さらに、業界との連携として「教育課程編成委員会」を設置し、食の専門家をお呼びしてカリキュラム改革に関する意見交換を行っているそうだ。業界と密接な距離を保つことが辻調の職業教育のレベル向上に大きく貢献していると言える。

 他方、海外展開も辻調の教育の質向上に役立っているようだ。辻調は、2012年にタイ・バンコクにあるデュシタニ・カレッジと教育連携協定を締結し、日本料理学科を設置して今年で5年になる。さらに、アメリカ・ニューヨークのTheCulinary Institute of America(CIA)には、2016年9月にプロトタイプとなる日本料理講座(Advanced Cooking:Japanese Cuisine,約3カ月間)を開講し、今年9月には正式な学科になる予定だ。加えて、韓国の二つの学校と教育連携を結んでもいる。教員が相互に往来して授業を行う。

 ただ、必ずしも独自で海外進出しようとしているわけではない。その国の地域性や国民性を理解したうえで、どう教え、何を達成するのか見通して教育を行う責任が学校にはあるからだ。むしろ国際展開は、日本料理を教える神髄とは何かを再考し、カリキュラムの国際通用性を高め、教員FDを進める好機になっているという。

 辻校長は、グループ発展・展開の軸をとにかく「教員FDに尽きる」と強調する。そのためには食を対象にした幅広い研究機能も重要であり、技術者は技術修得のみならず、研究マインドを持つべきという言葉も印象的だ。日本の職業教育が大きく変わろうとするなか、その先頭には今後も辻調の姿があるに違いない。

(杉本和弘 東北大学高度教養教育・学生支援機構教授)



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