大学入試は、企業の採用面接から何を学べるか【最終回】 ルーブリックはどのように有益なのか 濱中淳子

ルーブリックに込められる期待

 面接試験をめぐっては、しばしば次のような問いが投げかけられる──「評価に入り込んでしまう面接者の主観について、どのように考えればいいのか」「ばらつく面接者の評価を安定させることはできないか」。

 そして、このような問題への対応策として、ルーブリック(Rubric、評価基準表)に着目する大学も出始めているようだ。面接で引き出した話をもとに、「この受験生は当事者意識も高く、周りを巻き込もうと積極的に動くことができていたから、『主体性』は5点」「この受験生はある程度自分の考えを伝えようと努力していたから、『主体性』は3点」「この受験生は基本的に周囲に頼りながら行動しており、流されるところが多いようなので、『主体性』は1点」等と得点づけ、合否判定に用いる。そもそもルーブリックは、思考力や判断力といった能力の育成を助けるツールとして教育現場で活用されるようになったものである。ルーブリックを見ながら目指すべき段階並びに現状を子どもたちと確認し、やるべきことの具体的イメージを持たせるというのが、典型的な使い方だ。育成のための道具が選抜場面にも浸透するようになった。そのように表現することもできるだろう。

 育成と選抜の違いに関して、今少し慎重になっておく必要はあるかもしれない。ただ、「何らかの判断基準が欲しい」「評価のブレを制御したい」「何がどのように評価されるのかについて、受験生と事前に共有しておきたい」といった考えから、選抜にルーブリックを導入しようとする力学が働くのは、ごく自然な流れであるようにも思われる。何より現行の推薦入試やAO入試は、その多くが試験実施から合否判定までを短期間で行っている。限られた時間での判断を強いられているがゆえに、評価のための道具を切実に求めるようになるという側面もあろう。

 この連載では、企業の採用面接を手掛かりに、大学入試における多面的・総合的評価への示唆を抽出しようと試みてきた。連載のラストに当たる今回は、「ルーブリックの効果」について検証することにしたい。採用面接においてルーブリックを重視している企業もあれば、そうでない企業もある。では、その効果はどのように表れているのか。面接にかけることができる時間(回数)との関連性をどのように見定めればいいのか。ルーブリックの威力を発揮させるための条件のようなものはあるのか。以下、順を追って見ていくことにしよう。

ルーブリック活用状況の実際

 始めに、企業の新卒採用面接現場で、どれくらいルーブリックが使われているのか、データの分布状況を紹介しておこう。

 調査では、「あなたが担当した面接では、採点基準表(ルーブリック)は使用されましたか。また、使用されていた場合、その基準表から計算された数値は、判断の基準としてどれほどの重要性を持っていましたか」という文言で質問したが、その回答分布を示せば、「かなり重要な基準として使われた」10.9%、「やや重要な基準として使われた」38.9%、「重要な基準として使われなかった・使用されなかった」50.3%となる※1。ただ、この分布は、内定を出すまでの面接回数がどれぐらいかによって大きく異なるものでもあった。「かなり重要な基準として使われた」と回答した者の比率を取り出せば、内定までの面接が1回だという企業関係者の場合は9.4%、2回だという関係者の場合9.1%、3回だという関係者の場合8.6%といずれも1割弱の値を示す一方で、4回以上の面接を課すという企業関係者の値は21.3%。じっくりと丁寧に選抜しているところは、評価基準に関しても力を入れているようである。

 では、こうした「ルーブリックの位置づけ×面接回数」という組み合せを用いながら、さらに「勤務先の採用面接に対する評価」を見た場合、どのような結果になるだろうか。単純に考えれば、優れた道具を用いながら時間をかけた面接を実施できているところほど強いとも推察されるが、結果を確かめれば、図表1のようになった。ここからは、内定まで4回以上の面接を課すところでは、もはやルーブリックに目立った効果が見いだせないことが読み取れよう。なるほど、時間の長さによって、道具をめぐる違いはかき消されてしまうようだ。

 他方で、ルーブリックの効果が如実に表れているのが、数少ない面接で選抜を行っている企業である。内定までの面接が1~2回であっても、ルーブリックを「かなり重要な基準」としているところは、9割以上が「(勤務先企業の採用面接は)うまくいっている」と回答しており、「やや重要な基準」「重要な基準として使われなかった・使用されなかった」という企業関係者の回答との間に大きな距離を見ることができる。


図表1 面接回数別に見た「ルーブリックの位置づけ×勤務先採用面接評価」


活用のための条件

 面接の回数や時間に制約があるところにこそ、ルーブリック活用の意義がある。これは、面接回数問題に直面している大学関係者にとって注目される結果ではなかろうか。

 ただ同時に、図表1の結果には「ルーブリック活用のための条件」とでも呼べるようなものも示されていることは強調しておきたい。つまり、ルーブリックに意味を持たせるには、「やや重要な基準」程度ではなく、「かなり重要な基準」だと言えるようになるまで磨き上げる必要がある。そのレベルにまで磨き上げなければ、とりわけ面接が1回のみの選抜では、道具を用いる意義は大きく減退する。

 そして、この磨き上げのために必要となるのが、連載2回目で扱った「人材像」の追求という作業である。調査では、前回の分析で用いた人材要件関連の質問以外にも、求める人材像について、いくつかの側面から尋ねている。例えば、勤務先で歓迎される人材について、次のような対照的なタイプ(AとB)を示し、現状を4段階尺度(Aに近い-ややAに近い-ややBに近い- Bに近い)から選んでもらうといったものだ。

  • A:ルーティンとなっている仕事を正確にこなす人材
    B:仕事のやり方について、抜本的な改革を提案できる人材
  • A:空気を読んで円滑な人間関係を築くことができる人材
    B:論理的に相手を説得することができる人材
  • A: 下手に専門性を獲得していない「白無垢の花嫁」状態の人材
    B:既に高い専門性を獲得している人材

 この回答分布とルーブリックの位置づけとの関連性を分析すると、「A(orややA)」と「B(orややB)」のどちらを選択するかではなく、「A(orB)」と回答するのか、「ややA(orややB)」と回答するのかによって、ルーブリックに担わせる役割に違いがあることが見えてくる。前者「A(orB)」のほうが後者「ややA(orややB)」よりもルーブリックを重視しており、逆に言えば、よほど強く人材像を自覚しなければ、効果的なルーブリックを作成することはできないということだ。

 さらに言えば、面接者個人のレベルでも、ルーブリックを使いこなすための条件がある。図表2を見てもらいたい。これは、採用面接経験の状況別に「ルーブリックの位置づけ×人を見る目に対する自己評価」の関係を示したものである。経験を積んでいる者の折れ線が上側にあり、人を見る目は経験によって育つことに気づかせてくれる結果だが、同時にこのグラフからは、ルーブリックを使いこなすためにも経験が必要だということが明らかになる。面接経験を積んでいない者のグラフは平坦であり、ルーブリックがあろうとなかろうと、どのようなルーブリックが作成されていようと、人を見る目への影響を確認することはできない。

 面接を実施する組織も、面接に当たる担当者個人も、それなりの議論と時間、経験を積まなければ、納得がいく面接へとなかなかたどりつけない。ルーブリックといった道具に力を持たせることができない。それが現実であることをデータは示しているように思われる。


図表2 ルーブリックは「人を見る目」の自信を高めるか、図表3 面接経験別に見た大学入試への意見


結局は「地道な努力」が鍵

 さて、本連載では、企業の新卒採用を糸口に、多面的・総合的評価を構築するためのヒントを探ってきた。人材要件に見る「求める学生像」への示唆(第2回)やルーブリックの意義(第3回)──質問紙調査データによる実証分析からは、これまで提示されたことがない知見が抽出されたように思う。

 ところで、質問紙調査では、新卒採用面接担当者である回答者達に、2つの観点から大学入試に対する意見も尋ねている。(1)大学に進学するのなら、学力試験を受けるべきだ、(2)推薦やAO入試では、能力をきちんと判定することはできない、それぞれについて4段階尺度(非常にそう思う-ややそう思う-あまりそう思わない-まったくそう思わない)で回答してもらっているが、最後にやや衝撃的だったその分布を紹介しておこう。

 図表3は、「非常にそう思う」と回答した者の比率を、面接経験別に示したグラフである。ここからは、面接を積んでいる者こそ、大学入試は学力試験でやるべきであり、推薦・AO入試には限界があることを強く主張している様相がうかがえる。

 18歳という段階では相手の本質は分からないし、判断すべきではないと考えているのか。あるいは、基礎学力や学力試験に価値を見いだしてのことなのか、面接担当者としての大学教員の資質を疑問視しているのか。ほかにも理由は挙げられようが、そうしたなか、この結果を「人物評価はそれだけ難しいのだ」というベテラン層からのメッセージだと受け取ることもできよう。

 調査では自由記述欄として、面接試験を取り入れつつある大学へのメッセージ・アドバイスを記載してもらう枠を設けた。以下は、そこに寄せられた声のひとつである。内定まで30分という時間の面接を、ここ3年間毎年5人に実施している男性のものだ。

 面接対策が過剰に発展しすぎて、個人の特色が見えず、必要な人材が取れなくなっている可能性がある。学生にとっては酷かもしれないが、定型文のみを返すような面接は企業側としても意義がないと考えている。採用担当者も、学生の個性を見抜くために苦慮している。恐らく入試を担当している大学教員も同じような問題を抱えているのだと思う。本質を見抜く努力を行い、必要な人材が集まるような面接を作っていってほしい。(情報通信業、従業員規模501~1000人、40代)

 面接を含め、どのような評価方法であろうと限界はある。詰まるところ、広い視野を持ちながらも、様々な言説に踊らされることなく、冷静に模索を続けていくしかないのだろう。大学だけではなく、企業も苦慮しながら努力を続けている。

 当たり前のことを唱えているだけのように聞こえるかもしれない。取るに足らない結論だという見方もあろう。しかし、ここ最近の入試改革論議を見ていると、むしろこうした素朴で愚直な主張にこそ、新鮮な響きがあるように思われるのである。


  • 「分からない」と回答した129人を除く度数分布である。

(文/濱中淳子 大学入試センター)


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