社会を見据えた教育の実現に向けて原点に立ち返る/九州産業大学
晩春から初夏へと移り変わろうとする暖かな頃、磁器を思わせる乳白色の雲、抜けるような青さの空、新緑の山々を背景に、新入生を一生懸命、部活動やサークル活動に勧誘する学生であふれかえったキャンパスを想像してほしい。この世代の若者に特有の活気でみなぎるキャンパスの姿。これを目の当たりにできるのは、きっと大学に関わる者がこの季節に享受できる特権であろう。
ところで、この光景は、今回取りあげる九州産業大学を訪ねた際に実際に目の当たりにしたものだが、この光景の裏には大変な苦労を伴う改革と、それを立て続けに成し遂げ、また、尽力した人達の姿がある。
キャンパスにあふれる学生の活気の裏には、果たして何があったのか。そのストーリーを聞くために、九州産業大学松香台キャンパスに、山本盤男学長、藤原敦大学改革推進室長を訪ねた。
九州産業大学の置かれた状況
九州産業大学は、福岡県福岡市にある、9学部21学科、5研究科を擁する総合大学である(2017年7月現在)。1960年に商学部の単科大学としてスタートした九州産業大学は、本誌刊行現在で、経済学部、商学部(第一部、第二部)、経営学部、国際文化学部といった文系学部、理工学部、生命科学部、建築都市工学部といった理系学部、そして、芸術学部を抱えるまでに至っている。
「産学一如」を建学の理想に掲げ、その時々で上述の学部を設置しながら、50年以上の長きにわたって福岡及び近隣県の子弟に教育を提供してきた。産学一如とは、「産業と大学は車の両輪のように一体となって時々の社会のニーズを満たすべきである」(九州産業大学Webサイト『建学の理想と理念』より)との意だが、九州産業大学の歴史は、まさにここに謳われる通りと言ってよいだろう。実学志向、実践力を追求する九州産業大学だが、その卒業生達への評価は“現場で頑張っている”というものであり、「現場に強い九産大生」約12万人(山本学長)を輩出してきた。
しかしながら、2010年の年末に学長職に就いた山本学長には、九州産業大学の状況に対して危機感があった。低迷していた志願者数、就職(決定)率の低下…。幾つかの学部学科に至っては、定員割れも起きていた。こうした各指標は、地元の高校や企業から九州産業大学に投げ掛けられるまなざしを暗に示していた。
学外のみならず、学内においても、決して良いことばかりではない状況にあることが窺われていた。高い除籍・退学率、文系学部に偏る学生数、提供する教育の違いの見えにくさ、女子学生の少なさ…。
“2018年問題”が言われ出した当時、山本学長が抱いていた危機感は、「このままではこの大学は潰れる」という厳しいものであった。そして、こうした状況は、2012年に行ったステークホルダーを対象とした調査結果からも推察された。危機感は、決して杞憂ではなかったのである。
キャンパス内外に横たわる、見たくない現実をスタートラインに、九州産業大学の改革の物語は始まる。
原点に返る改革
こうした厳しい状況のなかでスタートを切ることになったが、行ったのは原点─「産学一如」─に立ち返る、ということであった。そのときそのときの時代のニーズに合わせて変わってきたが、いつの間にかずれも同時に抱えてしまったことが、周囲からの評価につながっているのではないか…ここでしっかり原点に立ち戻り、ギャップを解消しようというのが、今次の改革の根底にある。
幸いだったのは、実際に行われている教育をつぶさに見てみると、PBL教育を始め、良い取り組みも多々見られたことである。そこで、こうした財産を活かし、教育の中身を学外にもうまく伝えていくことも視野に入れ、学部改組も含んだ教育全般の改革に取り組むこととなった。
当然のことながら、これほど大きな課題を前にすると、法人と大学の双方が有機的に連携しなければ、事は動かない。理事会は、2012年9月に『教育改革の考え方』を策定した。これが、学園全体の教育改革の嚆矢となった。この『考え方』に書き込まれた学部再編と基礎教育の改革に取り組むこととなった。
2013年12月には一ノ瀬秋久理事長からの諮問を受けて、山本学長を長とする、外部有識者も交えた「学園将来構想検討会」が理事会下に立ち上げられた。上に述べたような強みを生かして、どのような未来図を描けるのか。10年先、20年先を見据えた改革内容が検討されたが、その成果は2014年3月に出された『答申』という形で日の目を見る。これが、一連の改革のブループリントとなった。
公式なレポーティングラインとして、この答申は、検討会から大学改革推進本部会議―理事長、理事、学長、副学長、学部長全員が参集する会議―での共有と全学での合意を経て、理事会での了承へと至った。
ただし、公式のレポーティングラインだけで現実は動かないのが、大学組織である。言わずもがなだが、答申ができたからすぐに改革を実行できるわけではない。九州産業大学に集う構成員に答申を理解、共有してもらうべく、対話が積み重ねられた。山本学長自ら各学部に出向き、説明と対話の場を持っている。山本学長の語り口から筆者が察するに、その道のりは険しいものであっただろう。改革は常に賛意で迎えられるわけではないのは、読者諸氏にも経験があることと思われる。本誌192号(「case1 金沢大学」)でも紹介した通り、大きな改革を成し遂げた道のりをふり返れば、その途中には関係者のたゆまぬ歩みと対話がある。『考え方』を示した理事長、これを受けて具体化を図った学長を始めとする執行部、その両者を支えた推進室のメンバーという三者の尽力が、以下で紹介する改革の裏にある。
全学的な再編のあり方─芸術、理工系、文系
さて、全学的な学部再編が数年間にわたって行われた。順を追って見ていこう。
まずは、芸術学部である。九州で類を見ない規模と伝統を誇る芸術学部であったが、大規模な入学定員(340人)だったこともあり、定員割れを起こしていた。2016年4月に再編した際に考慮したのは、近年の情勢に鑑みると対応が必須となっている、デジタルとデザインの要素である(図表1)。また、2017年4月には同一法人の九州造形短期大学を造形短期大学部に名称変更するとともに芸術学部至近に移転し、美術館と併せてキャンパス内に芸術エリアが設けられた。
理工系学部も、2学部を3学部に再編した(図表2)。読者諸氏のなかには詳しい方もおられるだろうが、九州には食品関係の工場・メーカーが多い。新設の生命科学部(生命科学科食品科学コース)では、食品科学を学べるようにしている。新しい食品の開発にとどまらず、食品の製造プラントを作り、実際に作ることまで行う。生産管理の技術も学ぶ。2017年秋には実習用製造プラントが完成の予定であり、教育環境が調う。
また、工学部の一部の学科が、建築都市工学部として再編された。「ニーズの点から…」と山本学長は語り起こしてくれた。九州産業大学を卒業した学生達が就職するような地元の企業では、建築も土木も分け隔てず受注するところも多い。そのため、双方を学んで身につけた技術者でなければ、実は活躍もできない。だから、「両方学べるようなカリキュラムを作っている。住居から国土、空間まで全てを学べる体制を作った」と山本学長は話す。
教育、研究と並んで、大学のミッションの一つに地域貢献が謳われるようになって久しい。しかしながら、出口を見据えて学生を教育することこそがまたとない地域貢献であるというのが、これらの再編に表れている。
組織改革と軌を一にする教育改革
入れ物としての組織の改革は、当然のことながら、そこに入れるものである教育そのものの改革を伴ってこそ、その真価を発揮する。九州産業大学はその学部構成を大きく変えたが、新たな専門教育を載せる土台はどうなのだろうか。どの学部を出ようと、どの分野を学んでも、その大学の卒業生として最低限身に付けるべき共通のものが本当はなければいけないのではないか。
2014年度からは、全学部共通の基礎教育の仕組みである、「KSU基盤教育」がスタートした。導入以前は、学部ごとに行われていた低年次の教養の授業が、全学で統一の枠組みに則って行われるようになった。専門基礎科目、基礎教育科目、外国語科目など、計52単位がKSU基盤教育に割り当てられている。
KSU基盤教育は、一気呵成にというよりも、取組の現状を検証し、今もなお改善に取り組んでいる。直近の成果は、同一名称授業、複数開講科目におけるシラバスの統一である。巨大な総合大学で全学共通の枠組みを実現していくことは、言うは易く行うは難いものの一つであろう。シラバスの統一と書けば7文字に収まってしまうが、これも、責任組織である基盤教育委員会での、秋山 優教務部長を始めとするメンバーの多大な尽力によって成し遂げられている。
前節までで見てきた専門教育の充実とともに、こうした、九産大生として身につけるべき基礎の充実も図られてきたのである。
得られた成果とこれから
ところで、これらの取り組みの成果は、どのように表れつつあるのだろうか。一にも二にも、志願者数の増に表れていることは確認しておかなければならないだろう(図表3)。図表3を見ると、2012年度あたりを境に、V字回復を果たしていることが見て取れる。とりわけ理工系については、2017年度入試で学部志願者が前年度の2378人から3497人まで飛躍的に伸びた。芸術学部・造形短期大学部についても、双方の入学者の漸増や、造形短期大学部から芸術学部や理工学部への編入学が増えつつある等、「シナジー効果が出てきている」(山本学長)。
教育改革の成果も、単位修得率の向上などに少しずつ表れつつある。変化はそれだけにとどまらない。藤原室長が語ってくれた兆しは、「基盤教育の授業を通じて学部を超えて学生が交流するようになった」ことである。学部の独立性が高く、まるで複数の単科大学がキャンパス内に同居しているかのようなかつての状況から、名実共に総合大学として生まれ変わった。学習するコミュニティーとしての九州産業大学を支える基盤としての役割を、文字通り、KSU基盤教育は担いつつある。
志願者増加や単位修得率の上昇、学生の交流といった学習するコミュニティーとしての充実が奏功したのか、就職率も6年連続で上昇した。かつて、山本学長が抱いた危機感の原因となった各指標が上向き始めている。
それでは、次の一歩はどこに踏み出されるのだろうか。これほどの大改革である。並々ならぬリソースがつぎ込まれただろうことは想像に難くない。さすがに一息つく、と思われるが、九州産業大学は立ち止まることをしない。山本学長は、2018年度に予定している文系領域の再編(図表4)についても語ってくれた。商学部と経営学部の統合再編による新構想の商学部、地域共創学部と、新分野を含む人間科学部(2018 年4月開設予定(認可申請中))が新たに設置される予定である。地域共創学部は観光学科と地域づくり学科の2学科を擁するが、福岡が観光都市であること、国内でも珍しい人口増地域であることを思い起こせば、その改組の意図はおのずと伝わるものがあるだろう。他方で、その地域づくり学科では、経済学部夜間主コースと商学部第二部が社会人に教育機会を提供してきた伝統を引き継ぎ、昼夜開講の仕組みを採り入れている。これから予定されている改組にも、これまで満たしてきたニーズ、これから満たすべきニーズが考慮されており、まさしく「産学一如」の精神が息づいていると言える。
学生アンケートでの満足度も上昇傾向にある。第一志望の学生も増えた。何よりも、入学生から「入ってみてイメージが変わりました」との声が寄せられるようになってきたことが、最大の成果であろう。提供された教育の質は、本当のことしか語れないからだ。活気はこれまで駆け足で紹介してきた、こうした変化に裏打ちされている。その根底には、法人、大学の組織を問わず、また、教員、職員の立場を問わず、自分の役割のなかで、それぞれに社会を見据えながら、そのニーズを満たそうとする人達の努力が基としてある。
(立石慎治 国立教育政策研究所高等教育研究部 研究員)
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社会を見据えた教育の実現に向けて原点に立ち返る/九州産業大学