大学を強くする「大学経営改革」[73] 「働き方改革」は大学運営の在り方を問い直す好機 吉武博通
働く人の視点に立った労働制度の抜本的改革
国は、2016年9月に内閣総理大臣を議長とし、関係閣僚、経済界・労働界トップを含む民間議員で構成する「働き方改革実現会議」を設置し、10回の審議を重ね、2017年3月に「働き方改革実行計画」(以下「実行計画」)を決定・公表した。
この決定を受けて、関係審議会において関連法案の国会提出に向けた審議が行われたが、2017年9月の衆議院解散により、本稿執筆時点では法案提出に至っていない。しかしながら、政労使一体となった議論により実行計画が決定されたことの意味は重く、働き方改革実現に向けた動きが止まることは考えにくい。
2017年8月の完全失業率2.8%、有効求人倍率1.52倍、新規求人倍率2.21倍という数字が示すとおり、1995年をピークに生産年齢人口(15歳以上65歳未満)が減少を続ける一方、緩やかな景気回復基調が続く中、人手不足感が高まりつつある。有効求人倍率はバブル期最高の1.46倍を超える。
2017年7月に内閣府が公表した『平成29年度年次経済財政報告』においても、「労働供給の停滞が成長制約となる可能性があるため、潜在的な労働供給の活用に加え、限られた労働力の効率的な活用に向けた取り組みが重要である」(同報告27頁)との指摘がなされている。
既に、人材確保に苦しむ介護・福祉分野や中小企業、閉店や営業時間短縮を余儀なくされるサービス業、運賃値上げを進める運輸業など、人手不足は様々な事業者に深刻な影響を与え始めている。
一方、労働者にとって、長時間労働の解消、仕事と生活の両立、多様な働き方の選択などはかねてからの課題であり、現下の状況はこれらを実現する好機でもある。
このように働き方改革には、国の経済成長、企業の競争力・収益力、個人の働き方・暮らし方という3つの側面があり、生産性の向上を通して一体的にこれらをより良き方向に向かわせようとの意図が示されている。
働き方改革実現会議で検討された9つの改革テーマ
働き方改革実現会議では、以下の改革テーマについて、具体的な方向性を示すための検討が行われた。
そのテーマとは、①非正規雇用の処遇改善、②賃上げと労働生産性向上、③長時間労働の是正、④柔軟な働き方がしやすい環境整備、⑤病気の治療、子育て・介護等と仕事の両立、障がい者就労の推進、⑥外国人材の受入れ、⑦女性・若者が活躍しやすい環境整備、⑧雇用吸収力の高い産業への転職・再就職支援、人材育成、格差を固定化させない教育の充実、⑨高齢者の就業促進、の9つである。
大学運営にも関わりが深いと考えられるテーマについて、その要点を整理しておきたい。
1つめの「非正規雇用の処遇改善」は、「同一労働同一賃金」の原則に従って、同一企業・団体における正規雇用労働者(無期雇用フルタイム労働者)と非正規雇用労働者(有期雇用労働者、パートタイム労働者、派遣労働者)の間の不合理な待遇差の解消を目指すものであり、基本給、各種手当、福利厚生や教育訓練の均等・均衡待遇の確保と派遣労働者の取り扱いについて、ガイドライン案が示されている。
3つめの「長時間労働の是正」は、現在36協定で締結できる時間外労働の上限(原則月45時間以内、かつ年360時間以内)を厚生労働大臣の限度基準告示で定めているが、罰則等による強制力がない上、労使が合意して特別条項を設けることで上限なく時間外労働が可能となっている。このことから、告示を法律に格上げして違反に罰則を課すとともに、臨時的な特別の事情がある場合として労使協定を結ぶ場合でも、上回ることができない時間外労働時間を年720時間(=月平均60時間)とするものである。このほかに、勤務間インターバル制度導入に向けた環境整備なども示されている。
4つめの「柔軟な働き方がしやすい環境整備」では、雇用型テレワークのガイドライン刷新と導入支援、非雇用型テレワーク(雇用契約によらない働き方)のガイドライン刷新と働き手への支援、副業・兼業の推進に向けたガイドラインや改定版モデル就業規則の策定等が示されている。
5つめの「病気の治療、子育て・介護等と仕事の両立、障がい者就労の推進」では、治療と仕事の両立に向けた主治医、会社・産業医、両立支援コーディネーターのトライアングル型サポート体制の構築、子育てと仕事の両立に向けた待機児童解消、病児保育や延長保育など多様な保育の提供、放課後児童クラブの受け皿整備、介護離職ゼロに向けた介護支援の充実、多様な障がい特性に対応した障害者雇用の促進と職場定着支援等が示されている。
7つめの「女性・若者が活躍しやすい環境整備」では、個人の学び直しへの支援として、大学等における職務遂行能力向上に資するリカレント教育を後押しするための教育訓練給付の拡充、土日・夜間、e-ラーニング、短時間でも受講できる大学等の女性リカレント教育講座の開拓、大学の再就職支援機能の強化が示されている。また、多様な女性活躍の推進、就職氷河期世代や若者の活躍に向けた支援・環境整備などの課題も挙げられている。
合理的説明が可能な人事制度設計が不可欠
大学も多くの就業者に働く場を提供している。大学と短大を合わせると本務者教員・職員合計で43万8000人にのぼる(文部科学省『平成29年度学校基本調査』より)。さらに本務者以外の教職員も多く、これらの人々の貢献なしに大学の運営は成り立たない。
これらの教職員が仕事と生活を両立させつつ、その能力を高め、教育研究活動と経営の高度化に積極的に貢献しない限り、個々の大学の競争力は高まらないし、高等教育全体の将来を描くことも難しくなる。
特に、「非正規雇用の処遇改善」は、教育研究の基盤に密接に関わるテーマであると同時に、経営面でも難しい対応を迫られる問題である。
教育研究の高度化、学生支援の充実、グローバル化、社会貢献など大学の業務が増加する一方で、国公私立を問わず多くの大学において人件費抑制を余儀なくされるなか、非正規雇用の教職員への依存度を高めているのが大学の現状である。競争的資金へのシフトも有期雇用の教職員の増加をもたらす要因となっている。
このような状況において、2013年4月施行の改正労働契約法により無期転換ルール(有期労働契約が反復更新されて通算5年を超えたときは、労働者の申し込みにより、期間の定めのない労働契約に転換できるルール)が法定化され、2018年4月には無期転換の申し込みが本格化することが予想されている。
大学等の研究者・教員については、2014年4月に無期転換申込発生権までの期間を10年とする特例が設けられたが、無期転換ルールに対する大学の対応方針が不当な雇い止めにあたるとの指摘がなされる等、混乱も生じている。
同一労働同一賃金の実現による非正規雇用の処遇改善については、2016年12月に政府により「同一労働同一賃金ガイドライン案」が示され、これに沿って立法に向けた準備が行われているが、大学においても、ガイドラインに対する理解を深めながら、非正規雇用の教職員に関する人事施策の検討を加速させる必要がある。
その際に重要なことは、正規か非正規かに関わらず、期待する役割、付与する職務、求める能力などを明確にした上で、処遇条件との対応関係を含めた人事制度を合理的説明が可能な形で設計することである。
業務実態の正確な把握と改善活動の持続・定着
長時間労働の是正も大きな課題である。勤務時間の実態は大学によっても部署によっても異なり、個人間の差も大きいものと思われる。また、教員と職員では業務の性格が大きく異なる上に、裁量労働制の適用の有無もあることから一括りに論じることは難しい。
しかしながら、長時間労働の常態化が仕事の効率と質の低下をもたらし、疲労の蓄積を通して心身の健康に影響を及ぼし、仕事と生活の両立を困難にするという点は、職種を超えた共通の問題として認識しておく必要がある。
ヒト、モノ、カネ、情報という4つの経営資源のうち、例えばモノとしての機械には性能があり、カネには金額という価値があり、ともに数値でその投入量を把握することができるが、ヒトの能力は数値などにより客観的に表すことができない。その結果、貴重な資源を遊ばせることもある一方で、能力を超えて使い過ぎる危険性もある。
重要なことは、教員か職員かに関わらず、業務実態を正しく把握することである。職員については上司にその責任があるが、人事部門が全学的な視点で負荷状態をモニタリングすることも必要である。教員については職員と併せて年に一回程度アンケート調査を行う等して、業務実態を把握することが望ましい。
その上で、生産性向上を目指し、無駄な仕事をやめる、仕事を標準化する、AIを含む情報技術を活用する、時間による評価から成果による評価にシフトする、個々人の職務遂行能力を高める、といった取り組みを徹底し、息の長い活動として定着させることが重要である。
政府が進める働き方改革は法規制など労働制度面での対策が中心となっているが、現場レベルで必要なことは、業務実態の正確な把握と改善活動の持続・定着である。
長時間労働の問題を解消しない限り、治療と仕事の両立、子育て・介護等と仕事の両立、外国人材の受け入れ、女性の活躍促進、高齢者の就業促進のいずれも実現困難である。長時間労働の是正は働き方改革全体の成否の鍵を握っているといって過言ではない。
多様な働き方が選択できる職場をどうつくるか
教職員に柔軟な働き方を含めて多様な選択肢を提供し、個人の置かれた状況やキャリアに対する考え方に基づき働き方を選択できる仕組みを整えることも、大学をより一層働きがいのある職場にしていくために必要になってくるものと思われる。
多様な働き方ができる人事制度を導入する企業も着実に増えている。その一例としてグループウェア事業を展開するサイボウズの取り組みを同社のホームページの情報に基づき紹介する。
サイボウズは1997年創業、従業員516名、売上高80億円(いずれも連結ベース)の東証一部上場企業である。
同社は2005年に離職率が28%と過去最高を記録したことを契機としてワークスタイル変革に取り組み、離職率を4%以下に低下させることに成功した。
多様な働き方を可能とする制度として、2006年に最長6年間の育児・介護休暇制度、2007年に個人の事情に応じて勤務時間や場所を決めることができる選択型人事制度(現在は9種類から選択)、2010年に在宅勤務制度、2012年にウルトラワーク、育自分休暇制度、副業許可、2014年に子連れ出勤制度を導入するなど、社員同士で議論を重ねながら人事制度をつくりあげてきた。ウルトラワークは選択した働き方と異なる働き方を単発で行うことのできる制度であり、育自分休暇制度は35歳以下で自分を成長させるために退職する社員を対象として、最長6年以内なら復帰可能とする制度である。
「100人いたら100通りの働き方」があってよいとの考え方に基づいた取り組みであり、上述のような「制度」、情報共有クラウドなどの「ツール」、多様性重視・個性の尊重などの「風土」という3つの要件があってこそ実現できるとしている。
同社は「働きがいのある会社ランキング※」に4年連続ランクインするなど、社会的な注目度も高い。
大学は「選ばれる職場」であり続けられるか
サイボウズが導入した制度が大学に相応しいかどうかは各大学の事情に応じて判断すべき問題だが、個々の社員が会社で働くことに何を求めるかということに重きを置き、それに応える選択肢を可能な限り用意しようと考える姿勢は学ぶべきであろう。
生産年齢人口の減少が続くなか、将来にわたって「選ばれる職場」であり続けることは、大学を持続・発展させるために必須の要件となるであろう。
日本の多くの組織は、新卒一括採用と長期雇用を前提に、組織が求める働き方によって組織に貢献することを重視してきた。組織に対する強い忠誠心、人材育成に関する高い意識、ボトムアップの風土などにより若手人材の成長が促された面もあり、組織と個人の両者にとって有効だった面も少なくない。
しかしながら、企業、官公庁、大学を問わず、組織を取り巻く環境変化とグローバル化が加速するなか、国境を超えた人材獲得競争も激化しつつある。
働き方は個人に選択させ、組織は個人にどのような役割と成果を期待するかを明確に示す。その上で対話を通して成果の公正な評価を行いながら組織と個人の信頼関係を築く。これからの組織と個人の関係はこのような方向に向かうのではなかろうか。それによって様々な背景・経験・能力を有する多様な人材を集めることができる。
国が進める働き方改革は労働者保護の性格が強く、雇用の流動化による成長分野への人材移動の促進などの点で不十分との指摘もある。一方で、雇用の流動性を高めることは、雇用の安定を損なうことにもつながりかねず、労働組合からの根強い反対もある。
その意味でも、働き方や労働市場がこれからどう変わるか見通せない面もあるが、選ばれる職場、働きがいのある職場を目指した改革は進めなければならない。
本稿では、働き方改革について主として大学運営の視点から論じてきたが、教育面においても検討すべき課題は多い。
働き方改革が目指すものは、一人ひとりがその意思、能力、事情に応じて多様な働き方を選択できる社会である。学生には、その意味を十分に理解させ、主体的・自律的にキャリアを設計できる能力を身につけさせなければならない。
また、個人の学び直し、再就職支援、第4次産業革命に対応した知識・スキルの育成など、社会的要請の多様化に対応した教育機能の拡充にも取り組んでいかなければならない。
働き方改革は教育改革を加速させ、大学の存在価値を社会に示す好機でもある。
※ Great Place to Work® Institute Japan
(吉武 博通 公立大学法人首都大学東京 理事)