徹底した市場調査をもとに学園の経営・教学改革/大阪成蹊大学
大阪成蹊大学は、大阪市東淀川区相川に、2003年に開学した新しい大学である。だが、母体となった大阪成蹊女子短期大学(現・大阪成蹊短期大学)は、1951年以来の歴史を持ち、学園の起源は1933年の女学校創設にさかのぼる。その高等成蹊女学校は、13名の生徒から始まった(学制改革で、1948年に大阪成蹊女子高等学校)。
2018年に創立85周年を迎えた学校法人大阪成蹊学園は、大阪成蹊大学、びわこ成蹊スポーツ大学、大阪成蹊短期大学を中心に、幼稚園から大学院まで、7000人以上が在籍する学園に発展したが、一時は経営的に厳しい時期も経験した。過去9年ほどの間、「建て直し」とも言える諸改革を断行してきた石井茂理事長・総長(以下、石井理事長)に、その経緯と今後の展望をうかがった。
大学開学後の危機の克服
大阪成蹊大学(当初は現代経営情報学部、芸術学部)はびわこ成蹊スポーツ大学(スポーツ学部。滋賀県大津市)とともに、2003年に開学した。
芸術学部(京都府長岡京市)は、成安造形短期大学(2002年、京都成安学園より大阪成蹊学園に設置者変更)の改組転換によるもの。また、現代経営情報学部(相川キャンパス)は全く新しい分野であったが、両学部の校地が分かれている制約もあって、完成年度までは学園全体の学生・生徒数が増加するものの、そこで頭打ちとなり、その後減少傾向に転じた。
大阪成蹊大学と短期大学、高校は、2009年度時点で入学定員未充足だった。学園の単年度 収支は赤字になり、手持ち資金(現預金及び特定資産残高)も減少し、在籍者数が減り続けることへの不安感、学園存続への強い危機感が生じていた。
その状況下で、学園の建て直しに乗り出したのが、石井理事長であった。関西の地方銀行の副頭取を退任し、銀行グループ子会社の社長を経て、2010年1月に学園に招聘されると4月から理事長に就任する。
2009年度、大学の入学定員は合計420人、現代経営情報学部(200人)と芸術学部(220人)の2学部体制だった。それが2019年度では、マネジメント学部(2011年に名称変更。240人)、芸術学部(190人)、教育学部(180人)の3学部体制となっている。学部の全入学定員も約1.4倍へと拡大した。一時は5割強だった入学定員充足率も、2014年度から100%を超え、この9年で入学者数は約2.9倍に、志願者数は約5.7倍に増加している。見事なV字回復を遂げたというほかはない。(図1)
教職員の面談から始めた学園再建の断行
高度経済成長期に関西の銀行に入行後、主に企画・人事畑を歩んだ石井理事長は、バブル経済崩壊後、企画部長として不良債権処理、財務内容改善等銀行再建に取り組んだ。確かなマーケット調査を前提に、「マーケットに応じた資源の配分ができているか」の重要性を痛感する。
退職後、銀行の取引先だった学園に着任すると、市場予測等環境認識、リーダーシップ、財務管理等において、銀行での仕事の進め方との大きな違いを感じる。非効率な不動産投資、女子の進学希望先分野と大学の開設分野のミスマッチ(短大の幼児教育分野を除くと併設高校からの内部進学は皆無に近かった)等、課題は多かった。
石井理事長が、学園に来て最初に実行したことが、教職員の面接であった。学外の先生を含めて、3カ月半で250人と面談を行う。さらに、財務等データ・資料を読み込み、分析。仮説を立て、何が悪いかを考えた。銀行時代に企画部門や人事部門等で仕事を共にしてきた有能な人材2人を呼び寄せ、再建構想を練った。長年に亘る女子教育や教育者・保育者養成の伝統と実績や、当時の教育課程や教員配置の特長等から、大阪成蹊学園の持つ長所を洗い出し、既存学部、学科の改組の方向性を明確に描いた。
そしてまず、キャンパスの雰囲気を変えた。挨拶の励行、身だしなみ、地域の自治会と連携した全面禁煙、さらには樹木を整理して、芝生を植える。食堂も改修した。すると、活気がなく退学者も多かったキャンパスの雰囲気はがらりと変わった。その後、理事長・総長、学長のガバナンスが発揮できる組織にするための大改革を行った。この9年間で、学園内に設置した部門・センター・研究所等は実に24に上り、専任の教職員数は200名以上増えた。
戦略的な学部・学科の新設・再編
学部・学科の新設・再編の状況(図2)を時間順に見てみよう。
まず実施したのが、現代経営情報学部の名称変更である。高校生にとって学びの内容がイメージできるよう、2011年度からマネジメント学部へ名称変更した。
次に芸術学部の改革である。2012年度にキャンパスを京都府長岡京市より移転して、大阪市内の相川キャンパスと統合した。京都には「5芸大」があって、「大阪」の名を冠する大学が志願者を集めることは難しいが、移転した今日では大阪市内で唯一の芸術学部である。この移転で、1時間以内に通学可能な高校の生徒数は8万人となり、以前の2倍になった。
2014年度は芸術学部の入学定員を157人に増やす一方、教育学部(入学定員100人)を新設した。短期大学では、早くから保育科(1953年)、初等教育科(1956年)を設置しており教員・保育者養成の長い伝統を持つ。大阪の北摂地域の幼稚園、保育園における卒業生の在籍率は、70%に達するという。その短期大学で培った65年におよぶ教育の実績と伝統を基にした教育学部である。
2015年度には、教育学部の入学定員を120人に増やすとともに、芸術学部3学科を1学科8コースへ再編し、入学定員も177人に増やした。さらに2016年度には、マネジメント学部のスポーツビジネスコースをスポーツマネジメント学科(入学定員90人)へ発展改組した。
創立85周年の2018年度は、学部入学定員を477人から597人へと、再び大きく増やした年だ。マネジメント学部では、スポーツマネジメント学科を110人まで増加させ、新たに国際観光ビジネス学科(入学定員60人)を設置した。なお短期大学においては、1967年以来の国内で最も古い歴史を持つ観光学科も存続。多くの人材を輩出している。
さらに、2018年度は、教育学部教育学科でも入学定員を60人増加させ、180人とした。同時に初等教育専攻(120人)、中等教育専攻(60人)を設けている。大学院教育学研究科(修士課程。入学定員5人)の設置もこの時だ。
2019年度は芸術学部にゲーム・アプリケーションコースを展開し、入学定員は190人まで増加した(びわこ成蹊スポーツ大学も、過去7年で学部入学定員は270人から360人まで増加)。
学園の再生を可能にした進学トレンドの分析と、強みを生かす戦略決定
短期間に、これだけの改組と新増設を行いながら、大阪成蹊大学の入学者数は2012年から増加に転じ、2014年度以降は入学定員も充足し続けている。志願者数も急拡大、2018年度には2000人を超えた。
なぜ打つ手がことごとく成功しているのか。石井理事長は、他大学の「後追い」で新しい学部・学科を作ってきたと言って謙遜するが、確かな市場調査に裏付けられ、理にかなった判断に、結果がついてきたものと見える。
大阪市内はもとより、吹田市や、茨木市、高槻市等大阪府北部の北摂地域も人口が多く、人口密度も高い。教育熱心な土地柄でもある。ここから進学者を確実に迎え入れるために、近隣の高校を定期的に訪ね、生徒の希望進学先の動向について聞き取りを重ねてきた。同時に、大阪府南部にある他の芸術大学とは棲み分けを図る。
他方、併設の女子高校の生徒には年に2回、進路希望の調査を行う。専願の入学者を確保する狙いもある。だがむしろ、在学中の計6回に及ぶ調査を基礎に、彼女たちが進学を希望する分野から、高校生の進学トレンドを知り、学部・学科の新設、短大の改組や4年制化、定員増を行うためのデータとしている。高校からの内部進学率は低い時で26%ほどだったが、今は50%を超えた。女子学生比率は、大阪成蹊大学が60%、短大が97%である事実からも、最も身近にいる併設校の生徒の声こそが、大学・短大の発展戦略を考えるうえで極めて重要な意味を持つ。
「早く動く」ことも重要だ。学科の改組や新増設、定員増等の構想が具体化するまでは2週間ほどである。短い時は1日で決めたこともある。中期計画も、毎月見直すという。時おりほかの学園が、早々に短大を「店じまい」して4大化しても、うまくいかない場合を耳にする。そうした分野の短大進学需要の受け皿として、併設短大の既設分野を大切にしながら改組、並行して4年制でも設置し、女子の4大志向が高まれば徐々に拡大を行う。
併設校の強さも学園の足腰を支えている。大阪成蹊短期大学の入学者数は、全国の私立短大の中で第3位の規模を誇る。2009年度に690人だった入学定員は、2019年度現在で760人へと増えたが、学生募集は堅調だ。2012年度以降は定員割れも経験していない。
大阪府では、女子の短大進学率が1995年度から急減したが、2002年度以降は減少ペースが鈍化し、2012年度からはさらに鈍化した(宮城や福島、長崎、沖縄等、2012年度以降に女子の短大進学率が上昇傾向の県さえある)。底堅い短期高等教育への進学需要には、うまく対応してきた。
さらに、大阪成蹊女子高等学校は規模も大きく、全国の女子高校の中で入学者数は最も多い。大学への内部進学率を高めて、入学者を安定的に確保できることのメリットは大きい。その高校も、石井理事長就任前の2009年は入学者218名であったが、美術科やキャリア特進コースの設置等、様々な改革を行い、2018年の入学者は505名と9年間で2.3倍に増加してきた。
数値ベースで教学改革を検証
きめ細かい市場調査と、迅速な意思決定。それを支える女子高等学校・短期大学という基盤。これらはほかの学園も見習いたい点だろう。加えて、大阪成蹊大学の再生を強力に後押ししたのは、全学的な教学改革の推進であった。
3年前から本格的に取り組んできた教学改革。今では大学、短期大学のそれぞれに20のプロジェクトがあり、若手から中堅、ベテランまで多くの教員・職員が参画する。また、全学的な教学事項を議論し、決定する教学改革会議を開催。幹部教職員及びプロジェクトのメンバーを含む総勢100人が毎月一同に会する。
初年次教育やキャリア教育、教養教育及び専門教育のカリキュラムの抜本的な改革を行うとともに、全授業でのアクティブラーニングを実現。また、シラバスや成績評価、学外連携の推進、ゼミでの研究指導等の、様々な手引きやガイドラインを整備し、年間を通じてFD研修会を開催することで、教育力を高めている。また、新規の教育を企画する学内文化を重視し、プレゼンテーションや英語スピーチコンテスト等様々なコンペティションを教職員が企画するほか、海外で専門性を高めるグローバル・アクティブ・ラーニングプログラムを毎年開発。予算をつけ、入賞者や参加者への奨学金を充実している。
一連の改革は、単に周知に留まらず、目的を全教職員が共有するとともに、実施状況の組織的なチェックと改善指導のプロセスを明確にし、徹底することを重視している。また各プロジェクトでの成果検証は数値ベースだ。こうした改革の結果、学生の授業満足度の平均は4.1点(5段階評価)、1年生の授業出席率は93.3%と高い水準となるほか、入学後1年以内退学者は5年間で半減。正課内外での学生の活躍も顕著になってきた。何より、授業内外で、授業や課題に取り組む学生の顔つきが変わってきた。こうした教育改革の姿勢と、4年間を通じた学生の成長に対する評価が、志願者の急激な伸びにつながっている。
注目される次の一手
首尾よく安定的な発展軌道の上を歩み出した今、学園はどこへ向かうのか。
まず2020年度から、マネジメント学部マネジメント学科を経営学部経営学科に名称変更するとともに、40人の定員増を行い、公共政策コースを新設する予定である※1。国際観光ビジネス学科も20人の定員増、教育学部教育学科初等教育専攻も20人の定員増を行う※1(短期大学では計80人の定員減)。この3月には、新校舎「グローバル館」も竣工となった。相川キャンパスの在学者の総数が増えるにつれて、さらに新しい校舎の建設も視野に入ってくる。
大阪成蹊学園は、毎年のように大小様々な改組や定員増を行ってきた。外部からは一見、目まぐるしい動きに見える。だが実際には、地道な市場調査を積み重ねつつ、「常に変化している」状況を作り出しているのであり、その手法は非常に手堅い。本来やるべきことを、きめ細かく、着実に妥協なくやり遂げる。過去10年の拡大を基礎に、さらに幅を広げ、大きく飛躍する段階へと差し掛かった。
改革をしていない大学は改革をするのが怖い、改革をしている大学は改革を止めるのが怖い。これが、5年経つと大きな差になる。教学においても、ガバナンスにおいても、職員力にも大きな違いが出てくる。
もっとも、大阪府の18歳人口の動向は予断を許さない。2017年度をピークに再び減り始め、2021年度には7万9549人となる。この減少期は2024年度の7万2724人(2018年度現在の中学校1年生)まで続く(2018年度現在の小学校1年生から中学校3年生までの児童・生徒数からの推計。義務教育学校や中等教育学校の在学者を含む)。2017年度からの7年間で、15.1%減という計算だ※2。それに今、どう備えるかが、学園の今後を占う重要なポイントとなろう。次の一手が注目される。
(朴澤泰男 国立教育政策研究所高等教育研究部・総括研究官、編集部)
※1 収容定員変更認可申請中(2019年5月時点)
※2 その後は2030年度の7万1415人まで、ほぼ横ばいで推移する。なお2017~24年度の間、大阪市は2万2789人から13.6%減、堺市は7804人から8.7%減、両市を除く大阪府内では5万5094人から16.7%減と見込まれる(以上は中学校所在地ベースの値であることに注意)。
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