リカレント教育と日本の大学[3]/成長戦略としてのリカレント教育(1)~大学経営の視点から見た社会人マーケット~

リカレント教育③イメージ



 不確実性が高く変化の激しい社会環境、そして人生100年時代で活躍する人材を育成するという観点から、今日本の大学が役割を担うことを求められているリカレント教育。

 また、各大学が策定している中期計画においても、「リカレント教育」は取り上げられている。しかし、多くは「項目名」として扱われているにとどまり、その具体化は今後の課題とされている。そのとき指針として有効なのが、リカレント教育の実施、つまり社会人学習マーケットへの進出を、大学という事業体の「成長戦略」と捉える考え方だ。

 「成長戦略」という言い方、あるいは、本文内で触れる「製品」「技術」「マーケット」「経営資源」という言い方に違和感を抱く読者もおられるかもしれない。確かに、「成長」という言葉が、通常の企業のように売上高や時価総額の拡大を意味するとすれば、非営利の事業体である大学にはふさわしくないだろう。さらに「成長」だけが事業体存続の条件ではないという考え方もありうる。しかし、「成長」という言葉は、社会に提供する価値、貢献の規模の拡大と捉えることも可能だ。そして、どのような環境変化に対しても「建学の理念」を実現し続けるため、「成長戦略」は威力を発揮する。以下に適用する企業経営の考え方は、こうした捉え方を前提にしたものとお考え頂きたい。

◆4つの成長戦略~社会人マーケットへの進出は「多角化戦略」

 ビジネス現場において成長戦略を考える際に使用されるベーシックな枠組みが、自身も事業家であった経営学者・アンゾフのマトリクスだ(イゴール・アンゾフ『企業の多角化戦略』産業能率短期大学出版部 1972年等)。片方の軸に「既存の市場・顧客で頑張る」か「新しい市場・顧客を狙う」かという成長の舞台、もう片方に「既存の製品で頑張る」か「新しい製品を投入する」かという成長の手段をとると、次のような4つの象限のあるマトリクスができあがる。


図表1 経営学者・アンゾフのマトリクス
図表1 経営学者・アンゾフのマトリクス


 それぞれ、大学の場合に即して考えてみよう。

 まずは、「既存の市場・顧客」か「新しい市場・顧客」か。

 大学をはじめとする高等教育機関の多くは、日本に限らず、教育→勤労→引退という「3ステージの人生モデル」における「人生のはじめ」の部分のケアを担うべく設計されている(リンダ・グラットン『LIFE SHIFT』東洋経済新報社 2016年)。「既存の市場・顧客」とは、保護者に扶養されている18歳の高校三年生を示すことになる。少子化に伴い、1992年以降毎年縮小することが確実ではある一方で、所在が明確でほぼ同時に大学進学を検討するため非常に効率的にアプローチを行うことが可能なマーケットである。「新しい市場・顧客」とはそれ以外、本稿で検討する社会人のほか、留学生がまず挙げられる(それ以外にも、教育という事業以外への進出を検討する場合、国や地方自治体、企業等も想定できる)。

 もう一つの軸、「既存の製品」とは、学部・研究科の教育プログラム、及び、課程外の学生活動の場づくりやキャリア支援等といった付帯サービスのことだ。18歳で入学した学生を、昼間キャンパスに集め、卒業・修了=学位付与までのあいだ4~6年にわたって提供される。高度経済成長期以降の大学進学率急伸に伴い、多くの学生に対し、効率的な知識移転を行うために最適化を重ねてきた製品である。現在、何を教えるかだけではなく、何を身につけるかを重視した改革が行われているところではあるが、今も多くの大学の「主力製品」だ。

 「新しい製品」とは、現在設置している課程以外の教育プログラム全て(市場・顧客の場合同様に、教育事業以外の進出の場合はありうる)。学位課程だけには限定されない。過去の成功事例に共通しているのは、カスタマーのインサイトをつかみ、それに応えるかを追求する姿勢だ。


図表2 大学における市場・顧客・製品
図表2 大学における市場・顧客・製品


 では、マトリクスのそれぞれの象限は、それぞれどのような戦略だろうか。左上の象限「市場への浸透」とは、広告宣伝や接点強化等の手法でより多くの高校三年生に働きかけ、競合校ではなく自校を選んでもらおうという戦略である。価格の引き下げやブランド力の向上のほか、高校生とのコミュニケーションの回数を増やしたり、新しい入試形式を採用したりといった方法も考えられる。ただし、「製品」本体である学部課程のカリキュラム等には手を加えない。

 左下の象限「新製品開発」は、言葉通り新しい製品の投入により対象となる高校三年生を拡大する戦略。新製品開拓の基本方針としては、「製品カテゴリーの幅を広げる」「製品カテゴリーの奥行きを広げる」の2つがある。前者は新しい分野における学部や専攻の新設・増設、後者は例えば同じ学生を対象とした短期留学やエクステンションセンターでの資格課程といった正課外プログラムの設置にあたる。

 右上の象限「新市場の開拓」では、「市場への浸透」同様に「製品」本体のカリキュラム等に手を加えることなく、これまでアプローチできていなかった新たな学び手に選んでもらおうという戦略である。通常の入学者と同じ既存の課程に社会人や留学生を受け入れる社会人入試・留学生入試や、勤労学生を対象とした夜間・二部の設置、18歳入学の学部生を対象とした授業の「単体売り」を行う科目等履修生、聴講生の募集がこの戦略にあたる。以前より存在していたアプローチではあるが、18歳時点での大学進学率の上昇に伴い伸び悩み、夜間・二部については廃止した学校も多い。伸び悩みの理由として、全日制のため働きながら学ぶことができないことが挙げられることが多いが、夜間部の縮小はそれだけでは説明がつかない。提供される教育プログラムが現在の社会人のニーズと適合していないことも想定せざるを得ない。

 もちろん、今の学部や既存の大学院に社会人入試を通して入学してくる学生はゼロではない。定年後に進学し、若者と共に学ぶシニアの姿が報道されることもある。その熱心な学びの姿勢に触れ、刺激を受けた教員も多いことだろう。しかしそれは一方で、それほどの熱意を持った方々しか入学には至っていない、ということでもある。それは、既存の学部課程が提供する価値と、学び手自身のキャリアやライフスタイルにおける必要性が「たまたま」合致しているケースだと考えるべきであり、現在の社会人のニーズや置かれた環境を前提として考えるとき、これらの事例を一般化し、拡大することを「成長戦略」として考えることは現実的ではない(ただし、科目等履修生、聴講生については、地域の経済界と連携することで開拓に成功した事例もある。今後機会を改めて紹介させていただきたい)。

 残った右下の象限、「新しい製品を投入する」ことにより、新しい市場にアプローチしようとする「多角化」という戦略こそが、社会人マーケットに進出する場合の主たる戦略となる。

 「新たな製品」として考えられるのは、通信制大学・大学院、専門職大学院、学部を持たない独立研究科、履修証明プログラム等非学位(小規模学位)課程、オンラインによる単科提供、公開講座等。「リカレント教育」として各種教育政策で開発が促されているプログラムでもある。

 前述したように、新しい製品の投入を成功させるために前提となるのは、ターゲットを明確に設定し、そのインサイトに応える製品の開発を追求する姿勢だ。次回は、この「多角化戦略」を詳しく見ていきたい。

(リクルート進学総研 主任研究員(社会人領域) 乾 喜一郎)