リカレント教育と日本の大学[4]/成長戦略としてのリカレント教育(2)~多角化戦略としての社会人マーケット~
前回は、企業の成長戦略を大学に紐づけて考え、「社会人マーケットへの進出」は「多角化戦略」を中心とするものだという結論にいたった。そこで今回は、多角化戦略を詳しく見ていくことで、社会人マーケットへの進出を成功させるための指針を示したい。
◆2つの多角化~関連多角化と非関連多角化
「多角化戦略」の分類は何種類かあるが、社会人マーケットへの進出において参考になると考えられるのは、関連多角化(集中型多角化)と非関連多角化(集成型多角化)という分類である。 ポイントとなるのは、既存事業との関連性である(図表1)。
図表1 関連多角化と非関連多角化
関連多角化は集中型多角化とも呼ばれ、既存事業において活用されている技術、あるいは、顧客獲得のためのマーケティングのノウハウを部分的に活用した製品を投入することで新たな顧客・市場を狙う多角化である(図表2)。化学メーカーが医薬品事業に進出する、銀行が保険事業やシンクタンク事業に進出する等、様々な産業で数多くの成功事例がある。既存事業での経験を活用するため比較的初期コストやリスクが小さく、また範囲の経済性やシナジー効果といった多角化のメリットを発揮しやすい。いっぽうで、進出先の業界の事業構造が似通っている場合、社会環境や景気の変動により、既存事業・新規事業の双方の業績が同時に悪化するといったように、リスクの分散が十分にしきれないという欠点がある。
非関連多角化は集成型多角化、コングロマリット型多角化とも呼ばれ、技術面でもマーケティング面でも既存事業と関連性のない全く新しい製品を投入することにより、完全に新たな顧客・市場を狙おうという多角化である(図表2)。コンビニエンスストアが店舗への集客を活用するためATMを設置し金融業に進出したり、鉄道会社が不動産業やエンターテインメント産業に進出したりといった事例が挙げられる。既存事業との関連性がなくバリューチェーンを一から構築しなければならないため初期投資に必要な投資コストが大きくなる、事業をまたぐコミュニケーションやマネジメントの工夫がなければ経営が非効率になってしまうといったデメリットがある一方で、リスクを分散しやすく、またシナジー効果を発揮できれば既存事業ともども成長につながり大きなリターンが期待できるというメリットがある。
図表2 関連多角化と非関連多角化のマーケティング面・技術面での関連
では、大学が社会人マーケットへ進出する場合はどう考えられるだろうか。まず、ここでいう「技術」「マーケティング」とは何を示すと考えられるか整理しよう。
前回、大学において「既存の製品」とは、18歳で入学した学生を昼間キャンパスに集め、卒業・修了=学位付与までのあいだ4~6年にわたって提供される学部・研究科の教育プログラム、及び、課程外の学生活動の場づくりやキャリア支援等といった付帯サービスのこととした。
その場合「技術」とは、この「製品」を生み出すための、各専門分野における教育カリキュラムの設計ノウハウや教員・研究機関が有する知の集積、そして効果的な教育方法等ということになる。
また「マーケティング」とは、募集活動や入試のデザイン等、ターゲットである高校生に入学(=「製品の購入」)を促すために行われるコミュニケーション全般のこと。
これら「技術」「マーケティング」を用いて事業を展開するために活用されているのが、教員、スタッフ、設備・キャンパス、また学風や卒業生が作り上げてきたブランド力等といった「経営資源」ということになる(図表3)。
図表3 社会人マーケットにおける「マーケティング」「製品」「技術」「経営資源」
「関連多角化」の例として考えられるのは、例えば、学部でも展開している教員免許や社会福祉士、建築士といった資格取得課程を、キャリアチェンジを目指す社会人向けにカスタマイズし、通信制の資格取得課程を展開するケースだ。定められた単位の履修が必要なのは学部学生も社会人学生も変わらないため、カリキュラムや指導方法を大きく変更する必要はなく、学修成果も予想しやすい。あるいは、医学部や法学部等の教員が地域で構築してきた企業・自治体とのネットワークを活かし、それぞれの専門分野における教育内容を組み合わせて地域保健のための履修証明プログラムを構築するといったケース、経営学部所属の教員が有するこれまでの教育・研究の実績を踏まえ社会人を対象としたMBA取得のための独立研究科を立ち上げる、といったケースが考えられる。
「関連多角化」で留意すべきは、募集対象が異なるため、高校生を対象に行っている「マーケティング」との共通点が少ないという点だ。ひとくちに「社会人」といっても、出産前に離職しパート勤務を続けているところから資格取得を目指す人と、正社員で海外勤務経験のある若手マネージャーが経営を体系的に学びたいという場合では、たとえ年齢・性別・学歴といったスペックが全く同じであったとしてもその興味関心や情報との接し方等は大きく異なる。高校生と違ってターゲットが集まり同時に検討を行う高校というチャネルも存在しない。また、高校生や保護者に高い認知度を持つ大学であっても、ターゲットとなる社会人に「(子どもではなく)自らが学ぶ場所」として認知されていないこともある。マーケティング面での関連性を得ることはなかなかに難しい。
そのため、「関連多角化」では「技術面」での関連性、つまり既存学部・研究科の教育との関連性が非常に重要となってくる。
「非関連多角化」では、経験のない学問分野での独立研究科の新増設や、新しく教員・講師を採用して展開する公開講座・学習センターの開設といったケースが考えられる。企業での成功事例同様に、丁寧なマーケティングによるプログラムの設計と実際の運営結果に基づく更新、また初期投資のコストを十分に投入することが成功のカギを握る。
気をつけなければならないのは、大学側は「関連多角化」と認識しているにも拘わらず、技術面での関連性が小さいため、実際には「非関連多角化」となってしまっているケースだ。例えば専門分野が隣接しており同じ教員が授業を担当できたとしても実地経験を持つ社会人が対象となると適した教育方法が異なっていたり、学部のキャンパスを活用できたとしても目指すターゲットの社会人にとっては利便性が低かったりといった状況になれば、経営側が十分だと考えた金銭的・人的な投資コストでは、「非関連多角化」としてマーケットに受け入れられるために必要な投資規模が賄えなくなってしまう。利活用できる経営資源の十分な掘り起こしと、実際のカスタマーに対する丁寧なマーケティングが重要なのである。
◆多角化のメリット・デメリット
多角化には、大まかに分けて次の2つのメリットがある。
【多角化のメリット1】環境変化等によるリスクが分散できる
技術革新や顧客ニーズの変化、為替や景気変動といった環境変化が起こったとき、単一のマーケット・単一の製品を提供する事業では、企業の存続に関わるような大打撃を受けてしまう。多角化により、収益性が異なる複数の事業を展開していれば、そのリスクを分散することができる。また、通常一つの製品は、<開発期→導入期→成長期→成熟期→衰退期>というサイクルで変遷し、寿命を持つ(プロダクトライフサイクル)。一つの製品が衰退期に入ったとしても、他に成長期や成熟期に入っている製品があれば、企業全体としての経営は安定する。
大学に関していえば、国内の18歳人口の減少という環境変化が今後確定したリスクとして存在する。他にも、政策の変更による補助金・助成金収入の増減や経済変動による特定学部の人気の消長等、多角化により分散できるリスクは多い。
大学経営において、社会人マーケットへの進出の必要性は少子化の進展と関連して語られることが多いが、それはこのリスク分散のメリットを示したものなのである。
【多角化のメリット2】範囲の経済性やシナジー効果が得られる
「範囲の経済性」とは、スタッフ部門や生産設備、ブランド価値等の資源といった経営資源を複数の事業で共有することで得られるコスト削減効果をいう。大学は、最大の経営資源である教員、土地や建物・研究設備を含むキャンパス、運営のためのスタッフ機能といった資源に加え、高校とのリレーション、卒業生のロイヤリティ、社会的なブランドといった形のない資源にいたるまで、大きな資源を誇る。社会人を対象とするプログラムにおいてもこれらを共用することで、ゼロから事業を行うのとは全く異なる収益構造を構築できる。
シナジー効果は、複数の事業がお互いの収益性を高めあう効果のこと。多角化企業においては、技術開発の成果、事業運営ノウハウ、新たな顧客とのリレーションやブランド価値等、新規事業のために開拓したものが既存事業にイノベーションをもたらす事例は枚挙にいとまがない。大学においては、社会人に向けて開発したアクティブラーニングの手法やオンライン教育システムを学部教育へ応用する、社会人に向けた広告宣伝がその子どもの進路決定の際にも効果を発揮する、といった効果が想定できる。
【多角化のデメリット】
多角化にはデメリットもある。
まずはコストの大きさだ。長期的には上記の「範囲の経済性」によるコスト圧縮の可能性はあるが、新製品投入には、企画開発、マーケティング、販売網の構築といった大きな初期コストが必要になる。特に、新しい顧客にその製品の価値が浸透するまでの期間は、関連多角化であったとしても、単年度では赤字が続く。だからといって初期投資額を絞ると黒字になるまでの期間が長期化してしまう可能性もあり、そのバランスをとる必要がある。またもう一点のデメリットは、経営が非効率になるリスクがあること。素早い経営判断を実現するため新事業の独立性を高めると、既存事業との情報共有ができず、獲得できるはずの範囲の経済性やシナジー効果が得られにくくなってしまう。とくに研究科やエクステンションセンターを独立して設置する非関連多角化の場合には、マネジメント間でのスムーズなコミュニケーションが求められる。
◆おわりに
企業の多角化戦略を参考に、大学の社会人マーケット進出を考えてきた。
大切なのは、建学の理念と社会から負託されたミッションに基づき、どのような社会人に対し、どのような教育を提供して、どのような人材を輩出するのかという3つのポリシーを具体的に設定してプログラムを設計すること。そして結果に基づきそれをアップグレードし続けること。そのことは、18歳の既存事業の場合も、社会人を対象とした多角化の場合も変わらない。しかし社会人対象の事業の場合は、ターゲットは千差万別であり、各プログラムの期間にしても数年~数時間というバリエーションがある。それぞれのプログラムにおける3つのポリシーは、より具体的で、常に更新できるものでなければならない。
そのためには、自らの有する経営資源を掘り起こし、それが価値を持つのはどのような社会人に対してなのかを見定める必要があるだろう。建学の理念に基づく「自らの大学がやるべきこと」「自らの大学がやりたいこと」「自らの大学ができること」を常に問いかける姿勢が求められる。そして、この課題は実は、新規事業へ進出し多角化を成功させてきた数多の企業が、やはり直面し、立ち向かい、乗り越えてきた課題と同じものなのである。十分に成算のある戦いだ。
第1回 ( http://souken.shingakunet.com/college_m/2020/05/post-faa3.html )で紹介したように、何らかの形で学習を自ら実施している日本の労働人口は少なくとも2000万人と推定される。この巨大な社会人マーケットに取り組んでいる大学はまだまだ少なく、開拓する余地は非常に大きい。そして、乗り越えなければならない課題は、外部よりも内部、コントロール可能な範囲内に多い。
社会人マーケットへの「多角化」は、成功の可能性の高い経営戦略なのである。
(リクルート進学総研 主任研究員(社会人領域) 乾 喜一郎)