リカレント教育と日本の大学[2]/大学教員の理想!? 18歳入学者とこんなに違う!社会人学習者の学びの姿
「本当に大変でした、でも、むちゃくちゃ楽しかったんですよ。二十歳の時とは全然違う。大学ってこんなことやってるんだ、全然知らなかった」
「勉強ってさせられるとこんな嫌なことないじゃないですか、耐える時間っていうか。生まれて初めて本当にやりたい勉強をやって、自分でもすごいモチベーションでした」
「予習なんてろくにしたことなかったですよ、それが、自分が予習するだけじゃ足りなくて、予習のために仲間で勉強会やって、さらに、その勉強会のための予習まで。どれだけ予習してたかで授業の時間が全然違うから真剣さが違うんです」
(社会人学生が学生時代を振り返ったインタビューより)
◆社会人学習者の3つの学び方/令和の学び=越境学習
冒頭にかかげたのは、「社会人&学生のための大学・大学院選び」「スタディサプリ社会人大学院」「スタディサプリ通信制大学」の編集過程や、自ら参加した学びの場で筆者が得た社会人学習者の声である。ご覧になって、どう感じられたであろうか。教員の皆さんにとって、教えるのならこんな学生達がいい、そんな、理想の姿と感じられたのではなかろうか。
これらは何も、特別優秀な社会人学習者の声ではない。ごくごく平均的な、普通の方々からのものである。いったい、「リカレント教育」の社会人達は今、どのように学んでいるのか?今回はその実情をご紹介したい。
社会人学習者といっても、その学びのあり方は一様ではない。私は、大きくそれを3つに分類している。図表1をもとに説明していこう。
図表1 社会人が行っている学習の3つのあり方
第一に紹介するのは、図表1の左側、「組織型学習」と名付けた学習である。それぞれの企業・組織において行われている「OJT」「業務経験を通じた学習」等が主たる学びの方法となっている。これらは、日本において従来から社会人学習の主たるあり方とされてきたものだ。大学や高校を卒業して新卒で入社してきた「まっさら」の人材が、上司や先輩が働くそばに自分の身を置き、実際の業務の遂行において指導を受けながら、その組織における仕事の進め方、技術・業界知識、商品知識といった「組織に蓄積されてきた知」を自らのものとしていく、そうした学習の形である。学ぶ内容についても、またその実施のタイミングについても組織が責任を持っており、「職能資格制度」や管理職になるための昇任試験等、キャリアプランを実現する制度も確立されている。活躍できる、出世できる等、学んだらどうなれるかを示すロールモデルが職場に存在しているから、学習意欲は自然と掻き立てられる。活用を前提とした非常に実践的な学習が行える…等多くのメリットがあり、現在も、特にキャリアの浅い層では学習の主流である。
いっぽう、デメリットもあり、それはますます顕在化してきている。
まず、学ぶ内容は組織ごとに最適化されているため外部では通用しにくく、転職時、あるいは定年後にそのままは役立てられない。さらに、組織全体の成長力が鈍化し学ぶ内容が更新されなくても、内側にいるとなかなか気づけないという課題もある。良くも悪くも所属組織と一蓮托生、いわば、「昭和の学び」なのである。
次に、図表1の中央「資格型学習」について。組織と個人のあり方が大きく変わったバブル崩壊以降、定期的に注目が高まっているのが資格取得である(修士等学位の取得も含む)。自らがキャリアの主体となり、自らのエンプロイアビリティの向上を目的とするこの学びのあり方は、グローバルスタンダードである「ジョブ型採用」に対応したものでもあり、国籍の枠を越えた企業の人材獲得競争、また人材間での競争の激化が今後予想されることを考えると、今後も活発化することこそあれ、下火になることはないだろう。
しかし、限界もある。資格型学習で学べるのは、「既に答えのある」知識・スキルだからだ。
それぞれの専門家達がこれまでの研究・実践をもとに抽出し、精査を経て、確立させてきた普遍性の高い知識・スキルの体系。それがなければ、第三者が採点し、資格・学位を認定するための共通の判断基準を作ることはできないのだから、当然のことである。しかしそれでは、「答えのない問題に立ち向かう」ことはできない。現在の個々の現場やこれからの環境変化に適応し、自ら変化を作っていこうとするには、既存の知識・スキルの体系を乗り越えるための、何らかの「ジャンプ」が必要となる。
そこで「組織型学習」にも「資格型学習」にも飽き足らない社会人学習者が、社会人大学院や履修証明プログラム等を舞台に実践しているのが、図表1右側の「越境型学習」である。
◆令和の時代の新たな学び~越境型学習
これらの写真は、社会人の学習といえば「組織型学習」のことだと思い込んでいる企業人達等に対し、大学=大教室での講義という固定観念を崩してもらうために私がいつも提示しているものである。学び手の年齢を除けば、アクティブラーニングの実践風景として、読者の方々には見慣れた光景ではなかろうかと思う。しかしそこには、社会人ならではの特徴がある。
写真1 学びの場における今の社会人の学びの姿
写真左上・左下/青山学院大学ワークショップデザイナープログラム、写真中上/金沢工業大学虎ノ門大学院
写真中下/キャリアカウンセリング協会継続学習プログラム、写真右上/Peatixコミュコレ(コミュニティコレクション)
写真右下/KANDAI MeRiseオープンカレッジ「ビジネスデザインスクール」
(『スタディサプリ社会人大学院』「スタディサプリ社会人大学・大学院」より)
ここに映っている学び手同士は、世代が異なるだけではなく、異なる分野で活躍する社会人達だ。普段はそれぞれ、異なる価値観のもと仕事をしているため、学習の場は、いわば非日常の場。「越境型学習」とは、日常の場である実践の場と、非日常の場である学習の場の往還を繰り返し、異なる価値観を持つ他者とのフラットな対話を通して新たな知恵を生み出していこうという学びなのだ。
その学びのプロセスを紹介しよう。図表2を見てほしい。
学ぶ社会人は、実践の経験をベースに、それぞれ自らの「持論」を持っている。彼ら彼女らは実践の場と学習の場の境界を越え、それを学習の場へと持ち込む(①)。講義等のインプットを経て(②)、発表や討議等の機会にそれぞれ持論と重ね合わせてのアウトプットを行い(③)、対話の場で教員や仲間達からのフィードバックを受ける(④)。それまで「常識」と考えていたことが突き崩されることも珍しくはない。「脳に汗をかくほど」(学習者の言葉)考えなければならないことも少なくはない(⑤)。
その経験を振り返り、言語化し、自らの肚に落とした(⑥)のち、学習者はそれぞれの実践の場に学んだことを持ち込む(⑦)。職場の他のメンバーは自分達の「常識」を疑っていない人達ばかりなのだから、当然ながら、軋轢や葛藤が起こる(⑧)。学習者達は時に、それを「迫害」という言葉で表現するほどである。しかし、この軋轢を収拾する過程を通して、何らかのイノベーションが起こることも少なくはない。学習者にとっては、それもまた大きな学習の機会。振り返って自らの持論を更新し(⑨)、それをまた次の学びの場に持ち込むことになる(⑩)。
ホームである実践の場は、職場だけとは限らない。育児、介護、地域活動といったプライベートな経験も、学習の場へ越境するきっかけ、あるいは、学習したことを持ち込む実践の場になることも多い。
この「越境型学習」が成立するためにカギを握るのは、学習者にとってアウェーである学習の場を担う教員の役割である。越境型学習には、学習者自身によるアウトプットとそれに対するフィードバック、学習者同士の対話、そして学んだことと自らの経験を結ぶ振り返りが不可欠。これらを丁寧にファシリテートすることができれば、学習者はずっと学習を継続することができるからだ。
◆18歳入学の学生との違い
最後に、社会人学習者が18歳入学の学生とどう違うのか、まとめよう。
1)組織の外で学ぶ社会人学習者は、自らの意思で学んでいる
組織の中、日々の業務の中で学ぶ「組織型学習」の場合を除き、大学を含む教育機関を利用して組織の外で学ぶ「資格型学習」「越境型学習」の場合、学習者は自らの意思で、限られた費用や時間を投じて学んでいる。18歳入学の場合と異なり、学習は社会人の主たる活動ではない。学ぶ必然性等ない中で、学習を実施する社会人は、「学びたい」「学ばなければ」という意思を持ったうえで、その金銭や時間を、旅行や外食ではなく、学習に投入しているのである。
2)社会人学習者は、自らの経験を下敷きに学ぶ
実践の中で学ぶ組織型学習や、自らの持論を持ち込む越境型学習の場合は当然だが、一見ゼロからの知識移転に見える資格型学習においても、社会人学習者は自らの経験をベースにしている。経験と紐づけることで記憶や理解を容易にするメリットはあるが、同時に、固定観念に引きずられるリスクも伴っている。
3)社会人学習者は、学び続ける
「学び直し」という言葉からは、学習が単発的に終わってしまうような印象を受けてしまうが、実際には、学ぶ社会人はその時々の自らのキャリア課題に応じて「組織型学習」「資格型学習」「越境型学習」を組み合わせながら学び続けている。
冒頭に紹介した社会人学習者の声。その高いモチベーションは、自らの意思で、自らの経験を下敷きに学び続けているからこそ生まれているものだ。
今日本の大学には、彼ら彼女らの思いに応えることができる教育機会を、一つでも多く提供することが求められている。
(リクルート進学総研 主任研究員(社会人領域) 乾 喜一郎)