私立大学初のデータサイエンス学部をトリガーにAI-Ready-Universityを目指す/武蔵野大学

武蔵野大学キャンパス


データサイエンスへの熱い想い

西本照真 学長

 武蔵野大学の歴史は古い。その誕生は、仏教学者・高楠順次郎博士が東京都中央区築地に宗門関係学校(浄土真宗本願寺派)を創設した1924年までさかのぼる。2024年には100周年を迎えるわけだが、その顔は、創設からの70年とそれ以降の30年とで大きく異なっているといってよい。そもそも武蔵野大学は、女子のための学校として出発した。建学の精神は、仏教の根本精神を基礎とする人格教育。長らく文学部のみの単科大学であり、四年制の全学生数は2,000人ほどだった。しかしながら90年代以降、理事会のイニシアティブのもと、積極的な改革が試みられるようになる。新学部・大学院等の創設、共学化、新キャンパス(有明キャンパス)開設を経て、今や東京でも屈指の総合大学になった。2020年5月現在、学部数11、研究科数12、全学生数も優に9,000人を超えている。

 なぜ、こうした成長が可能なのか。西本照真学長がインタビューで語ってくれたことに、その答えはあった。「次の時代に求められるものが何か、我々理事者の最大の関心事です。社会のニーズに敏感でありたい、そしてそのニーズに応えていきたいと、常に意識していますね」。鍵は理事会の強い熱意と行動力にあるようだ。

 そのような武蔵野大学が2019年4月に設置したのが「データサイエンス学部」である。「データサイエンス」を冠する学部を展開する大学としては、滋賀大学、横浜市立大学に続いて3例目、私立大学では初となる。設置にあたってキーマンになったのは、上林憲行学部長だ。上林学部長は、設置準備の時期を「大変な作業でしたが、カリキュラムデザインと教員人事を任せてもらえたので、やりがいもありましたし、やりやすかったです」と振り返る。結果として、立ち上がった学部はかなりの注目を集めた。入学定員70名に対し、志願者数は2019年度1,764名、2020年度2,215名。倍率にすれば、2019年度25.2倍、2020年度31.6倍。驚きの数値である。

従来型大学教育への挑戦

 では、上林学部長は具体的にどのような教育を目指したのか。一言で言えば、「従来型の大学教育への挑戦」である。「自ら学ぶ力をつける」ということを最も大事な目標とし、学生を他律的・受動的な環境に置くことはしない──ただ、これだけの表現であれば、目新しさは感じられないかもしれない。武蔵野大学データサイエンス学部の突出したところは、以上の目標のために全科目で「講義なし」「テストなし」という方針を徹底したところにある。「講義をして丁寧に教えるというスタイルは全面的に採用しません。では、どうするかという話ですが、基本的に学生に自分で考えてもらうために正解のない課題に取り組んでもらいます。学生はその課題解決を通じて個人で考えるだけでなく、学修コミュニティーの仲間、あるいはTA(ティーチング・アシスタント)と一緒に考えることを通じて主体的な学びを会得してもらいます。その意味で、教員はディスカスタントとして参加するだけで、いい先生になろうとはしません」。上林学部長はこのように述べた後で、次のように続けた。「学生には、トライアル・アンド・エラーを通じて自ら学ぶという機会をたくさん与えたいのです」。

 まさに挑戦だと言えるが、今のところ狙い通りの教育ができていると言う。最初の1カ月間こそ「教員は講義をしない」「親切に教えてくれない」というクレームも寄せられたものの、学生達はすぐに新しい学びに夢中になった。学修のコミュニティーは確実に育っている。そしてその成長を支える要件として、次の2つがうかがえた。

 第一に、データサイエンス学部の教育では、実践学修コミュニティーを構築するためにビジネス向けコラボレーションツールSlack(スラック)が活用されている。学生同士のコミュニケーションもSlackででき、グループワークの段取りもSlackで行う。教員に対する質問も、随時Slackでできるようにしてある。授業時間内だけではない。学生も教員も24時間体制で学修に臨んでおり、このことが密度の濃い対話を通じた学びを可能にしている。

 第二は、学生達のキャラクターである。2019年度に誕生したばかりのこの学部に入学した学生達からは、「先輩がいないからこそ、白地に新しいスケッチができる」と意気込む声がよく聞かれたという。不安よりも期待を重視する。第一期生ならではのことなのかもしれないが、この第一期生のカラーが後輩達に与える影響は大きいはずだ。

「おいしいものを先に食べる」未来創造プロジェクト

 こうしたデータサイエンス学部の挑戦の象徴とも言えるのが、「未来創造プロジェクト」である。未来創造プロジェクトでは、卒研と同じプロジェクト型学習を基軸に、企業との共同研究や国際共同研究、大学で身につけたスキルや知識をどのように実社会の課題に活用できるかを実践的に学ぶ。1年生後期から毎期ごとに履修できる少人数のゼミ形式の科目だ。

 上林学部長は、この未来創造プロジェクトの最大の特徴を「おいしいものを先に食べる」点だと説明する。データサイエンスのバックグラウンドは、言うまでもなく統計だ。即ち、入学後、まずは微分・積分、確率といった数学を徹底的に学ぶといった方法をとることも有力な選択肢として想定される。いわゆる理論から応用という筋書きである。だが、武蔵野大学データサイエンス学部はそうしなかった。「データサイエンスやAIの領域には優れたツールがたくさんあります。1年生には、この様々なツールを使って、具体的な問題解決とその醍醐味を一通り経験してもらいます。そのうえで2~3年生で、既存のツールでは解決できない問題に臨むため、数学を含め、原理的な勉強に取り組む、というのが私達のカリキュラムデザインの狙いです」と上林学部長は述べる。

データサイエンティストカリキュラム全体図

 未来創造プロジェクト開講前、1年生にどれほどのものができるのかという不安も抱いたが、今思えば杞憂だった。データサイエンスを学びたくて、狭き門に挑戦した学生ばかりである。授業は90分2コマ連続と長丁場だが、教室内は学生のエネルギーが充満している。予想以上の成果が出たこともあり、年度末に実施した発表会には、急遽、西本学長も同席することになった。西本学長は「面白いだけでなく、データサイエンス学部の学生が教員以外の専門家による指導を受けることでさらにパワーアップする可能性に気づかされた発表会でした」と感想を述べる。

未来創造プロジェクト成果発表会の様子

 本プロジェクトの質の高さは、授業のなかから学会発表に結びついた成果が生まれ、さらに受賞までしたものがあったという点からもうかがえよう。卒論生や大学院生の発表が多くを占める場での快挙である。「学生の1人は、1年生にして未来創造の研究成果を12月に国際学会で発表しました。学生達も手応えを感じていますし、私達教員も手応えを感じています」と上林学部長は微笑む。

 1年生のときに一番おいしいメニューを提供すると、学生は味を覚える。自分自身の力で、自分なりに答えることの充実感を知る。1年生ではまず身近な関心事を研究テーマ化することを主眼として、2年生、3年生と知識を身につければ、扱うテーマも大きくなっていくはずだ。最終的には社会問題につながるような大きなテーマを設定し、その解決に挑戦するようになってほしい。武蔵野大学は、2019年3月に武蔵野大学SDGs実行宣言を発表した。データサイエンス学部の学生が、どのような新しい価値を生み出すのか、寄せられる期待は大きい。

文理融合の先をいく

 入学早々、数学を徹底的にやるという方法はとらない。プロジェクトを大事にするカリキュラムを組む。こうした武蔵野大学データサイエンス学部の特徴を少し異なった角度から切り取れば、文理融合のさらにその先をいっていることが指摘される。

 実際、データサイエンス学部には自身が文系だという学生が2割ほどいるが、一期生を見る限り、文系学生も伸びやかに学んでいるという。理系学生であろうと、文系学生であろうと、新しいツールを身につけて、具体的な問題解決に取り組むことを楽しんでいる。

 なお、2020年度からは、2年生となった一期生が数学に取り組むことになるが、大きな問題は生じないと見ている。それは、単一学問領域に閉じた学びではなく、つまり数学を数学の枠組みで学ばせるようなことはしない授業を用意できたからだ。学生達は、プログラミング言語と数学の基本概念を連動させて学ぶとともに具体的な問題を解くという複合的な要素を織り込んだ教育デザインを行っている。混然一体的に学ぶこと、繰り返しながらレベルを上げていくスタイルのほうが、数学が苦手な学生もやりやすいという判断による。上林学部長は「私達の学部では、文系であることは決してハンディになりません」と断言する。

 IT技術者はIT分野のみで活躍するわけではなく、製造業からも、卸売小売業からも、金融業からも求められる。特定の業界のみから求人があるわけではない。データサイエンティストは数学に秀でた専門人材というより21世紀のナレッジワーカーであり、もはや「文系」「理系」と分けて考える時代ではない。カリキュラムには、こうした理念が見事に反映している。

大学院の設置、そして全学展開へ:AI-Ready-University

 データサイエンスをめぐる武蔵野大学の取り組みについて、2点ほど追記すべきことがある。

 ひとつは、大学院レベルのデータサイエンスの学びが提供されるようになることだ。2021年4月にデータサイエンス研究科(修士課程)が設置され、国際的なエキスパート、研究者、R&D人材の育成がスタートする。

 今ひとつは、全学展開である。2020年度からAI活用科目の必修化等、AIを活用する力を育むためのカリキュラムが全学部で一斉に始まった。2019年1月に設立したMUSIC(Musashino University Smart Intelligence Center)を拠点に、学生と教員がAIと共存共栄し、多様な学びに対応できる大学を目指す。内閣府が提示した「AIを有効かつ安全に利用できる社会=AI-Readyな社会」という表現を用いれば、「AI-Ready-University」が今の武蔵野大学のビジョンだ。なお、上林学部長は、MUSICのセンター長でもある。

AI-Ready-University の1 年次カリキュラム

 総じれば「データサイエンス&AIの裾野を広げ、高度も上げる」といったところだが、武蔵野大学の改革はそれだけにとどまらない。2010年度に導入した全学共通教育「武蔵野BASIS」についても、SDGsやグローバル、そしてAIといった概念を組み込みながら再構成できないかということが検討されているようだ。

 武蔵野大学は2016年に新しいブランドステートメント「世界の幸せをカタチにする。」を宣言した。西本学長は「武蔵野大学では、学問も学ぶけれども、何より生き方を学ぶ。生きとし生けるものが幸せになるために、自分はどう生きていくべきかということを学ぶ。そういう大学であってほしいと思っています」と言う。そして次のようにも語ってくれた──「本学がベースに置いている仏教も、仏陀が当時の人々の苦しみが何かということをあらゆるデータを集めながら考察し、それを乗り越えていく道を探ったというところが原点になっています。そういう意味で、仏陀は2500年前のデータサイエンティストだと思うわけです」。学長によるこれら2つの語りを重ね合わせることで浮かび上がる景色は興味深い。

 恐らく武蔵野大学がデータサイエンスに注力するのは、必然の流れだったのだろう。世界の幸せを求めて成長し続けようとしている武蔵野大学に、データサイエンスは大きな力を与え始めている。



(濱中淳子 早稲田大学教育・総合科学学術院教授)



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