リカレント教育と日本の大学[5]/社会人向けプログラムの「ターゲット設定」と「商品戦略」
第三回・第四回にわたり、社会人マーケットへの進出(リカレント教育の実施)は、18歳入学者を中心とする多くの大学にとって、<技術面、マーケティング面共に既存事業と関連性のない製品を投入し、新たな顧客・市場を狙う「非関連多角化」戦略と考えるべきである>ということ、そして、建学の理念に基づく「自らの大学がやるべきこと」「自らの大学がやりたいこと」「自らの大学ができること」を常に問いかける姿勢があれば、巨大で、かつまだまだ競争相手の少ない社会人市場への進出は、非常に挑戦しがいのある経営戦略であることを示してきた。
一般的に、多角化戦略、なかでも非関連多角化戦略を成功させるためには、丁寧な「マーケティング」が重要な役割を果たすとされている。そこで今回は、大学が社会人向けプログラムを設計・実行していく場合の「マーケティング」について考えていきたい。
マーケティングという言葉は、広告宣伝(募集広報)活動のみを示すこともあるが、多角化戦略において考えなければならないのは、「市場創造のための総合的活動」(日本マーケティング協会)である。
- 誰を顧客とするのか。
- どのような商品によって、その顧客に、どのような価値を提供するのか。
- 顧客から選ばれ続けるために、どのような活動を行えば良いのか。
◆ターゲット設定~「誰を顧客とするのか」
社会人を対象とする場合、最も重要で丁寧に考える必要があるのは、「誰を顧客とするのか」というポイントである。
というのも、ターゲットをどのように設定するかによって、募集広報戦略のみならず、どのようなプログラムを設計すべきかも、通常の18歳対象の場合とは比べ物にならないほど大きく変わってくるからだ。
例えば、「女性を安定就業へと導くリカレント教育プログラム」を考えてみよう。人生100年時代戦略会議においても注目された日本女子大学リカレント教育課程、同じく平成30年度の文部科学省の「男女共同参画のための学び・キャリア形成支援事業」に採択されたせんだい男女共同参画財団の事業等、女性活躍推進の社会ニーズに応えるべく、全国で様々なプログラムが実施されている。
それらのプログラムは共通して、キャリアデザインに関わる科目、PCスキル等就業に必要となるスキルを向上させる科目等で構成されている。しかし、その中身は、主要な対象として設定されているのがどのような女性かによって大きく異なる。ターゲットを「難関とされる大学を卒業して大企業に新卒で入社、事務系職種を経験して出産後に離職し専業主婦に。末子の高校進学を期に復職を考えた女性」に置く場合と、「高卒後販売職や製造職を経験、出産後夫のDVにより離婚、以降シングルマザーとして不安定な就業を続けてきた女性」に置く場合では、同じ「復職希望の女性」を対象としていても、必要なカリキュラム、それぞれの科目の授業内容や教育方法は、全く異なっているからだ。
例えばひとくちに同じ「パソコンスキル」といっても、前者のターゲットであれば初職で社内研修を経たのちに業務で使用した経験を持っていたり、現在は自宅にパソコンがあり、wi-fi環境も整っていたりといったことが想定できる。オンラインの学習プログラムを提供しても容易に活用できるだろう。しかし後者のターゲットの場合、これまでパソコンを活用する仕事に就いた経験を持っておらず、また普段インターネットを利用する環境もスマートフォンに限られるかもしれない。提供する授業が同じであって良いわけがない。
ターゲット設定が重要なのは18歳向けの学位プログラムも同様と思われるかもしれない。アドミッション・ポリシーを設定する際には、丁寧な検討が行われたことだろう。しかし社会人の場合、その検討の範囲がかなり広くなるのである。
第二回で述べたように、社会人は、自分の経験をベースに学ぶ存在である。その経験が異なるのなら、たとえ年齢が同じであったとしても、それは「異なるターゲット」だ。
当たり前のことではあるが、毎年「一学年」ずつが対象となる18歳マーケットに比べ、常に何十もの年齢帯が一度に対象となっている社会人マーケットは巨大である。高校生の場合であれば年齢、つまり学年が異なればその関心は大きく異なるが、社会人の場合は逆に、年齢はさほど大きな意味づけを持たない。何か一つ自らの発案で成し遂げた仕事があるかどうか?その専門技術を実際に活用した経験があるかどうか?育児にせよ介護にせよ、自らの生活史のうえで専門家の仕事に直接触れたことがあるかどうか?社会人学習マーケットへの進出という多角化戦略の実行においては、ターゲットの年齢ではなく、仕事と生活におけるこれまでの経験、そして、それに基づく学習に向けた環境的・心理的な準備の度合いをしっかりと想定し、絞り込んでいくことが求められるのである。
◆社会人向けプログラムの「商品」戦略~キャリア課題の解決のために
マーケティング戦略の基本的な枠組みにおいては、4つのP=Product(商品)、Price(価格)、Place(販路・顧客接点)、Promotion(販売促進)について、ターゲット設定に基づき、それぞれ競合との関係を算段しながら設計・実行していくことになる。
この場合の商品とは、まずは、提供するプログラムそのものだ。具体的には、どのようなカリキュラムに基づき、どのような内容をどのような方法で教育する授業を何時間提供し、それによって学び手をどう育成し、どのような目標に到達させようとしているのか、ということになる。
ここで注意を喚起したいのは、社会人の学び手にとって、どのような授業が何時間提供されるのか自体は、必ずしもそのプログラムを選択する要因とはならないということだ。重要なのは「何ができるようになるのか」という到達目標。だから、同じ到達目標であれば(学び手にとって同じ到達目標だと捉えられたとすれば)、同じ価格の講座であったとしても、より少ない時間数のプログラム(教える側からすれば価値が小さく思われるプログラム)のほうが選ばれることにもなる。4つのPのうちの「Price」は、費用だけではなく、学び手が目標に到達するために投じるコスト全てを示す。つまり授業料だけではなく、時間(授業時間だけでなく自宅学習や通学に要する時間を含む)・学習への努力が含まれているのだ。
実際には、同じ資格に合格することを目標としていても、30時間の短期講座と200時間のプログラムが提供する価値は決して等しくはないだろう。後者には、合格の確実性を上げるための授業やサポート、合格した後実践で活用できる知識やスキルの習得が含まれているはずだ。しかし、学習を開始する前の検討過程においてその価値をしっかり伝える努力がされていなければ、学び手にはそれは分からない。その課題を乗り越える活動を示すのが「Promotion」。プログラムの認知を促す広告宣伝だけではなく、学び手にそのプログラムの「意味」を伝えるコミュニケーション全般が含まれているのである(米国をはじめ多くの大学でコロナ対策のオンライン授業化により学費返還を求めるケースが相次いでいるが、それは逆に、高額の学費に見合う「意味」がこれまでしっかりと伝わっていたことを証明する動きであるということができる)。
「Place」が示すのは、学び手にとっての利便性全般だ。働きながら学ぶ社会人にとっては、教育が提供される場所が、平日夜間にも休日にも通いやすい立地かどうかは非常に重要である。オンデマンド型・双方向型のオンライン教育と組み合わせたハイブリッド教育も効果的だろう。しかしこれも、学びの場そのものの価値とそれを伝えるコミュニケーション次第である。「その場に身を置くことに価値がある」と、毎週新幹線で遠方から受講する社会人も、決して珍しい存在ではない。
改めて、「Product・商品」とは何を意味するのだろうか。
18歳の高校3年生と異なり、社会人にとって学ぶことは決して必然性のある活動ではない。大切なのは、何が何時間教えられるかではなく、何が学べるのか、何ができるようになるのか、自らのキャリアを切り開いていくうえでの課題が解決できるかどうかだ。つまり、社会人向けプログラムの場合の「商品」とは、そのプログラムが提供する価値である「学び手自身のキャリア課題の解決」そのものを意味するということである。
学び手自身のキャリア課題は、学び手一人ひとりで異なっている。同じように「正社員としての安定した就業の実現」を目標としていても、大卒で正社員として就業していたものの出産によって長くキャリアを中断していると感じている女性にとって解決しなければならない課題と、DVやモラハラをきっかけに不安定就業を続けることを余儀なくされてきた女性にとっての課題は異なる。カリキュラムや授業の内容、教育方法、サポートの内容は、その課題を解決するための手段なのだから、ターゲット設定によって全く異なるものとなるのは当然のことだろう。
どのような社会人に対し、どのような手段を用いて、その社会人にそれぞれのキャリア課題の解決をもたらすのか。投資してもらうお金・時間・努力をどのように設定し、どのようなコミュニケーションでプログラムの価値を伝え、どんな接点で学びを提供するのか。これらが首尾一貫して設計され、学び手の声に基づき改善され続けること。それが、社会人から選ばれ続けるために必要な活動なのである。
図表 3つのポリシーとの対応関係
◆おわりに~3つのポリシーとの関係
「どのような社会人に対し、どのような手段を用いて、その社会人にそれぞれのキャリア課題の解決をもたらすのか」を首尾一貫して設計する…「何だ、3つのポリシーそのものではないか」とお感じになった方も多いのではないだろうか。社会人向けプログラムの場合、必ずしも学位の取得が到達目標であると限らないため正確には意味は異なるが、提供価値である「学び手のキャリア課題の解決」をどのようにもたらすかという方針は、ディプロマ・ポリシーと同じ位置づけのものである。同様に、ターゲット設定はアドミッション・ポリシーであり、課題解決のための手段であるカリキュラムや教育方法の設計がカリキュラム・ポリシーだ。違っているのは、ターゲットとその抱えるキャリア課題のバリエーションが大きいことだけ。ターゲットを明確に設定したのちは、プログラムの設計・評価・改善の手順自体は、社会人向けだからといって特別なことはないと言うことができる。
それだけ、社会人向けプログラムを成功させるうえでは、「ターゲット設定」が重要なのである。
(リクルート進学総研 主任研究員(社会人領域) 乾 喜一郎)