大学を強くする「大学経営改革」[89] コロナ禍で改めて問われる大学の戦略と組織 吉武博通

地域間で差が生じる可能性がある秋学期の対応

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大が止まらない。世界では毎日20万人を超えるペースで感染者数が増え、日本時間7月26日までの累計感染者数は約1610万人、累計死者数は64万人を超えている。国内でも、5月26日の緊急事態宣言全面解除後ひと月足らずで、東京都の感染者数が増加。埼玉・神奈川・千葉の隣接3県、大阪、愛知等他の大都市圏に拡大し、さらに全国各地に広がりつつある。7月26日までの累計感染者数は3万666人、累計死者数は998人となっている。

 この状況により、春学期をオンライン授業中心で乗り切り、秋学期は対面授業と考えていた大学も、難しい判断を迫られている。都内に限れば、秋学期の方針を公表している大学の大半が、オンライン授業を主にしつつ一部対面授業を行うとしており、今後公表予定の大学も同様の方針を示すことが予想される。ただ、春学期と異なるのは、学生がキャンパスに通える環境を慎重に整えつつあるという点である。

 関西では、対面授業を主にオンデマンドを併用、ネット授業を併用しながら対面授業を再開する等、都内に比べると対面に軸足を移しつつある様子が窺える。ただ、関西圏でも感染者数が増加傾向にあり、この方針が秋学期開始まで維持されるか予断を許さない。これらの動きに対し、感染者数が抑えられている地域では、対面授業を中心にした教育が実施されるものと思われる。

 秋以降、感染状況の違いにより、教育方法のみならず、課外活動、学生生活、研究をはじめとする諸活動において、地域間に大きな差が生じることが予想される。対面かオンラインかは単純に優劣を比較すべき問題ではないが、同じ大学という機関でありながら、地域間で差が生じた場合、学生、保護者、社会はそのことをどう捉えるのだろうか。

新常態への対応と新たな大学像の構築

 このような状況において、大学が第一に重視すべきは、感染防止策を徹底しながら、大学の諸機能を維持し続ける期間が長期にわたることを覚悟したうえで、新常態と呼ぶにふさわしいシステムを整え、定着させていくことである。

 緊急事態宣言下で実施を余儀なくされたオンラインやオンデマンドによる遠隔授業により、新たな教育の可能性に対する認識が広く共有されると同時に、遠隔授業の課題、対面授業の意義、キャンパス内での活動や交流の重要性が、より具体的に意識されるようになってきた。この経験を新常態にどう活かすかが問われている。

 第二は、学生、保護者、社会からの様々な要求が増大するとともに、大学の選別・淘汰が加速することを前提に、教育の質をはじめ大学の諸機能を最大限に高める必要があるという点である。

 18歳人口の減少が続く一方で、大学数や収容力が維持されている現状に対する社会の視線は厳しく、再編・淘汰は当然とする見方が根強い。コロナ禍で企業、家計の収入減少や政府の負担増加が深刻さを増すなか、この傾向は一層強まるだろう。このことを踏まえ、個々の大学は自らの存在意義を再確認し、教育、研究、社会貢献の諸機能を高め、基盤となる経営力の強化を進める必要がある。

 第三は、コロナ後の社会と学問のあり方を見据えた新たな大学像の構築である。

 人類は都市に人口を集中させ、国境を超えてグローバルにヒト、モノ、カネを動かすことで効率を高め、成長を実現し、経済的豊かさを享受してきた。このことは日本の大学にも当てはまる。大学は東京をはじめ大都市に集中し、大教室に多くの学生を集めることで、効率を追求し、経営を成り立たせてきた。コロナ禍でこれらが問い直されている。

 ICT(情報通信技術)を活用することで、社会・経済活動の停滞が最小限に食い止められ、大学でも教育活動を停止させることなく春学期を乗り越えられた経験は、その過程で明らかになった問題の解決を含め、今後に活かされるはずである。

 また、感染防止を徹底するなかで衰退を余儀なくされる業種や見直しを迫られる業態がある一方で、新たなニーズに対応した業種・業態が生まれ、労働の円滑な移動のための教育も求められる。

 知識の重要性、情報伝達の難しさ、それらを理解し活用する能力の必要性等が、コロナ禍の体験を通して広く共有されるならば、そのことを前向きに捉え、学問や科学のさらなる発展に結びつけていかなければならないだろう。

 これらの観点から、大学はどうあるべきか、自校は如何なる役割を果たし得るのかを問い直し、構想する。それを通して存在意義を見いだし、持続可能性を高めていかなければならない。

賢い防止策を場面場面で組み合わせながら工夫を凝らすことで感染を抑える

筑波大学 倉橋 節也教授

 大学における新常態をつくりあげ、新たな大学像を構想するために、考慮すべき事柄について、コンピュータモデルを用いたシミュレーションにより感染予防策について発信を続けている筑波大学の倉橋 節也教授の話を聞いた。

 倉橋教授は、計測・制御システム関連の民間企業に勤務しながら放送大学で学んだ後、筑波大学大学院で博士の学位を取得して教員の職に就き、人工知能をベースに経営・社会を解明する新たな領域の開拓に取り組んできた。

 在外研究先のオランダでエボラ出血熱に対する欧州各国の強い危機感に接し、もし日本に1人でも感染者が入ってきたらどうなるかとの問題意識から、ネットワークを用いたマーケティング・モデルの感染症への応用を考え、エボラ出血熱のモデルを開発したという。以降、毎年のように発生する感染症に関するモデルを開発し、研究成果の公表・発信を続けている。

 新型コロナウイルス感染症についても、武漢での発生に危機感を抱き、2月中旬の中国疾病制御センター(CCDC)による数万人の感染データの公開を受けて、2月20日頃までに感染プロセスのモデル化を行ったという。以下は倉橋教授の発言要旨である。

 自分は感染症学や公衆衛生学の専門家ではないが、これらが特定の研究対象を扱う学問だとすると、自身の専門である社会シミュレーションはそれらに横串を通す学問の一つであり、両方が協力することで科学の発展も促されると考えている。

 現在、社会・経済活動と感染防止の両立を目指すなか、3密回避等を徹底できなければロックダウンというどちらかを選択せざるを得ない状況が続いているように思われる。どのような対策がどの程度有効か、数字で明確に示すことが重要であり、それに基づいて、賢い防止策を場面場面で組み合わせながら工夫を凝らしていけば感染は抑えられる。例えば、観光による感染拡大を防ぐために、観光客と地元住民との動線を分けること等も有効だ。

 大学についても、感染者数が高水準にある大都市圏の大学と低く抑えられている地域の大学では、感染防止策の考え方が異なる。前者では、感染者が入構してくることを前提に、その先の二次感染を避けることに力を注ぎ、スマホを利用した行動記録把握の仕組み等も整えておくことが重要だ。他方で、後者については、感染者の多い地域から戻ってきた学生に2週間の健康観察期間を設ける等、感染を持ち込まない対策を講じる必要がある。

 そのうえで、感染者の多寡に拘わらず、新常態において、教室定員に近い数の学生を集めて講義を行う形態の授業は遠隔授業に移行せざるを得ない。オンラインやオンデマンドのほうが移動時間の節約や繰り返し視聴等優れている面も多い。学生同士がグループで話し合う、少し緩やかなコミュニケーション・チャネルを用意することも必要だろう。

 それでも、学生の孤立の回避、学生同士の学び合い、図書館の利用等、キャンパスでの学びや交流は大切だ。大学が適切な防止策を講じ、学生が課外活動を含めて感染防止の行動を徹底できれば感染リスクは抑えられる。

新常態に対応するためのリソース再配分が必要

 本稿執筆時点でも課外活動を中心に大学生のクラスター感染が連日報じられている。教室や図書館等教職員の目が届く学内施設内よりも、学外での課外活動や学生同士の飲食で感染が広がる可能性が高い。学生個々に責任ある行動を促すべく指導を徹底するとともに、感染が起き得ることを想定して、倉橋教授の指摘する行動記録把握等トレースの仕組みや発生時の対処手順等を整え、大学の機能を維持できるシステムを新常態として定着させる以外に方法はないだろう。

 そのためにも、これらのシステムの整備・運用、とりわけ学生への指導やきめ細やかな対応に大学のリソースをこれまで以上に投入する必要がある。教員と職員の分担と連携、職員組織における一般管理系業務から学生支援系業務への戦力シフト等が求められる。

 また、緊急時の対応として導入したオンラインやオンデマンドによるリモート授業を、さらに実効性を高めるための改良を加えながら、対面授業、両者を組み合わせたハイブリッド授業等と併せて、安定的に提供できる教育方法として定着させていく必要がある。

 情報リテラシーは教員間で大きな開きがあり、元々あった教育スキルの個人差と相俟って、教員間のばらつきがさらに広がる可能性が高い。

 遠隔授業に関しては様々なツールが提供されている。それらの評価・選定、セキュリティーを含む適切な運用、教員のサポート、学生からの問い合わせへの対応に加え、教室の割当や時間割の編成等、教務系・情報系職員の役割は質・量とも増すだろう。

 一方で、窓口フリー、印鑑フリー、働き場所フリーを謳った「東北大学オンライン事務宣言」(2020年5月28日同大学公表)に象徴されるように、コロナ禍での業務のあり方や働き方の抜本的な見直しが求められている。

 そのなかで、総務、企画、財務等一般管理系業務から教務、学生、情報等より教育現場に近い業務に如何に円滑に戦力をシフトさせていくか、トップマネジメントの意思と見識が試されている。

コロナ禍を克服するプロセスを通して組織を鍛える

 私達はこれからの大学像をどう描けば良いのだろうか。

 自身も働きながら放送大学と筑波大学大学院で学んできた倉橋教授は、「対面授業の優れた点を遠隔授業でどこまで代替できるかが大学の競争力を左右するだろう。遠隔で500人さらには1000 人に講義できるようになれば知識を伝達するだけの教員はより少数で済むようになるかもしれない。また、大都市圏と地方の教育面での格差も縮まる可能性がある」と指摘するとともに、「学生が初年次から遠隔授業やハイブリッド型授業に円滑に参加できるように、高校段階での情報リテラシー教育を強化し、家庭におけるICT環境の確保を支援する必要がある」と提言する。

 あくまで一教員の見解と断ったうえでの発言だが、筆者も同意する部分が多い。「知識を伝達するだけの教員」という言葉に違和感を抱く教員もいるだろう。しかしながら、自らに不都合な見解にこそ謙虚に耳を傾けることが、教育研究に携わる者の真摯で誠実な姿勢ではなかろうか。

 社会に目を向ければ、医療機関の収支は急速に悪化し、旅行、輸送、飲食をはじめ需要の大幅な減少に苦しむ業種も多い。業態の変更、事業の再編・撤退、組織の組み替えなしには生き残れないとの危機感も広がっている。

 大学は社会によって支えられている。資金面だけではない。春学期は民間企業が提供する通信インフラやツールの力で教育や業務を成り立たせることができた。その社会が深刻なダメージを受けている状況で、大学だけが現状維持や部分的な改革だけで済まされるはずはない。

 「組織は戦略に従う」と言われるが、戦略はどこからか降りてくるわけではない。トップマネジメントの視野や見識はもちろんのこと、教職員の健全な危機感と強い当事者意識、これらに基づく深い対話を通して生み出される。

 大学に決定的に欠如しているのはこの危機感と当事者意識である。危機は、組織の真の強さと脆さを浮き上がらせ、それを乗り越えるプロセスを通して組織を鍛える。そのことをトップマネジメントが強く自覚し、コロナ禍を自校の新たな発展の好機と捉え、行動することが大切だ。

コロナが分ける生き残る大学と淘汰される大学

 最後に、前号に引き続き、クレムソン大学理学部の木原 由貴国際担当アシスタント・ディレクターに伝えてもらった米国の大学の最新動向を紹介したい。

 それによると、秋学期について5月時点では対面授業再開とする大学が多かったが、7月23日時点では、完全オンライン、原則オンライン、ブレンディッド、原則対面、完全対面等に対応が分かれ、特に大都市圏や西海岸はオンラインが多いとのことである。

 大学内では、学長・副学長、学部長・副学部長、教職員という職階や立場による認識の差が広がりつつあり、対面授業や対面での学生対応を避けたいと考える教職員が、大学や上司に要望を出すケースも見られるという。

 そのうえで、「コロナが過ぎる頃には多くの中小規模の大学、特に私立大学が消えているとの予測があり、コロナ禍が生き残る大学とそうでない大学を分けるきっかけになるのではないか」と指摘する一方で、「コロナの時代に入り、大学と大学が立地する地域との関係性、大学の役割の大きさを改めて感じるようになった」と語る。

 木原氏は現在も在宅勤務を続けているが、5カ月間大きな問題もなく、オンライン教育への切り替えも円滑だったと振り返る。

 コロナ禍で、行政、医療、教育等多方面で日本のICT環境や活用能力に課題があることが浮き彫りになった。

 大学においても、教育にとどまらず、学生支援、国際交流、社会・地域連携等の諸機能を維持・向上するとともに、組織運営や働き方を変革するためにも、ICT 環境の整備と教職員全体の情報リテラシーの引き上げは急務である。

 この問題への取り組みなしにコロナ禍を乗り切ることも、コロナ後の新たな大学像を実現することもできない。


(吉武 博通 東京都公立大学法人 理事 筑波大学名誉教授)


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