リカレント教育と日本の大学[11]/社会人マーケットへの進出を成功させるための「教育内容・教育方法の更新」 ~京都芸術大学通信教育部の場合~
◆社会人マーケットへの進出を成功させるファクターは?
この連載ではこれまで3回にわたり、社会人を対象として新しく創設されたプログラムを取り上げてきた。いずれも、10年以上継続的・安定的に受講者を集め、社会で活躍する修了生を輩出してきた履修証明プログラムである。何を「成功」とするかはそれぞれ異なってはいるが、社会環境・大学の環境を背景に設定された課題解決に向け、「どんなキャリア課題を持つ社会人に」「修了後どうなってもらいたい」プログラムなのかという「ありたい姿」が明確に設定され、それを実現するために首尾一貫したプログラムデザインがなされていた。
さらに、そのプログラムの運営・実行においても、いくつかの工夫を見いだすことができる(図)。
【学び手のサポート】
受講前からのコミュニケーションを通じて学び手がそのプログラムを受講する意味を明確にしたり、仕事あるいは生活における自らの経験や持論を学びの場に持ち込んだり、実践との往還を通じてリフレクションを行ったりといった学び手の活動をサポートするための機会づくり
【学び手同士のコミュニティの形成】
学び手が自らの所属する組織やコミュニティを離れ、「アウェイ」である学びの場で安心・安全な学習を行うことができるような場づくりによる、学習コミュニティの形成
【修了生との継続的な関係の構築】
学び手が単発的な「学び直し」に終わってしまうことがないように継続的な学習機会を用意したり、社会や職場において学んだことを活かすための活動を支援したりといった取り組みによる、修了生とのネットワークの構築
【教育内容・教育方法の更新】
受講前、受講中、修了後にわたって学び手を観察し、その声を聴いたことをもとに、常にその教育の内容や方法を改訂し更新し続けていること
【大学・学部による組織的なサポート】
運営にあたって、大学から組織としての金銭的、人的なサポートが得られていること
◆社会人向けプログラムにとっての「教育内容・教育方法の更新」
今回はこれらの工夫のうちの一つ、「教育内容・教育方法の更新」について掘り下げたい。
教育内容・教育方法の更新は、もちろん18歳を募集対象とした課程でも実施されていることだ。学生へのアンケートをもとに、授業内容のブラッシュアップやシラバスを改善するといった活動は、一つひとつの授業においても普通に取り組まれるようになった(私自身、大学の非常勤講師を兼職しているため、毎年度その一端を体験している)。しかし社会人を対象としたプログラムの場合、その重要性はより大きい。環境変化の影響範囲、そしてその変化のスパンが大きく異なっているからだ。
「高大社接続」という言葉ができるくらい、18歳で高校を卒業して入学する学び手が持つキャリア課題は固定的である。それに比して、社会人を対象とする場合は、そのバリエーションは非常に大きい。だからこそプログラムの設計においては、どのようなキャリア課題を持つ社会人をターゲットとして設定するかがカギを握るのだが、その設定のもととなる社会環境・雇用環境は、短期的な経済状況によって大きく変化する。その変化はまた、学び手が学びの場に持ち込んでくる経験や持論の内容にも影響を及ぼすことになる。教育の内容、教育の方法ともに、同じ教育効果を実現しようとするならば、更新は必須だ。
また、社会人向けプログラムの場合、競合するのは大学だけではない。民間教育産業が実施するセミナーや企業内で実施される研修、個人が動画サイトにアップしている動画プログラムですら競合になりうる。その状況の変化は、脅威にも、またチャンスにもなりうる。
※なお本項では、教育プログラムの改善において使用されることが多いPDCAという言葉は使用していない。計画通りミスなく大量の製品を効率的に生産する態勢をつくるための手法であるPDCAが、社会人を対象としたプログラムにおいて教育内容・教育方法の更新を考えるうえでふさわしいのか私には判断がつきかねるため、単に「更新」という言葉を使用している。
今回取り上げるのは、高い頻度で教材や教育内容の更新を行っている京都芸術大学の通信教育部(芸術学部)である。開設は1998年、現在は芸術学科・美術科・デザイン科・芸術教養学科の4学科15コースで構成され、幅広い年齢帯の7500名にも及ぶ学生が学んでいる。2016年には当時96歳の卒業生が世界最高齢の大学卒業としてギネス世界記録に認定されたことも話題となった。自宅で学ぶテキスト科目と週末を利用した2~3日のスクーリング科目を組み合わせた「週末芸大」、スマートフォンでの動画・テキスト講義を組み合わせ卒業まで通学不要で学べる「手のひら芸大」というキャッチフレーズが、同学通信教育部の学びをよく表現している。
通信制大学の教育内容や教材については、いちど作成されるとそのまま長く利用され続ける場合も多い。しかし京都芸術大学の場合、動画を含め、それが非常に高い頻度で更新されている。教材の改訂も、新しい動画の作成も、決して楽なことではない。その背景にはどのような思いがあるのか、そして、具体的にはどのように進めているのか。通信教育部の教材開発において中心的な役割を担う上村 博教授に取材した。
(京都芸術大学通信教育部 上村 博教授)
◆「教育内容・教育方法の更新」を行う動機
「そもそもなのですが、本学通信教育部の方針として、お手軽な知識のカタマリを無垢な初学者に『はいっ』と流し込む、そんな教育はやめよう、と。そうではなく、自分で考え、自分で問題を発見し、自分で制作していく…そういう自律した探究者を育てていこうとしているのです」(上村教授)
取材の第一声は、まさに、京都芸術大学通信教育部が考える<ありたい姿>についての言葉から始まった。
「芸術やデザインの領域というのは、ちょっと時間がたつと、ガラッと世界が変わってしまう。非常に流動性が高いんです。そして、学生も変わりますし、社会も変わる。もちろん教員も、大学も変わっている。教材も教育内容も、変えていくのは当然のことではないでしょうか」(上村教授)
こうした意味での教育内容の更新は、授業内容のブラッシュアップやシラバスの改善、教材の問題点の解消などといったルーティンとして実施される活動とは、動機じたいから異なるものだと上村教授は言う。
「具体的には、次の3つの動機があります。
まず、学生の変化に対応するため。本学の場合、必ずしも卒業だけをゴールとしていないこともあって、うれしいことに何度もうちの大学に入りなおすという方がいらっしゃいます。長い人はもう10年以上も色んな形で勉強を続けている。もちろん、ほかで学んできた人もいる。そういう、日進月歩、日々あちこちで学び、活動してらっしゃる人達に対して、おんなじことを提供し続ける、というわけにはいきません。
2つ目の動機は、今の、アクチュアルな動きを知ってもらいたいということ。20年前のデザインやファッションなんて、今見たらすごく古いものに見えるでしょう? コンテンポラリーアートにせよ、アートを活用した地域づくりの運動にせよ、今起こっていることを知るにはハードカバーの書籍になるのなんて待っていられないんです。だから、色んな先生が様々なツールを活用しながら、授業のなかで次々と紹介しています。
幸い今はウェブというものがあります。芸術教養学科では、『アネモメトリ』というWEBマガジン( 【外部リンク】https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/ )を教材として毎月発行しています。『アネモメトリ』という誌名は『測風術』という意味。いろんな場所から吹いてくる風を敏感に察知していこう、そういう思いをこめて名づけました。こちらでは、色んな地域でデザイン活動や芸術活動を展開している個人やグループを取材し、紹介を続けています。
紹介されている事例は、評価が定まったものばかりではありません。これから失敗してしまうかもしれない、はたから見たら危なっかしいような、そんな事例も数多く紹介している。なぜならこれらは、知識を得るためだけじゃなく、学生が自分でネタを探し、自分で調査し、取材し、自分で新しい動きを察知するための、お手本、サンプルでもあるからなんです。
3つ目の動機は、最終段階である卒業制作・卒業研究に関するもの。これは多くの大学でも基本的に重視していることだと思いますが、卒業制作や卒業研究はそれ自体、過去の業績を更新し続けるところに意味があります。大学で提供された知識や技術を使って学生達自身がそれを更新してほしい。必然的に、どのように指導していくかという教育方法についても、常に更新することになります。通信制大学ですが、オンラインのおかげで、居住地も世代もばらばらな色んな学生がウェブ上でディスカッションして、お互いに意見交換しブラッシュアップできるようになっている。本当の意味で学問の最前線になる部分ですね」(上村教授)
◆学び手の期待とのギャップ
教材・教育内容の更新の動機として、上村教授は学ぶ側の変化、教えるべき内容の変化への対応に加え、個別性の高い卒業制作・卒業研究の指導についても触れた。数百人が視聴する動画教材も、一人ひとりに向き合う指導も、同じく、「ありたい姿」として掲げられた「自律した探究者を育てる」という目標を実現するための手段として考えられていることがよく分かる。
しかし、「自律した探究者を育てる」のはもちろん、簡単なことではない。入学時に学び手がイメージしている目的と、教える側が持つこの目標との間には、あるズレがあるからだ。上村教授はこう続ける。
「社会人の皆さんというのは、大学に結構オーソドックスな、権威的なものを求めるところがあるんですね。何年たっても変わらないような、不易の知識。もちろんそれも大事なんですけれど、それだけになってしまっては、自分の普段の活動と大学での勉強との間にギャップができたまんまになってしまいます。特にわれわれは芸術大学です。それも、単に美術愛好家を育てるのではなく、自分の家の中からはじまり、仕事でも地域でも社会の色んなレベルでそれぞれのアーティスティックな感性と能力を発揮できる人材になってほしい。そのためには、アクチュアルな現場の事例を伝えて、いつも自分で触覚を伸ばし、知ろうと思ってもらうことが大切なんです。
両極端なんですが、明日使えるマニュアル的なものを欲しがる人もいます。でもね、じっさい、明日使えるマニュアルを探して、たとえ見つかったとしてもね、いつまでたってもそんなのが使える明日なんて来ないんですよ。それは本当に使えるものじゃない。それよりも、すぐれた実践例、すぐれた実験、試み、常にそうしたものに触れてもらう。授業内容の更新の頻度が高いのは、そうやって新しい発見をしてもらうためには必要なことなのです。
↑美術科での添削例
授業のなかで発見、体験があると、じゃあ、ほかにも面白いものはないか、自分で探してみようかという姿勢が生まれていく。学生の思惑をいい意味で裏切りつつ、引っ張っていくんです。そもそも興味があって入ってくる人達ですから、最初は自分の期待に固まっていても、自ら変わっていくという人が多いんですよ。もちろん個人差はあるのですが」(上村教授)
しかし、通信制という形態において、その変化をつかまえていくのは難しい。
「個々の科目についてのアンケート結果からは、授業内容や教え方がどうだったとかそういうことは分かるけど、こうした意欲の変化のあり方というようなことは分かりません。うまく導けているのかまで測ることができるのは、卒業制作・卒業研究に近づいてきた、その準備科目くらいから。学生が自らのテーマを探せるようになっているのか、それとも、言われた課題がないとうまく考えられないという人が多いのか、それを見ています」(上村教授)
◆学生の変化をどう「教育内容・教育方法の更新」につなげるか
教員が学生を観察して得られた変化・動向。では京都芸術大学ではそれをどのように教材・教育内容の更新につなげているのだろうか。
「『教材編集委員会』という委員会を組織しています。ここで議論されるのは、毎年毎年の授業内容のブラッシュアップとは別に、社会の動き、教員達が過年度の学生の動向を見てきたことをもとに議論をしています。
もちろん、人気的な兆候、世間的なニーズというのも大切ですし、マーケティングや市場調査的なものに長けているスタッフもいます。
でもそれに加えて、大学が何を芸術の重要な部分として考えるのか、今の社会的な芸術の需要をどう考えるか、これからの社会でどういうふうに芸術家が働くことができるのか、そしてそれを具体的なカリキュラムや教材に落とし込んでいく。
予算の面だとか人員の面だとか、もちろん現実的な側面はたくさんありますが、大学のほうで、ここをぜひ伸ばしたい、本学としてここを盛んにしたいということを盛り上げていきたい…もちろん失敗も多いですが、そう掲げることで、社会の関心を掘り起こしていくことができているのではないかと思います」(上村教授)
こうした活動を支えているのが、組織としての風土だと上村教授は言う。
「意思決定が速いんです。駄目な場合にはすぐダメってことが分かりますし、そこはわりと大規模な老舗の学校に比べると何をやるにしても白黒がはっきり見えやすい、そんなメリットはありますね。
そして、アイデアを出しやすい。みんなノリがいいんですよ。これは今の上田 篤教授が通信教育部長になってから特にそうなりました。芸術にせよ、デザインにせよ、学生自身がそういうものを担っている、現場で色々動いている人が多いので、そういう人と触れ合う、地域でそれぞれ何か活動されている人の様子を見ていくことで、それがそのまま新しいコンテンツの作成につながっていくという感じですね」(上村教授)
学生の反応や市場調査のデータにそのまま応えようとするのではなく、それをあくまで前提として、大学が自ら考える<ありたい姿>を実現するために試行を続けること。そしてそれを、大学が組織として支えること…。こうした姿勢こそが、「教育内容・教育方法の更新」にあたって求められる姿勢と言えそうだ。
文/乾 喜一郎 リクルート進学総研主任研究員(社会人領域)
(2021/3/30 取材日2021/1/7)