高等教育はDXをどう捉えるべきか
はじめに
DXという言葉が、企業活動やサービスの場において叫ばれるようになって久しいが、高等教育の現場においてもDX推進の波が押し寄せている。本稿では、Society 5.0時代に向けた高等教育におけるDXを、DX推進とDXを支える人材育成の両面から議論したい。
コロナはDXを加速
コロナ対策の一環として、否応なしに遠隔授業を取り入れざるを得ない状況に至り、2017年においては遠隔教育の実施経験がある大学は30%にも満たなかったものが、今や全国の高等教育機関において実施される状況となった。そもそも、MOOCsやLMSを用いた教育データ利活用により、世界における学びが大きな変革を遂げている中、我が国の高等教育も見直す必要があった。このコロナ対応としての遠隔授業の導入は、デジタル技術を活用した学びのメリット・デメリットを、全国の学生、教員及び職員が知ることを可能にした。コロナという不幸な出来事が起因ではあるが、これがひとつのきっかけとなって、これまでの遅れを取り戻すように高等教育におけるDXが進んでいく公算は大きい。デジタル技術活用への心理的ハードルが下がった今、まさに高等教育関係者、とりわけ大学経営層の方々が行動を起こすべき時、チャンスが来ていると言える。
高等教育DXの本質と対応
●DXの罠と本質
DXを論ずるとき、往々にしてその議論を「デジタルの活用」自体を対象にしがちであるが、図1に示す通り、実はそのようなアプローチをとると教育の価値向上につながらない場合が多い。それはなぜなのか、あえて語弊を恐れずに申し上げれば、「DXはデジタルの話がその中心にあるわけではないから」だと考えている。勿論、デジタルにより教育の現場で何ができるのかをよく知る必要はあるが、それと同時にDXでどのような理想を我々は手に入れたいのかを言語化することが求められる。そこで立ち返りたいのが「学修者本位の教育への転換」を掲げた「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン答申」である。デジタル技術を使って何を実現させたいのか、まずは目的を明確にすることから始めることこそがDXの本質なのである。
●財政的な支援-Plus-DX
文部科学省は、昨年度DXを進めるための最低限の環境を整えるべく、コロナ対応のための遠隔授業関係整備へ100億円の支援を行った。これに加え「デジタルを活用した大学・高専教育高度化プラン(Plus-DX)」により、これまでやりたくても困難だったデジタル技術を活用した「学修者本位の教育」と「学びの質の向上」の実現に向けた環境整備に60億円を投資した。申請に当たっては、各機関が策定する「DX推進計画」において、目標・課題の設定と現状分析を記述することを求め、デジタル技術の活用自体が目的化しないことを促した。今後、様々な場を通じて、支援を行った大学等の取組をご紹介していきたいと考えている。
●コミュニティ形成への支援-スキームD
従来の文部科学省のビジネスモデルは、大学等が考えた提案に財源を支援するという形で進められてきた。一方、図1に示す通りDXはおよそ大学等だけで完結できるものではなく、教室外の企業や投資家といったプレーヤーを巻き込むことが不可欠だ。また、イノベーションは「個」から始まるものであり、従来のビジネスモデルのように「組織」に対する支援だけでは、新しいイノベーションの種は日の目を見ることなく埋もれていくことになる。
こういった課題意識から、文部科学省は、新たなビジネスモデルとして、教室外のプレーヤーを巻き込み、「個」のアイデアを「組織(≒大学等の経営層、企業、投資家等)」につなぐコミュニティ形成を支援する「高等教育のデジタライゼーション・イニシアティブ(スキームD)」を始動させた。この施策は、ピッチイベント・メンタリングとコミュニティの形成を通じて、新たな高等教育に挑戦するイノベーターを応援するプロジェクトで、今年2月にピッチイベントにおいて自らのアイデアを発表した10件の中には、スキームDの支援を通じて協力者を見つけ、次の段階に進んでいるプロジェクトも出てきている。毎年、新しいアイデアを持ったうえで、その実現に向けて協力者を求める教員、企業の方、学生等を募集し、様々な支援を提供していく予定である。ぜひ、経営層をはじめとする本誌の読者の皆様にも、まずはこの施策に注目することから始めて頂き、高等教育DXのコミュニティが広がっていく様子を実感して頂き、自らの大学の競争力・魅力の向上に利用して頂ければ幸いである。
●帰納的アプローチへの備え-標準化
もう一つDX推進において忘れてはならない視点は、大量の教育用データを活用した帰納的アプローチへ備えておくことである。学内におけるデータの各部局間での相互運用性はもちろんであるが、大学間など組織間の連携や比較による教育の高度化を考慮すると、教育データの標準化に関する対応を考慮に入れていく必要がある。現状、初等中等教育においてこの標準化の議論が始まっているが、この動きと連携しながら高等教育におけるデータ標準化についても、海外動向も踏まえた対応が必要になると考えている。
●新しいDX施策の方向
我々行政官も、やや言い訳にはなるが人員や時間の制約、新しいことを始めるリスクへの恐れから、既存の延長線上で施策を立案、実行しがちである。しかし、DXは①「個」のアイデアを「組織」につなげるための「コミュニティ形成」を必要とすること、②データの活用には帰納的アプローチに備えるべく標準化が求められることを踏まえ、これまでの高等教育行政にはない新しいビジネスモデルを模索していかなければならないと考えている。
既存のビジネスモデルである「財政的支援」に加え、「コミュニティ形成支援」「データ標準化の検討」を組み合わせ、試行錯誤しながらDXによるイノベーションを加速していきたい。
待ったなしのデータサイエンス・AI 教育
●なぜデータサイエンス・AI教育なのか
DXを進めるうえでデータサイエンス・AIの素養を持つ人材が不可欠であることは論ずるまでもないが、改めてなぜデータサイエンス・AI教育の強化が待ったなしと言われるのか認識を共有したい。
1点目、データ活用が産業構造を短期間で一変させたことである。2007年当時、世界の時価総額トップ10の中にIT関連企業はマイクロソフト1社のみであった。しかし、わずか10年でGAFA、テンセントなどの中国企業も加えIT関連企業が7社もランクインし、金融・エネルギーといった企業が支配的であった情勢ががらりと変わったのである。
2点目、データサイエンス・AIは、人間の認知能力を拡張し、将来の意思決定を大きく左右することである。データは我々が意識することなく、生活から様々なデータが取得され、人間にはできない大量のデータを処理することにより、認知能力を飛躍的に向上させるのである。読み・書き・そろばんに加え、データサイエンス・AIはこれからを生きる若者にとって必須のスキルであり、デジタル社会においてこれを無視した教育では、若者たちは丸腰のまま世界の荒波にさらされることになることが分かって頂けると思う。
●数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度-MDASH
政府は、2025年までに年50万人、大学・高専卒業者全てにリテラシーレベルの知識を身につけさせるという野心的目標を設定し、その実現に向けた施策として「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度-MDASH」を導入した。この制度は「数理・データサイエンス教育強化拠点コンソーシアム」が策定したモデルカリキュラムを踏まえ、全学的に開講される教育プログラムを認定するもので、今年度はリテラシーレベルとして78件の教育プログラムを認定し、そのうち特色が認められるものをリテラシー・プラスとして11件選定した(図2)。来年度からは、リテラシーレベルに加え、応用基礎レベルも開始される。受験生や企業へのアピールとして、この制度をぜひ自校のブランド価値向上に利用して頂きたい。特に、データサイエンス・AIというキーワードとあまり関わりがなかったと思われる私立文系の大学の応募を期待している。
●数理・データサイエンス教育強化拠点コンソーシアム
MDASH認定制度と対をなす施策が「数理・データサイエンス教育強化拠点コンソーシアム」である。このコンソーシアムは、6つの国立大学を拠点校として、カリキュラム、教材、データベースを共同で構築し、地域ブロック活動を通じて全国の国公私立大学へ普及、展開しており、わずか6校で始まった活動は、今や120校もの大学・高専が参画する大きなものに成長している。ここで構築されたカリキュラム、教材、データベースは、ホームページで公開、教科書については出版されており、大規模な普及、展開が進むような手法をとりながら活動を進めている。今後MDASH認定に挑戦したい大学は、ぜひこのコンソーシアムにご参画頂き、会員とのコミュニケーションをとりながら認定教育プログラムの編成にお役立て頂きたい。
●大学入学共通テストへの「情報」の追加
さらに忘れてはならないのは、新学習指導要領を踏まえ、2025年(令和7年)1月からの大学入学共通テストの科目に「情報」が追加される。各大学の入試にこれを活用するかについては、2年程度前には予告、公表されることになっているため、来年度には各大学の方針が出てくる。各大学におけるディプロマ・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、アドミッション・ポリシーを冒頭述べたような社会情勢認識を踏まえたものとし、各大学がどのような教育を目指していくのか、高校生にしっかりと発信して頂くことを強く期待している。
経営者にとって自分事なDXを
DX推進もデータサイエンス・AI教育も、資金や人員の投資が必要であり、経営者がその決断に至るにはそれなりの強い動機が必要である。DXという言葉を経営者の皆様が受け取ったとしても、なんとなく実感がわかないという方も多くいらっしゃると思う。そこでご提案したいのは、DXを財務諸表のPL的な発想で捉えてみることである。DXにより収入増(学生数、寄付金等)や費用減(教員数を維持したうえでの教育の質向上、人件費等)をどのように実現していくのか、リスクにどのように備えていくかと考えてみるのである(図3)。特に、「5年先、10年先の自学の学生の就職先がどうなるか」を想像し、DXをぜひ自分事として捉えて頂きたい。これまで多くの卒業生を送り出してきた業界や職種が縮小、消滅する可能性はないか、少子化やジョブ型採用の拡大といったリスクに備えることができているのか、そのような視点で考えてみて頂きたい。未来を変えるのであれば、経営方針を変えることが必要で、新たな業界、企業へ人材を送り出す教育機関としてどんな学修者本位の学びに投資するのか、経営戦略が今こそ問われている。
(文部科学省 高等教育局専門教育課 企画官 服部 正)
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