入試は社会へのメッセージ[3]イノベーション人材をどう育成・選抜するかー視点提供インタビュー/慶應義塾大学大学院教授 前野隆司


前野隆司氏

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科 教授 前野 隆司氏
1984年東京工業大学卒業、1986 年同大学修士課程修了。
キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授等を経て
現在慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。
慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼務。博士(工学)。
著書に、『幸せな職場の経営学』(2019年)、『幸福学×経営学』(2018年)、
『幸せのメカニズム』(2013年)、『脳はなぜ「心」を作ったのか』(2004年)など多数。
日本機械学会賞( 論文)(1999年)、日本ロボット学会論文賞(2003年)、
日本バーチャルリアリティー学会論文賞(2007 年)などを受賞。
専門は、システムデザイン・マネジメント学、幸福学、イノベーション教育など。




 イノベーションの必要性がうたわれて久しい。現在、イノベーション人材育成反対という大学経営者はいないだろう。しかし、そもそもイノベーションとは何か。何故イノベーションが社会に必要か。そのために大学は何ができるか。イノベーション人材はどのように育成できるのか。慶應義塾大学SDM 研究科の前野隆司教授にお話を伺った。

イノベーションのヒント

――まず、イノベーションとは何なのか教えてください。

 イノベーションの語源は、ラテン語のnovus=newに由来します。大きくは「持続的イノベーション」と「革新的・破壊的イノベーション」に分かれ、前者は継続的な改良を重ねていくこと、後者は0から1を創り出すプロセスです。日本は、前者は得意ですが後者が不得意です。しかし、答えのない先の読めないVUCAの時代、求められるのは後者です。

 また、日本ではイノベーションを「技術革新」と訳す場合もありますが、本来は技術に限らず、社会を革新するものであればイノベーションと呼びます。

――革新的イノベーションの条件やヒントはありますか。

 ビジネスデザイナーの濱口秀司氏によると、イノベーションの条件は3つあります。まず、「見たことも聞いたこともないこと」。それでいて、実現してみると実は消費者が欲しかったもの。次に、絵空事ではなく、今ある技術や今後開発予定の技術で「実現が可能なこと」。最後に、「物議を醸すこと」です。賛否両論なアイデアを捨てずにイノベーションのタネだと気づくことが重要で、これは素人のように考えるということです。往々にして専門性が高くなると、深く狭く追究するマインドがセットされてしまいがちですが、玄人的専門性を獲得しつつも、いつまでも素人のようにフラットでピュアな視点を持ち続けることが大事なのです。

――素人のように発想して玄人として行動する。

 全ての学問は進んでいくと細分化していくものです。俯瞰する視点が見えづらくなっていく。でもそれでは、実際に社会で必要なテーマに応じて再編成することが困難になってしまう。特に日本の研究者は研究室に閉じこもりがちで、オープンに開きフラットにメタ認知することが苦手な場合が多い。それは元をたどれば、そうしたメンタリティを教育によって獲得できていないことが原因だったりします。日本企業はオープン・イノベーションが苦手だと言われますが、教育によって、内向き志向や狭く深く突き詰める志向が悪い意味で表面化してしまっているのが現在と言えるかもしれません。

 安定した時代では縦割りの役割分担は効率的ですが、VUCAの時代ではそれを横に広く拡げ、関連づけて横断的に捉える思考が求められます。不安定な社会の課題に対峙するには、既存の学問のあり方に囚われず、課題や問いを軸に関連する学問を融合的に捉え、統合する必要があります。

探究が育む横断的思考を大学教育でシームレスに研究につなげる

――初等中等教育の分野では、新学習指導要領によって「探究」が始まっています。こうした動きが横断的メンタリティを鍛えるものならば、大学はそれをどう受け止めるべきでしょうか。

 まさに、探究とは物事の捉え方を教科横断的に捉えるのに適した動きです。日本もようやくこうした教育に舵を切ったのは喜ばしいことです。大学はこうした探究を、社会課題を解決する研究にきちんとつなげる必要があります。

――具体的にはどういうことでしょうか。

 教養科目と専門科目がきちんとつながっている教育をすることです。探究を頑張ってきて、大学でもそれを深めようと思っていても、入学後まずやるのは教養教育。せっかくやってきた探究の流れがそこで阻まれてしまう。さらに、脈絡のない教養は広く浅すぎて興味が持てず、年次が上がってからの研究は狭く深すぎるというのでは困る。探究に関連した教養で問いに幅を持たせ、リサーチクエスチョンとして研究し、学術的専門性を高めることで厚みが出る。探究を研究シーズとして丁寧に育てることが大事です。

 大学とは本来、教養と専門があって、教養で自分の「やりたいこと」を発見して専門を選ぶ、という躯体のはずですが、制度上そこが分断されてしまったのが大きな問題です。探究と教養と研究をシームレスに接続できているのかを各大学が見直す必要があるでしょう。

創造性に寄与するのは多様性

――イノベーション人材はどういう環境で育まれるのでしょうか。

 イノベーション、つまり創造性は、多様性の高い環境で高まり、同時に幸福度が高まるという関係があります。また、多様なチームと均一なチームでブレストをすると、前者の方が高い成果が出る。あるいは、友達の数よりも多様さが人の幸福度に影響する。幸せな人は不幸せな人に比べて創造性が3倍高いという研究結果もあります。SDGsやダイバーシティはお題目的に捉えてしまう人も多いですが、ダイバーシティを推進することで売上が3倍になる、と聞けばどうでしょう。効果に向き合えば、その推進が寄与するものの大きさに気づくでしょう(図1)。


図1 幸せ・創造性・多様性の関係


 革新的イノベーションは、他と違うことをやらなければいけません。だからこそ、自分にない視点を持つ他者の存在が尊重される。マイノリティーは希少性と同義です。違いを認めて尊重し合うことが大事なのです。日本は高度経済成長期の教育システムが老朽化しているにも拘わらず、均一主義から脱却できておらず、他者を個として尊重する文化リテラシーが低い。だから、改善サイクルによる持続的イノベーションは得意でも、違いありきの革新的イノベーションが苦手。このあたりに閉塞感の根源があるように思います。しかしこのままでは、正解も妥当性もないVUCAの時代は生き抜けないでしょう。多様な人が尊重しあう文化風土を持った社会によってこそイノベーションは成り立つ。正解のある問題を解いて満足する人ではなく、自分とは違う他者と対話しながら自由に発想し、自分を信じて挑戦できる人が求められているのです。初等中等教育の現場で行われている「主体的・対話的で深い学び」はそちらへ向かう胎動のひとつでしょう。

イノベーション人材育成に必要なのは正しく設計された協創プロセス

――イノベーション人材育成を打ち出す大学の大半の方法論はグループワークとPBLです。間違ってはいないように思いますが、本当にそのやり方でイノベーションは生まれるのでしょうか。必要な視点を教えてください。

 私が所属する慶應SDMが整備したのは、イノベーションを創るための学問です。その根幹にあるのはシステム思考(図2)×デザイン思考(図3)という組み合わせで、バラバラに存在する様々な学問を俯瞰して横串でつなぐ営みとも言えるもの。全体を俯瞰したうえで、システムとして要素間の関係性を考え、ゼロイチで新たな価値を作っていく協創プロセスです。


図2 システム思考とは


図3 デザイン思考とは


 既存の学問は仮説を立ててそれを検証するというサイクルが基本です。それを否定するのではありませんが、今まで誰も発想しなかったことを志向する革新的イノベーションにおいて、過去や実績に基づく仮説に拘りすぎることはむしろ阻害要因になる。そのため、まずは仮説を持ちすぎず、素人の目で事象を見ることが大事です。結果として出てくる定量データに囚われず、イノベーションを創造したい領域やコミュニティに自らを置き、主観的に捉えること。戻ってきたら専門家の深い視点で事象を分析すること。この往復をトレーニングすることが大事です。現状の改善を積み重ねる持続的イノベーションに慣れていると、この入り方を間違えてしまうことも多いです。

 また、アイディエーションの段階において、ブレインストーミングとディスカッションの違いが明確に意識されていないことも問題です。これは本来正反対の営みです。特に「質より量」「批判厳禁」「エンカレッジ」といったブレストのルールを踏まえずそれっぽいことをして、芯を食っていないPBLや探究になっていないかが心配です。

 また、役割分担型社会においては、考える人と手を動かす人は分離しています。しかしゼロイチを可能にするイノベーション人材は、その感覚を持つためにも、考える→アイデアを出す→作る→振り返るというプロセスを全部できないといけません。デジタル技術が発展し、素人でも精度の高いものを作ることができる時代に、どうすれば価値を創出できるのか。プロトタイピングでそうした感覚をしっかり培う必要があります。

 イノベーションとは、やるべきことに対して、やるべき方法で取り組んでいかなければ生まれません。システム思考で全体から細部をシステマティックに分析する一方で、デザイン思考で主観を重視した視点で物事を捉えることを繰り返す。そのスキルは訓練によって向上し、誰でも自由にアイデアを生み出せるようになる。ただし、イノベーションレベルに達するには時間はかかります。大学はこのことを正しく理解して教育を展開していただきたいです。

学長よ、イノベーターたれ

――教育展開のほかに、イノベーション人材を育成するために大学が担うべき役割とは何でしょうか。

 自社内の技術力が競争力の源泉だった日本企業の多くは、そこに固執してしまって社会のニーズにアジャストできない。自分達ができることありきで考えてしまい、ニーズとの整合を後回しにしてしまう。大学も同様です。教育や研究の成果を社会への新しい価値創造に還元できるか。いかにニーズ起点で発想できるか。そのあたりがうまい大学とそうでない大学で勝負が分かれ始めているように感じます。既成概念を乗り越え、縦割りの弊害を打ち破り、様々なステークホルダーがオープンに協力して斬新なコンセプトを生み出し、ビジネスモデルまで吟味していくことを、強力なリーダーシップのもとで実現する、現代的協創が不足しているのです。

 学生に挑戦を促す以上、大学自身がこうした挑戦を恐れないことです。例えば、慶應は三田を中心にした学問体系とは全く別の場としてSFCやSDMを展開しています。時流を読んだ多様な展開をしていくことが経営の幅を拡げ、社会への提供価値を豊かにする。大学は既存学問だけを守っていればいい存在ではない。あらゆる社会変化に備え、挑戦を怠らないことが人材育成の場として重要です。意識的にチャレンジフィールドを設けることがその助けになるでしょう。

 また、ゼロイチで発想することも大事です。そのためには、大学を率いる学長がイノベーターでないといけません。学長自身が革新的イノベーションを起こすメンタリティを持っているのかが問われているとも言えるでしょう。学長は個性をもっと持つべき。多様性の時代に、大学が多様で学長が個性的でないとうまくいかないのではないでしょうか。建学の精神に根差した大学の在り方をどう体現するのか、社会で求められているニーズとどうアジャストしていくのか、経営問題として本気で考える大学がもっと増えてほしいですね。


(インタビュー・文/鹿島 梓)


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