デジタル時代の初等中等教育と大学経営 子ども達の認知や関心に応じた学びへの転換/内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局審議官 合田哲雄

1章では、高等教育の後ろに控える社会やキャリア観の変化について見てきた。
そこで見えてきたことは、正解がない時代はモノサシが多様化し、事業体は単独ではなく連携して価値創出していく動きがあり、 社会で働く人材もまた従来とは異なるキャリア観を持つ必要があるということであった。では、教育現場はこうした動きをどう捉えているのか。
2章では、高等教育の前に展開されている初等中等教育の変化と、既にこうした変化に対応して「学びをデザイン」している先行事例をご紹介したい。

合田哲雄氏

初等中等教育改革と大学経営

 18歳人口の減少のなかで私立大学が次々と撤退するとの「2018年問題」と呼ばれた予測がなぜ外れたかを分析したジェレミー・ブレーデン、ロジャー・グッドマン『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』(中公選書)は、「メイケイ学院大学」と仮称を付された実在の関西の私立大学が2003年頃に迎えた危機を乗り切った経緯や背景を明らかにしている。同族経営が持つレジリエンスのなかで、入学定員の削減や授業料の引き下げとともに、学生のこれまでの学習経験を踏まえた能力別のクラス編成やプロジェクトベース学習の導入等により、授業をより魅力的で効果的なものにするための全学的な取り組みが進められた。同族経営に対する評価は様々だろうが、初等中等教育における学習経験と大学教育、そして卒業後の社会生活を見渡して大学の授業の質を転換したことが、志願者の激減という危機を乗り切る重要な「切り札」であったことは間違いなく、そのことは国公立大学でも全く同じだろう。本稿では、大学経営という観点から、初等中等教育改革の今を描き出してみたい。

新学習指導要領が目指すもの

 小・中・高校の教育課程の全国的な基準である学習指導要領は、概ね10年に一度改訂されており、高校では2018年に改訂された新しい学習指導要領が2022年4月から実施される。

 この改訂は、アイデアや知識といった目に見えないものの価値が産業社会を牽引するなかで、時代の歯車を回しているのは官僚でも大企業でもなく、同調圧力や正解主義を乗り越えて新しい価値を創出している起業家や社会起業家等であり、その新しいアイデアが次代を切り拓くとの認識を踏まえて行われた。他方で、インターネットの使い方がSNSでのチャットとゲームに偏り、学校カーストの息苦しさのなかチャットで即答しないと仲間外れにされるといった、子ども達を取り巻く強い同調圧力についての危機感も強かった。

 異なる考えを持つ他者と対話を重ねることは面倒で、人工知能(AI)や他者が決めたことに従ったほうが楽だし、フェイクニュースが広がるデジタル社会においては、事実に当たったり論理的に検証したりして情報の真偽を確かめることも求められているが、これも面倒なことに違いない。しかし、自分達で社会の方向性を決めることを放棄し、全てAIや特定のリーダーに丸投げする社会はディストピアそのもの。だからこそ、複雑な課題を丁寧に解きほぐして関係者の「納得解」を得るために、自分の頭で考え、他者と対話する力を育むことが求められている。

 例えば、高校の新教育課程の公民科が育成を目指す「現在の諸課題について、事実を基に概念等を活用して多面的・多角的に考察したり、解決に向けて公正に判断したりする力、合意形成や社会参画を視野に入れながら構想したことを議論する力」は次代に必要な力そのもので、新科目「公共」は大きな役割を果たす。また、日本史・世界史の枠組みを取り払って近現代の歴史を学ぶ新科目「歴史総合」において、大正デモクラシーから戦争への道、終戦から戦後の復興、高度経済成長という流れを「大衆化」という文脈で捉えることは、世界を席捲するポピュリズムに向かい合ううえで不可欠な学びだ。withコロナの厳しい状況下にあって、わが国においては「命」か「経済」かといった二項対立の議論になりがちだが、多くの社会課題の解決にはトレードオフの発想が必要であることは論を俟たず、数学Ⅰの二次関数は社会課題の解決に当たってトレードオフの曲線のなかのどこで最適解を見いだすかという見方・考え方を働かせるためにも学んでいる。物理基礎において物質によって電気抵抗の抵抗率が異なっていることを理解したり、化学基礎で物質の構成粒子について学んだり、生物基礎で遺伝子や免疫について知ったりすることは、事実を科学的に把握し論理的に検証して、素朴概念に訴えるフェイクニュースのウソを見極めるうえで極めて重要である。

GIGAスクール構想から教育DXへ

 しかし、このような教育の質的転換に当たっては、これまでの紙ベースの一斉授業では限界がある。試験問題の文字情報を読んで理解して、迅速に正解を書く能力が偏重されるからだ。計画的な勤勉性と文書主義が必須だった工業化社会には適合的な学びだったが、みんなと同じことができること以上に他者との違いに意味や価値のある社会のなかでは、変容が求められている。

 そもそも私たちには一人ひとりそれぞれ認知の特性や関心の違いがある。話すこと・聞くこと、書くこと、読むことのそれぞれでも情報の受け取りと表現にわたって強み弱みがあるし、文字情報や音、映像など扱う情報の得意・不得意もあるだろう。計画的に学ぶ人もいれば、興味や関心が拡散する人、特定の分野に尋常ではない集中力を示す人もいる。発達障がいの困難さに向き合っている子、特定の 分野に特異な才能を持つ子、両親が外国人で日本語指導が必要な子、どうしても教室に行くことができない子…多様な子ども達の学びを支えるに当たっては、このような認知の特性や関心の違いを前提として、全ての子どもに共通している「知りたいという欲求」を刺激し、個別に異なるその子の学びの扉が開くように働きかけることが必要であり、だからこそ2019 年から子ども達に一人一台の情報端末を整備するGIGAスクール構想が進められている。

 この学びの転換には、文部科学省をはじめ政府全体で取り組む必要がある。内閣府総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の教育・人材ワーキンググループが、今後5年程度を見通し府省の縦割りを越えた議論を重ね、2022年3月に政策パッケージをまとめることとなっているゆえんである(本稿の図は同WGの資料)。

 学習指導要領の各教科等の内容にコードが付され、情報端末が整備されたことにより、子ども達の学びが時間的にも空間的にも多様化するなかで、それまでの教育内容の習得が不十分だった子どもはAI教材などを活用してその確実な習得に向かって自分の学びを調整することが可能になるし、特異な才能を持つ子どもについては教育課程の特例を設けて一足早く大学や研究機関で専門的な学びを行うことができるなど教室の風景は変わってくる(図1)。


図1 3本の政策と実現に向けたロードマップ


 教室の風景が変わると、学校の構造も変容する。今までは、いわば「垂直分業」で、子どもに関することを全部学校のなかで完結して担ってきた。しかし、学校がこれらの幅広い機能を全部自前で担うことは不可能であり、社会全体のDX(デジタル・トランスフォーメーション)のなかでレイヤー構造の「水平分業」へ転換することが求められている(図2)。


図2 3本の政策と実現に向けたロードマップ


教育DXの先にある学びの姿

 その際注意すべきは、他者と同じことができることが評価される時代の慣性に基づき、大人が採点しやすい知識再生型のテストが変わらないままで情報端末を活用した教育の個別化が進展すれば、子ども達がアルゴリズムやAIが指示する通り他律的にドリル学習を反復することになるという点である。しかし、先が見通せない時代を子ども達が切り拓くうえで大事なのは、子どもたちが他者と対話や協働を重ねながら、自分の認知の特性や関心に応じて自分で自分の学びを調整できることにほかならない。

 だからこそ、発達障がいやICT、サイエンス等の専門家が教員免許を容易に取得できるようにして教員集団の多様化を図りつつ、生徒が直面する困難さに向き合って学ぼうとする心に火を灯し、「学び合い」や「教え合い」でクラス全体の知識の理解の質を高めたり、討論や対話、協働を引き出したりすることが求められている。実際に、情報端末を活用した個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実は、山形県の天童市立天童中部小学校、埼玉県戸田市の小・中学校、長野県坂城高校や明蓬館高校等、全国の自治体や学校で取り組まれている。

 このような内発的な取り組みを全ての学校において引き出すためには制度的な仕組みが必要で、CSTIにおいては、学習指導要領の構造や教員免許制度の転換といった学校制度の根本の見直しのほか、CBT(コンピュータベースドテスト)の導入、探究的な学びの成果であるレポートや小論文、討論や実演等に対する「パフォーマンス評価」の科学的知見を活かした確立等について、具体的な方策が議論されている。

大学経営に問われるもの

 このような初等中等教育の変容が進むなかで、数教科の知識再生型問題中心の入試、文理分断な学部・学科構成、学生の力を伸ばすためのデザインなきカリキュラムは、大学の規模が大きいから、首都圏・大都市圏にあるから、伝統があるからと言って生き残れるだろうか。文部科学省記者会見室で、大学入学共通テストにおける記述式問題導入は時期尚早と訴えた横浜市の高校生菊田隆一郎さんは、SNSで「裏でいろいろ大人が動いているに違いない」、「AO入試のための実績づくりだ」といった批判を受けたが、「覚悟はしていたし、いろんな意見が出ることを望んで行動を起こした」と述べている。その菊田さんはわが国の大学を選ばず、アメリカの大学に進学した。

 岸田内閣のデジタル臨時行政調査会は、2021年末に閣議決定した「デジタル原則」に基づき、全ての規制や制度を見直すこととしている。デジタル化で大学制度も大きく変容することが見込まれるなか、菊田さんのような自立した若者に選ばれる大学になることが求められている。


(文/内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局審議官 合田哲雄氏)


【印刷用記事】
デジタル時代の初等中等教育と大学経営/内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局審議官 合田哲雄