「未来の教室」構想が目指すもの/折茂美保

折茂美保氏

ボストン コンサルティング グループ(BCG)マネージング・ディレクター&パートナー
折茂美保氏

東京大学経済学部卒業。同大学大学院学際情報学府修士。スタンフォード大学経営学修士(MBA)。
BCG社会貢献グループの日本リーダーを務め、パブリックセクターなどのコンサルティングを担当。
経済産業省「未来の教室」実証事業にも携わる。



 経済産業省の「未来の教室」事業を耳にしたことがある読者の方々は多いであろう。しかし、その本質を「デジタルによる教育の文脈」と思われてはいないだろうか。だが、その実は学びをもっと自由化・見える化・多様化して、「誰もがそれぞれ満足できる学校」をつくる動きであり、そのための制約を外すデジタル活用である点を強調したい。経産省「未来の教室」とEdTech研究会は、2017~2019年度に審議を行い、2018年6月に第一次提言を、翌2019年6月に第二次提言を公表した。第一次提言では「50センチ革命」「越境」「試行錯誤」といったキーワードを、第二次提言ではそれらを進化させた「学びのSTEAM化」「学びの自立化・個別最適化」「新しい学習基盤づくり」といった観点を「未来の教室」構築のための3つの柱として掲げている(図表1)。

 本稿では、経産省からの委託事業として「未来の教室」事業を推進するボストン コンサルティング グループ(BCG)で事業を担当するマネージング・ディレクター&パートナーの折茂美保氏に、第二次提言を軸に、当該事業が目指すもの、高等教育がつなぐべき視点についてお話を伺った。


図表1 「未来の教室」ビジョン3つの柱


既存の延長線上ではない「時代に合う教育のあり方」を模索する事業

─「未来の教室」事業の背景にある課題意識とは何でしょうか。

 これまでの日本の学びは、高度経済成長期に必要な人材を育成する優れたモデルでした。すなわち、知の再生産を担う人材、情報処理に優れた人材の育成です。しかし、今日的な社会のあり方にはフィットしません。昨今の教育問題の本質は、時代の変化に合う教育のあり方が抜本的に見直されず、既存の延長線上でしか描かれていないことです。日本において教育を司るのは文部科学省ですが、国の産業を司る経産省にとっても、産業を支える人材育成は重要テーマです。多くの変化を前に新しいことに挑戦するのに、これまでの延長線上で捉えた既存の縦割りではなく、横断・連携して多様な目を入れた事業のあり方を模索したい。いかに非連続に発想を変えていくのかという観点で、この事業が展開している経緯があります。

子ども一人ひとりの「ワクワク」を起点に「知る」と「創る」を循環させるSTEAM教育

─では、第二次提言で提起された「未来の教室」構築に向けた3つの柱について教えてください。1点目の「学びのSTEAM化」とは具体的にはどのような営みを指すのでしょうか。

 STEAMは米中などでも国策になっている概念です。世界が求める人材像として、多様性の中でイノベーション創出できるICT人材には共通した能力があり、STEAMはそのベースを培う教育。科学技術への理解を深めるSTEM(Science:科学、Technology:技術、Engineering:工学、Mathematics:数学)教育に、社会創造に欠かせないデザイン思考や幅広い教養、つまりリベラルアーツ(Arts)を編み込んだ学びです。

 学びのSTEAM化とは、子ども一人ひとり異なる「ワクワク」を起点に、「知る」と「創る」が循環する学びを指します(図表2)。幼児の頃は、誰しも「これ何だろう」から始まる好奇心を軸に日々学んでいますが、学校の授業は、子どもそれぞれの気持ちに応えるというより、クラス全員に対して「教える」側の都合で進んでいくので、それが面白いと思える子ども以外にとっては概ね面白くない。教える側の都合で「与えられた学び」にならないために大切なのは、いかに「ワクワク」を喚起できるか。知ること=教科学習を知識として取り込もうとしても定着しませんが、自分がワクワクする課題について考えを深めたり、解決策を講じたりするのに必要なインプットと捉えると、不思議と頭に入る。そうやって、身の回り半径50センチにあるものから少しずつ課題を見つけ、改善していくことで、教科に閉じない探究的な学びと、必要な知識習得のために教科学習に向かうスタンスが循環するようになる。知るために探究し、価値を創るために知る。その繰り返しで、学習は個人の学びに昇華されていきます。そういった意味で、「未来の教室」では、誰もが「それぞれ」満足できる学校という言い方にこだわりました。


図表2 「未来の教室」が目指す姿


─最初は半径50センチで学びの起点となるワクワクを得たとして、そこから高等教育で挑むべき社会課題解決に至るにはかなり距離があるように思います。この隔たりをどのように捉えたらよいのでしょうか。

 50センチ圏内の生活課題について、問題発見→課題設定→解決設計→成果検証という探究サイクルを回す経験を積むことが第一歩だとして、そこから社会課題に昇華するには、メンターやファシリテーターの存在が重要でしょう。自分がワクワクする分野の先達や本物に触れ、自分との距離を感じたり、ロールモデルを見いだしたり、自分の意見をぶつけてフィードバックをもらう壁打ちの経験を重ねていくことで、自分だけの狭い視野に閉じず、より高次の課題へのチャレンジや深い洞察が可能となる。そうした開かれたコミュニケーションの場をどう設計できるかが問われていると思います。教師の役割も、「自分が一番多くの知識を持っている前提で教える」立場から、「社会や有識者に生徒をつなぐハブ・ファシリテーター」としての役割、そして「各生徒の個性を最もよく知るアドバイザー・サポーター」に変革していく必要があります。

「ワクワク」に応える学びのサイクルを自ら設計する

─次に、「学びの自立化・個別最適化」について教えてください。

 「学びの自立化・個別最適化」とは、子ども達一人ひとりの個性や特徴、興味関心や学習の到達度も異なることを前提に、各自にとって最適で自律的な学習機会を提供していくことです。

 学びの起点を個人それぞれに異なるワクワクに置けば、そこから展開される教育も当然個別に異なることになります。30名クラスならば30 通りの学びが存在することを許容できなくてはいけません。こうした学びの実現には、デジタルが有効です。そのため、従来の一律・一斉・一方向型の授業から、EdTechを用いた自学自習や学び合いへと学び方の重心を移すべきというのが提言の内容になります。具体的には、生徒一人ひとりが個別学習計画を立案し、それをもとに「知る」と「創る」を循環させるなかで日々蓄積される学習ログの分析をもとに、計画を随時更新しながら、自分に最適な学び方を模索するサイクルを構築する必要があります。教師は生徒のサポーターとなり、生徒のワクワクに応じて学校外の力をうまく使うことで、教師自身の能力の限界が学びの限界にならない設計が可能になります。多様な力を生徒の成長のために活用していくのです。また、生徒の状況に応じて正しい「問い」を投げかけられる存在になる必要もあるでしょう。

 今までと違うあり方に戸惑う方々も多くいらっしゃいますが、こうしたあり方は今の学校現場の先生方の力をもってすれば十分に可能です。なぜなら、例えばホームルームや授業、進路指導、放課後活動等で、既に先生方は生徒達と個々に合った関係性を築いておられるからです。ボトルネックは能力ではなく、「自分達が今まで受けてきた教育とあまりに違う」ということを受け止める力でしょう。経験を糧にすることを否定するものではなく、自分の経験や知識をアンラーン、すなわち今後につながるように再整理し、学び直しなども通じて、新しい時代を担う人材の成長に寄り添える力を身につけることが必要かもしれません。

 個別最適化の学びには、その意図を正しく理解した先生方の存在が不可欠です。しかし、日本の教師は多忙すぎて、さらにこうした仕事が「追加の負荷」と捉えられがちなのも事実です。そこで、これまでの「業務」は本当に生徒の成長や安心・安全な場作りに必要なことだったのか、という見直しを含めて学校業務を可視化し、目的に合わせて再構築する学校BPR(学校の働き方改革)の推進も、同時並行で進めていきます。

デジタル化や地域社会連携により個別化された学びを達成する

─ 3点目の「新しい学習基盤づくり」についてはいかがでしょうか。

 先に挙げた①②を実現するためには、子ども達が1人1台のパソコンを持ち、来たる5G時代にふさわしい高速大容量通信を活用した、常時インターネットにつながる学習環境の整備が必要です。BPR等も用いて教師の働き方改革を進め、創造的に個別伴走できるよう労働環境やスキルセットをアップデートする機会を提供する必要もあります。また、学校の中だけでは学びのSTEAM化は実現できず、地域や社会とどうつながって、子ども達のワクワクに寄り添えるか、場の設計も不可欠です。

 まずはツールとしてのデジタルとの接点である端末が3名に1台水準では、個別最適化は実現できません。自治体によって整備状況が異なることで地域格差が生まれないようにもしないといけません。そのため、官主導で一斉にインフラ整備を展開したのがGIGAスクール構想です。しかし、端末はあくまでツールであり、どう使うのかの設計こそが本丸です。そこを構想するべき現場の先生方が本来の仕事に集中できるようにBPRを進め、子ども達を中心に置いた教育設計を可能にしたいというのが、「新しい学習基盤づくり」の考えです。

─未だアナログが中心の学校現場において、いざ展開して見えてきた課題はありますか。

 端末を配布するだけでは当然意味がありません。豊富に揃うEdTechコンテンツにスムーズにアクセスできること、見たいものがすぐに見られること、その先にある本物との出会いがコーディネートされること。そうしたシームレスな接続こそが未来の教室の価値です。しかし、2020年コロナ禍の一斉休校以降、本来予定していた内容への切り替えがなかなか難しくなっているといった課題もあります。また、全てがオンラインでよいわけではなく、オンラインとオフラインの効果的な組み合せを模索していく必要があります。デジタル利活用に関するセキュリティやリテラシー、モラルといった観点の教育も不足しているのが実情です。

新課程へのシフトで起こる学びと価値基準のパラダイムシフト

─「未来の教室」で学んだ子ども達を、高等教育機関はどのように受け止めるべきでしょうか。

 実証事業に参加している生徒達を見ていると、受動的な勉強から、主体的で自分軸の学びに変容していく様子に驚かされます。今は一部の変化に見えても、新課程の展開とともにこうした動きは一般化してきます。高等教育は、個別最適化にセットアップ済の生徒をどう伸ばすのかを大前提に、ターゲットに合うように教育研究を適宜組み直す必要があるでしょう。

 大学が「講義を受けるだけ」の場なのであればオンラインで事足りますし、オンラインであれば、国内外の他大学の魅力的な講義にいくらでもアクセスできる時代です。生徒達は大学という場に何を求めるのか。今こそ、学校とは、大学とはどういう意味や役割があるのかを問い直す好機でもあります。生徒達は、偏差値のような入学時点の基準や就職実績等の機能面だけではなく、「本当に自分が学びたいことを学べる大学なのか」、あるいは「学びに関連した刺激的な出会いや連携協働の場を創出している大学なのか」といった観点で大学に場の価値を求めるようになるでしょう。「本学の教育はこういう特徴があり、企業や社会連携においてこういう価値を創出していて、学びたい人にはこういう場を提供できる」と、教育研究に関する独自性をアピールできるかが問われています。ワクワクを軸にした子ども達に選ばれる大学になれるかどうか。選ばれる判断軸が変わることをもっと危機感を持って認識する必要があると思います。

─カスタマーの価値基準が変わる可能性を見越して、大学の軸足を顧みるチャンスでもありますね。リカレントやリスキリングの場としての大学はどうでしょうか。

 高校までワクワクを軸に学んできた生徒を受け入れ、さらに伸ばすだけでなく、大学で4年間学ぶだけでは太刀打ちできない時代に、「学び続けたい」意欲、何を学ぶのかを自分で決められる学生をどれだけ多く世の中に送り出していけるのかは、長い目で見れば大学の底力になると思っています。それこそ、多様な人材が集う学校という場の価値です。制約が多い義務教育よりも、高等教育こそもっと自由に学び、そしてシームレスに社会とつながることが可能な場ではないでしょうか。初等中等教育の変化と、それに伴う生徒の判断軸の変化を受け止め、ワクワクの探究活動を研究活動の水準に引き上げることや、さらに社会人を含めた多様な人材が自由に集い、創造的な価値を生み出す場と機会の設計。それらが社会に近い高等教育ならではの価値創出になるのではと思います。


(インタビュー・文/鹿島 梓)


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