リカレント教育最前線 [2]大学院大学至善館 イノベーション経営学術院イノベーション経営専攻

一人ひとりが異なる志向を持つ社会人は、これまで同質性の高い18歳入学者に特化しその態勢を最適化してきた日本の大学にとって、「新たな市場・顧客」である。時々刻々と変化する環境下、また各大学それぞれに経営課題も利用できるリソースも異なる中、社会人マーケットの開拓を目指す取り組みには「正解」や「定石」のようなものは考えられないが、だからといって立ち止まってはいられない。そこでこの連載では、それぞれの方法で社会人に向き合って試行と探索を行う先駆的な取り組みをレポートしていく。

ビジネススクール教育の変革を目指し
全ての科目で担当教員と学長・副学長が対話し授業を設計


図 概要


視野を広げるための授業設計

大学院大学至善館
副学長・理事・准教授 吉川克彦氏

 「経営は総合的なものです。既存のディシプリンに分かれた教員それぞれに教育内容を任せ、その全体としての統合は学生に任せる…それは経営リーダー教育として望ましくはないと考えます。だから至善館では、全ての科目において僕たちが科目の中に入っていって、どういう『学びのジャーニー』を組むのか、どういう素材を使い、どんな課題を出すのか、どういうワークをやってもらうのかまで、専任・特任か関わりなく担当教員とガップリ四つに組んで設計しています」

 そう語るのは、2018年に開学した大学院大学至善館で教学を担当する吉川克彦副学長だ。

 「至善館の母体となっているのは、学長・理事長の野田智義が経営者の育成を目的に2001年に設立したNPO法人『ISL』です。そこでは、MBAのビジネススキルだけ伝えても未来を拓くような経営リーダーは育たないという問題意識のもと、様々な試行錯誤を続けてきました。その実績を活かし、ビジネススクールの新たな形を創ろうと開学したのがこの大学院なのです」

 「最初の卒業生が出てから3年、まだ道半ばではありますが、社内で構想を経営陣にぶつけ自らのイニシアチブで新たな事業を開始した方、起業してその意義が社会的に認められるようになった方など、卒業生という形で成果が見え始めています。学生は企業派遣と個人入学半々ですが、継続派遣してくださる企業も多いですし、個人の応募も徐々に認知が高まり、応募につながっている手応えがあります」

 学生の平均年齢は35歳前後。既に企業の中で活躍の経験を持ち、学習意欲も高い。しかし、だからこそ抱える課題があるという。

 「自分が担っているファンクションで懸命に考え成果を上げてきた人々に、その視座から離れ、事業全体や社会全体という観点で考えられるように促すのはものすごく大変。まずは、自分の今の視界が限定されていることに気づいてもらい、より広く、深く学ぶ動機を作らないといけない。一方で、自分自身の経験や、培ってきた価値観、信念に立脚して考える必要もある。当事者として頭に汗をかいて考え抜いて、そしてそれを本音で語れないと人を動かすことなんてできませんから。そこで、授業の中で常に問うようにしているのは、『あなたはどう考えるのか』『あなたならどう行動するのか』ということ。両者を共に行うためには、それぞれの授業における<問いの立て方>がとても大事になります」

 ビジネスの様々な分野で活躍する実務家に加え、社会学の宮台真司氏、哲学の竹田青嗣氏など、教員陣には広い分野のそうそうたるメンバーが名を連ねる。「多くのビジネスパーソンは半径50mくらいの狭い世界で仕事をしているわけです。その視界を大きく広げ、社会や経営の視点で考えるように促す。しかも、複数の科目が有機的につながり、学びが深まる流れを構成する。そのため、全ての科目で、野田や私が教員と対話を重ね、プログラム全体を設計しているのです」


写真 英語クラス「戦略手法と戦略思考」コースの授業風景


授業の改善点を全ての科目で細部まで議論

 「担当教員とは、一度作り上げて終わりではなく、何年もかけて磨いていくことを約束しています。学生からの評価とコメント、授業でのアウトプットなどをもとに、『この点は学生が学びきれていない、ついてこれていない』『この点で学生は不満を感じている』『では具体的にどうしていくか』と何回もミーティングを重ねます。

 それに、学生も、世の中も変わります。コンテンツは常にアップデートしないと、必然的に社会や経営の変化から遅れていくし、学生の満足度も下がってしまいます」

 「とはいえ最後の最後は、それぞれの教員の持っている『深み』にかかっています。それぞれの専門の領域で考え抜いてこられたことが、授業での講義や学生との対話に現れ、深い理解を促すとともに、迫力として学生に伝わります。ですから、それぞれの教員と一緒に科目、さらにはプログラムを考えていくことが不可欠です」

 ビジネススクールである至善館では、専任教員だけでなく、現場で活躍する実務家の特任教員も多い。両者を招いて行うFDも強化している。

 「先日は、実際に私がやっている授業の組み立てに学生役で参加してもらって、ケースを用いた教授法のFDを行いました。皆さん各分野の専門家の皆さんばかりなので、正直私も肝が冷えました(笑)。でも、お互いにこうやって共有していくことが全体のレベルを上げていくという認識が、大学の空気感としてできあがっているのです。なんのために教育をしているのか、どういう人を育てたいのか、教員同士で青臭い議論が交わされていることが、とても大事だと思っています」


図表 授業の設計・アップデートのプロセス


企業との重層的なコミュニケーション

 教員同士のコミュニケーションだけでなく、企業とのコミュニケーションが果たす役割も大きい。

 「例えば卒業前の学生の発表には、学生を派遣されている経営者の方も見に来ていただき、私達の教育へのフィードバックを伺うことにも取り組んでいます」

 教育の改善に企業を巻き込んでいることは、募集においても功を奏している。

 「企業派遣の継続・拡大は決して簡単なことではありません。企業にはそれぞれ人材育成の問題意識や方針があり、派遣の目的も異なっています。特に、経営リーダーの育成は、経営者が関わるもの。ですから、派遣元企業の人事の方々だけでなく、経営者の方と、私達の問題意識や、教育を通じて目指すものについて会話することを非常に重視しています。企業コミュニケーション担当の職員だけでなく、学長、副学長も関わり、重層的で、継続的なコミュニケーションに取り組んでいます」

 管理者ではなく、変革と創造の時代を担う新たなリーダーを育成する…至善館の掲げるそのビジョンを、学生や教員・職員、企業にまで浸透させようというエネルギーが強く感じられる取材となった。


図表 授業の設計・アップデートのプロセス




(文/乾 喜一郎 リクルート進学総研主任研究員[社会人領域])


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