DXによる新たな価値創出[6]デジタルと専門知識の掛け合わせで 次世代教育へのパラダイムシフトを図る/麻布大学
麻布大学は、2022年度文部科学省「デジタルと専門分野の掛け合わせによる産業DX をけん引する高度専門人材育成事業」に、「最先端ICTによる動物・生命系デジタルデータを活かす産業界フロントランナー育成のための教育推進事業」が採択された。その背景・趣旨等について、申請を担当した村上 賢教授、菊水健史教授、高木 哲教授にお話を伺った。
ライフサイエンスにデジタルを掛け合わせて新たな専門教育を展開する
同大学は1890年設立された東京獣医講習所を起源とし、「学理討究と誠実なる実践」を建学の理念に掲げる大学だ。2020年に迎えた130周年を機に教育改革『麻布未来プロジェクト130』として、5つの改革を展開している。そのうちの1つ、「データサイエンス教育の推進」が、今回の採択プログラムの背景にあるという。獣医学・動物科学領域の専門教育に加え、当該領域で蓄積されている大量のデータを活用できるよう、次代を見据えてICT教育を強化するとの内容だ。
村上氏は、「微生物、動物行動学、遺伝学等では測定機器が高度化し、大量のデータがとれるようになってきています。それを活用する人材の育成は急務。また、そうした状況を研究で体験することはあっても、必ずしも学部生全員が同じ水準で体験するわけではない。今回の採択により支援された予算で、実習機器を拡充し、学生の教育機会を広げることができました」と話す。できるだけ多くの学生にデジタルデータの扱い方を身につけてもらうことが目的だという。そうしたアプローチが、今後の生命科学分野で中心的になってくるはずだとの見立てだ。菊水氏も、「優秀な家畜をどう掛け合わせて品種改良するか、あるいはどう育成するのかといったプロセスはこれまでベテランの経験値に依存していましたが、遺伝情報や環境情報の掛け合わせによって解析が可能になっている。どう育ててどう管理すると発育が良いか、データ分析をもとにした飼育が可能になれば、働き手の生産性向上にもつながり、産業構造そのものの変革につながるインパクトがあります」と話す。ほかにも昨今、野生動物による鳥獣被害は数億円単位の損害に拡大しているが、動物の移動経路や原因等の詳細解析ができれば、防御策を講じることができるという。
獣医臨床教育の現場でもデジタルシフトが起こっている。「昨今は動物愛護の機運向上等の影響で倫理規定が厳しくなり、動物の生体実験を行うことが難しい。学生が実感値を持って知識修得していく機会が少ない中で、どうやって外科医を育成するかという問題があります」と高木氏は述べる。こうした状況に対し、高木研究室ではVR技術を用いた獣医外科学実習を2020年からスタートした。これは360度カメラで撮影した手術動画とVRゴーグルを利用し、外科手術をベストポジションで見ることができるシチュエーションを創り出したものだが、こうした取り組みで副次的な効果もあった。「当該実習を受けた学生から、ハンドアウトを充実させてほしいと言われるようになりました」と高木氏は言う。これはイメージが精緻化されたので、もっと専門知識を詳しく知りたいニーズが増えてきたということだ。デジタルの利活用が教育内容のブラッシュアップにもつながった。
最近ではゲーム企業と連携し、自分で医療行為を行うシミュレーターの開発も行っている。現在は牛の難産介助、全身麻酔といった内容があり、高木氏は「何度も再現できない難しい症例や、VRでやったほうが効率が良いものを選んで開発しています。難しい症例でも誰でもできるように教育を充実させていきたい」と意気込む。こうした教育活用において、例えば、実際に麻酔が効いていく工程で動物に起こる微細な生体変化等、デジタル関連企業では発想できない現場のリアリティを技術企業と提携することで再現し、唯一無二の教育インフラを整えていく。「現場でやっている臨床医だからこその観点を入れることができているのが価値になるはず。本学の専門性と科学技術の組み合わせで、新たな価値を創出していきたい」と高木氏は言う。
デジタル人材育成は業界ニーズとしても高く、そのフロントランナーを育成する教育プログラムを構築することは自然な流れであったという。こうした教育のデジタルシフトについて、特定の事業というより大学全体の動きを支えるために申請・採択されたのが本事業というわけだ。
デジタルならではの地域課題解決で地域に貢献する
また、こうした動きが新たな展開にもつながりつつある。動物行動学を専門とする菊水氏は例を挙げる。「本学近くの卵農家さんで、鶏の福祉を考えて平飼いしているところがあります。工場型養鶏所に比べるとコストは高いですが、付加価値は高い。こうした価値を可視化できればもっと買ってもらえるかもしれないと、今回購入した『旨味センサー』を用いて味を解析し、どんなお店で使われているか等とともにまとめてマップを作っています。また、河川や沼の水質のDNAを調べると、どんな生物がいるかが分かります。それをプロットして小学校に提供し、子ども達の夏休みの自由研究に使ってもらっています。ほかにも、『人と犬の関係』を専門的に扱う授業で、犬に優しい商店街を作ることで人も集まるのではという実証実験を1年生が主体になって行っています」。大学の教育や実習で得たデータを地域課題に利活用する動きを増やす意図について、菊水氏は「社会への価値実装を学生が行うことで、学生がコミュニティーに入っていくきっかけにもなり、座学だけとは全く違う成長をします。研究室単位ではなく、大学教育としてそれを整備することで、多くの学生に行き届く価値になる。本学はそうした機会の提供を最大化することに注力しています」と話す。こうした動きは、同大学が進める「出る杭プロジェクト」でも見ることができる。これは低学年の段階で本物の研究に触れ、自らのテーマに即した研究を大学がリソースや機材等を含めて支援していくものだ。村上氏は、「早い段階で社会接点を得て、社会実装の機会を得ることで、学生の成長実感のみならず、リテラシーや主体性が圧倒的に伸びていきます」とその狙いを語る。こうしたスタンスは麻布大学全体に通底するものであるようだ。それにデジタルを載せることで、より高い教育成果を狙うのが同大学の次世代へのチャレンジと言えるだろう。
早期の社会接点で学生の教育成果を最大化する
村上氏は、「本学に入学してくる学生は、基本的に動物への関心は高いのですが、それを本当に専門教育で伸ばすことができていたのかは真摯に検討する必要があります」と話す。「大学も生き残りを掛けており、今までの学力偏重型入試だけでは、本当の教育価値を発揮できないかもしれない。関心が高い学生に知識をまず詰め込むというやり方だけでは、学生は萎えてしまう。だから、早めに社会接点や貢献プロセスを経験させ、社会で活躍できる人材になるために、自ら学び進めるスタンスを培ってほしい」と話す。
やりたいことを持っている学生を集めて伸ばす環境を作ることが、大学が生き残る一つの方策ではないか。各種取り組みの教育成果が高まるのか、その結果学生が実際に成長し、活躍できる人材になっているかを見るには卒業後の状況も含めた追跡調査が必要であり、その検証も同時並行で議論している。
また、本事業の補助金は採択されて終わりではなく、ほかの大学にも広めるためにグッドプラクティスを創っていく意図が強いという。「日進月歩の最先端の教育をいかに社会に還元できるか。生物系では本学が筆頭と言われる状態を作っていきたい。デジタルはそのための有力なツール」と高木氏は力をこめる。産業界に求められる人材育成のため、デジタルを積極的に大学教育に取り入れ、デジタルならではの価値で社会課題を解決し、そのプロセスで学生の成長を最大化する。麻布大学の挑戦に今後も注目したい。
(文/鹿島 梓)
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