DXの課題を解決する人材のための 企業のニーズを捉えたリスキリング講座/東京大学大学院工学系研究科・工学部 メタバース工学部

画像 東京大学大学院 工学系研究科長・工学部長 教授 加藤氏、工学系研究科 付属人工物工学研究センター/技術経営戦略学専攻 教授 松尾氏、工学系研究科 物理工学専攻 教授 齊藤氏、工学系研究科 化学システム工学専攻 教授 脇原氏


社会人を含めた広範な層に学びの場を提供

 東京大学大学院工学系研究科・工学部は2022年、「メタバース工学部」を開講した。目指すのは、全ての人が工学や情報を学んだり、工学キャリアに関する情報を得られたりする場の提供だ。既に、中高生と保護者を主な対象とする「ジュニア工学教育プログラム(ジュニア講座)」と、社会人を主な対象とする「リスキリング工学教育プログラム(リスキリング講座)」が開講中。ジュニア講座については多くのメディアで報道され注目を浴びているが、今回は、社会人DX人材の育成により社会に大きなインパクトを与えそうなリスキリング講座を取り上げる。

 リスキリング講座では当初、人工知能研究の第一人者である松尾 豊氏の「グローバル消費インテリジェンス(AI講座)」等4講座を開講。2023年度春には6 講座に増やし、秋にはさらにプログラムを充実させる予定だ(図1参照)。開講講座の選定に際しては、産業界からの意見を広く募ったと、工学系研究科長・工学部長の加藤泰浩氏は振り返る。

 「2017年に工学系研究科長に就任された大久保達也先生と、私の前任で2020年に工学系研究科長に就任された染谷隆夫先生が、社会連携講座を推進する基本方針を立てました。そして、染谷先生や松尾先生をはじめ、私達が多くの企業を回り、経営者からリアルなニーズを聞いていったのです。その結果、コロナ禍に直面しDXの課題を抱える企業が多いことを実感。松尾先生のような『看板教授』がDXを担う人材をリスキリングする講座を提供できれば、企業のニーズに応えられる有意義な場となるだろうという手応えを得ました。それが、メタバース工学部を設立する1つの原動力になったのです」(加藤氏)


図1 メタバース工学部 リスキリング講座プログラム 一覧


企業・受講生からの評価は上々

 会員企業は3グレードに分かれていて、グレードが高いほど多くのメリットが得られる。2023年5月現在、プラチナ会員7社、ゴールド会員5社、シルバー会員7社が参画中だ。新設当初からここまで多くの協力を得られているのは、東大工学部で最先端の研究に従事する教授達が、企業のリアルな要望を普段から丹念に聞き取り、それに応える講座を展開してきたからだろう。

 「大学が蓄積している最新の知見を共有し、そこからビジネスに役立つヒントを得ることは、企業にとって有益なはずです。その結果、多くの企業が成長すれば日本全体の閉塞感を吹き飛ばし、活性化につながると私達は信じています」(加藤氏)

 実際、会員企業からの評価はかなり高い。講座修了後に行ったアンケートによれば、受講者からの評価は5 段階評価で4.3程度と高かった。受講者を送り出す企業側からも好評の声が多く届いているという。「気づきを得たこともありました。受講生はビジネスの現場で活躍されている方々なので、例えばアントレプレナーシップ講座等は得意なのだろうと予測していたのです。ところが、新規事業の経験者は意外と少なく、講座の存在意義を再認識しました。一方で、課題も少なからずあります。講座の動画をただ見るだけだと、受講生のモチベーションはどうしても上がりにくい。そこで、受講生同士が交流する仕掛けを作る等、リアルなコミュニケーションの設計法については、改善の余地がありそうです」(松尾氏)

 なお、メタバース工学部では全てのコンテンツをメタバース上で提供するわけではない。特にリスキリング講座では、ほとんどがオンライン授業で提供されている。それでも十分な教育効果を得られると、工学系研究科 物理工学専攻 教授の齊藤英治氏は語る。

 「メタバース空間にはいくつかの利点がありますし、ジュニア講座ではメタバースを積極利用することで若者の興味を引くことができています。一方、リスキリング講座のターゲットや内容からすれば、あえてメタバース上で提供する必要はないと考えました。

 メタバースはあくまで手段。今は、どういう場合に使えば効果的なのか試行錯誤しながら講座のロールモデルを模索している段階です」(齊藤氏)

強いリーダーと、教員の負担を軽くする仕組み

 メタバース工学部の構想が本格化したのは2022年初春で、それからわずか半年ほどで開講にこぎ着けた。そのスピード感を生み出した原動力は、前大学院工学系研究科長・工学部長としてプロジェクトを引っ張った染谷氏のリーダーシップだったという。

 「染谷先生には、2023年3月に任期を終えるまでにメタバース工学部を設立し、社会にインパクトを与えて変革につなげたいという強い思いがありました。多くの教員や職員の協力を得るのは並大抵のことではありませんでしたが、染谷先生という強力なリーダーがいたからこそ実現できたと感じています」(加藤氏)

 一方、教員の負担を軽くする取り組みもメタバース工学部の維持に欠かせないと、事務局のリーダー役を務める工学系研究科 化学システム工学専攻 教授の脇原 徹氏は強調する。

 「講座に関わる先生は皆、研究室の運営や学生指導等に忙殺されています。ですから、より多くの先生に参加していただくことで、一人ひとりの負担を減らすことが大切です。そのために、色々な会議に出向いてメタバース工学部の社会的意義を伝え、協力をお願いするように心がけています。また、先生方がモチベーションを燃やせるようなスキームになるよう、工夫もしています」(脇原氏)

 メタバース工学部の課題の1つは、広報活動にあると加藤氏。今後も企業等への知名度を高め、より多くの協力者を巻き込みたいと考えているようだ。

 「企業経営者等から意見をいただく機会があるのですが、メタバース工学部の知名度は我々の期待ほどはまだ高まっていません。もっと見せ方を工夫したり、積極的な広報活動を行ったりして、より多くの企業に認知してほしいですね。我々の略称『メタ工』を、誰もが知るような存在にしたいと思っています。その結果、講座の意義が世の中に広まり、会員企業がさらに増えれば、日本企業の生産性は今より格段に高まるはずです。そうして日本全体を活性化する起爆剤になれればと、私達は考えているところです」(加藤氏)



(文/白谷輝英)




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