【インタビュー】大学教育の伸びしろを判定する入試を── 教学マネジメントと入試の関係性をどう考えるか/文部科学省 高等教育局 大学教育・入試課 大学入試室長 平野博紀氏


文部科学省 高等教育局 大学教育・入試課 大学入試室長 平野博紀氏


 大学入試行政においては、2021年に「大学入試のあり方に関する検討会議」「大学入学者選抜における多面的な評価の在り方に関する協力者会議」の各審議が取りまとめられて以降、その提言内容に即した実行推進フェーズが続いている。そんななか、2023年2月に中央教育審議会大学分科会において教学マネジメント指針(追補)が公表された。大学は教学マネジメント確立の観点から入試を設計する必要があるとする内容だ(概観:図1)。その意図について、平野博紀大学入試室長にインタビューした。


図1 教学マネジメント指針(追補)概観、図2 3つのポリシー


改めて問われる3つのポリシーの実質化

 読者の方々には周知の事実ではあろうが、図2に改めて3つのポリシーについてまとめた。2012年の中教審「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて(答申)」で示された「大学改革」において、その軸足となる概念であり、2016年にガイドラインが公表され、2017年より策定・公表が義務づけられたものである。

 3つのポリシー策定は義務化されている事項だが、その実質化が課題だ。文部科学省が2023年9月に公表した「大学における教育内容等の改革状況について(令和3年度)」では、3つのポリシーの達成状況を点検・評価している大学は89%、点検・評価のためにDPで定める「学位を与える課程共通の考え方や尺度」を策定している大学は68%、学修状況の分析や教育改善を支援する体制を構築している大学は63%、全学的な教育目標等とカリキュラムの整合性を検証する全学体制を構築している大学は46%に留まっている。

 こうした状況に関連して、平野氏は「教学をマネジメントする目的を共通認識化することが大事」と述べる。「中教審が言うからやる、ということではなく、こうした検証を積み重ねていくことで、効率的・効果的に教育目標を達成できるようになってくるはずです。評価のための評価ではなく、目的は大学教育の実質化。評価疲れの声も多く聞きますが、だからこそ、最初の目的共有と、それを達成できる設計が大事だと思います」。

 そのうえで、3つのポリシー実質化のキーとなり得るのが入試だという。図2に示されている通り、ポリシーの中で起点となるべきはDPだ。「APは他より先行して制度化された経緯はありますが、起点ではありません。この大学の教育の到達点は何か、即ちDPを起点に設計することが、教学マネジメントにおいて最重要です。追補では、APはDPを4年間で達成するためのスタートラインとして機能させるものと位置づけています」。大事なのは、「DP達成のために入学段階で必要なことは何か」がAPに明記されているかどうか。そしてその第一段階として、まずは初年次教育にしっかりついてこれるだけの水準を入試で問うているか。こうした点について、水準と幅を踏まえて定義すべきがAPというわけだ(図3)。


図3 DPと不整合しているAPのイメージ図


「本学の教育の中核と、そこに必要な資質・能力」の解像度を上げる

 関連して気になるのは、「教科科目」の項目にある「APに定める全資質・能力等を全入学志願者に問うことが現実的ではない場合であっても、中核的なものは全入学志願者に評価判定することを原則とすることが必要」とする文章だ。「中核的」とはどのように理解すればよいか。

 自校教育に絶対に必要となる資質・能力が大学ごとに異なることは大前提だが、例えば単に「グローバルな人材を育成する」というDPでは何が必要か分からないが、「異文化への配慮と研究的な会話ができる英語運用能力を持つ人材」と示されていれば、「教育において異文化との交流や議論を必ず置き、研究領域における議論の土台となる論理構成力を4年間かけて育むために全学年で学部横断科目を設置し、英語教育においては専門用語を含めた会話や意思疎通を重視する」といった教育編成につながり、「そうした教育に参加するための英語力として入学時点でどの程度を求めるか」といったAPにつながる。この場合中核的な能力とは「本学で重視する異文化交流、論理構成力、コミュニケーションを軸とした教育に必要な能力」を抽出して定めるということになろう。

 また、平野氏は「アセスメントプランを予め決めておくことも大事です」と言う。「そうしないと、点検するときに達成できたと言えそうな材料を見つけに行ってしまうことが多い」。例えば、初年次教育についてこられたかを測りたいのであれば初年次の成績を検証項目とする。学力以外の要素の伸びを見たければ、総合的なアクティビティでの発言量と質について、ルーブリックを以て測定するといった具合だ。「マネジメントサイクルの基本として、何を測るのか、どのように測るのか、どこまでいけば目標達成できたかとするかを予め定めておくことは、この大学がどのような教育を行い、どのような成果を出しているのかという社会へのアカウンタビリティを果たすことにもなります」と平野氏は述べる。

検証ありきではなく、目的に即した体制の構築を

 ポリシーを軸にした検証サイクルを回すうえで、入試、教学、検証部署の連動が難しいという声はよく聞く。効率的な経営のために作った体制が改革のボトルネックになるのは本末転倒である。平野氏は、「3ポリシーの検討には大学教育全体を俯瞰する視座が必要ですが、各ポリシーの運用は現場部署が中心ですので、当然各部署の最適化になっていく。そのうえで、俯瞰する役割を持つ機能を組み込めていなければ、DPとAPが乖離し、全体検証の目的が損なわれることは往々にして考えられます」。3つそれぞれが再統合されなかった結果として分かりやすいのが、DPとAPがほぼ同じになっている例が散見されることだ。DPという目的に即したスタートラインとして機能するAPになっているか。そのAPを達成できる入試設計になっているか。3ポリシーは一体的なものという認識のもと、教育全体の責任として、組織としても都度一体化させる必要があるのだ。

学力の3要素を大学教育のなかでどう位置づけるか

 DPを起点とする教学マネジメントサイクルにおけるAPを正しく実現するための評価方法として、入試が設計できているか。その際、評価対象として明示されているのが「学力の3要素」である。平野氏は、「学力の3要素は連続的なものなので、知識・技能がある学生は主体性も高かったり、思考力も高かったりもすることもあるし、かちっと3種類に分けられるものではありません」と前置きしたうえで、「そもそもこの3要素は、社会でこれから必要となる要素を言語化したという経緯を踏まえれば、社会を見据えた大学教育において必須の資質・能力であるはず。上から降りてきた概念として『学力の3要素を必ず評価する』と考えると『負荷』かもしれませんが、大学教育に必要に違いないのがこの3要素であり、そこを評価することは大学教育の準備状況を入試で問うことと矛盾しません」とその意義を説明する。

 そのうえで、「高校教育との接続、公平性、大学教育の準備という原則を合わせて考えたほうが実務的なメリットが大きく、合理的ではあるものの、それをどう扱うかは各大学に委ねられています。だからこそ、各大学が固有のDPに基づく大学教育設計のマネジメントサイクルに入試を組み込めているかが肝要なのです」と述べる。4年かけてDPを達成し得る素質があるのかを見極める入試になっているか。「大学教育への適性や準備状況を評価するとは、伸びしろを見極めるということでもあると思います」と平野氏は言う。また、「現在の入試に関する議論は、何か決定的なものが欠けていたことを起因とするわけではありません。新しい突飛な方式を開発することありきではなく、既存の入試を直ちに否定せず、本質がクリアできているのか、できていないなら何を充実させる必要があるのかといった観点で、丁寧に見直して頂くことが大事だと思います」と補足する。DPを起点にしたサイクルを再考するうえで、大学教育に求める資質に多面的評価が必要であれば、そのように入試をチューニングする。あくまで本丸はポリシー実現なのである。

4年後の教育成果に向けて高大を丁寧に接続する

 こうした自校教育を起点にしたサイクルを構築しつつ、大学は変わる高校教育を理解し、対話する場を作ることも求められている。平野氏によると、入試の作問や初年次教育に高校教育の経験がある方に参画してもらう、意見交換を密に行うといったつながりを作っている大学は、探究活動を手がかりに有機的に結びつくことができているケースがある等、接続的な動きを強化している。継続的対話や接点で関係性が向上するだけではなく、「高校で身につけた学力の3要素をどうやって大学で伸ばすのか」という観点で教育の見直しができる。細やかな目配りでより実質的な接続が実現する。「そうしたときに高校から見て大学教育が分かりにくいのでは対話は進まないでしょう。大学からすれば、中核的なところで学生の水準が揃っていなければ教育が成り立たないのですから、そこはアカウンタビリティとしても明示できる状況までしっかりと議論していただきたい」(平野氏)。

 高校教育で大きな変化である「探究」をどのように評価するのかについても、平野氏はこう話す。「高校で探究が始まったので自動的に新たに評価方法に加えるということではなく、大学教育に必要なことなのかどうか、しっかり評価対象として吟味する必要がある。公平性という観点でも『経済的背景等に左右されない(高校生全員が受けている)』探究を評価対象とすることには合理性が高いという意見もあります」。探究は高校教育段階で必要だから始まった教育なのであって、それを評価対象とするのかどうかは各大学の判断による。ただし、新課程は「今後の予測不可能な社会で生きていくために必要な素養をどのように身につけるか」という観点で発想されており、こうした考え方は高校のみならず大学にも当然共通する観点となるはずであり、こうした教育的アプローチを大学でも継続して発展させるという接続的思想は極めて理にかなっている。

 これらの背景を踏まえて、高等教育機関は「高校までの学習成果を引き受けて、教育で社会に価値を創出し、その学修成果に責任を負う覚悟があるか」が問われている。「DP起点で教育を見直し、入試をその出発地点として位置づけるとは、そういうことです。大事なのは、入試を大学教育の出発地点としてどのように機能させるのか。そこから始まるサイクルに高校生をスムーズに載せ、社会に通用する段階まで育てるということ。その伸びしろがある存在として学生を捉え、可能性を最大化させるための入試を考えることです」。それには、「毎年学生の数や質はこのくらい」という固定的な思考をやめることからだという。「学生は固定値ではなく変数なのであるということを自覚しないといけない。いつも大体このくらい、という感覚にピン留めをせず、本来どのような人が欲しいのか、そこの解像度をワンクリック上げてみて頂きたいのです。それが、偏差値という物差しでは測ることができない要素に多面的・総合的にスポットを当てることになる。偏差値は尺度としては重要なものとして受け止められているでしょうが、その測る対象は一面でしかないことを踏まえ、では本学の教育はその一面だけで太刀打ちできるものなのか、本学が4年後に到達させたい水準に学生を成長させるには、入学段階で測るべきは偏差値だけでよいのか、といった観点をフラットに持って頂くことが必要でしょう」。



(文/鹿島 梓)


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