社会ファーストの工学教育で女性エンジニアを育成する/お茶の水女子大学 共創工学部
- 東京女子師範学校を起源とし、文教育学部、理学部、生活科学部の3学部12学科を展開する国立女子大学。2024年4月に共創工学部を設置
- 基本理念として、高度な専門教育と並んでリベラルアーツ教育を重視し、人文科学・自然科学・社会科学の素養やセンスを広く兼ね備えた知性を育むことを掲げる
- 共創工学部でも社会実装を軸に、高い専門性を社会に還元するエンジニアの育成を目指す
お茶の水女子大学(以下、お茶大)は2024年共創工学部(人間環境工学科、文化情報工学科)を設置する。その設置趣旨や背景について、学部長の大瀧雅寛教授にお話を伺った。
女性工学人材育成の必要性と、工学教育更新の必要性
新学部設置の議論は、女性工学系人材が圧倒的に不足しており、大学での養成が必要だとする産業界の声からだったという。近年は政府も「理系分野における女性の活躍推進」を掲げ、イノベーションに不可欠な多様性を確保する点でも、国際的な平均からしても極端に低い日本の工学系女性比率に対する課題提起は枚挙にいとまがない。国立の女子大として、取り組まない理由はなかった。
また、お茶大内部の工学系教員達の課題意識もあった。「工学部は、進路選択上は理系で、もちろん数的思考や理工系知識が必須の領域ですが、理系脳だけでは理論はできても社会実装が弱い。技術を究めるならばそれでもよいかもしれませんが、工学は実践の学問です。社会のことを知り、社会のどこに対して打ち手が必要なのかを考え、社会の流儀で技術を装着していくためには、技術から発想するのではなく、社会から発想し、社会に適した形でデザインしていく思考が大切です」と大瀧氏は説明する。技術ファーストではなく社会ファースト。女性の工学系人材という社会的人材ニーズの高まりに合わせて、こうした新しい工学教育を構築する必要があるのではないか。そのための手段として、理系や文系といった枠組みを有機的に融合させる仕組みが必要ではないか。「アカデミックな視野で技術を追究していくことももちろん大事ですが、本学は、社会はニーズに基づいて良いものを作ることができることを是とし、カリキュラムを作りました」(大瀧氏)。
なお、お茶大は2016年、奈良女子大学との大学院共同専攻「生活工学共同専攻」を設けている。工学技術を生活に還元することを目的とした大学院課程で、今回の学部はまさにそうした考え方を学士課程において実現するものでもあった。
社会実装のために養成する5つの共創スキル
では社会実装を軸にした工学はどのように構築されるか。言い換えると、社会実装のために必要なスキルは何で、それをどのように修得させるのだろうか。まず、お茶大は社会実装のプロセスを「共創」と置き換えたうえで、共創のための5つの力を以下のように定義した。
専門知:工学、データサイエンス、人文学・社会科学の専門知識と技能
発見力:社会、文化を含むあらゆる視点から問題点を発見できる力
発想力:既存の視点にはない新たな発想で解決を探る力
デザイン力:アイデアを具現化し設計する力
対話力:それを多様な人とシェアし、協働する力
社会のリアリティと異分野コミュニケーションで共創のマインドを修得する
こうしたスキルを修得させるための肝が、「社会のリアリティを知ること」と「混ぜること」だ。大瀧氏は、「PBLや共創型インターン、アントレプレナーシップ科目等において、なるべく自分と違う分野の人と関わり、自分の専門領域を説明したり、協働したりする経験を積ませたい。技術ファーストのアプローチでは言語が揃っている人達としかコミュニケーションしないので、思考はどんどん閉じていってしまう。本学は思考を社会に開きたいのです。だから、社会のリアリティを知ることと、自分の言葉が通じない人との対話・協働の機会をなるべく多く創りたい」と話す。異文化コミュニケーションならぬ異分野コミュニケーションをベースにした工学教育である。
技術を社会に出す過程で社会のニーズを発見し、専門領域の異なる人達とチームで課題解決や価値創出に取り組む。専門性を高めることは前提として、それをどう社会に役立てるか。その一連を積み重ねることで、社会に必要とされるモノづくりやコトづくりができるようになる。こうしたトレーニングは主に3年次以降に豊富に用意される。「特に、企業との対話であるPBLは自分の専門性と社会をどうつなげるかを思考する絶好の機会です。形にする技術力はまだ足りないかもしれませんが、そうした経験の積み重ねで、自分に足りない学びを自覚し、学修に向かう主体性を培い、方向性を見いだすこともできるでしょう」(大瀧氏)。大学と社会の循環を回し、より社会にフィットした工学教育を実現していくため、こうした協働の場が担う役割は大きい。
こうした取り組みは、既存学科の企業連携授業でも実績がある。学科の1年次から4年次までの学生がランダムでグループを作り、企業側のスタッフがアドバイザー役になってワークを行うスタイルだ。「リーダーシップを発揮するかどうかは学年や年齢を問いません。ダイバーシティの観点でも、学年横断のディスカッションは非常に効果が高いです」と大瀧氏は説明する。「新学部は2学科体制ですが、共創の営みは横断的に行う等、多様な横断・連携が同時多発的に発生するようにしていきたい」。卒論発表も学科間での発表会にして、様々な意見が出てくる場を創出したいという。
こうした教育のスタンスを象徴的に表しているのが文化情報工学科の文言だ。「人文学をデータサイエンスと工学技術で読み解き、新しい文化を創造する」。工学技術で読み解くとはどういうことか。「ここで言う工学とは広義のもので、具体的な形にすること、デザインすることを指します。知識を進化させていくサイエンスのアプローチだけではなく、知識を社会に還元するのがエンジニアリング。我々が軸に置くのが後者だということです」と大瀧氏はその意図を説明する。例えばデータベースを活用してアクセシビリティを確保したり、テキストマイニングで作者の意図を踏まえることが誰でもできるソフトウェアを開発したりと、専門的な領域を開いて社会における価値にしていく動き、還元することに特化したカリキュラムということである。
こうした教育のベクトルに対する企業からの期待値は高い。一方で、女子大だから求められる「女子ならではの視点」といった要望に留まるつもりはない、と大瀧氏は言う。「女子大の工学部だからではなく、社会ファーストの工学部だから、本学に期待を頂けるという状態を創りたい」。
抽象度の高いコンセプトのシーン化が課題
大瀧氏は現在の課題として、「掲げるコンセプトの抽象度が高いため、高校生にイメージしづらい点は否めません」と広報の難しさを指摘する。確かに、新学部が掲げる教育の有用性は社会では評価されそうだが、高校段階の生徒達にはもう一段砕いた表現が必要かもしれない。入学生が教育を受ける段階で具体的なシーン化ができるようになると、伝わり方が変わりそうだ。4月からの教育に引き続き注目したい。
文/カレッジマネジメント編集部 鹿島 梓(2024/03/11)