女性に最適化した工学教育設計で社会に必要な人材育成を担う/奈良女子大学 工学部

奈良女子大学キャンパス


奈良女子大学(以下、奈良女)は2022年に、日本の女子大学で初となる工学部を開設した。その設置趣旨や背景、初年度の状況について、学部長の藤田盟児教授にお話を伺った。

奈良女子大学 藤田盟児教授

POINT
  • 1908年設立の奈良女子高等師範学校を起源とし、現在文学部・理学部・生活環境学部・工学部の4学部10学科を擁する国立の女子大学
  • 男女共同参画社会をリードする人材の育成を目標に、女性の能力発現を図る高度な教育研究の充実と、その情報発信を掲げる
  • 2022年に開設した工学部では、複合的で融合的な工学教育の実現を目指し、必修であるSTEAM教育を基盤に自由横断可能な履修設計のカリキュラムを展開している

多様性を前提にした社会を支える工学領域のダイバーシティ実現

 奈良女が工学部を創った背景について、藤田教授はまず産業界で女性エンジニアが不足している状況を挙げる。「蒸気機関の発明以来、工学とは人間の身体の機能を拡張するものでした。それが20世紀後半にコンピュータが生まれ、昨今ではAIが隆盛です。21世紀は知能の工学の時代であり、知能において重要なのは、特定の属性や領域に偏らないようにすること。つまり多様性の確保です。女性エンジニアのニーズが高いのはこうした背景によります」。工学に携わる属性が一様では、その属性が思いつくものしかアウトプットされない。逆に多様であればあるほど、多様なアウトプットが生まれ、より良い社会に繋がっていくのではないか。「アメリカのオーリン工科大学やハーベイ・マッド大学では男女比率がほぼ1:1です。ともにリベラルアーツのカレッジであり、アートやエンジニアリング等の優秀な卒業生を輩出していることで知られます。そこで行われている教育は、工学とは人に始まって人に終わるというもの。技術から入るのではなく、人や社会に求められるものを創るのが工学であるという考えです。人間機能拡張の時代の工学ではなく、人や社会の多様性を軸にした知能工学を展開するうえで、この指摘は非常に重要です」(藤田教授)。社会課題解決を工学がどう担うのか、そのためにはまず人と社会を知る必要があるのだ。そうしたアプローチこそが、多様な社会を前提にした工学領域のダイバーシティを実現することにもなるという。

女性に最適化した教育設計で社会に必要な人材育成を担う

 一方、日本でも多くの総合大学で女性比率を上げるための策が講じられており、2022年5月には内閣官房の教育未来創造会議第一次提言で、理系女子の必要性を強く訴える内容が示された。しかし、藤田教授は「問題の本質はマジョリティが形成した秩序にマイノリティが入りづらい点にある」と指摘する。「現在工学教育は男性が主流です。男性に向けた工学を学ぶ場は、女性に馴染みにくい。マジョリティには意識できていない場合が多いのですが、マイノリティは何かしらのストレスやハラスメントを受けやすい状況で学ばないといけない。そんなアンフェアな状況では誰も学びたくないでしょう。それを正すには、男性から切り離して、女性だけで教育を行うことが合理的です。マイノリティを増やすのにマイノリティに頑張れと言っているだけではダメで、マイノリティがマジョリティからプレッシャーを受けずにのびのび学べる場が必要だということです」。これはもちろん、ジェンダーだけの話ではない。

 また、多くの大学でリベラルアーツの必要性が謳われているが、「教養教育と専門教育を繋げる科目がなければ価値には繋がらない」と断ずる。「別物として学んでは意味がないのです。それらがどう融合して具体的な価値創出に繋がるのかが肝要です」。そこを担う仕組みがないのに単に教養教育を厚くしても、もともと自律的に学ぶ素地がある一部の学生しか伸びない。人から始まる工学を目指した工学部ではこの点も工夫を凝らしたという。「奈良女は女性が活躍する社会的な場を広げることを設立の趣旨とする大学です。女性が圧倒的に足りていない分野で人材育成をするのは本学の使命。だから、女性に最適化され、かつ教育成果の出る工学部を創るのは自然な流れなのです」。

 工学部設置は、既存の生活環境学部から工学を切り出す形での改組である。現代生活で「衣食住」が重要なのはもちろんだが、急激に成長しているエンジニアリングが深く生活に関わる動きに対応して生活環境学部から切り離し、変化に対応しやすい体制を整えるのが趣旨だ。「本学の伝統的な生活科学に根差し、生産し供給する側からではなく、生活し需要する側から『ものづくり』を捉える工学を目指しました」と藤田教授は言う。こうした様々な狙いや流れを確認すると、工学部設置は必然的なものであったように思われる。では、どのような工学部を創ることになったのか。

リベラルアーツ、STEAM教育、主体性醸成を軸にしたカリキュラム設計

 学部教育のコンセプトとして置いたのは3つだ。まず、人や社会へのまなざしを形成するリベラルアーツ教育を基盤に置くこと。象徴的な科目は「批判的思考」だ。工学以外の専門教員による授業で、工学に対する批判や疑問提起から、工学の問題を見つける。こうした思考を身につけることで、教養科目と専門科目の繋げ方を学び、イノベーションの基盤を培う。

 2つ目は、STEAM教育を実践することだ。藤田教授はその意図をこう説明する。「人工知能のため社会が大きく変わりつつあり、工学においてもイノベーターが求められています。そのためには、単なる専門性と技術応用だけではなく、創造性を教育によって開発していく必要がある。その手法としてはArtが有効です。だから本学部では、STEMにArtを加えたSTEAM教育を行います」。

 3つ目は、主体性の涵養だ。「今産業界が求めているのは、主体的にものを考えて自ら行動する力を持つ人材です」。自分がやるべきことを見出すには、自分の“個性”を自己認識する力が必要だ。自分の個性を把握し、それに合った課題を発見し、その解決に必要な技術・知識を身につけることができるよう、自分の課題に即して学びを選べるカリキュラム設計にしたという。「主体的な人間を創ろうと思ったら、学生達がそれぞれ自分に寄せたカリキュラムを創れなければ意味がない。与えられたものをただ漫然と積み上げていくだけでは主体性は育ちません」と藤田教授は補足する。また、全ての起点となる自分の個性を見出すため、自分の強みと弱み、興味・関心等を認知し、そのうえに自らの未来像を描く「自己プロデュース科目Ⅰ・Ⅱ」を必修とした。「社会に出るまでに『自分を知る』ことを徹底し、生涯学び続ける主体的勉学の基礎としたい」と藤田教授は述べる。

自由履修制度のなかでも計画的に配置されたPBL演習

 これらのコンセプトを実現するうえで肝と置くのが各種PBL演習である。

 1年次は、専門性の基礎と価値創出のメンタリティを学ぶことを目的に、エンジニアリングの具体を学ぶエンジニアリング演習と、アート系の価値創造体験演習を置く。アート系の基幹必修科目には造形基礎演習もあり、今年前期には「自然の中にあるものを選び、そのメカニックを考えて実現する」という課題のもと、鳥や虫の羽で風車を創ってどれが一番速いか確認したり、はりねずみの針が寝たり立ったりするのを再現してみたりと、独創的なアウトプットが多く出されたという。「芸術は今までになかったものを創り出すアプローチ。インスピレーションをもとに自らの感性に即して新たな価値を創ってみるというプロセス全体を経験してみるための科目です。だから設計図はなく、構造をメカニカルに考える思考、それをアウトプットする試行錯誤というプロセス全体が学びなのです」と藤田教授は話す。今までない価値を創出するメンタリティを習得させるために芸術系科目があるのだ。

 2・3年次は、人や社会からエンジニアリングを考える演習を配置する。ユーザーヒアリングから製品を考える「ユーザー指向開発演習」、どんな場でもエンジニアリングで貢献できるよう、有限な資源で最善の技術を創り出す「社会改善起業演習」、コンセプトからモノづくりを行う「コンセプチュアルデザイン演習」の3つのうち、2つが必修だ。多様なことを学んできた多様な学生が1つのプロジェクトで協働することで、自分の個性をより明確化していくことが期待される。そのため、各PBLは学生が集う「広場」と名づけられている。


図 工学部カリキュラムの概観
図1 健康データサイエンティストの可能性


学生の主体性を支え応援するチューター体制

 分野も学年も横断して学ぶカリキュラムではあるが、大括りとしては2~3年次に人間情報分野(人間と情報のコミュニケーション全般、及びその言語であるデータ処理やプログラミングを学ぶ)と環境デザイン分野(フィジカルに価値を創出することを中心に学ぶ)に分かれ、その共通エリアも置きながら、自分の専攻を見極めていく仕立てとなっている(図)。しかし、あくまで軸足は「学生の個性」であり、必ずしもこの分野に限った学びだけ提供する意図ではないという。「極論すれば、卒研の指導教員が1人でなくてもよいのです。学生がやりたいことをやらせてあげたい」と藤田教授は言う。

 こうした個別最適化されたカリキュラムにおいて、学生支援の仕組みはあるのか。藤田教授によると、現状は学生1人にチューター教員2名(正チューター・副チューター)を相談役でつけており、半期に一度の個別相談を実施するという。面談は、事前にPBL演習の活動状況やパフォーマンス評価、学部のディプロマポリシーに対してどのような力が伸びているのかをチェックしたデータをもとに行う。教員が正チューターとして担当する学生数は3名程度で、3年次以降は所属ゼミでの支援となるため、4年間でゼミとは別に合計6名の学生の面談を半期に一度実施する計算だ。

さらなる学生伴走で、自分を軸に学び続けられる女性を育成する

 一期生の様子を伺うと、「新入生アンケートでは、自由な履修が気に入ったからという回答が全体の7割(複数回答)でした」と藤田教授は言う。「女子だけの工学部だから選んだ」という学生も3.5割(複数回答)おり、「一期生になれるから来た」という猛者もいるという。女子大の工学部、しかも自由履修が軸という希少性を背景に、募集自体も全国広域募集に成功している。

 一方で、課題はさらなる学生支援だという。藤田教授は、学部で予め用意した仕組みだけでは走りだせない学生が一定数いる可能性に言及する。「主体性涵養の軸の科目を増強したい。1年次の自己プロデュース科目で個性を把握するのみならず、自分のモチベーションの核をつかみ、それに従ってアクションを起こすところまで持っていきたい。自分の人生を自分で進んでいくためには、自分がどうやったら進めるのかの自己認識が必要です。そのあたりの推進力を高めたい」と藤田教授は意欲を見せる。「イノベーションを起こす人は自分についてよく考え、吟味し、検討して、自分なりの意見や目標を確立する必要があり、内省が必須です。そうした点をさらに強化することで本学の独自性を高めることができると気づけたのは良かった」。また、企業からの連携希望も増えており、学生の成長に繋がるものを積極的に構築していきたいという。

 スタートしたばかりの新たな教育が今後どのような展開を見せるのか、引き続き注目したい。


カレッジマネジメント編集部 鹿島 梓(2022/12/20)