【対談】デジタルによる学修成果の証明と大学の出口/飯吉透氏×松村直樹氏

デジタルによる学修成果の証明と大学の出口

 どのようにデジタルによる学修成果を評価するのか、学習者個人は学修履歴をどのように利活用できるのか。個人が自らデジタルコンテンツを自由に学び取っていける時代において、「大学」や「学位」の価値とは何なのか。教育イノベーションの専門家である飯吉 透氏と、本誌連載「学ぶと働くをつなぐ」の執筆者でキャリア教育の専門家である松村直樹氏の対談を通して紐解いていきたい。


京都大学 飯吉氏、株式会社リアセック 松村氏




学修のブロックを自ら積み重ねる

──現在の潮流として、学修成果とデジタル化の関係性はどのようになっているのか、まずは飯吉先生から現状についてお話しいただけますでしょうか。

飯吉 学修成果のデジタルによる可視化の歴史的経緯を辿って言えば、まず「成績表をデジタル化して使えるようにする」というのが一丁目一番地。次に、電子ポートフォリオを学生に作らせて、「自分は何を学び、どんな成績で、何を身につけたのかを可視化する」という流れになりました。さらに大学は、ルーブリックを利用して、学生が身につけた技能や知識を評価し、電子ポートフォリオにレーダーチャート等で示す、といったことにも取り組んできました。学習プロセスと学修成果を一体的にデジタルで可視化し証明することで、大学での学びを社会に出る際の評価にきちんと接続させようというのが目的です。

 また、デジタルによる学修履歴証明というテーマにおける、もう一つのキーワードとして、マイクロクレデンシャルがあります。大学の「学位」という認証単位が大き過ぎ、学位プログラム全体を最新化していくことに時間がかかり過ぎること等が問題です。プログラム全体を見直すには5年、10年と時間がかかりますし、分野によっては変化が速く、カリキュラム的に追いつけていないものもありますからね。これらの課題を踏まえ、学位プログラム全体ではなく、技能・知識レベルで細分化された学びを認証しアラカルトに積み上げていくというのが、マイクロクレデンシャル(図1)の考え方です。

 そもそも日本では、デジタル化が進む前から、学位と並走して情報処理技術者等、職に特化された多様な資格が存在し、就職・転職の際にも活用されてきました。紙ベースとは言え、これらの資格が社会的にも一定の価値を認められてきたという歴史や文化が既にあります。ですから、デジタル履歴書的なものを作り、個人が取得した資格を証明するデジタルバッジをそこに貼り付けるような使い方は、我が国でも一般的になる可能性はあるでしょう。

 いずれにせよ、学びの履歴証明をデジタル化する流れは今後進むと思いますが、現状、日本の大学における学位等のデジタル証明は、確実に遅れています。海外の大学や諸機関から学位や成績の証明書を要求されても、紙ベースの証明書をPDF化して送るような状況です。

 海外では、EUやASEAN等、特定地域内で学位や単位の通用性をオンライン上で担保する仕組みが構築・運用されています。日本でもこのようなシステムの利用が可能になれば、国境を越えて学修履歴をデジタルで証明できる状況はつくれると思います。

 また、現状の制度的枠組みでは、日本の大学のクレデンシャルと、「非大学」のクレデンシャルを混在させることができません。しかし、個人が学んで成長したことを証明する個人のための記録なのだから、本来は、国や組織ではなく、個人が所有し管理すべきものなのです。いわゆるWeb3.0の概念ですが、様々な情報や記録データがブロックチェーン技術を用いて個人の「ウォレット」で管理・運用されるようになり、個人の学修履歴や職業履歴も入れられるように進化していくと思います。

 このような形で証明される学修履歴を、企業等の雇用者や社会が利用・評価するように変わっていくと、極端な話ですが、大学不要論すら出てくるかもしれません。大学側がデザインした学位プログラムという大きな認証の枠組みでの学びに「社会的価値や通用性がない」と判断されれば、当然ながら教育機関としての大学の存在価値自体が問われるわけですよね。

 一方で、あたかもブロック玩具のように、終わりのない構造体を自ら積み重ねて形作っていけるような学習プラットフォームの活用は進んでいます。少なくとも大学は、積み重ねるクレデンシャルの素となるコンテンツをプラットフォーム上に提供する役割を担えるとは思います。

松村 そのようなプラットフォームを通じて出されたクレデンシャルは、海外では企業の採用の場面において活用されているのでしょうか。

飯吉 使われていますね。なぜなら、そういったプラットフォームでは、企業側が求める人材像に合わせて、必要とされる技能・知識・経験の有無を、個人が既に取得しているクレデンシャルから判断したり、採用条件を反映させた新たなクレデンシャルを提供したりできるからです。

 日本においては、採用後に自社内で人材育成をしますが、海外では入社前教育として、学習プラットフォームを通じて必要なことを学んでもらい、そこで一定の学修成果が得られた人を採用するケースもあります。まさに、「売り手」のためのツールですよね。一方で、採用する側としても、1社1社が個別に人材育成に対応すると手間がかかり大変ですが、複数の企業・機関が学習プラットフォームを共通して活用できれば非常に効率的です。


図1 マイクロクレデンシャルについて


飯吉氏 コメント1


IT活用で効率的に人材を採用したいジェネリックスキルを持つ人材も丁寧に見極めたい

── 一方、出口である人材採用において、企業側はどのように捉えているのでしょうか。

松村 諸外国でオープンバッジ等、デジタルによる学修歴証明が就職や転職で使われているというのは、日本とは大きく違うのだなというのが、お話を伺った実感です。

 日本においては、一部の難易度の高い国家資格やIT系の資格を除けば、転職においてもあまり活用されていないというのが現状。その背景には、アメリカ等と比較すると、日本は「社員の雇用が守られている」というのが根深くあると思っています。おそらく今デジタルで証明されているものは表層的なナレッジベースの知識学習の証明に偏っている。ですが、実際に仕事をするうえでは、スペシフィックなスキルだけではなく、ジェネリックスキルや仕事に臨む態度、コミュニケーション能力等、いわゆるソフトスキルといわれるものが求められます。デジタルによって証明される知識やスキルの情報だけでは、その人の仕事上の能力を証明するものとしては不十分です。日本はひとたび雇用すると、基本的には解雇させることが極めて難しいので、リスクを抱えて採用するには至っていないのではないでしょうか。

飯吉 日本はオールラウンダーというか、「色々なことをこなせる多機能な人」が重宝される傾向があります。それもあって日本の企業は、最近のIT業界等では変わってきているかもしれませんが、採用ポストの要件等において「具体的に何ができる人か」という絞り込みが弱い。同じような業種・業界で類似の仕事に就いていた経験者を、過去の職歴などを参考にして採用するケースが多いかと思います。

 自分自身の経験でも、 例えばアメリカでは、特定のポジションの人材募集に対して、同業種で働いていた経験者の応募もあれば、大学を出て間もない未経験者の応募もある。未経験者が業務経験者と勝負するために、学位に加え、オープンバッジ等で証明された自身のマイクロクレデンシャルを利用するわけです。

松村 日本でも、最近新卒では、「リシュ面」という言葉が定着しつつあります。正式には「履修履歴面接」というのですが、学生自身が履修した授業を登録し、成績をシステムに登録し企業に提出、その情報に基づいて面接を行うというものです。企業側は、相手の学生がS評価の成績を修めているかどうかではなく、S評価を取るために、どういう経験をし、どういう苦労をしているのか、あるいは別の科目でC評価になった理由は何かといったことを事実ベースで深くインタビューしたいというニーズがあるのです。

 採用の手段として完全に定着しているわけではありませんが、学業を通じて何をどのように学んだのかをきちんと見て採用しようという流れはあり、デジタルを活用した仕組みがそこに使用される兆しはあるとは言えそうです。

飯吉 個人の学修履歴を深堀りして採用可否を判断するということが進んでいるのですね。これは、3つのポリシーに基づいて学位プログラムのカリキュラムを作ったり、シラバスをしっかり作成して公開するなど、政策的な後押しもあって可能になったことと言えますね。教育情報公開の一環としてシラバスの内容が公開されているからこそ、企業の担当者は、学生が何を学び、それに対してどのような成績がつけられ、何を身に付けたのかを手繰って見ることができる。学生にとっても、可視化された自分の学びの履歴が活用される機会になるでしょうし、大学で真剣に学ぶ態度が形成されることにもつながると思います。

──つまり、デジタル化によって可視化された情報を手繰って、深く学生について知ることができるという点では、企業・学生の双方にとって良い面があると言えそうですね。

松村 一方、新卒採用においては、ITが進化したことによって、学生からの企業へのエントリーがボタン一つできるようになり、人気企業の中には昔に比べて30倍、100倍といった学生からの応募が来るようになりました。どのぐらいの応募人数が集まるかという想定も難しくなっていて、多くの学生の母集団の中から選考して、面接段階までに持っていこうというのは大変なこと。一人ひとりの学習履歴を手繰っている時間がなく、効率重視に走らざるを得ないのが実態です。そんな中、今、スカウトやオファー、リファラルといった採用手法が盛んになっていて(図2)、何を学んだか、どんな経験をしたかではなく、「学校歴」に偏るという現象が起きているのもまた事実です。

 企業としては、効率的に人材採用はしたい。でも「学校歴」に依拠せず、優秀な人材を採用する機会は損失したくない。だから後者の判断をするうえで必要な、汎用的スキルやジェネリックスキルについて、大学が保証し、可視化し、証明してほしいと企業は思っているのですが、なかなか分かりやすい形では打ち出されていない、というのが現状でしょう。

飯吉 悩ましいですね。日本の場合は、DX化の悪い部分なのかもしれませんが、個人側もシステムを使って一斉に応募し、企業側もシステム上の設定で一気に門前払いする、というようなことが起きています。これでは、個々人の学びのプロセスや成果が適切に評価され、頑張りが報われるという状況にはならない。

 アメリカの場合は、例えばコミュニティカレッジで学んで、しばらく働き、また大学に戻って、さらに別の仕事に移る、といったような紆余曲折のキャリアを辿る人は全く珍しくありません。そのような人達に対して、採用面接の際は、これまで学業や仕事を通してどのような経験をしてきたのかを深く聞き出すわけです。家庭の事情で仕事に就いていなかった期間があるといったことも、必ずしもマイナス評価にはなりません。スキルだけでドライに選別しているわけではないし、出身大学がどこかも絶対的ではありません。

 これは、前提として雇用する側が、どういうチームの中で、どのような役割を担って、どのように働く人材を採用したいのか等の人材募集条件やそれに基づく採用のやり方に精通しているからだと思います。個人の生きざまも含めて、多様な観点からそのポジションにふさわしい適材を選ぼうとしているのです。


図2 企業スカウト・逆求人サービスの利用開始年


松村氏 コメント1


適所適材を叶える採用において一つの尺度では無理がある

松村 今後、働く側の考え方が変わる中で、適所に対して適材を採用しようという、いわゆるジョブ型の採用が、より進んでくる可能性があると思います。特に、日本では若い人の中には、2、3年で辞めて次の適所に移る前提で新卒入社する人が増えていて、3年以内離職率は大企業であっても高止まりのままです。個人の意識としても、昔に比べればジョブホッピングに対する抵抗感はなくなっていると思います。そういった就転職・採用が定着してくると、ナレッジベースなり、スペシフィックなスキルなりが正しく証明できる仕組みが活用される可能性が高まるかもしれないと思います。

飯吉 アメリカでは、バッジのような特定の技能・知識のデジタル証明と、前職・現職の上司や同僚からの推薦や所見等を合わせて「自分を証明するもの」として示せるプラットフォームが使われています。大学の入学者選抜における「マッチング」の考え方も同様で、SAT等の標準学力テストの点数の他に、高校での学業成績や学生生活に関する先生の推薦・所見が重視され、友人からの推薦状を求められることもあります。

 その背景には、世界の高等教育界で、民族、文化や教育的なバックグラウンドについての多様性が高まっている状況もあると思います。企業が、働く人の「個」を尊重しつつも、適所適材に選考・採用をしていく際には、もはや単一的な評価軸だけでは難しい。その人特有のスキルや経験はデジタル証明されたもので判断しつつも、価値観・文化的背景や他者による推薦等、多様な観点から人材を採用する社会になっているということなのでしょう。

松村 日本人はテスト好きで、何でも測りたがると言われたりしますが、人材採用においても先ほどのアメリカの例のように、あらゆる観点を踏まえるのではなく、何でも一つのインジケーターを使って測定し、その結果を信奉しようとしますよね。だからこそ、テストの手法にしてもデジタルバッジで証明されるようなものも、「本当に測りたい力が、正しく測れるのか」という厳密性を信頼しようとする傾向があるのではないかと感じました。

飯吉 松村さんがおっしゃることは、その通りだと思いますね。日本では、一度尺度や基準を作るとそれを使うことで安心してしまい、本当に一人ひとりの能力・実力を見極めるという目的をおろそかにしてしまいがちです。しかも、一つの尺度だけで見てしまうので、序列化も促進してしまうのだと思います。

松村 そうですよね。ただ、今後は日本の新卒採用においても多様化が進むことが避けられませんから、一つの尺度で測り、序列をつけて門前払いするような人材採用では通用しなくなります。もちろん依然として企業側は、地アタマが良くて論理的思考力があるというような、従来の尺度において優秀な学生はこれまで同様に採用したいのですが、そもそも若い人が減っている中で大学進学率がもう少し上がるとしたとき、「考える力」とか「思考力」だけではない能力で勝負しようという学生が多く社会に輩出されることになります。偏差値の序列だけで門前払いするような採用はだんだんなくなり、企業はこれまでの評価軸とは異なる様々な観点を踏まえて判断せざるを得ないと思います。


松村氏 コメント1


オンラインで実現する教育の実質化と大学の「学位」の価値

飯吉 日本で、いつ偏差値神話による大学の序列が崩れてくるのかは興味深いところです。例えばアメリカでも、私が学生の頃は、オンライン大学というのは胡散臭いと言われていました。ですが、そこで学んだ学生の中から社会で活躍する優秀な卒業生が輩出され、その実績と評価が長年積み重なって、オンライン大学の学位の社会的価値の確立につながったのです。

 さらに言えば、大学でなくても、オンラインでの学びを通して得られた技能や知識が、社会、特に雇用者側から価値あるものと認められれば、それこそが本当の意味での「教育の実質化」であり、マイクロクレデンシャルは、まさにそれを証明するものとして発行されているわけです。

 今後、オンライン教育がさらに進展するにつれ、大学の「学位」とは果たして何なのか、が論点となってきます。私は、大学が学位プログラムをどのように構成し、そこで何を大事にするかが肝要だと思います。

松村 飯吉先生がおっしゃるように、オンラインの授業を通じて質が保証された教育を受けることは、ある程度進んでいくと思います。ただ、大学ごとの差別化にはつながりづらい。大学を差別化するのは、むしろオンラインで学べないこと、人と人との対面が必須な活動にあると思います。例えば、アクティブラーニングを通じて磨かれる能力等があるでしょう。そういった能力が就職時に証明できるかというところがポイントになっていくと思います。

飯吉 そうですね。これからの「大学の価値」を考えた場合、やはり「どういう人を集めるか」というコミュニティに対する考え方が重要だ、と私は考えます。どういう先生から学ぶのか、どんな同級生や先輩・後輩と接するのかも含め、アカデミック・コミュニティを通じた活動が、オンラインだけでは代替できない価値を生み出す。ミネルバ大学のように、授業はオンラインで参加しつつ、世界各地の地域コミュニティでの活動を通じ、プロジェクトベースで教育を行っていくという形は、今後大学が教育機関としての価値を失わないための有望なモデルの好例です。

 今の大学は、マスプロダクション的なイメージがありますが、今後はその対極となるような、サロンやアートスタジオ、ギルド、工房といったような、精神の涵養、気構えの鍛錬を学び教えるような場としての役割が高まるのではないかと思います。

 一方、今の日本の大学は、定員充足を最優先して学生募集を行っているところも多く、良いコミュニティづくりという理念は、残念ながら事実上崩壊しつつあります。国内外から色々な能力や感覚を持った人々が集まる多様で豊かなコミュニティとして大学が生き残るためには、定員を減らして質を担保するという選択肢も考えざるを得ないのかもしれません。


飯吉氏 コメント2


デジタルでの学修歴証明が普及するトリガーとは

──デジタルによる学修履歴の証明が活用され、普及は今後進んでいくのでしょうか。

飯吉 そうですね、例えばデジタルバッジは、グローバルな人材コミュニティや人的交流において活用がより進むと思います。例えば、オープンソース・デベロッパーのコミュニティに入っていくときに、仕事を任せてもらうための一定の信用を得るために、オープンバッジのような国際通用性の高いデジタルのマイクロクレデンシャルは有効です。一種の免許証・パスポートのようなものだと言えます。

松村 先ほど飯吉先生がおっしゃったオープンソース・ディベロッパーのコミュニティへの参加のように、個人がキャリア自律を意図した活動を証明するものとして、デジタルバッジ等によって学習歴を証明していくという動きは、今後普及は進むと私も思います。

 一方で、大学内部に質の高いコミュニティをつくる努力は、大学が続けなければいけないこと。育成したい人材像を明確にし、他大学との教育の違いを持たせて、その成果を証明した大学が、起死回生する可能性があると思います。

飯吉 そのような学習歴証明が普及する要因として、日本人が今後さらに海外の労働市場に出て行くこともトリガーになると思います。残念ながら、日本国内では給料が上がらないという状態ですからね。グローバルな人材マーケットでの競争に参入していく際には、自分の価値を海外に分かりやすくアピールせざを得ないので、デジタルによる学修証明が有効に働く可能性は大きいと思います。

松村 あとは、個人のデュアルワークが企業で認められるようになるということも、トリガーになるかもしれませんね。先日、仕事でタイに行った際に驚いたのですが、セカンドワークのための大きな情報サイトがあり、多くの大学の職員が自身の情報を登録し、副業を探しているのです。日本でも自分のスキルを活かした副業を選択する場面において、オープンバッジの活用がありうるかもしれないと思います。

 いずれにせよ、日本も、キャリア自律を意識した働き方は若者を中心にますます進むと思います。今はまだ、個人が学びの履歴を証明するという行動が定着していなくても、今後は盛んになるとは思います。また、労働力人口が減少するこれからの社会においては、雇用側より個人側が強くなる。その時、個人が自ら学修した成果を認めて評価してほしいという主張が受け入れられるようになるのではないでしょうか。



(文/金剛寺 千鶴子)


【印刷用記事】
【対談】デジタルによる学修成果の証明と大学の出口/飯吉透氏×松村直樹氏