未来に向けた教育のパラダイムシフト 前編/戸田市教育委員会次長兼教育政策室長 横田洋和氏

未来に向けた教育のパラダイムシフト



戸田市教育委員会次長兼教育政策室長 横田氏

戸田市は最先端のデジタル教育を率先垂範する自治体として全国的に著名である。その改革内容や推進について、戸田市教育委員会次長兼教育政策室長の横田洋和氏にお話を伺った。前編では、戸田市の教育DXの全体像を、後編では改革推進のポイントや今後の動きについてお伝えする。

未来の学びの実現を目指す挑戦

 戸田市教育委員会(以下、戸田市教委)は未来の学びの実現に向け、これまでの教育の「当たり前」を問い直すべく、①脱・正解主義 ②脱・自前主義 ③脱・予定調和 ④脱・教師主導 ⑤脱・経験と勘と気合い(3K)を掲げ、それを全国に先駆けて実現し、モデルとなることを志向している。

 教育改革のコンセプトは、戸ヶ﨑 勤教育長が2015年に就任した8年前に掲げたものである。①AIでの代替が難しい力等の育成 ②産官学と連携した知のリソースの活用 ③「経験と勘と気合い」(3K)から「客観的な根拠」への船出 ④授業や生徒指導等を科学する の4点だ。それぞれ見ていこう。

 まず、①AIでの代替が難しい力等の育成 では、AI前提の社会において、AIが担う社会機能とは別の代替されない能力(21世紀型スキル、汎用的スキル、非認知的スキル等)の育成、及び昨今話題の生成型AIの相談的活用を含め、AIを自律的に活用できる能力を育成する教育のあり方を模索する。そのためには、既に安価で効率的な教育コンテンツや人材が豊富に揃う外部との連携、即ち②産官学と連携した知のリソースの活用 が前提となる。また、教育を教師の「3K」だけに委ねることなく、量的・質的エビデンスを踏まえたEBPMへシフトしていくことで、子供を真ん中において多様な大人が育成に携わるスキームが実現する。④授業や生徒指導等、これまで「3K」に依って成り立ってきた領域にこそ科学的知見を導入し、優れた教師の教育手法や指導技術を言語化・可視化・定量化する等、暗黙知を形式知化することで効果的に伝承することも見据えている(図1)。


図1 教育を科学する当面の方向性 ‐ICTはマストアイテム‐
図1 教育を科学する当面の方向性


as is”ではなく”to be”の改革を起こすための徹底した未来志向

 戸田市の教育が見据えるのは「今」ではなく「未来」である。「未来」とは、Society5.0やVUCA時代の社会だ。戸ヶ﨑教育長の発言を以下に示したい。


子供達がペーパーテストを受けている場面。限られた時間で自らの記憶や思考だけを頼りに黙々と正解を追い求めている。今の子供達が社会に出たら、これと同じ状況になることは恐らくない。実生活における課題解決場面は、正解があるわけではない、全てのものにアクセスできる、他人と協力し合い回答を導く、そうしないと解決しないものばかりである。


 こうした発言には、子供達が活躍する未来に焦点を当て、デジタルや協働を前提にした社会を担うことができる人材を育成するのだという気概が窺える。社会自体がSociety5.0にシフトしていく以上、これまでと同じ旧態依然な教育のまま、その社会に対応する人材を育成するのは難しい。だから、課題発見・解決力や創造力をいかに伸ばすかを起点に、PBLやSTEAM教育の基盤づくりに注力するのである。もちろんそうした社会的意義の正論を振りかざすだけでは変革の流れにはつながりにくい。そこで戸田市教委が重視するのが「教育の最前線は教室の授業」、つまり現場における変革だ。そこでは「リスクを恐れることこそ最大のリスク」「凡庸な90点の取り組みよりも60点でも夢のある挑戦を」といった風土レベルの変化が生まれつつあるという。

 また、横田氏は学校の課題として、「年功序列や経験主義、横並びや前例踏襲等に陥りやすい」「いわゆる“What to”は好まず、“How to”を求める傾向がある」「現状の授業においてICT環境がなくても何も困っていない」といった点を、教育委員会の課題として「民間業者等が入ってくると教育牙城が崩れることにもなる」「チョークと黒板で良い授業ができない者にICTを使わせても無駄だという感覚がある」「新たなことを行って難癖をつけられるより、やらない・できない言い訳をしているほうが楽なのでディフェンスを重視する傾向がある」といった点を挙げる。一方で日本の旧来の教育は「全体の水準向上を優先し、一人ひとりの良さを徹底して伸ばすことを二の次にし、できないことをできるようにすることを最優先にしてきたのではないか」と述べる。「これからはその優先順位を逆にすればよいのですが、その違いの大きさと重大性に気づくべきです」。個を尊重し、各自の興味関心と成長を軸にした時の教育のあり方は、全体最適を最優先してきた旧来の教育とは根本から異なるものなのだ。

 横田氏は、「日本の学校教育には、同年齢の学習集団と学年の一体化及び一斉授業、助け合いや勤勉や努力の奨励といった独特の学校観、教育観に彩られた仕組みがある。それ故か、特定の分野においては他に抜きんでた優れた資質(才能)を有すが、学校になじめず、授業には興味を示さず、孤立しがちで指導が困難な子供は、まだまだ学校教育においても学校以外の教育施設、指導者においても恵まれていません」と指摘する。戸田市は、ダイバーシティ&インクルージョンを教育現場に実現するためにも、デジタル化が大きく貢献すると見ている。

重点施策「戸田市SEEPプロジェクト」が意味するもの

 こうした教育改革のコンセプトを重点施策に集約したのが「戸田市SEEPプロジェクト」である。SEEPとは、Subject、EdTech、EBPM、PBLの4文字のアクロニムで、「浸透する」という意味だ(図2)。横田氏は、仏教用語の「薫習」が最も近いニュアンスだという。香りが物に移っていつまでも残るように、自らの行為が習慣となって染みつくことを指す言葉である。


図2 戸田市SEEPプロジェクト-産官学と連携した教育改革の重点-
図2 戸田市SEEPプロジェクト-産官学と連携した教育改革の重点-


 改革領域を1つずつ概観したい。まず、Subjectとは教科教育のこと。学びを変えるには授業改善が肝だとする前提で、主体的・対話的で深い学び推進のための「戸田型授業改善モデル」を構築している。戸田市教委の掲げるビジョンのもと、各学校が具体的な教育目標を設定し、教員自身の意識改革を含めて体制を構築していく。そのなかで子供達が何をどう学ぶのかを徹底して科学し、教科の本質を捉えた授業改善を目指すために今年度は「教科教育深化プラン」も新たに策定した。

 EdTechでは、テクノロジーの活用による新たな学びの創造を目指す。戸田市版SAMRモデル(図3)に基づく学びの改革を掲げており、教師が設定した場面でのみ活用する「教具的活用」から子供自身がICTの活用場面・手法を選択する「文具的活用」への転換を推進する。その際にポイントとなるのは、「ICTの普段使いは子供達のほうが教師より上なので、信じて任せること」、「ICTという手段を目的化するのではなく、学びの改革と一体的に推進すること」と横田氏は語る。デジタルによる単なる社会接続のみならず、共同編集、プレゼンテーション、ドローン等の機器の扱い、データ収集の科学等、デジタルを基盤にするからこそ必要となるスキルも身につける。横田氏は、「技術ではなく活用によって解決される。解決のために技術を活用することを意識できる人材を育成したい」と言う。


図3 ICTの文具化に向けた指標 ‐戸田市版SAMRモデル‐
図3 ICTの文具化に向けた指標 ‐戸田市版SAMRモデル‐


 EBPMは、優れた指導法や施策を質的・量的に分析し、授業改善等に活かす取り組みだ。「3K」のみから脱却したエビデンスに基づく政策立案を行うため、「戸田市教育政策シンクタンク」を設置し、外部有識者から構成されるアドバイザリーボードの助言のもと、デジタル庁・こども家庭庁実証事業である教育総合データベースを構築し、不登校等のSOSの早期発見・対応等「誰一人取り残されない、子供達一人ひとりに応じた支援の実現」を目指す。また、産官学連携の中で、教育施策の効果測定等を共同研究として行っているケースもある。「定量的のみならず定性的なデータも大切です。データ利活用によって、現場が有用感を得られるユースケースを創出していきたい」と横田氏は述べる。

 最後のPBL(Project-Based Learning)は、実社会のリアルな課題を探究的に解決する学びの推進のため、社会に開かれた「誰かの何かの課題」を解決する活動を通して、子供達の未来を切り開く探究者としての資質・能力の育成を目指す営みだ。その必要性の根拠となるのが図4の日本財団の調査結果である。横田氏は、「日本の子供達は、当事者意識を持って関与してより良い社会を作っていくという意識が極めて弱い。これはシチズンシップ教育がなされていないのと同義で、将来の日本の社会形成にとって由々しき問題です。PBLは、自分事として地域や社会の課題を捉え、単に調べて発表するだけではなく解決策を実際に実行し、対象者からのフィードバックを通じて改善サイクルを回すため、自分の力で社会を変えることができると実感するための不可欠な手法として捉えています」と説明する。

 PBLが発展していけば、実際の課題に対して文理横断して解決を模索するSTEAM教育にもつながっていく。昨今戸田市では企業連携のもとSTEAM Labの設置を進めたが、戸ヶ﨑教育長はその必要性について、「努力は夢中に勝てず、義務は無邪気に勝てない」と端的に表現している。

 以上をまとめると、戸田市が目指す教育DXは図5のようになるという。戸田市が70以上の外部連携を実現できるのも、こうした構想あってのことだろう。ただし、こうしたビジョンのもと外部連携も含めてどのように教育を作っていくかは各学校に任されているという。「改革初期段階ではお膳立てを市教委が全て行うこともありましたが、既に自走する学校が増えてきている今、市教委で用意する様々な原材料や人財をどう料理するかは、当事者意識を持つ各学校に委ねられています」と横田氏は話す。


図4 なぜPBLが必要か
図4 なぜPBLが必要か


図5 戸田市の教育DX全体像
図5 戸田市の教育DX全体像


後編はこちら



文/カレッジマネジメント編集部 鹿島 梓(2023/06/23)