5年一貫制大学院でのグローバルリーダー養成/京都大学 大学院 「思修館」

 京都大学は、産業界などで活躍するグローバルリーダーを養成する「リーディング大学院」として、5年一貫制大学院「思修館」を構想中(開設目標は平成25年4月)である。これまでにないタイプの大学院教育に対する社会からの期待もすでに大きいようだ。構想に至った課題認識、プログラム内容などについて京都大学の松本紘総長にお話を伺った。

なぜグローバルリーダーの養成なのか

 この構想に至るには2つの理由があった。第一の理由は、今こそ社会を引っ張っていくリーダーの養成が必要だという問題意識だ。ある集団のトップになるというのは、高い志と倫理感を持って方向性を示し、結果に責任を取らなければならない忍耐のいる仕事だ。社会の中で誰かがこの役割を果たさなければならないが、リーダーに不可欠な確固とした信念と責任感が近年は失われつつあるのではないかという危機感である。戦後社会が民主化するとともに、平等化が進んだ。この正の効果が大きい一方で、過度の平等志向の中でリーダーが育ちにくい社会になってしまった面もあるのではないか。そもそもリーダーとなる人材は個人の資質、経験に基づき輩出されてきたのであって、システマティックに養成されてきたわけではなかった。

 もう一つの問題意識は、こうしたリーダー養成が高度に専門主義の進んだ現在の大学にできるのかというものだ。世界の学術は高度化すると同時に、専門化が進んできた。細かい専門分野の研究をしないと専門家としての競争力が持ちにくい状況の中で、研究者はある限られた領域の中で勝負するようになっている。大学院重点化はその傾向を更に強化した。学部名や講座名が長くなってきていることは細分化傾向を端的に示しているだろう。30年ほど前は教授の数は少なく、1人の教授が幅広い範囲を見ていたし、他分野の研究者との意見交換も盛んであった。学問の発展のために細分化も必要ではあるが、狭い分野のことしかわからない研究者が増えてしまった。以前からそう感じていたが、昨年の大震災で改めて痛感させられたという。専門以外のことを聞かれれば「専門家でないので」と発言を控える。かといって「知の府」として、学内で議論を交わし、意見を社会に十分に発信できたか、と自問すると、どの大学も有効でなかったのではないか。広い分野を渡り歩き、大きな社会の現象をとらえることができる人材が必要ではないか、過度に細分化が進んだ現在の知的体系を見直す必要があるのではないかという思いを強くしたという。

 こうした2つの理由から、高度な専門教育を軸としつつ、諸学を束ねて、多様な現場で活躍できる人材を育成しようという判断に至ったという。新大学院は「自分でものを考え、実行する人材」を育成したとの思いから、総長のアイデアで「思修館」と名付けられた。平安時代の学僧などが用いていた「三慧」と呼ばれるものに「聞(慧)・思(慧)・修(慧)」があり、既存の知識などを読んで学び(聞)、自分で考えてみる(思)、その上で実際に行動に移してみる(修)というものだが、この「聞・思・修」に因んで名付けられたものである。読んで学ぶ(聞)のは学部レベルで身につけているので、「思」「修」を重んじた名にしたそうだ。

ユニークなプログラム内容

 具体的な構想については、産業界、官界、学内など様々な人の意見を聴きつつ、3年前から温めてきた。1年前には「新大学院設置準備室」を設置し、設立に向けた準備が行われている。

 定員は1学年20名程度を予定している。プログラム内容はユニークで、既存の大学院とは全く発想が異なっている。「志、自鍛、責任感を重視」「現地実践力、突破力重視」「国際標準の知識と経験」という3つの育成方針のもと、図1のようなプログラムとなる予定だ。詳しく説明しよう。

・最初の2年は研究を経験させる

 間でいきなり学位論文に取り組んでもらい、世界的リーダーの標準になっている博士論文と同等のレベルのものを書かせる。「狭い分野の中で新しいことを作り出すことは、2年間密に頑張ればできる」と総長は言う。確かに現在の修士課程は2年間といっても、最初の1年は授業を受けることがメインだ。また、研究室に入ってもインターンシップ、就職活動などで、修士論文に没頭できる期間は半年もなく、これが修士論文の質を下げている原因にもなっているという。思修館は5年一貫制なので、最初の2年間に就職活動が入ることもなく、研究だけに打ち込んでもらえれば、現在の修士学生の4倍ほどの時間をかけているとみなすことになる。

 思修館は特定の専門領域を持たないオールラウンド型の大学院であるが、学内協力教員(約50名)が指導するという全学協力体制を採用する。京都大学には約1000研究室があり、学生はどの分野のどの教員の研究室にもアクセスできるようにしたい。

 そもそもなぜグローバルリーダー養成のために、まず研究論文を書かせるのかを尋ねてみた。博士の学位を出す以上、企業に入っても「専門は何か」が問われる。テーマは何でもよいが、尖った強み(専門性)を持っていることが重要であるし、それ以上に「研究という新しい課題にチャレンジする経験」をさせることが重要だという。新しいことはよく分かっていないことが通例で、まずはその題材・テーマを自分で探さなければならない。また、その題材に対して、どのような方法、どのような手順でアプローチし、どのように成果をまとめ、発表していくのか。これは事業やプロジェクトでも基本的には同じで、このプロセスを経験させたいのだという。新しいテーマを選ぶこと自体も難しいと思われるが、「一生この分野で研究していこうと考えればテーマ設定から悩むのは当然だが、将来リーダーになるためのステップとしてテーラーメイド型で取り組むものなので、テーマ設定で悩むことは少ないのではないか」という。またこうした研究活動をサポートするためのメンター(専任教員)を置くなど工夫もされている。こうして2年間しっかり研究してもらい、3年目までに論文として仕上げてもらうことになっている。

・「学寮制」「サービスラーニング」「熟議」

 思修館では5年間、24時間勉強をしてもらうための環境も整えられている。まず、全員が入学時から、研修型の「学寮」に入ることになっている。学生だけでなく、寮長として専任教員も住み込むというオックスブリッジの「カレッジ」のようでもある。その意味では、いわゆる寄宿舎ではなく、合宿型研修施設といえよう。

 また上述の研究活動と並行して、各界トップリーダーとの「熟議」を週末に受けさせる。産業界、政官界、国際機関、学界などからトップ人材やその経験者を講師として招き、講師1名に対して学生6、7名でリーダーの講義と問答、ディベート演習、レポート作成、講師とのやり取りを通じて、リーダー学について習得してもらう。様々なテーマについて語ってもらい、徹底的に議論し、基本的には英語で行う予定だ。普段は学内の様々な研究室で研究活動を行っている学生同士の異分野交流効果も期待されている。

 思修館では、長期休暇も休みではない。夏休みなどには国内外のサービスラーニングが組み込まれている。短期ボランティア活動を実践してその精神を学ぶだけでなく、リーダーとして様々な立場と視点、あるいは文化・社会習慣を理解して行動できるように鍛錬する。1年目は国内の自治体等で、2年目は国外で実施する予定だ。かなり大変な内容であるが、「達成感は大きく、自信につながるはずだ」という。

・3年目:「八思」の授業を受ける

 2年間の研究経験と熟議で幅広い知識に触れたあと、3年目の1年間は徹底的に授業を受けてもらう。「医薬・生命」「情報・環境」「法律・政治」「理工」「経済・経営」「人文・哲学」「芸術」「語学」という8つの分野すべてを必修として学ぶ。各分野の中の科目についての選択は可能だが、8分野のすべてを学ばなければならない。総合大学は「芸術」分野が弱い傾向にあるが、グローバルリーダーであれば、外国人と話すときに日本の文化の良さを堂々と発信できなければ困るし、哲学や歴史についても知らなければ話にならない。こうした幅広い知識について、1年間、勉強してもらう。「体育」は入っていないが、体を動かすことも奨励し、研修型の「学寮」対抗戦をすることも考えているそうだ。語学についても、英語以外に8言語から1つを選んで学んでもらう。1年間しっかり勉強しておけば、将来、必要になって学びなおすときの「とっかかり」にもなる。英語については、3年間の実践型の履修を継続すれば、かなりのレベルアップが期待される。

・4年目:1年間の海外派遣

 4年目は学生を特任研究員(仮称)として、海外の提携大学、企業や行政機関、国際機関などへ派遣し、現場に根ざした実践教育を経験してもらう。経験だけで終わらせず、1年後にはレポートを書くことも求められる。

・5年目:プロジェクトベース・ラーニング

 研究経験、幅広い分野の徹底した勉強経験、外国経験を積んだら、あとは実社会で本当のリーダーとしてそれらの経験が生かせるかどうかが重要で、5年目はその実践期間である。学生は自らプロジェクトを立案し、そのために必要な資金や人材を自分で集めて、結果を出すことが求められる。3~4カ月で達成できるプロジェクトに複数取り組んで実践してもらいたいという。自分で企業や官公庁と交渉し、国内外の関係者を自らまきこんでプロジェクトを遂行するのは大変なことであり、資金が必要となるが、実社会に出た時を想定して、大学は一切の援助をしない。分野横断的、連関的に総合課題を解決する企画・実行力、交渉力、発信力を実践しながら獲得させ、その実力を社会に問う「成果報告審査会」を実施する予定だ。

 図1をあらためて見れば、2年修了時、3年修了時、5年修了時の3回にわたり、審査を受けることになっているが、このすべてをクリアすれば、博士(総合学術)を取得することができる。こうしてリーダーとしての自覚、信念を持った人材を育て、企業や行政機関の博士人材起用を促していきたいという。


図1 プログラムイメージ


プログラムを支える土台──入学者選抜、経済的支援など

 こうした教育を行うための土台も準備する。ひとつは学生選抜である。現在の大学院入試は、ある特定の領域で研究をする上で必要な最小限の知識のみが問われる傾向にあるが、研究者養成ではないので、別の選抜方法が必要で検討中だという。自分で考えられる人材というのはある程度の能力も必要なので、知的学力レベルを測定する筆記試験を行うが、それだけでなく、本人の志や気迫を見るような口述試験(インタビュー)の併用を考えている。また、英語能力も入学時点でTOEFL iBTⓇ80点以上を求める予定だ。国籍は問わないが、上述のプログラムについてこられる学生を広くから選ぶ。

 また経済的支援も重要だ。アルバイトによって学習時間がとられることをなくすために、全員に年間300万円程度の奨励金を予定している。研究活動を行う1~3年目には年間100万円程度の研究費の支給も検討している。4年目の国際実践教育の渡航費なども大学持ちだ。これ以外にも研修施設の建設や学外からの講師など、非常に充実した教育環境を用意するため、年間で約5~6億円の運営費がかかるそうだが、「効果を考えればそれだけの価値が十分にある」という。産業界からの期待も大きく、すでに寄付金の申し込みなどの話もあるという。

 こうしたプログラムについて、外部評価も2年ごとに行っていくが、学生が30歳、40歳になったときにどれくらい活躍してくれるのかが成果として重要であり、卒業5年後、10年後など定期的な追跡調査も予定しているという。

起爆剤としての効果を期待

 新大学院の構想に至った課題認識はきわめて大きく、既存の大学院や学部教育にも当てはまる印象を受ける。グローバルリーダーを毎年20名養成する以上の効果を期待しているのか尋ねてみた。

 一口に「大学院改革」「大学改革」と言っても既存の組織が変わるのはなかなか難しい。そこで必要なのは「新しい器を作ることだ」と総長は強調する。思修館は研究者養成を目的としているわけでもなく、既存の研究科と競合もしないため、学内でも理解を得やすく始めやすい。こうした新しい取り組みを学内の教職員も横目で見ているし、学生も聴講にいくだろう。こうしたことによって確実に既存の組織にも影響を与えていくし、すでに影響は出始めているという。文系の研究科では研究科横断型のプログラムが提案され、それぞれの学科の独立性が強い工学部でも「多様な専門領域が分かる教育をやろう」という動きも出ているという。既存の組織の中では難しいが、次の世代のことを真剣に考えている教員は多く、こういう思いに応える器を作ることこそ本部がやるべき仕事だという。

 こうしたインタビューを通して、今回は大学院での取り組みだが、京都大学のような国内トップクラスの大学は、学士課程においても将来のリーダー層を育成していくことが求められているのではないか、と最後に松本総長に尋ねてみた。「将来やりたいし、産業界から期待する声も大きい」という。既存の学部教育、大学院教育への浸透効果が期待されているこの新しいモデルが、他大学へどのように波及し、大学界の活性化につながるのか、今後の展開も期待したい。


(両角亜希子 東京大学大学院 教育学研究科大学経営・政策コース講師)


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