【対談】職員の戦力化/高橋俊介氏×吉武博通氏

職員の戦力化

大学改革を推進していくうえで、今、多くの大学で「職員の戦力化」が大きなテーマになっている。
改革の担い手としての職員をどのように育成していけばいいのか、そのためにトップにはどのような取り組みが求められるのか。
組織・人材育成領域の第一人者である高橋俊介氏と、学校法人東京家政学院の理事長で、大学経営に関する研究者でもある吉武博通氏の対談を通して探っていく。


慶應義塾大学SFC 研究所上席所員 高橋俊介氏、東京家政学院の理事長 吉武博通氏




──大学改革を進めるうえで、職員が担う役割について、現状どのような変化が起きているのでしょうか。

吉武 今、大学職員の役割が大きく広がってきています。業務を経営と教学とに大きく分けると、これまで職員は、経営に関しては理事を補佐し、人事、総務、財政、施設等の仕事を担当していました。一方、教学は教員が主体であり、職員はその支援や事務手続きが中心でした。職員の役割はルーティン的な性格の濃い仕事にとどまりがちだったのです。

 しかし、ここにきて、外部資金の獲得、産学連携、社会貢献、国際化等の重要性が高まるなかで、職員の仕事のテリトリーが広がってきています。同時にそれぞれの仕事において期待される仕事の質も、より創造的、企画的な面にウェイトが置かれるようになってきました。つまり、幅の問題と質の高さの問題、両面で変化が起きていて、日増しにそういう状況が加速しています。

高橋 私は特任教員として長い間大学に在籍はしていますけれども、大学の運営には、教授会も含めて入っていないので、それほど詳しいわけではありません。ただ、それなりに横で見ていて感じていることは、教員ではない理事の方々に「教学の部分に自分達が入るべきではない」という自己規制があって、経営と教学をきれいに分けようとしてきたのではないかということです。

 しかし、私の印象では、その2つはもはや別々の問題ではなくなってきていて、分けることが難しい。両方を巻き込んだ改革をやらないと今の大学が抱える課題の解決はできないのではないかと思うのです。この経営と教学の壁をどう乗り越えていくかということを考えたとき、職員の役割が注目されるのはよく分かります。彼ら彼女らにも変革のリーダーシップが求められるようになっているのだと思います。

吉武 おっしゃる通りです。ただし、ルーティン的な仕事を中心に担当してきた大学の職員にすぐに改革をリードする役割を任せようとしてもなかなかうまくいきません。そもそも変革のリーダーシップを発揮した経験が乏しいのでやむを得ない面もあります。歴史を振り返っても、中世の大学から今日まで、長らく大学の主役は学生と教員であり、この2つの関係のなかで形成されてきた共同体として発展してきました。そこに法人や事務局という経営体的性格の組織が加わり、これらの実務を職員が担うようになりますが、「決定は教員、事務は職員」という文化が根強く残っています。また、大学によっては、給与水準も高く、職員の側にも、ルーティンワークで安定した収入が得られるなら今のままでもいいと考える人達がいるのも事実です。

 もちろん、改革の担い手としての意識を持った職員も確実に増えつつあると感じています。彼ら彼女らが存分に力を発揮できる場づくりが、今の大学にとっての大きな課題ということができますね。

大学職員に求められる「ヨコのリーダーシップ」

──大学改革に必要なリーダーシップとは具体的にはどのようなものでしょうか。

高橋 そのような改革の担い手になる職員に求められるのが「ヨコのリーダーシップ」です。民間企業は、タテ社会の構造がありますから、トップがこうだと言えば、みんながそれに従う「タテのリーダーシップ」が働きます。しかし、大学はそうはいかない。もともと経営と教学、職員と教員の間に壁があって、お互い不可侵条約の下でそれぞれが機能してきた部分もあるし、立場的に教員のほうが運営において影響力が大きいという実態がありましたから。その中で職員が教学の部分も含めて影響するような何らかの改革の施策を打とうとするのであれば、「ヨコのリーダーシップ」が強く求められるのではないでしょうか。部門の壁を乗り越えたり、外部の人と連携したりといった、目標、目的、価値観、色々なものに関して違うシナリオを持って動いている人達を巻き込んでいくタイプのリーダーシップですね。それは今、民間企業でも求められているものですが、大学という組織においては企業以上に必要になると思います。

吉武 職員は自分達が改革に能動的に関わらなければいけないんだと頭では理解しています。しかし、体がついていかないというのが現状ではないでしょうか。

 では、どうしたらそのような職員を高橋先生がおっしゃる「ヨコのリーダーシップ」が発揮できるように育成できるかということが、本日のテーマでもあるわけですが、まず申し上げておきたいのは、大学職員は、知的能力という意味でのポテンシャルは決して低くないということです。私が知る限り、国公私立共に、大企業や中堅企業の社員に引けをとらないポテンシャルのある職員がどこの大学でも採用できるようになっていますし、現に入職もしています。もともとの人材リソースに関してこれらの企業と差はないはずなのです。

 ところが、中途採用に目を向けると、大学が民間企業の人材を採用することはあっても、民間企業が大学で長年働いた人を採用するケースはあまりありません。

 つまり、非常に厳しい言い方をすれば、人材育成という面で大学は失敗しているのです。これまでの大学には人を成長させるための学習環境が十分に整っていなかったと考えています。

高橋 民間企業でも企画力やリーダーシップが必要だと言われますが、それらは基本的には、企画し、リーダーシップを発揮し、人に影響力を与えて何かを成し遂げなければいけないという状況に追い込まれて、一生懸命それをやるという環境がなければ育ちません。矛盾した言い方ですが、変革の組織カルチャーがないところに変革のリーダーは育たないのです。ルーティンワークだけにずっと携わっている人から経営者は育ちません。

 ですから、大学でも、まずはトップが改革の意思を明確にして、改革をどんどんウェルカムにして、素養と意識のある職員が改革を進めていけるように、大きな方向性を示していく。そして、その環境を何年も続けていく必要があります。

 そうして初めて本当の改革のリーダーが生まれてくるのだと思います。


図1 タテ社会とヨコ社会


素養のある人材を発掘し、ミニ変革の機会を提供

吉武 とはいえ、知的能力のポテンシャルはあっても全員がそのように成長できるわけではありません。ヨコのリーダーシップを発揮できるタイプの人材を抜擢して、機会を与え育てていくということが必要ですね。

高橋 おっしゃる通りです。「自分に期待されている役割はこの程度」と認識していて、まだそういったリーダーとしての本領が発揮されていない職員達が何パーセントか存在するはずなのです。ポイントは、そういう隠れた素養のある人をうまく見つけて、抜擢し、動機付けし、いくつものミニ変革リーダーシップ経験を積ませて、自分自身を目覚めさせるという取り組みです。

 例えば、ワーキングマザー経験を通じて周囲を巻き込んでリーダーシップを発揮し、自分のやりたいことを実現する力を身につける人も少なからずおられます。育児と仕事の両立は周囲の助けを借り、人を巻き込まないとできませんからね。

吉武 人材を発掘して、小さくてもいいから成功体験を積ませることで磨かれるというのは、まさにその通りだと思います。ただ、大学は人材に成長の機会を与えるということが十分にはできていません。一概には言えませんが「職員は余計なことはするな」という組織文化の中で育ってきた世代と教職協働が重視される環境の中で育ってきた世代の間にパーセプションギャップがあるように感じています。このような状況において、上の世代が下の世代にミニ変革の機会を与えられるかが一つの課題です。

高橋 そうなると有望な人材を発掘し、育てるのも難しいですよね。人材の目利きができて、成長の機会を与えられる人間が上にいないと、素養がある人がいても埋もれたままになってしまいますから。

 「ヨコのリーダーシップ」を発揮するには、もちろん情熱やモチベーションも必要ですが、それだけではなく、自らをメタ認知して自制しつつ客観的に自分や周囲を見つめ、うまく自分の熱意やモチベーションを使い分ける力が求められます。そういった人材は多くはいませんが、小さなことでもいいから経験し訓練して身につけさせるようにすることが重要です。

 さらに、リーダーにとって必要なのは、目線を上げること。そのためにも、発掘した人材に、外に出る機会を作ることが大切でしょう。様々な知的刺激を通じて、変革のリーダーにとって必要な新しい発想が生まれることになるでしょう。


高橋氏 コメント1


日本の大学は諸外国と比べて職員が少ない

──職員のリーダーシップが育つために、ほかにはどのような課題がありますか。

吉武 職員のリーダーシップが育ちにくいもう一つの要因が「数の問題」です。日本の大学は、教員2に対して職員が1なのです。一方で、諸外国は教員の数よりスタッフの数のほうが多い。大学が学生に教えなければいけないことはどんどん増えてくるわけですから、教員の数はどうしても一定数確保しなくてはいけない。職員も戦略的にもっと強化していかないといけないはずなのに、大学の収入が一定だとすると、残された人件費の中から職員を雇わざるを得ない。それが先ほどの比率になるわけです。

 一方で、大学の教員達は、諸外国であれば事務系・技術系の職員がやっているような仕事も引き受けざるを得ません。それが日本の研究力の低下につながっていると私は見ているのですが、同時に職員は職員で、人数が足りていませんから、優秀な人がルーティン業務に追われ、新しいことを手掛ける余裕がありません。

高橋 私も大学で教えていたわけですけども、採点とか出席管理といった業務への対応が大変なんですよね。大学はもっとパラプロフェッショナルを活用しないとプロフェッショナルの本来の力を活かせません。パラプロフェッショナルとは、単に事務的に定型作業をやる人達ではなく、大学における色々な業務のそれぞれの専門性、例えば国際系の専門性等を備えた人達のことです。

 このようにパラプロフェッショナル的に動く職員の割合がもっと増えないといけないのだろうなと思います。一方で、定型的な業務に関しては、DXやそれ以前のIT化によって大幅に減らすことは可能でしょう。もちろん、そういった経営の実現には、大きな投資が必要となるわけですが。

吉武 そうなると、先ほどから高橋先生もおっしゃっているように、改めてガバナンス改革も含めたトップの役割が重要になってきます。しかし、人材育成に関して言うと、職員をどう育てていけばいいのか、どういう環境で職員が育つのか、あるいはどういう職員になってもらいたいのかということをきちっと概念化する作業がどのトップマネジメントもあまりできていない感じがしますね。大学のトップはまず人的資源管理に関する理念や戦略を明確に持たないといけません。

 私は企業で人事の経験もあり、日本の企業もそこは不足している部分だと感じていましたが、大学はもっと欠如しています。人件費の配分においても、人を育てるという考え方においてもきちんとしたストラテジーがない。場合によっては教員を減らしてでも職員を増やすべきです。教員と職員がどのように役割を分担し合う構造にしていけばいいのかという組織のデザインに加え、どのような人材を育てようとしているのかというストラテジーとをしっかり考えていく必要があります。


吉武氏 コメント1


教員と職員の連携を組織全体に広げる

高橋 ここまで議論してきたようにトップの役割は非常に重要なんですが、一方で私が思うのは、トップの強力なリーダーシップだけに頼るのはやっぱり無理があるということです。たった一人の偉大なリーダーと残り99.何%のフォロワーによって大きな変革ができる組織ではないと思うのです、大学は。

 そういう意味で、教員の中からも、経営に関わっていく意識を持ちそれにふさわしい経験と学びをするような人達が出てきて、変革型リーダーの職員と一緒になって改革を進めていくことが必要でしょう。

吉武 そこは大切なところですね。教員は新しいことが好きですから、新しいチャレンジは教員から起きることが多いと思います。産学連携も地域連携も、国際交流だってそうです。問題は、一人の教員の情熱と献身によって成り立っている状態では、組織的活動として定着しないということ。そのためには職員によるサポートが必要です。教員が産学連携の研究を始めたら、知的財産に詳しい職員がそれに寄り添っていく。海外大学との教育を教員同士が始める際には、提携に詳しい職員がスムーズに交渉を進める。教員が始めた新しいことをサステナブルな仕組みとして定着させられるのは実は職員なんです。変化を起こすのはもしかしたら教員かもしれない。それに伴走できる職員をどう育てるかを考えたほうが、職員から変革を起こすよりは現実的かもしれません。

 また、トップに頼りすぎてもいけないというのもまさにその通りで、職員自身が自ら動いて、ボトムアップ的にトップに提案していくという流れも今後は起きてほしいですね。それが職員自身のキャリア形成にもつながっていくわけですから。

高橋 ここまで話してきたような人材の発掘、覚醒、教育といった人材育成のサイクルを整えたとして、そういう過程を組織の中でうまく回していくためには外部のチェックも必要だと思います。私も企業の社外監査役を務めていますが、民間企業ではまさにそういうことをやっています。大学も理事会に民間企業経営者等の外部人材を積極的に入れ、仕組みを見える化して検証してもらうということをガバナンスとして実践していったらいいのではないかと思いますね。

吉武 それは大賛成です。大学はどうしても規則に基づいた手続きの世界なので、形式的な仕事ばかり増えて実質がないがしろにされてしまうことも多いと思います。ヒト・モノ・カネ・情報といった経営リソースがどんな考え方に基づいて、どのように活かされているのかということを外部の目を入れながら、理事会が見ていくことは非常に大事だと思います。


図1 職務別 大学の職員数(本務者)


高橋氏 コメント2


専門性を強化するには外部からの採用が不可欠

──職員力の強化という意味では、人材採用についての課題はありますか。

高橋 民間企業でも新しいことをやろうと思ったら、それができる人材を外部から中途採用します。大学は、今、まさに新しいミッションを数多く抱えているわけですから、外部からの採用は積極的に行うべきだと思いますね。

吉武 それに関しても同感です。大学というのは、大手の早稲田大学でも専任職員は800人程度。私立大学の平均の専任職員は90人程度です。規模の違い等それぞれの大学の特性や課題に応じて人事のあり方を変えていく必要があります。

 中小規模の大学は、自前で研修もできませんし、ジョブローテーションも難しいでしょう。一方で、先ほど取り上げたように、職員に求められる専門性は高まっていますから、ジョブと、そこで何を期待するかを明確にして、該当する分野に詳しい人材を民間企業、あるいは他大学から採用するというのは合理的な方法です。

高橋 今大学もまさに新しいことを立ち上げなければいけない状態ですから、外から専門性のある人材を採用しなければ間に合いません。一方、新卒で採用した人材であっても、プロフェッショナルにならなければいけない。ですから、一度外の世界に出して経験を積ませることが必要になるでしょう。

吉武 もう一つ、職員の育成ということになると、SDが注目されるかもしれませんが、SDを単なる研修のような狭い形で捉えるのは違うと思います。人材育成で本質的に重要なのはOJT。研修はあくまで足りないところを補う役割だと私は考えています。

 また、研修というと若手中心に行われることが多く、部課長クラスになるとほとんど実施されません。ミドルマネジメントやシニアマネジメントの研修にもっと力を入れる必要があると思っています。

高橋 シニア層に研修が必要だというのはその通りで、民間企業でも問題になっていて、少しずつ変わってきているところだと思います。

 それから、研修も含めた人材育成やディベロップメントにおいては、高い専門性が必要なのですが、誰にでもできる業務だと思われている。しかし、専門性がなければ効果的な研修設計はできません。研修を通じて、その人にどんな気づきを起こし、どんな認知の変化を起こそうとし、環境認識と自己認識にどんな刺激を与えて、どんなスキルを身につけたうえで、思考行動特性として定着化させるためにはどうすべきか。その全体プロセスを設計するためには、最先端の専門的知見を勉強していなければできるわけがないのです。人事の仕事に対しては、誤った認識がされていると思います。民間企業では、この分野の専門性の高い人が出てきています。

吉武 大学において、人事という職務の成熟度は低いと思います。人事に科学的な視点や専門的な知見も必要です。人事という専門のセクションを置くことができる大学は多くはないと思いますが、そのスキルや知識を持つ人材を育成することは重要です。人事の専門性をどう強化していくかは、今後の職員力強化に向けて、大きな課題だと言えるでしょう。


吉武氏 コメント1




(文/伊藤 敬太郎)


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