インターナショナルバカロレア(IB)日本での現状を探る

 ある大学で、IB出身の学生が「本質的な問いかけ」をしたところ、教員が「何でそんな当たり前のことを聞くのか」と応対して大いに問題になったそうだ。IB出身の学生は「問い」を大切にする。そして、その問いから対話をして考えを深めていく。なぜならば、そういった教育を受けてきたからだ。こうした表面的ではない、本質を考える学習に加えてIB出身者は英語での授業も求める。それに応えてくれる国際基督教大学と上智大学国際教養学部が、彼らの中では人気進学先となっている。さて、今国立大学を中心にIBによる入学者選抜が導入されつつあるが、IBの卒業生をしっかりと受け入れられるだろうか。「IB学生脅威論」が出てこなければ良いが。

 政府は、2013年6月に「日本再興戦略」において「グローバル化に対応した教育を牽引する学校群の形成」としてIB認定校等の大幅な増加を目指すことを示し、2018年までに200校という数値目標を掲げた。その後も「まち・ひと・しごと創生総合戦略(2015改訂版)」で「国際的に通用する大学入学資格が取得可能な教育プログラム(国際バカロレア)の普及拡大を図り、2020年までに国際バカロレア認定校等を200校以上に増やす」と示している。経済界からも、日本経済団体連合会が「次世代を担う人材育成に向けて求められる教育改革」(2014年)等の提言で、IB認定校の拡大を求めている。

 大学では脅威論が出そうなIB教育、一方で政府も経済界も導入拡大を求める。このIBとはいったいどんなものなのか。

IBの教育とは

 IB教育は、国際学校の生徒が母国に帰ったときに困らぬよう、どこの国でも通用する大学入学資格を与えることを目指したことがきっかけで、1968年にジュネーブで生まれた。最終的には、特定の国の学校制度に縛られない教育プログラムを目指して、「国際的な意義」「共感する心」「高い学力」を通して世界平和に貢献することを理想とした教育プログラムを開発することになり、特定の文化や国とは独立したカリキュラムと試験制度ができあがる。国際的な大学入学資格を得ることから、カリキュラムに母語と外国語の2言語が設けられるのは必然だった。また理科・数学の必要性は誰もが認めるものでありすんなりと収まった。さらに複数の人文科学と社会科学から1分野を選択することが決まり、最後に幅広くバランスの良いカリキュラムとするために芸術が入れられた。こうして「科目」が決まった。

 加えて、IBの独自性を求めて課題論文(EE)と「創造性・活動・奉仕」(CAS)が導入される。特に、CASは「生徒が高度な教育を受けたかどうかは、試験で何点取れるかではなく、全く新しい状況で何ができるかによって確かめられる」との信念から、学問的な学習の外にある「実社会の重要性」に価値を置く。最後に、カリキュラム全体の要となるものとして、クリティカル・シンキングを重んじた「知の理論」(Theory of Knowledge:TOK)を設置した。知識の形態、分野相互の理解、日常の経験と知識の結びつきを学ぶものだ。知識そのものを批判的に捉えることも特徴的である。

 こうして、世界最高水準といわれる高校生向けのプログラムができあがったのだ。IB教育は点数主義や正解主義とは真逆なものなのである。

IBのプログラム

 IBには、年齢に応じて、4つのプログラムがある。初等教育対象のプライマリー・イヤーズ・プログラム(PYP)、前期中等教育対象のミドル・イヤーズ・プログラム(MYP)、そして、後期中等教育で行うディプロマ・プログラム(DP)とキャリア関連プログラム(CP)だ。日本で「IB」として話題になっているものはこのうちのDPだ。DPは2年間のカリキュラムである。日本の高校の場合、2年生・3年生が該当する。IBディプロマを取得するための世界統一の最終試験があり、これで一定の成績を修めると国際的な大学入学資格を得られる。試験は正解が一つに決まるようなものではなく、論述型の試験だ。普段の授業で、いわゆる「正解がない問い」を扱っているから、当然といえば当然である。数学等では知識の応用的な活用を求められる。この最終試験は45点満点で、40点を超えると世界大学ランキングの上位にある大学から奨学金付きで入学のオファーが来るとも言われている。こうしたプログラムを、ニューヨーク国連国際学校で40年以上にわたって教えている津田和男先生は、「生徒が知識を自分なりに理解し、吟味し、自分の意見を持ち、それを人と共有し、きちんと表現できるよう育てることを目標とした教育プログラムです。課題を与えるのではなく、生徒が自ら課題を探し、その解決に向けて、系統立ててリサーチし、実践できるようにサポートするプログラムなのです」と説明する。つまりTOKが求めるように、知識を批判的思考によって主体的に獲得しつつ、そこから築いた自分の意見を対話的に共有できるようにし、さらに、自ら課題を発見して解決をするのである。これは、まさに今、次期学習指導要領の改訂に向けて示されている「主体的で対話的で深い学び」を実践するものだ。TOKでは知識を批判的に捉えるだけでなく、その知識がどこからきて誰が正しいと判断したのかまでを問う。それほどに知識の枠組みを重視する。一方で、知識自体もディスカッションやリサーチの中で獲得するため知識の獲得と思考力や表現力が共に育つ。こうした教育を受けてきた学生を大学はしっかりと受け止めることができるだろうか。

IBの理念

 IBの理念は、一貫した国際教育の観点から「使命」「学習者像」として示されている。「使命」には「人が持つ違いを違いとして理解し、自分と異なる考えの人々にもそれぞれの正しさがあり得ると認めることのできる人」とある。こうした多様性の受容が「国際的な意義」であり、世界平和に貢献するために必要なことだ。津田先生のTOKの授業では「テロ」をグローバル・イシューとして扱う。日本でグローバル・イシューといえば専ら環境問題だろう。理系も文系も扱えるから、これを取り上げることが多いようだが、テロと環境問題では学ぶ緊張感が異なる。ニューヨーク国連国際学校には、世界の国連加盟国から生徒がやってくるので、当然、イスラム教徒もいればキリスト教徒も仏教徒もいる。そんな環境だからこそテロを題材にするそうだ。まさに「使命」に基づいた取り組みだ。ただし、津田先生の授業では、このテーマに限らず、いつでも「議論は教室の中だけで教室の外に持ち出すな」をルールとしている。そのルールがなければ教室外でのいじめや差別に発展することすらあり得るからだ。

 「学習者像」は、「国際的な視野を持ち、人類に共通する人間らしさと地球を共に守る責任を認識し、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する」ことに向けて努力する存在であるとされている。

日本の教育に抜け落ちた思考の訓練

 さて、ここまでIBとは何かを述べてきたが、IB教育の核をなすTOKは、日本の教育ではすっかりと抜け落ちているものではないだろうか。私は『セオリー・オブ・ナレッジ世界が認めた「知の理論」』(ピアソン・ジャパン)というTOKの教科書を企画構成・編集した。この本を有名商社の副社長に渡したところ、ちょうどダボス会議に出かける飛行機の中で読んでくれ、こんな感想を送ってくれた。「ダボス会議で日本人が精彩を欠くのは、英語が苦手なだけではない。この本にあるような思考の基礎訓練ができていないことにも原因がある。これからの日本の教育は、こうしたTOKのような思考の訓練をすべきだ」。

 一方、オックスフォード大学出版のTOKの教科書を翻訳した、岡山大学のアドミッションセンター長で副学長の田原誠教授は、「TOKのような検証的な思考、批判的な思考は、日本の教育の中では全く教えられていません。検証的に考えることは大学で行う実験等では大切なものです。ですから、高校までにそうした経験がなくても大学に入ってからでも学べるように、検証的な思考やTOKの入門となる講座を、来年度から1年生対象に設置する予定です。国際バカロレア入試を導入するだけでなく、IBの思想を教育に取り入れていきたいと考えています。その手始めとしてTOKの本を翻訳しました」と出版の経緯を話してくれた。TOKのような思考の訓練を大学の初年次までに学んでおくと学問の捉え方も変わるのではないだろうか。

IBディプロマの資格取得者はどのくらいいるのか

 さて、このIB認定校は世界にはどのくらいあるのだろうか。2016年11月段階で、世界140以上の国・地域で4664校がIBプログラムを実施している。日本ではPYPが21校、MYPが11校、DPが28校であり、CPは設置されていない。まだまだ少ない。また、2015年にIBディプロマの最終試験を受験した世界全体の受験者数は7万5919人。そのうち日本人は761人、全体の1%に過ぎない。数値目標である200校を達成したところで、1コースは約20人だから200校を合わせても4000人にしかならない。果たして200校をゴールにしていて良いものだろうか。

日本語DPでIBディプロマ取得者は増えるか

 DPを一部日本語で受講することができるようになった。既に2校が日本語DPコースを設置している。ただし、日本語DPとはいえ、外国語ともう1科目は英語等で受講して最終試験を受けなければならない。これはかなりハードだ。高校在学中に少なくとも留学できるレベルであるCEFRのB1が必要となる。そのためには中学卒業段階で最低でもA2が必要となるだろう。果たしてどのくらいの中学生がこれに達するだろうか。中学トップ層の英語教育の充実がさらに求められる。そうでなければ、日本語DPが増えても進学してIBディプロマを取得できる生徒を確保できない。また日本語DPで得たディプロマは英語DPで得たディプロマと同じ価値を持ち、資格として何ら変わらないということも知っておくべきことである。

日本のDP校もバリエーション豊か

 200校の目標達成のためには公立高校での導入も必要であろう。今、数県での設置が計画されている。そのなかで、広島県が構想するグローバルリーダー養成の中高一貫校ではIBDPを提供することを予定している。ここでは高校1年生までにCEFRのB2の英語力を修得させることが目標だ。瀬戸内海の島に全寮制で設置され、高校段階から留学生を受け入れることも予定している。CAS等で社会に開いた教育ができるかが課題である。関西学院千里国際中等部・高等部では、1991年の開設以来IBを採用している大阪インターナショナルスクールと同じ校舎を使い、施設を共用するだけでなく、体育や音楽、芸術の授業、体育祭等の学校行事も共同で英語で実施している。こうしたことで中学から自ずと英語に慣れ親しみ、希望者は英語でのDPを取得することができる。広島県福山市の英数学館では日本語DPと英語DPを併設している。日本語と英語が堪能な教員を配置できれば人件費を抑えることができるし、生徒も英語に触れる機会が増えるのではないだろうか。この一条校とインターナショナルスクールの併設、日本語DPと英語DPの併設を全て展開する計画なのが、武蔵野大学の設置する千代田インターナショナルスクール東京と千代田女学園高等学校だ。武蔵野大学は仏教主義の学園。TOKと仏教思想の融合が試みられるとIBが仏教国に一挙に拡がる可能性も出てくる。

 一方で玉川大学に加えて、岡山理科大学や都留文科大学・筑波大学・東京学芸大学などでIB教員養成も始まる予定だ。東京都は玉川大学と連携してIB教員の育成を研修として始めている。教員の養成も本格化し始めた。

課題も見えてきた

 日本では、高校で受講して取得した単位を大学の単位にすることはできない。海外ではアドバンスト・プレイスメント(AP)という制度があり、IBの上級レベル(HL)の科目を大学の単位とすることができる。これによりIBディプロマ取得者はHL科目について授業を免除される。単位ごとに授業料を設定している大学ではこれが奨学金になる。半期の単位をクリアできれば1セメスター分の授業を受けなくて済むことになるのだ。日本でもAPが認められるようになれば留学生確保を促進できる。また、IBディプロマ取得のための最終試験は年に2回実施されるが、日本のDP校はオーストラリア等の学校年度に基づいて設定された日程で受験するため、他国に比べて授業を1カ月早く切りあげねばならず、明らかに不利な状態にある。こうしたところも国際バカロレア機構と調整して正していきたいところだ。

 こうしてIBDPが広く展開されるようになると、中学では英語教育のさらなる充実を求められ、大学では議論を中心としたアクティブ・ラーニングが当然のものとなり大きく教育を変えなければならなくなる。世界最高水準と言われるIBは、日本の教育改革の起爆剤となるのである。

後藤 健夫(教育ジャーナリスト)