造形というミッションの開花/武蔵野美術大学
造形の意味
およそ日本の大学は、芸術とは縁遠かった。というのは、芸術分野を専攻したいと思えば、美術大学や音楽大学へ進学するしかなく、そこは興味半分で進学できるところではなく、プロを目指す者、それに相応するスキルを大学入学以前に身につけた者にしか門戸は開かれていなかったからである。また、一旦、進学した以上、独立した作家や演奏家になることが暗黙のうちに求められていた。いや、これらは過去形ではなく、現在進行形であるかもしれない。このように、芸術を特殊領域に閉じ込めてきた日本の大学であるが、その枠を取り払おうとしている大学がある。
それが武蔵野美術大学である。この大学名を聞く限りプロの美術家の養成校のように思えるが、その学部構成が、造形学部と造形構想学部だと聞くと、多くは疑問符をつけて返答するのではないだろうか。
この疑問を解くためには、まず、その設立に遡っての説明が必要であろう。武蔵野美術大学の前身は、1929年に設立された帝国美術学校にある。創立時のミッションは、「教養を有する美術家養成」、後に「真に人間的自由に達するような美術教育」が加わっており、確かに美術教育を謳ってはいる。しかし、単に美術家のスキルを持つ者の養成ではなく、幅広い知識を得て何か新しいものを構築する力を持つ者を養成することが、このミッションには込められていたという。その意図は連綿として引き継がれ、旧教育制度化の1947 年には校名を造形美術学園とし、1962年に4年制の武蔵野美術大学になった時も学部名は造形学部であった。日本初の造形学部である。その後、長く続いた造形学部であるが、2019 年にはそこから造形構想学部が分離独立する。
このように、「造形」をバックボーンとする武蔵野美術大学であるが、この造形について長澤忠徳学長は、「造形とは、単に美術に限らず、何か形あるものを作り出すことです。本学のミッションである教養を有する美術家養成とはまさにそれであり、教養教育と造形教育によって美術という領域を確立していったのです。デザイン・リテラシー、視聴覚リテラシー、造形リテラシー、これらは一般的な自然言語に対比されるものとしての感性に属するものですが、こういった辞書のない造形要素を扱う言わば造形言語のリテラシーを涵養することを、美術大学としての本学はミッションとしてきました」と語られる。
造形構想学部に結実
造形というミッションをさらに進めたのが、2019 年に新設された造形構想学部である。この学部は、全く新たなコンセプトで作られたクリエイティブイノベーション学科と、造形学部から移行した映像学科とから構成される。どちらも、「創造的思考力をもって社会的イノベーションに寄与する人材の育成」を共通する目標とするが、クリエイティブイノベーション学科、及び大学院造形構想研究科造形構想専攻に置かれたクリエイティブリーダーシップコースの学びのコンセプトは図1に見るように、ユニークである。ベースにクリエイティブ、その上にビジネス、テクノロジー、ヒューマンバリューの3つの円が重なったところに、ソーシャル・イノベーションが起きるのである。ソーシャル・イノベーションとは、現代社会の課題を解決し、さらに新たな価値を創造する試みを意味するが、そのためには現代社会の仕組みと、我々の生活に欠かせなくなったITを中心とするテクノロジーの両方に知悉し、さらにそれを如何にして表現するかを学び、これらを融合することで初めて可能になるのだ。
この造形構想学部の学びの一部は、武蔵野美術大学のメインの鷹の台キャンパスではなく、市ヶ谷に新たに設置したキャンパスで行われる。都心の立地を活かし、ビジネスを身近に感じながら価値創造をしたいという思いが、市ヶ谷構想となった。その具体的な形態が、「MUJIcom 武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス」であろう。これは、市ヶ谷キャンパスの1Fにある無印良品の店舗であるが、無印良品の物品を販売するだけの店舗ではない。武蔵野美術大学との共創スタジオであり、各種のイベントを企画し、そこに教員や学生が時には協力、時には主催する。教員や学生にとっては、図1に示された学びを実現する社会実験の場になっている。この取り組みと企業をつなぐのが、2019年に市ヶ谷キャンパス開設とともに設置されたソーシャルクリエイティブ研究所である。「日本をデザインする」、「これからのデザイン教育」、「ライフスタイルデザイン」をビジョンに掲げて研究を進め、プロトタイプを作ろうとしている。これらの研究は、研究者だけが研究室にこもって行う研究ではない。無印良品との共創スタジオのように、積極的に外部機関、すなわち企業、自治体、地域住民等と連携し、社会問題の解決方策を探るとともに、新たな社会的価値を創造しようとしている。
学長によれば、「新しい教育を始めるときは、研究所をつくって研究の成果を教育に活かし、同様に大学院を設置して研究と教育の一体化を図っていくことが、効果をもたらします。これは、私が在籍した当時のイギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートの方式でもあった」のだそうだ。確かに、未知のことを明らかにしていくことが研究であり、明らかにしたものが知であり、その知を伝えるのが教育という循環を具現化すると、新学部の設置と研究所の設置は合理的な組み合わせということができる。
この新キャンパスで学ぶのは3年生以上のため、学年進行で3年生が市ヶ谷キャンパスにやってくるのは2021年度からである。この取り組みがどのように効果を発揮するか、楽しみである。
教養と創造的思考力
「教養を有する美術家養成」から始まった武蔵野美術大学は、教養教育を、どの学部・学科においても、創造的思考力を涵養するためのバックボーンとして位置づけている。美術大学の教養教育とはどのようなものなのだろうか。それにもっともよく該当するのが「文化総合科目」であろう。それは、「教養文化」というカテゴリーの人文・社会・自然にわたる科目、「言語文化」というカテゴリーの外国語、「身体運動文化」という身体運動の科目、加えて、美術・デザイン・建築の専攻領域における共通基盤となる専門能力を養うとされている「造形文化」から構成されている。このうち、「教養文化」、「言語文化」、「身体運動文化」は、1991年以前の大学設置基準に規定されていた一般教育科目に近い。
しかしながら、ここで興味深いのは、造形学部のどの学科も、卒業に必要な124 単位のうち40 単位をこの「文化総合科目」に充てている点である。もう1つ特筆したいこととして、「造形総合科目」という科目群の存在である。これは自分の専門とは異なる領域を学ぶことを目的としており、8単位が充てられている。これは旧来の考え方でいえば、専門基礎科目に相当しよう。
これらを合わせれば、卒業要件の124単位中48単位、すなわち40%弱が教養関連の学部共通科目となる。1991年の大学設置基準の大綱化以降、ほとんどの大学が一般教育=教養教育に関する履修単位数を減少させるなか、これだけの履修単位を教養科目に充てている大学は珍しい。しかも、造形学部といえども、伝統的な日本画学科から最新の技術を取り入れるデザイン情報学科までの多様な11 学科(造形構想学部に移籍する以前の映像学科を入れれば12学科)に対して、このような共通性の高い教育を行っていることも、教養教育の理念を体現しているということができる。なぜなら、アメリカの教養教育には、幅広い分野を学習するということとともに、たとえ専門教育の内容は異なっていても、同様の教育内容を学習した集団の凝集性を高め、社会をリードするという役割が課されてきたという歴史的経緯があるからである。
造形構想学部クリエイティブイノベーション学科は、造形学部とはやや異なり、「文化総合科目」の履修は14単位と少ない。しかし、「造形構想基礎科目」に18単位、「専門基礎科目」に39単位が割り当てられていることに特徴がある。そのなかには、「現代社会産業論」、「フィールドリサーチ演習」、「キャリアイノベーション」、「知的財産権基礎」等、これまでの造形の概念とはかけ離れ、まさしく図1にある、ビジネス、テクノロジー、ヒューマンバリューに関わる科目を履修する仕組みであり、総合的に創造的思考力を生み出そうとする仕掛けが見てとれる。
多様な学生層
こうした教育理念を体現してくれるのは学生である。彼/彼女らが武蔵野美術大学での教育を受け、それを社会の多方面で発揮してくれてこそ、教育のミッションは意味を持つ。その点から考えると、大学入学以前から画塾予備校に通い、美術家を目指す者のみを選抜する必要はない。基礎学力と造形への意志があれば、入学後の教育で目標とする人材養成ができると考え、2000年代に入ると、大学入試センター、公募・指定校推薦、外国人・帰国生等、新たな入試方式を導入してきた。造形構想学部ではさらにこの方針を明確にし、とりわけクリエイティブイノベーション学科では、実技試験は一切課していない。学生の創造的思考力を高めるためには、美術のスキルに限定されない、多様な経歴や志向性を持つ者が融合することが必須と考えてのことである。
図2の入試方式別の志願者数の推移をみると、一般入試による志願者は減少しているが、大学入試センターはほぼ一定、公募・指定校推薦、外国人・帰国生は、緩やかに上昇を続けており、結果として志願者は若干の増減はあるがほぼ一定を保っている。
ただ、こうした考え方を高校や志願者の保護者に理解してもらうには、まだまだ時間がかかりそうである。美術大学≒プロの芸術家の養成≒生活が成り立たないという、ステレオタイプ化された見方が浸透しており、志願者の保護者や高校の進路指導の教員からの反対の声が上がることもあるという。ただ、それも時間の問題のように思う。造形構想学部の教育理念に共鳴した、これまでにはなかった、いわゆる高偏差値の高校からの進学者も一定数おり、教育理念の理解とともにさらに受験者の多様性は高まると期待される。
こうした大学の教育理念は、卒業者の進路を見れば十分に現実のものとなっている。例えば、造形学部の2018年度の卒業者のうち就職希望者は63%に及び、希望者中の就職者は89%であり、こうした比率は、作家活動を目指すと思われる「その他」のカテゴリーに分類される34%、これも作家活動を目指してと思われる大学院進学者10%を凌駕しているのである。就職状況の内訳をみれば、図3に見るように、大学で学んだアートやデザインを各方面の産業で活かしていることがわかる。企業の総合職としての採用、ゆくゆくはマネジャー層になってほしい、美術大学だからといって、限定された領域でしか仕事ができない人間にはしたくないという思いが、こうした就職先の多様性にあらわれていると言えよう。
学生層の多様化という点では、大学院造形構想研究科造形構想専攻クリエイティブリーダーシップコースは、それを体現している。平日夜間と週末を利用した授業配分、またクオーター制を導入したこともあり、入学者の52%が社会人という結果になった。大学卒業後に現実社会に触れ、その課題に気づき、それを解決したいという欲求をもって再学習に臨む者がこれだけいるということだ。社会人を十分開拓できていない日本の大学だが、潜在的なマーケットは小さくはない証左である。
アートをビジネスに
従来、美術は作品を創作しても、高名な作家にでもならなければなかなか生活が成り立たなかった。美術には知的財産権という考え方も適用されにくかった。しかし、美術に限らず造形は我々の社会生活に変革をもたらす重要な役割を果たしてきたことを思えば、何とかして、造形の領域をビジネスに載せたい、これが長澤学長の今後への希求である。近年の高等教育の領域では“STEAM”の重要性が強調されることが多いが、このうちのAは“ART”である。従来“STEM”として理工系の学問領域が強調されていたなかにARTが入ったのは、論理で考えるSTEMでは不十分で、感性を広げる“ART”の重要性が認識されたからにほかならない。ただ、この“ART”の重要性が認識されたとしても、それがビジネスの世界と切り離されたままでは意味を持たないというのが、長澤学長の認識である。
そのための方策は多々あるが、大学の教育と研究というベーシックな機能がもっとも近道である。教育という点では、新たなコンセプトにもとづく教育を高校に広め、従来の「美大」という認識が時代遅れであることを知ってもらうことである。そのことにより柔軟な思考を持ち何かを起こしたいという高校生が進学してくれることになる。高校との連携はいくつか取り組んでいるが、さらなる拡大が必要であろう。
もう1つは、研究成果のビジネスへの転換である、大学での研究成果を、大学自らが社会化し、大学の収益に結びつく活動とすることである。残念ながら日本の大学には、これに関するノウハウの蓄積が乏しい。しかし、政府からの教育予算への支出の伸びは期待できず、厳しい経済状況のなかで家計への依存もできず、そうであれば大学自らが事業を社会に拡げる運動体として機能する必要があろうというのが、長澤学長の構想である。
時代をはるかに先取りする大学の構想である。しかし、多くの大学にとって傾聴に値するサジェスションでもある。
(吉田 文 早稲田大学 教育・総合科学学術院教授)
【印刷用記事】
造形というミッションの開花/武蔵野美術大学