【対談】これからのキャンパス体験―メタバースの可能性/中村伊知哉氏×稲見昌彦氏

これからのキャンパス体験
─メタバースの可能性

インターネット上のバーチャル空間「メタバース」を教育に取り入れ、新たな取り組みを挑む大学が増えている。メタバースが教育の場にどのような変革をもたらすのか。iU(情報経営イノベーション専門職大学)学長 中村 伊知哉氏と東京大学先端科学技術研究センター教授 稲見昌彦氏の対談から探る。


情報経営イノベーション専門職大学 学長 中村氏、東京大学先端科学技術研究センター教授 稲見氏




デジタルファーストを掲げるiU

──まず、iUが教育の場においてどのようにメタバースを活用されているのか、現在の取り組みをご紹介ください。

中村 iUは、2020年にデジタルファーストを掲げて開学しました。当時はコロナ禍だったこともあり、デジタルに取り組むことに関しては大きな混乱もなく、リアルとオンラインのハイブリッド環境によるオープンキャンパスを設計してきました。VRやメタバースも導入し始めたところです。iUではインターンシップを必修科目としているのですが、インターン先でメタバースに取り組む学生も多いですね。

 実際のカリキュラムでもメタバースの中で学ぶスタイルを取り入れています。例えば「iUのデジタルツインを作る」をテーマに、学生達にメタバースの大学を作ってもらいます。デジタルツインと言いつつも、特に制限やルールは設けず、自由な発想でiUをメタバース上に創ることで学ぶというやり方です。

 NECと実施した仮想空間授業の実証実験も、全てのことを産学連携のプロジェクトベースで始める取り組みの一つ。まだ成果検証は完了していませんが、今後は正規の授業やキャンパス全体の活動にも広げていきたいと考えています。


画像 仮想授業の様子


メタバースによる人間拡張の可能性

──続いて、稲見先生のメタバースに関する研究内容についてお聞かせください。

稲見 私が大学で研究として始めたのは、1990年代の第1次バーチャルリアリティ(VR)ブームの頃からです。今で言うところのメタバースに関わる技術に関わってきました。なぜ興味を持ったのかというと、例えばタイムマシンやテレポーテーション等、現実世界では不可能であることが、VR空間の中であれば実現できるかもしれないと考えたからです。

 もう一つの理由は私自身が、スポーツが得意ではなかったこと。自分の身体を自由自在に動かすことに憧れ、生身の体では不可能なことを、道具を使って実現できる研究に没頭しました。それが「自在化身体」の研究へと繋がり、「第3・第4の腕」「第6の指」の概念にもなりました。

 一方で、中村先生と立ち上げた「超人スポーツ」の活動過程から、身体を拡張するだけではなく、環境を変えることで能力を引き出す可能性も見えてきました。「手を使ってはいけない」というルールからサッカーが生まれたように、スポーツはルールを変えるだけで活躍できる人が変わり、インクルーシブなものになります。メタバースはまさにゼロからルールを作ることができる自由な空間。メタバースをうまく使って人間の能力を引き出すアプローチができないかと考えたのです。

 最近話題になった「けん玉できた!VR」は、玉の速度を調整して難易度を下げ、熟練者のお手本に合わせて練習すれば上達できることを証明した、まさにメタバースの可能性を示唆しています。日本の小学生が「体育が嫌いになる理由」と言われる逆上がりや開脚跳びも、このスローモーションモードやイージーモードを作ってあげることで誰でも楽しく習得することができるかもしれません。学ぼうとする人それぞれに合わせた難易度や教え方ができれば、モチベーションを保ったまま成長できるのではないでしょうか。それがメタバースで教育環境を作る意義だとも言えるわけです。

──それは個人それぞれに合わせたシミュレーションが可能だからということでしょうか。

稲見 パラメータを変えることだけではなく、状態の計測が可能であることも重要な利点です。個人情報保護の観点で注意は必要ですが、メタバースはユーザーの行動データが取得しやすいという特徴があります。例えば、会話中の視点や声の抑揚、時間など様々なデータを取得・計測・分析することが可能です。これを私は、ディープデータと表現しています。これまでよりも深い情報を手に入れることができるのが、メタバースだと言えるわけですね。

 東京大学のバーチャルリアリティ教育研究センターでは、バーチャルリアリティ自体を作る研究の一歩先となる、ディープデータを取得できるデバイスの設計や、ディープデータを活かしたサービス・製品やメディアの開発に取り組んでいます。そして、メタバースやVRを活用した教育についても着眼した研究も行われているところです。

 先ほど、学生主導でiUのデジタルツインを作ろうとしているという話がありましたが、東大でもコロナ禍で卒業式がオンラインになってしまった学生のために、在学生達が集まって「バーチャル安田講堂」を作ったという事例があります。それを受けて大学本部で「バーチャル東大」プロジェクトを立ち上げましたが、実働部隊は東大の工学部の学生達。建築学科の学生も参加して測量しながらデータを取って設計していました。まさにバーチャルファースト。現実世界の建築よりも先にバーチャル建築を経験したことになります。このようなことが、iUでも東京大学でも同時多発的に起きているところが非常に大きなポイントなのではないでしょうか。


画像 第6の指、バーチャル東大


中村 稲見さんは、著書『スーパーヒューマン誕生! 人間はSFを超える』『自在化身体論』で「アバターやロボットを自己化すること」「自分自身の身体をロボット化すること」の重要性を書かれていました。メタバースで教育と聞くと、学ぶためのツールの一つとして考えがちですが、自分自身の身体性や自己化することは私も大切だと思っています。

 つまり、オンライン授業やソーシャル教育という概念は既に当たり前になってきているなかで、もう一段先のメリットを考える必要があります。僕らもやってきた経験で言えば、「学生も教員もいつどこにいても授業に入ることができる、海外にいる講師による授業が簡単にできる」「学生もリアルの場より発言しやすくなる」「教材もシェアしやすい」など。時空や時間軸を気にせずに学ぶことができるメタバースにおいて、自身の身体性をどう考えたらいいと思いますか。

稲見 「他人ごとであった他者の経験や知識を自分ごとにできる空間」という表現もあるかもしれません。つまり、身体がその場にある感じや、自分がそこで何かをやっている感覚を出せること。タブレットやパソコンの画面の向こうの世界と、自分が実際そこにいて操作できる世界の違いですね。自分が体験することで、自分ごと化することが大事だと思います。

 「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、メタバースでは「見る」を経験の「験」に置き換える。「百聞百見は一験に如かず」という松下 幸之助さんの言葉が教育における価値と言えるのではないでしょうか。


稲見氏 コメント


中村 オンライン授業は「見る・聞く」だけですが、メタバースによって「体験する・できる」になる。その違いは大きいですね。稲見さんが著書で書かれていた、「自分のアバター、つまり自分の身体をみんなで共有したり、合体したりする」という発想も面白いですね。

稲見 例えば読書という行為は、他者の考え方が共有されたものを高速で吸収する手段とも言えます。合体による学習は、昔の村の代表に託して旅をしてもらうお伊勢参りに例えると、分かりやすいかもしれません。誰かの貴重な体験をみんなでシェアできるといったことですね。

中村 オンラインやバーチャルに慣れている若い世代にとっては、稲見さんが言うメタバース空間での身体合体や分身を体験する未来はそう遠くはないでしょう。学校経営に関わる人は、それがかなり近未来だという認識を持っておいたほうがいいですね。

稲見 学生が何に価値を感じるか。モノに対する価値観も変化してきました。例えば若い世代は、服を買うならば、物理の服よりもアバターの服にお金をかけたいという人が多くなっていく。リアルとバーチャルという分け方ではなくて、今の若い人にとっては両方ともリアル。その中でデジタルが適しているものと、フィジカルが適してるものをうまく使い分けていこうと考えるようになっているように感じます。

 今の学生達が活躍する社会は、メタバースで仕事をすることが当たり前になるかもしれない。未来の学生達に何を教えるかも考え直さなければなりません。例えば、物理世界は物理法則と物質の反応による化学、それらを記述するための数学が基本リテラシーとして必要です。大学の工学部では、1年目で物理実験と化学実験でそれらを体験しながら学びます。それが根本から変わっていくというわけです。

中村 メタバース上で生活する人が増えていけば、リアルで何かすること自体が贅沢になると予測する人もいますね。それはあながちSFではなく、現実になっていくことを前提に、教育や社会経済のあり方を考える必要がありますね。

稲見 我々にはありふれているものを贅沢に使い、貴重なものを大切に使うという価値観があると、かつて堺屋太一さんが仰っていましたが、SDGsで指摘されているようにフィジカルの世界で使えるリソースは非常に限られていく一方で、リッチな計算機資源とデータ、そして高速なネットワークが世界にあふれています。ディープラーニングを含め、計算パワーを贅沢に使うことがかっこいいと言われる時代なわけです。よって、学生時代に敢えて情報技術を無駄遣いする経験をし、一方でフィジカルのリソースを節約できるようなサービスをメタバースを活用しながら考える。それが未来の社会へのインパクトを生み出すことに繋がると思います。


図 xRの定義


デジタルがもたらす教育の多様性とパラダイムシフト

──既にiUでは情報技術自体がもう一つの環境であり、実際にそうした世界を作る取り組みをされていますね。

中村 時間がかかりましたが、漸く日本も全員がパソコンで勉強できるようになってきました。最終的にねじを回したのは我々ではなく、コロナだったとしても、それを後戻りさせてはいけないと考えています。知識を一方的に伝達するだけの教育から、共に学ぶ学習スタイルに変わり、お互いに学びを共有し合うファシリテーションの時代が来たと感じています。

 スコット・ギャロウェイ氏の著書『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』には、世界の大学の半分は廃校になるだろうと書かれています。日本の人口減少を考えるとそのくらいはいくかもしれない。その頃に残る、あるいは必要とされる学校はどういう姿なのか。今からそれを考えながら実装していかないと間に合わないと思いますね。

 例えば、今大学で教えていることは、欧米の大手IT企業が本気を出せばすぐにできてしまうことが多くなってきました。また、コンピュータサイエンスは東大で西洋史はハーバード大学、東洋史は北京大学、哲学はオックスフォード大学で学んだという学習履歴のほうが、有名大学の卒業証書より価値を持つようになるだろうし、実際なりつつあります。

 では、大学は何を提供できるのか、かなり真剣に問われるようになっていくでしょう。学校の壁もオンラインからメタバースで一気に崩れるであろうし、逆に言うとそれを崩していったほうが次の世代の学習環境にとって望ましいとも言えます。そこにドライブをかけるような教育ができたらさらに面白いですね。


中村氏 コメント


稲見 大学は元祖サブスクモデルだったのかもしれませんね。授業料を払えば受け放題だけど、受けても受けなくても、授業料は変わらない。中村先生はその先の話をされているのだと思いました。学習における全行動のログが取れる時代においては、情報量の少ない学校歴のようなものではなく、情報技術を活用することで検証可能な学習歴で評価される時代になるということですね。

中村 学習や経験の履歴、そして自身が作ったものやソーシャルメディアでの発言履歴などを総合して評価してくれるメカニズムができれば、学校が提供してきた成績表や卒業証明書と相対化されるようになるかもしれませんね。それをどのような位置付けとするかは、学校側も考えなくてはいけないし、同時にリアルの価値、コミュニティーで何がプロデュースできるのかという、そのコアの部分が最重要ポイントになる。メタ空間で学校と学校、そして学習法がどんどん繋がっていくところと、コアとなるリアルの価値。学校はどちらを目指し、選択するのか問われるような気がします。

稲見 ソーシャルにも、デジタルに向いているソーシャル性とフィジカルに向いているソーシャル性があるので、その機能の部分をどうしていくかという話ですね。誰でも世界のオンライン教育サービスを受けられるCoursera(コーセラ)ができて、大学がなくなるかもしれないと言われたこともありましたが、そうはならなかった。一方通行な講義はオンラインで置き換えることができても、物理空間での双方向の体験は簡単には置き換えられない証左になったと思います。大学におけるソーシャル性、フィジカルとデジタルのバランスは何かを探ることはiUのチャレンジでもあるわけですよね。

中村 デジタルのほうは、勝手にどんどん自走していろいろ繋がっていくだろうと楽観視しています。逆にフィジカルのほうはどう設計すればいいのか、答えがどこにもないような気がします。私は学校そのものをアンチテーゼみたいなものにしたくてiU を作ったのですが、実際にやってみると我々よりも学生のほうが肌感覚を持っていると感じることが多いですね。稲見さんが言うように、「一方通行の教える」にこれまでのような価値がなくなっているのは、本当に痛感しています。教え授ける教授という言葉も時代に合っていないですよね。

稲見 福沢諭吉が述べた「半学半教(はんがくはんきょう)」という、お互いに教え合い、学び合うことでさらに高め合う言葉が、まさにそれを示していますね。

 ちなみに東大の工学部も、あるチャレンジをしようとしています。メタバースというフロンティアを使って東大工学部生だけではなく、中学生や高校生、社会人の方々に先端知を伝える枠組みをできないかと考えました。ただ教員のリソースは限られているので、DXをしながら効率化していこうというコンセプトのもと、「メタバース工学部」を設置しました。あくまでも教育プログラムであって実際に学部ができたわけではないんですが、これまでの規制産業としての大学と少し違ったことを求めていくトライアルを今からやっておくべきだと考えたんですね。

中村 東大がメタバース工学部を作って中高生に教えてくれるのは、すごくありがたいですね。そこで学んだ学生をiUに勧誘したいです。

稲見 ただ将来人口が減るというのは確実な未来。建学の理念に基づいて方向性を決めることが大切なのではないでしょうか。大学運営や教育のやり方に正解はないかもしれません。今回はたまたま東大工学部とiUが同じ方向を向いていましたが、また大きな変化が起きたときに、みんな同じように潰れてしまうのは避けたいところです。そういう意味では教育の多様性や新たな教育システムへのチャレンジ、この二つは重要だと思います。

中村 まさに僕が新しい大学を始めたいと思った理由の一つです。iUはデジタルファースト、プロジェクトファーストで全員起業を掲げていますが、それらは手段に過ぎなくて、建学の理念は、変化を楽しむ人になる、イノベーションを起こす人達を育てるということ。多様でありながら総合性もあり、新しい挑戦ができる環境をメタバースが実装しやすくしてくれているというところでしょうか。

稲見 メタバースファーストの大学もあってもいいかもしれないですね。オンラインで作ったコミュニティーが自分達にとって理想的だったら、リアルでも作ってみるとか。2023年に開校予定の神山まるごと高専※は、既存の製造業というアウトプットだけではなく、新しくビジネスを創る人材を教育しようという理念から生まれています。メタバースは社会実験もやりやすいですし、その中で得た優先順位で貴重なリソースの割り振り方を見極めて、物理に還元していく。それも一つのやり方だと思います。

中村 メタバースの中では失敗してもいいですしね。テクノロジーを使って楽しい未来に向かって何かを作るのもいいし、別のジャンルが大事だと思っている人はそれを追求していけばいい。それがこれまでの枠を壊して繋がれるとより楽しくなりそうです。

稲見 メタバース時代は、恐らくメタユニバースではなくてメタマルチバースになるでしょう。大学教育も、従来は一つのユニバーシティに所属し完結していたことが、複数の大学での学習歴を評価するマルチバーシティ制となる。さらにメタバースを活用した大学、即ちメタバーシティでは、複数の分身やアバターを活用しながら効率的にマルチバーシティで学び、異なるコミュニティーと繋がることになる。メタバーシティで学ぶことで、価値観の異なるマルチバースのコミュニティーとコミュニティーを繋げるハブとなるインターバース人材を育てることにも繋がるでしょう。

 これまでは場所ファーストで人が集まっていましたが、今後はハブとなる人がノードになって、多様な世界を繋いでいく。それを支援する技術を作ることもメタバース時代のチャレンジだと思っています。

中村 人生の色々なステージで、別の組織に行ったり戻ったりしたときの設計も必要となるわけですね。

稲見 それこそ1990年代に慶應義塾大学SFCができたとき、日本の多くの大学ではインターネット利活用が進むには何が必要かという議論は十分ではなかったと思います。水道の蛇口をひねれば水が出てくるように、SFCのキャンパスや大学の計算機室に行けば湯水のようにインターネットが使えるから、勝手にそこでインターネット人材が育っていった。そういう意味では、大学に行けば普通に使えるし、十分に遊べる。無駄遣いしていいぐらいのリソースがある環境が大切なのではないでしょうか。

 一方で、VRゴーグルをつけずにPCの画面でメタバースを見ているだけではメタバースの可能性は理解できません。大切なのは、やはり「百聞百見は一験に如かず」。まずは実際にVR ゴーグルをつけて、ぜひiUやバーチャル東大に来てください。

中村 iUにインターンに来ていただくのもいいかもしれませんね。これからは学生がやりたいことを意見として経営に反映する、学生から学ぶ・教わる時代になっていきますから。

稲見 教授の言い換えは、共に授ける「共授」。そんな表現がいいかもしれませんね。

中村 それいいですね。使わせていただきます!



(文/馬場 美由紀)


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