デジタル人材育成加速の背景

デジタルに関係する政策は数多くある。しかし、大学経営において追うべき文脈は案外見えにくいようだ。本稿では、政府関係者のご協力を得て、デジタル人材育成というテーマについて近年の政府政策を俯瞰し、押さえるべき政策についてはその狙いや内容をしっかりと理解したうえで、高等教育に関する論点整理を試みる。

カレッジマネジメント編集部
鹿島 梓


文化庁次長 合田哲雄氏



デジタル人材育成に関する政策の流れ




※クリックで画像拡大
図1 デジタル人材育成に関する主な政策の流れ


政策のキーポイント1/Society 5.0という政策横断コンセプトの提示


 起点となるのは2016年。内閣府の科学技術会議が総合科学技術・イノベーション会議(CSTI:Council for Science, Technology and Innovation)に改組されて初めて策定された第5期科学技術基本計画である。

 それまでも「デジタル」「IT戦略」は政府政策でも取り上げられているテーマだったが、あくまで特定の情報産業の域を出ないテーマ感だったのが、「総合科学技術・イノベーション会議」になった転換期であり、情報産業を超えて社会全体の在り方に変革が及ぶというコンセプトが共有された。それがSociety 5.0である。

 Society 5.0とは、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の未来社会のことだ。サイバー空間に社会のあらゆる要素を再構築したデジタルツインがあり、制度やビジネスデザイン、都市や地域整備等を再構築したうえで、フィジカル空間に反映し、社会を変革していく。この社会像には、質の高いデータを収集・蓄積し、数理モデルやデータ解析技術によりサイバー空間内で高度な解析を行うという一連の社会基盤が求められる。

 合田氏によると、Society 5.0の意義は、以下のように整理できる(※1)。

  • Industry4.0 のような欧米追随型の概念ではなく、日本の未来を新しく作っていくという意思が込められたコンセプトである点
  • 政策決定主体が官邸にある官邸主導政治において、どの省庁にも共通の旗印として掲げることができるコンセプトである点
  • 様々な社会課題を解決するためにどのような社会システムを構築する必要があるか、そのような社会を作るにはどのような技術が必要かという、あるべき姿から現状を見直し、進化させるバックキャスト的イノベーションを重視している点

 つまり、情報産業のみならず社会そのものを変える概念として提起されたものであり、第5 期基本計画は以降の政策に「Society 5.0をどう実現するか」という軸足を作った意義が大きい。2017年の「経済財政運営と改革の基本方針」、通称「骨太の方針」以降、このワードは政府文書に頻出する。つまり、政府政策の全体において重要なコンセプトと言えるのだ。社会全体がシフトできないと日本がつぶれかねないという危機感がそこにはある。


図 新たな社会Society 5.0、
出典:内閣府HP(https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html



政策のキーポイント2/Society 5.0への道筋


 第5期基本計画を受け、経産省・文科省それぞれで、担当領域におけるSociety 5.0の実現に向け、踏み込んだ文書が出された。各文書のポイントは以下の通りである。

  • 企業DXが進まない真因は経営層の思考アップデート不足
  •  日本企業におけるDXの遅れが、2025年までに毎年最大12兆円もの経済損失になるとする「2025年の崖」を問題提起。DXの遅れの大きな要因として、「ITはシステム分野の話」「ITはコスト削減ツール」「DX人材がいないからDXできない」といった経営者の思考そのものを挙げ、デジタルを前提にしたビジネスを描くため、抽象化・レイヤー化といったデジタルの思考法を経営者が持てていないことに警鐘を鳴らし、企業行動の変容を促した。

  • 子ども達に個別最適化した文理横断的な学びをどう作っていくのか
  •  Society 5.0に向けて取り組むべき教育政策の方向性として、①「公正に個別最適化された学び」を実現する多様な学習の機会と場の提供 ②基礎的読解力、数学的思考力等の基盤的な学力や情報活用能力を全ての児童生徒が習得 ③文理分断からの脱却の3点が示された。これらを端的に表現すれば、「子ども達の学びのOSを変えていく」ということである。


政策のキーポイント3/イノベーションの定義変更


 この法改正の意義は以下だ。

  • 法の対象に「人文科学のみに係る科学技術」と「イノベーションの創出」を追加したこと
  • 「イノベーションの創出」の定義を改めたこと

 これまでは経済的な価値に偏っていたが、イノベーションとは本来新結合であり、多様性のなかで異なるもの同士が結びついて、広く社会的な価値を生み出すものとされた。経済的価値から社会的価値への転換とは、GDPを生み出すクリエイティビティを高めるという方向性から、ディグニティ(尊厳)やフェアネス(公平性)の尊重、心理的安全性を高めて多様性を重んじるという方向性へと舵を切ったことと同義である。


政策のキーポイント4/ウェルビーイングと総合知の提唱


 第6期基本計画はこの流れから始まる。新しい技術開発のみならず、人々の多様な幸せこそがイノベーションの素地となるという発想から、その視界を初等中等教育にも広げたことで話題になった。ここでは日本の将来像として「国民の安全と安心を確保する持続可能で強靭な社会」と「一人ひとりの多様な幸せが実現できる社会」の2つを挙げ、それぞれを構築したうえで日本の伝統的価値観を重ねてSociety 5.0を実現し、それを国際社会に発信し、世界の人材と投資を呼び込むとする内容が示されている。SDGsやウェルビーイングといった概念も、持続可能な社会を構築することと一人ひとりの多様な豊かさを実現することがイノベーションにつながるものとして、提起されている。

 また同時に、第6期では「総合知による社会の再設計」をうたう。既存の延長線上にない新たな社会を支える人材には、既存の硬直した学問スキームのみならず、学問間・社会と学術間を自在に横断・連携・融合できる企画・設計・推進力が必要である。そうした資質・能力は、前述した社会の多様化・強靭化・安定化のもと、一人ひとりが自らの問いを立てて探究できる環境でこそ培われるというわけだ。


政策のキーポイント5/デジタルの観点から既存制度を全て見直し


 一方、2021年にデジタル臨時行政調査会は、全ての規制や制度をデジタルという横串の観点から見直すという方針を打ち出した(図2)。未来社会のインフラであるデジタルによってあるべき姿と現状のギャップを把握しようとする動きだ。

 ここで出てきた原則のなかでも象徴的なのは、「アジャイルガバナンス原則」だろう。事前に決めたレール通りに走っているかをチェックする仕組みではなく、トライアンドエラーを繰り返して柔軟・機動的な改善や政策形成を可能とするためのガバナンスである。これをそのまま当てはめるなら、既存の大学経営は大きく転換することになる。教育自体も、教員が1つの真理を持ち、それを子ども達に教授するのではなく、子ども達が持つ問いに対するアプローチとして、教員がフラットに状況を見極め、自分にはない知見も含めて他人の力を上手に借り、時に年少者に学び協働していくということであり、即ち「『他人のふんどしで相撲をとれること』『出藍の誉れを誘発し、歓迎すること』こそが求められているとも言える」と合田氏は述べる。このように、デジタルは人々の知的営みそのものの在り方を変えるポテンシャルを持っている。


図2 デジタル原則



COLUMN


デジタル化時代の人材育成をリードする総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)/生田知子氏


 各省より一段高い立場から、科学技術の振興を図るための基本的な政策や重要事項の調査審議等を行うことを目的とした「重要政策に関する会議」の一つ、CSTI。現在の官邸主導政治にあってその果たす役割は大きい。近年の政策動向のポイントについて、生田参事官にインタビューした。

社会像変容のターニングポイント

 2020年の法改正で、基本計画の対象に「人文・社会科学の振興」と「イノベーションの創出」を追加し、本格的な社会変革に着手することになりました。第6期基本計画のキーワードは、ウェルビーイング。予測不可能な社会にあっては、誰かが作ってくれる社会を受け入れるのではなく、自らの行動が社会を良い方向に変えられるという意識と、それを様々なアプローチで実現できるという事実を正しく認識することが大切です。いわば、経済的価値に留まらず、人間関係の豊かさや協調・調和といった社会的価値の創造を通じて社会を変えるという視座の下、多様な市民がそれぞれの幸せを求めて主体的に社会参画をしていくことで、Society 5.0が実現できると言い換えてもいいでしょう。このように第6期基本計画では、国内外の情勢変化を踏まえ、Society 5.0をより具体的な未来社会像として、世界に示そうとしています。

総合知で解のない課題に挑む

 もう一つのキーワードが「総合知」です。その意図するところは、単なる文理融合に留まらず、既存の縦割り学問では解けない問題に横のつながりで挑むというシフトチェンジです。内閣府では、戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)制度を活用し、Society 5.0のショーケースを、総合知を通じてリアルに創り上げることを目指しています。その取り組みでは、自らの生き方を主体的に考え、異なる価値観を認め、他者と協働する意欲や態度を持った多様なプレイヤーが、横断的な枠組みで解のない問いに向き合うことが必要であるとの認識の下、社会構造の変化を踏まえ、個別最適・協働的な学びへの転換や、地域社会の協力による学ぶ場の多様性の確保等、新たな学びをデザインしていくことを狙っています。

 また、大学の社会貢献は、従来は社会起点で必要な人材や技術を大学が提供するのが主でしたが、社会が不透明になっていく状況下、大学としては、新たな価値創造を通じて、次代の社会構造の転換を自ら促していく能動性が大事になってくるでしょう。VUCA の時代は、常にアジャイルに組み直す対応力、レジリエンスが必須ですが、これに対応できる多様性を持ち、総合知を持続的に生み出し続けることができるのは大学しかありません。日本の様々な地域でそうした動きが活性化してくれば、社会全体がSociety5.0の実現へと向かうと考えています。


図 SIPプログラムの仕組み


大学は受け身の姿勢を崩し
自律的に社会をけん引する存在に変容を


※所属・肩書は取材時点(2023年3月17日)のもの




COLUMN


デジタル庁が教育政策に期待するもの/横田洋和氏


 2021年9月に設立して以降、デジタルに関する政策を網羅的に展開するデジタル庁。そのなかのデジタル人材育成に関する文脈について、前デジタル庁参事官補佐で戸田市教育委員会事務局次長兼教育政策室長の横田洋和氏にインタビューした。

─デジタル庁が掲げるビジョンと役割について教えて下さい。

 ビジョンとして掲げているのは、「デジタルの活用により、一人ひとりのニーズに合ったサービスを選ぶことができ、多様な幸せが実現できる社会」です。それは、Society 5.0の実現に直接資するものであり、「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化」を実現することにもつながるという発想です。それに向けた制度構築として、2000年に制定されたIT基本法を全面的に見直し、2021年9月にはデジタル庁創設と同時に、後継となる「デジタル社会形成基本法」が施行されました。全国民が情報通信技術の恩恵を享受できる社会を実現するための施策を、関係省庁と連携して講じるのがデジタル庁の役目と言えます。

─デジタル庁設立に先駆けて、2021年6月には「デジタル社会の実現に向けた重点計画」が閣議決定されています。

 重点計画は2023年3月段階で3つ公表されていますが、準拠する法律が変わったほか、2021年12月の計画では構成も大きく見直されました。なかでも、「デジタル人材の育成・確保」については、高等教育機関にも大きく影響する箇所かと思います。デジタル庁としても様々なレイヤー・レベル感でデジタルに係る人材が不足していると課題認識しており、それを各教育段階でどう育んでいくのか、あるいは社会人教育の必要性等についても言及しています。

─2021年12月に閣議決定されたデジタル原則は、デジタルの観点から全ての行政・規制を見直すというセンセーショナルな内容でした。

 目指すべきデジタル社会が、既存の規制等が阻害要因となって実現できないことがないように、構造改革の先鞭として、デジタル社会の原則に即した全般的な見直しを図ろうとする動きです。国は2022年7月から3年間を「集中改革期間」と位置づけ、各省庁の1万以上の法令・告示・通知等を対象に、アナログ規制の横断的見直しを進めています。本年3月には一括法案も提出されました。

─大学経営者はデジタル庁の動きをどう捉えればよいでしょうか。

 重点計画のデジタル人材育成関連箇所や、2022年1月に公表された「教育データ利活用ロードマップ」を見ていただくのがよいと思います(※)。ロードマップでは基本的な考え方として、まず「教育データについて標準化を進め、業務負担を軽減することで、デジタル化によるメリットを理解・享受すること」があります。そのうえで、デジタル利活用が推進され、産官学でデータ連携が実現し、学習者主体の学びや、真に「個別最適な学び」と「協働的な学び」が実現するという工程を描いています。

 各大学の改革にデジタル人材育成をどう組み込むかについては、どのレベルの人材をどの程度育成輩出するのか、という各大学の特色も踏まえた観点が必須でしょう。政府が言っているからという「他人事」ではなく、未来に必要な人材育成について、本学はこうしたい、というトップのビジョンが全ての軸になると思います。

※進学総研サイト掲載記事
https://souken.shingakunet.com/higher/2022/05/post-3269.html


未来に必要な人材育成は
各大学の自分事としてのビジョンが軸となる





政策のキーポイント6/イノベーション創出の観点から初等教育以降の人材育成政策をまとめ


 こうした流れで公表されたのがこの政策パッケージだ(※2)。CSTIでは、特定の注力テーマについては政策パッケージを策定することがある。今回は「子どもの多様性に応じた学びの時間的・空間的多様性が必要である」「心理的安全性を実感しながら日々の生活を進めること自体がイノベーションの土壌」という、イノベーション創出の観点から、人材育成に関する政策をまとめている。CSTIが初等中等教育に対して真正面から提言するのは初めてで、詳細は過去の原稿に譲るが、国を挙げてのSociety 5.0の実現に当たって、初等教育からの改革が必要だとするメッセージは大きな反響を呼んだ。


政策のキーポイント7/社会変化に応じたこれからの大学経営の在り方のベクトルを提示


 そして、これまでの文脈の結実として注目されたのが2022年の教育未来創造会議第一次提言(図3)である。そこでは、未来を支える人材を育む大学等の機能強化が示された。デジタル・グリーン等の成長分野への重点投資、STEAM教育や文理横断による総合知の創出、理系分野における女性比率の増加、教育の質保証強化、リカレント教育強化といった総合プランとも言うべき内容だ。大学への期待は大きいが、既存のままではダメであることは明白である。

 未来社会全体に関するデジタル政策を教育政策に転換するには、教育側のロジックに組み直す必要がある。例えば、2018年の文部科学省「Society 5.0に向けた人材育成に係る大臣懇談会」報告書では、Society 5.0時代の学校の在り方として「学校ver.3.0」を示した。デジタル化は2.0が3.0に移行するためのキーであり、1.0時代から一人ひとりの教師が自発的・内発的に追求してきた「学びの個別最適化」を実現する手段として捉えていた。

 では、大学政策についてはどうか。「これまでの大学の構造は工業化社会に必要な人材として、大量のホワイトカラーをどう育成するかが軸足になっている」と合田氏は述べる。かつての社会では労働市場と教育構造のニーズがマッチしていたが、現在デジタル化の構造のなかでそれが反転しており、この分野構造では、イノベーションの思考に親和性の高い理系の芽を摘んでしまう可能性がある。理系ありきなのではなく、新たな社会構造に合わせた大学の在り方をフラットに作り直す必要があるということだ。


図3 教育未来創造会議 第一次提言のアジェンダ



政策のキーポイント7/デジタル社会形成のために必要な箱と人の施策をまとめ


 これは、デジタル社会の形成のために政府が迅速かつ重点的に取り組むべき施策を示したものである。「誰一人取り残されないデジタル社会の実現」等の基本原則を示したうえで、デジタル人材の育成・確保についてもその必要性が改めて示されている(図4)。デジタル改革の担い手の不足を課題としたうえで、ライフステージに応じたデジタルリテラシーの向上、官民学を行き来しながらのキャリア形成、人材の創造性を生かせる環境の整備推進等により、人材の底上げと専門性の向上を図り、一人ひとりのデジタル人材が活躍する社会を目指すとされている。こうした方策は当然教育の場としての大学に対する期待値でもあり、一層の充実が望まれる。また、デジタル化による地域活性をうたうデジタル田園都市国家構想の実現に向けた取り組みについても言及されている。


図4 デジタル人材の育成・確保



COLUMN


教育未来創造会議 第一次提言の狙い/髙見英樹氏


 内閣官房の教育未来創造会議が2022 年5月に公表した第一次提言が大学経営に与えたインパクトは大きかった。現在、その内容に即した様々な政策が進んでいる。改めて、提言の位置づけや内容について、髙見企画官にインタビューした。

─教育未来創造会議はどのような位置づけの会議なのでしょうか。

 教育未来創造会議は、日本の未来を担う人材を育成するために、高等教育をはじめとする教育の在り方や教育と社会の接続の多様化・柔軟化を進める方策を議論する場として2021年12月に立ち上げられました。会議の開催趣旨として「高等教育をはじめとする教育の在り方」「教育と社会との接続の多様化・柔軟化」と明記されているのがポイントで、教育と社会の接続に課題があったところをシームレスにしなければ、日本の国力は復活しないというのが問題意識の起点です。

 しかし、社会で必要な資質・能力は高等教育だけで培われるわけではありませんから、初等教育段階から社会人教育まで議論のスコープを広く捉え、横断的に議論を進めています。

─第一次提言の軸となるコンセプトは何でしょうか。

 まずは「ウェルビーイングの実現」。即ち、多様な個々の幸せとともに、社会全体の豊かさがあるという考え方です。経済的な成長のみならず、精神的な豊かさや健康も含めた豊かな社会を目指すということでもあります。こうした社会を目指すために必要な方策として、「総合知」というアプローチも強調されています。

 日本は少子化がより一層進むなか、成長分野の人材不足、理工系志向の低さが国際的に見ても際立っていますが、不確実な社会にあっては、「事実を客観的に捉えて自ら課題を設定し、その解決を通して社会に対して価値をどう創出するのか」という思考が必須になります。また、人文・社会科学の厚みのある「知」の蓄積と、自然科学の「知」の融合により、文理の壁を越えて共に協働し、あらゆる分野の知見を総合的に活用しながら社会に貢献していくという考え方も重要です。

─提言の内容を大学はどのように受け止めたらよいでしょうか。

 提言のアジェンダは大きく3つあり(図3)、その1つ目として「未来を支える人材を育む大学等の機能強化」が掲げられていますが、成長分野への大学等の再編促進に関し、新たな基金の創設や規制緩和を通じて、各大学の改革を促進することとされています。

 第一次提言の付属資料では、我が国や国際社会が現在どのような状況にあり、今後どのように変化していくのか等、様々なデータが示されています。大学経営者の方々には、このような資料も活用頂きながら、これからの社会を担う若者の育成機関として、今後の人材育成や大学教育がどうあるべきかを再確認して頂きたいと考えています。今回の提言は大学だけではなく、初等中等教育機関や地方公共団体、企業も含め、社会全体が変わらなければならないというメッセージが示されていますが、大学がそのなかで担う役割は極めて大きいことは言うまでもありません。国としてデジタル・グリーン等の成長分野をけん引する高度専門人材の育成に向けて新たな基金の創設をはじめとした環境整備は行われていきますが、最終的にどう動くかは個々の大学に委ねられており、あくまで「意欲ある大学の主体性を生かした取り組みを進める」ことが大前提。大学の自主性のもと、各大学の改革の文脈のなかで政策の動きを取り入れて頂きたいと考えています。


日本の将来像において各大学は何を担うのか
その主体的な改革の文脈に政策の動きやデータ等を取り入れてほしい





高等教育機関における検討の観点・論点



日本の未来社会からバックキャスティングで発想する


 できることの組み合せで教育を設計するのではなく、新しい未来社会を世界に先駆けて作っていく思想で生まれた第5期科学技術基本計画の意図をどう汲むか。特に教育設計において、プロダクトアウトから、よりマーケットイン型に思考をシフトする必要があろう。

 小誌236号で、サステナビリティ経営に詳しい関 正雄氏は、SDGsへの企業戦略を価値につなげるための方策として「アウトサイド・イン」の思考が有効だと述べている(※3)。将来の到達点をまず先に描き、そこから自社が現状とのギャップを認識し、そのギャップを埋めるために何に対して力を発揮できるのかを考える。起点を「将来像」に置くことで、こうしたバックキャスティングが可能となる。そしてこうした視点を置くには、未来社会像をある程度の解像度と当事者意識で描く必要がある。貴学にとっての将来像とは、どのような社会におけるどのような状態だろうか。


スキルではなく思考とスタンスを涵養する教育


 合田氏によると、経産省商務情報政策局長を務め、『DXの思考法』を著した西山圭太氏は、DXの本質は手段としての有効性ではなく、具体的な事象を抽象化して論理的に思考することで、あらゆる縦割りを越えた横割りのレイヤー構造のなかで価値を創出することであり、その抽象化という思考法こそが真髄であると指摘した。まさに、こうした物事の捉え方自体を変容させるだけのポテンシャルがデジタルにはあり、そうした態度を教育により全国民が身につけることが、Society 5.0実現には必要だ。

 教育未来創造会議の第一次提言でも、高等教育にはリテラシーをはじめとする、デジタル社会での教養の修得を確実に行うことを求めている。大学教育の方法がデジタルであるかどうかではなく、社会的価値を生み出すプロセス自体に学問をシフトできているかどうかが肝だ。デジタル社会の新しい社会像を作れなければ、日本はつぶれるという危機感に裏打ちされた政策動向を見るに、「日本をつぶさないために本学は何ができるか」という大きな視点での設計が経営者には求められている。デジタルだからデジタルの専門家がいなければできない、ではなく、経営者自身が抽象化して物事を捉え、レイヤー構造のなかで横断的に価値を創出する発想ができて初めて、専門家としてのデジタル人材が生きるのである。「データサイエンス系の学部が増えることは次代にとって重要な選択ですが、学部を作って終わりにせず、DXの思考法で全学をリードするセンターとして機能するようにしてほしい」と合田氏は話した。


教育機関主体ではなく学修者主体の教育


 今回は取り上げなかったが、2018年の「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン(答申)」で示されたように、これからの社会を担う人材を思えば、教える側の都合ではなく学び手側が自らの軸足で設計した個別最適化された学び、そして教育成果ではなく学修成果に軸足を置いた教育設計が望まれるのは、新課程の設計でも明言されているところだ。教育未来創造会議の第一次提言でも、デジタル社会における「初等教育の充実」として、自らの問いや課題を軸にした「個別最適な学び」「協働的な学び」を一体的に行い、「揃える教育」から「伸ばす教育」へと転換する必要性を問うている。こうした子ども達が高等教育段階に進んだとき、そうした学びを伸ばす教育を展開できているだろうか。

 高等教育機関の教育規模で個別最適化を実現するのに、デジタルによる教育状況や成果の可視化が必須なのは、今や共通認識化されている。問題はそうした措置を講じたうえで、3つのポリシーに即した成果が学修者目線で可視化されてくることである。また、今まで供給者側の都合で設計されていた教育を、学修者を主語にした学びに変換していくことが必要だ。大学が考えるべきは、経営がやりやすい形の教育設計ではなく、学修者がSociety 5.0を生き抜くために必要な学びの提供である。


社会的価値を創造する教育


 見てきたように、デジタル化は社会像と密接に関係する。従来の工業化社会をデジタルでどう作り変えるのかを見据えれば、一つひとつの教育においても、社会的価値をどう創出するのかに力点を置いたチューニングは必然と言える。教員の個人的なつながりに依存する形式的な連係ではなく、実質的で組織的な産官学連携のもと、互いにリソースを出し合って、地域社会にとっての価値を創出していくスキームの構築に、大学のアセットや場をどのように活かすことができるか。既存の枠組みの中で実学かそうではないかに関係なく、この学問を学ぶことで社会にどのような価値を創出できるのか、日本社会におけるイノベーションを担うのかを議論する必要がありそうだ。


文理分断から文理融合へ


 現在日本の大学は8割が私立大学であり、一部を除き文系や理系に分かれた学部構造になっている。これは大学だけの問題ではなく、高校段階で文理選択をする構造に問題があるとする向きもあるが、例えば文系学生はそれ以降一切サイエンスの学びに触れずに大人になり、社会に出てしまうのが常だ。合田氏は「そういう分断教育でサイエンスと全く離れていても生きていける社会構造自体が問題」と述べている。それによる弊害は色々あれど、今回の文脈においては、「日本の文系があまりにデジタル的思考法からかけ離れてしまい、普通科文系で国・英・社に集中したら大学、社会人とDXの思考法やサイエンスと生涯二度と交わることがない」点が大問題なのである。「自然言語で書かれた事象を、数学等の人工言語で抽象化するといったことができなければ、社会的価値創出に大きな支障をきたします。逆に言えば、それができる人材がもっと増えれば、日本はよりワクワクした知的感動に満ちた、面白い国になれるのではないでしょうか」(合田氏)。

 デジタル的思考法、抽象化や構造化は理系に限った話ではないが、理系のほうが親和性が高いと見て、その領域の人材を増やすべく、現在理系転換のための議題や予算繰りが進んでおり、大きく注目を集めている。これは、現在大学経営のポートフォリオとして人文科学系が多いことがこうした文脈の障害となっているという現状に対して、その打ち手としての理数系学部の増加、また理系に進もうとする女性のキャップを外すべく取り組まれているものだ。

 しかし、理系学部だからこそのアプローチや人材育成は当然あるものの、理系でなければデジタル教育ができないということではない。文系学部が培う社会を見る視点こそが、課題発見には必要であり、社会に技術を実装するうえでキーとなる。つまり、どの大学も同じ「デジタル人材」という人物を育成するのではなく、「本学はどのようなデジタル人材を育成するのか」「そうした人材像に必要なスキルやコンピテンシーは何か」「その教育に最適な躯体は何か」を議論する必要がある。


図5 直視すべき日本の未来



まとめ/大学は政策の流れを未来志向の改革の契機に


 デジタル人材とは、デジタル技術を使ってイノベーションを起こせる人材である。イノベーションの定義は2020年の科学技術基本法改正により、経済的価値創出から社会的価値創出へと変容した。そうした社会的価値創出ができる人材こそがSociety 5.0社会の担い手として求められているのであり、各教育機関はそうした人材育成のための教育設計をする必要がある。CSTI が初等教育から高等教育まで広く提言の視野を持っているのはそのためだ。たとえ現在の文系にセグメントされる学問領域であっても、社会基盤の変容を見据え、デジタルを踏まえた内容にチューニングしていく必要がある。

 その背景にあるのは、国作りにおいて工業化社会のルールが継続しており、現代・将来の課題に対応した価値創出の仕組みが作られていないという社会デザインの課題だ。だから、デジタル人材育成の文脈においては、文科省のみならず、内閣府や経産省がタッグを組んだ様々な動向を理解する必要がある。ここまでの政策整理からも分かるように、人作りだから文科省、ということではなく、政府が一丸となって議論する全体に係るテーマなのである。

 また、こうした現状を打破するには、仕組みの変更だけではなく、教育によって我々の思考そのものを未来志向でシフトチェンジしていく必要がある。それは、同質化社会の中で絶対解に速くたどり着くリテラシーではなく、多様性の中で自分と異なる他者をどう捉えるのか、絶対解がない状況に際して、解ではなく課題から発想して必要なマイルストーンをどう設計するのか、多様な解が混在する状況でどう俯瞰・構造化・抽象化できるかといった思考への変容だ。同時に、具体的な社会的価値を創出するプロセスを描くスタンスの変容も必要となる。こうした態度は市民としての「デジタル人材」の基本スタンスであり、日々の生活や教育によるアプローチでしか培うことができない。「こうしたマインドセットは民主政(デモクラシー)の質そのものにも関わっているからこそ、公教育で向き合う必要がある」と合田氏は述べる。新しい社会像の実現に向けて、大人が持つ知見を分け与える教育から脱却し、若者が予測不可能な社会で自ら学び自ら生き抜ける力を身につけるための教育へ。どんな学問であっても、レバレッジとしてのデジタルの有効性は否定できない。「是非こうした流れを、高等教育自体を考え直す機会と捉え、未来志向で臨んで頂きたい」(合田氏)。

新しい社会像の実現に向けて
大学はデジタルの有効性を組み込んだ未来志向の改革を





【印刷用記事】
デジタル人材育成加速の背景