ダイナミック・アジアⅡ(2)「知の超大国」を目指すインドの高等教育戦略 小原優貴

写真 インド工科大学デリー校のキャンパス
インド工科大学デリー校のキャンパス


マス化するインドの高等教育の実態

 南アジアの大国インドは、600の大学と3万3000のカレッジによって構成される世界2位規模の高等教育システムを有す。インド政府の教育政策は「アクセス、質、公平性」を基本原則として掲げており、そのうちアクセスについては、2017–18年までに粗就学率※を25.2%にまで引き上げ、2020年には30%を達成することが第12次5カ年計画(2012-2017年)で目指された。中間層の増加に伴う民間の教育機関の急速な拡大によって、2015-16年度の粗就学率は24.5%にまで増加し、インドの高等教育はエリート段階からマス段階へと移行しつつある。


図1 インド高等教育の粗就学率推移


 一方、インドの高等教育は、質と公平性という観点からは十分な成果を挙げているとは言えない。インドの高等教育機関といえば、連邦政府が国家重要機関として設置した理系の最難関大学、インド工科大学(IIT)が取り上げられるが、多くの高等教育機関の教育や研究のレベルは、政府・民間に拘わらず、国際水準から遠くかけ離れたレベルにあり、「インフラが粗末」「カリキュラムが時代遅れで不適切」「情報化の進展に対応できていない」等と評されているのが現状である。また、出身家庭の経済的・社会的地位の違いや都市と農村・遠隔地域の間で、受けられる教育の質に大きな差が見られ、高学歴失業も社会問題となっている。

 現在の連邦政府の首相ナレンドラ・モディは、グジャラート州知事として行政のスリム化や海外企業の誘致等新自由主義に近い改革を進め、同州経済を飛躍的に発展させた実績を持ち、改革を実行する指導者として期待されている。以下ではインド版大学ランキングや大規模公開オンライン講座(Massive Open Online Courses, MOOCs)の開発といったモディ政権下の取り組みも含め、「知の超大国」を目指す南アジアの大国インドが、国際社会の潮流の中でいかに教育改革を進めているのか最新の動向を踏まえて考察する。

インドを中心とする国境を超えた知的・人的ネットワーク

 インドは中国に次ぐ世界第2位の留学生送り出し大国として、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド等の英語圏の先進諸国を中心とする国々に36万人の留学生を送り出している。世界のインド人留学生の数は増加傾向にあるが、一時懸念されたような頭脳流出だけでなく、留学経験者が本国の発展に貢献する頭脳回帰や頭脳還流も見られる。国内への受け入れは国外への送り出しに対して小規模ではあるが、毎年3万人の学生が、南アジア、アフリカ、中東を中心とする国々から、政府の外郭団体であるインド文化関係カウンシル等の奨学金制度を利用して来印している。イギリス植民地時代の影響もあって英語が準公用語とされるインドでは、高等教育レベルの英語教育の質が高く、非英語圏から第二言語としての英語(ESL)教育プログラムを受けに短期留学する学生もいる。これらの中には韓国や日本からの留学生も見られる。外国人学生にとっては、欧米の英語圏と比較して授業料が安い点や、インドの持つ多様な文化等が、インドを留学先として選ぶ動機となっている。

 インド政府は、仏教発祥の地ブッダガヤにあった世界最古の大学の1つである「ナーランダ大学」の再興や、南アジア地域協力連合(SAARC)がデリーに設置した南アジア大学の運営等、地域間の学術交流連携を促す高等教育の国際化にも力を入れている。ナーランダ大学再興構想は、宗教的マイノリティーを支持基盤とする国民会議派政権時代に、ASEAN+6の参加する東アジアサミット(インドは+6の一国として参加)で提案された。そして、インド、中国、日本、シンガポール、タイの有識者からなる助言グループ(後の大学運営委員会)のイニシアチブのもと、ナーランダ大学が設立された。また、南アジア大学は、SAARC 合意のもとインドのイニシアチブで設置され、これまで地域統合の役割を十分に果たしてこなかったSAARCの画期的取り組みとして評価された。

 ナーランダ大学は、ヒンドゥー至上主義政党とみなされるインド人民党への政権交代後、同政権による「大学自治を否定する政治的介入」を理由にアマーティア・セン学長やジョージ・ヨー副学長(元・シンガポール外相)が辞任したり、南アジア大学においては、パキスタンとの政治的緊張関係が教員の待遇等日常の大学業務に影響を与えたりといったように、問題点も指摘されている。一方、学生の間では、こうした国家間や政党間の宗教的・政治的対立を超えて文化理解が進んでいるのもまた事実である。地政学的にも文化的にも近い関係にある周辺諸国との協力により、インドを拠点とするこれらの大学が、今後どのような次世代を育成することができるのかが問われる。

 インド政府は、外国からの留学生のみならず、インドにルーツを持ちながら国外に居住するインド系ディアスポラ・ネットワークを重要な知的資本とみなし、自国の発展に活かそうとしている。インドの高等教育機関で学ぶインド系ディアスポラ対象の特別入学枠や奨学金支給といった学位取得目的の長期の学びの支援に加え、自らのルーツであるインドへの理解深化を主目的とした短期の学びの支援も行っている。外務省は2004年より、モーリシャス(アフリカ)、フィジー(オセアニア)、スリナム(南米)、ガイアナ(南米)、トリニダード・トバゴ(カリブ)のインド系ディアスポラの青年(18-30歳)を優先的に招聘する短期(約3週間)のプログラム「インドを知るプログラム」を実施している(累計参加者約1300人)。これらの国には、19世紀の英領インド時代に大量のインド人契約労働者移民(ギルミティヤ)が派遣され、今日国民の多くを印僑が占めている。モーリシャス、ガイアナ、スリナム、トリニダード・トバゴの大統領や首相の中には、ギルミティヤ2世・3世もいる。プログラムの参加者は、滞在期間中にインドの2つの州を訪ね、大学、企業、農村等を訪問しながら、インドの政治経済、歴史、社会・生活文化について理解を深める。渡航費と滞在費はインド政府が負担している。

インド発高等教育の世界展開

 インド政府は教育の質向上のために外国大学の分校設置を促す「外国教育提供者法」の制定に向けて取り組んできた。しかし、この法案は、英語圏の国々からの政治的・文化的支配や教育格差の拡大を危惧する共産党から反対を受ける等の経緯もあり、前政権時代から成立が見送られてきた。外国大学の誘致はモディ政権においても高等教育の国際化に向けた優先事項のひとつとなっているが、現在に至るまで大きな進展はない。一方、インドの高等教育機関の海外での分校設置については、連邦レベルの大学評価・学位授与機関である大学補助金委員会(UGC)の定めるインフラ、教員資格、学生選抜、授業料等に関する規則・規範に従うこと、大学本校の管理下で入学、監督、指導、評価、学位授与について管理されていることを前提に認められている。現在、インドの高等教育機関の海外分校のキャンパスは17あり、アラブ首長国連邦(UAE)、マレーシア、シンガポール、モーリシャス、ネパール等の国に展開している。

 当初、IITやインド経営大学院等のインド最高峰の政府系教育機関も、印僑の多い東南アジアや中東地域への分校展開を検討していたが、これらの高等教育機関は海外市場よりも国内の需要を満たすことに集中すべきという政府からの反対を受け、実現に至らなかった。海外分校の中には政府系教育機関の分校も見られるが、とりわけ活発な海外分校展開を進めているのは私立の教育機関マニパル大学である。インド国内に医科大・カレッジを持つ同大学は、専門的訓練を受けた医科歯科分野の教員不足に直面するネパール、国際化や民営化に積極的でなおかつ印僑の多いドバイやマレーシア等に、現地政府とUGCの双方からの許可を得て分校を設置している。

 ネパールのマニパル医科カレッジでは、ネパールやインドのみならず、スリランカ、バングラデシュ、南アフリカ等からの学生が学んでいる。また、ドバイのマニパル大学ではUAE人はおらず、南アジア、中東、アフリカ諸国等の26カ国からの外国人学生(80%はUAE在住)が学んでいる。インド国内では受け入れる外国人学生数に制限があるが、マニパル大学は外国分校を設置することで外国人学生を多く受け入れ、学生の多様化を図っており、大学全体の財源の3分の2は外国分校からの収益となっている。こうした分校の経営方針や学術的活動についてはUGCが定期的に評価しており、政府はインド国外に展開する分校の質保証にも努めている。

インド版大学ランキングの指標開発

 グローバル化に伴う国際競争の激化や人材の流動化は、労働市場のみならず高等教育の現場にも見られ、各高等教育機関の国際的位置づけを「大学ランキング」や「世界水準大学」といった国際的水準に照らしてアピールして質の高い人材を確保しようとする動きがある。しかし今日「世界水準」と称されるものは、国際的評価や研究成果、外国人学生・教員の受け入れ等、とりわけ英語圏を中心とする先進国に有利な指標が用いられており、途上国や新興国の高等教育機関の現状からかけ離れたものとなっている。こうした指標は、途上国や新興国の高等教育機関の多くにとって質向上を動機づけるものにはなっておらず、「遅れた教育機関」というレッテルを貼られるだけに過ぎない。こうした中インド政府は、2016年に高等教育機関をランクづけするための国家機関ランキング枠組み(NIRF)を開発した。2017年には、このランキングに参加した3319の教育機関のうちトップ100の名前が公表された(ランキングへの参加は任意)。インドの政府系高等教育機関では、個人の能力よりもカーストという属性を選抜基準とする特別入学枠が設置されている。こうした積極的差別是正措置に象徴されるように、インドでは弱者層の社会的統合やアクセス拡大が教育の質より重視されてきた。


表1 国家機関ランキング枠組み(2017年度)のパラメーター


 NIRFでは、教育の質を重視すると同時に、インドの発展状況や社会構成に配慮して、教育機関の質、成果、評判を測る「教育・学習・資源(30%)」「研究と専門的実践(30%)」「卒業後の成果(20%)」「評判(10%)」に加え、女性・経済的社会的弱者・身体障害者等の弱者層の参加促進努力を測る「アウトリーチと包括性(10%)」を指標に含めている。

 大学の質や成果の評価については、既に連邦レベルの第三者質保証機関である国家認証評価カウンシルが4段階のグレード評価を行っていることから、NIRFの開発計画が発表された当初はその必要性自体が問われたが、包括性を指標に取り入れている点、また教育機関の具体的順位を示すものとしては民間雑誌の大学ランキングより客観性が高いという点で、価値が見いだされる。世界的な人材獲得競争が激化する中、優秀な人材を輩出している教育機関を特定するNIRFは、学生の大学選びだけでなく、国内外の企業の人材獲得や教育機関の国境を超えた学術交流連携にも役立つと言える。

無料オンライン講座による質の高い教育の提供

 インド政府は2016年に、講座をオンラインで提供するMOOCsのインド版プラットフォームとしてSWAYAM(Study Webs of Active-Learning for Young Aspiring Mindsの略称、ヒンディー語で自学自習を意味する)を開設した。MOOCsの最大のメリットは、講座提供機関の学生でなくともオンラインにアクセスさえできれば誰でも講座を無料で受けられる点にある。オンラインで提供される動画を視聴し、自己採点のできる課題に取り組み、疑問点があればオンラインのディスカッションボードに投稿してほかの受講生や講師に質問できる。2017年現在のSWAYAMの参加機関数は38校と、先進国のMOOCsと比較して少ないが、開講講座数は346コースで、フランス、スペイン、日本のそれを上回る。SWAYAMに参加する大学は連邦大学や州立大学といった政府系教育機関が大多数で、インドトップレベルの大学が多い。最も多く開講しているのはIIT(219コース開講)で、デリー大学(44コース開講)がそれに続く。これらが開講する講座だけで全体の約76%を占める。

 インドの高等教育機関の教員の大多数は臨時講師か非常勤講師であり、適切な訓練を受けた教員の不足は深刻な問題となっている。SWAYAM設立の狙いは、こうした教員不足や、地理的・経済的理由等により質の高い高等教育を受けられない弱者層にトップレベルの教育を無償で提供し、彼らを知識経済のメインストリームに参加させることにある。質の高い教育を無償で提供するSWAYAMは、インドの教育政策の基本原則である「アクセス、質、公平性」を実現する教育として期待される。しかし、提供されている講座の使用言語は英語であり、弱者層の多くが使用するヒンディー語やそのほかの地方語への翻訳化が進められておらず、また内容がアカデミックな内容に偏っており、経済や社会との結びつきが薄い等の批判もあり、基本原則の実質的実現のためには改善の余地があるだろう。

 以上見てきたように、インドは質や公平性の面で課題を抱えつつも、高等教育を取り巻く国際的な状況を踏まえながら、「知の超大国」を目指すべく、教育改革に取り組んでいる。改革を実行する指導者として期待されるモディ首相率いる連邦政府は現在、新教育政策(1986年策定、1992年改訂)に続く新たな教育政策の策定に取り組んでいる(2017年度策定予定)。国民からの意見聴取のために公表された教育に関する33の検討テーマのうち、高等教育に関するものは20にのぼる。その中には、高等教育の国際化、高等教育機関のランクづけとアクレディテーション、オンライン講座の促進に加え、質向上に向けたガバナンス、地域間・ジェンダー間・社会的格差の解消、民間セクターとのパートナーシップ、研究とイノベーションの促進等のテーマが挙げられている。新たに策定される教育政策のもと、南アジアの大国インドが、その発展状況や地政学的・歴史的・社会文化的特徴を活かしながらいかに高等教育改革を進めていくのか、今後の展開が注目される。


  • 粗就学率:同一年齢層の総人口に対する登録就学者総数の割合


小原優貴(東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部 附属教養教育高度化機構 アクティブラーニング部門 特任准教授)

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