リカレント教育と日本の大学[16]/リカレント教育のこれから

 リカレント教育はこれからどうなるのか、どうあるべきなのか。国の政策や産業界の要望に右往左往することなく、それぞれの大学が自らの経営課題の解決に資するよう社会人マーケットへの進出に取り組むには、リカレント教育の将来像をしっかりと構想しておく必要があるだろう。連載最終回となる本稿では、そのための材料を提供したい。


文/乾 喜一郎 リクルート進学総研主任研究員(社会人領域)



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リカレント教育が共に語られる言葉

 2018年の「人生100年時代構想会議」以降、リカレント教育は文部科学省のみならず「骨太の方針」や「規制改革会議」など様々な場で議論されるようになった。新聞・雑誌、Webの記事で取り上げられる機会も非常に増えたが、それらにおいてリカレント教育が語られる文脈はいくつかにまとめることができる。

 例えば2022年8月の中教審教育振興基本計画部会では、事務局より教育振興に関するキーワードのマッピングが示されたが、そこで中央近くに記された「リカレント教育」は、「生産性向上」「人生100年時代」「マルチステージ」「社会教育・生涯学習」といったキーワードと結び付けられている。ほか、内閣府や経済産業省等での議論、新聞・雑誌、Webの記事においては、社会環境の変化に関わる「VUCA」「デジタル化」「少子化・長寿化」、産業振興に関わる「イノベーション」「創造性」「成長産業への移動」、労働政策に関わる「働き方改革」「ジョブ型雇用」、個人のキャリアに関わる「越境学習」「自律性・キャリア自律」等といった言葉とつなげられている。これらを、国がリカレント教育の推進を通して実現したい政策課題を軸にまとめるならば、

  • イノベーションの創出
  • 成長産業への人材の移動や既存産業の効率化・デジタル化
  • 主体的に社会に参画できる個人の拡大
の3点に集約できる。イノベーションを創出して付加価値を向上させ、成長産業への人材移動やデジタル化によって効率化を進め、スキルの取得により労働人口を拡大させる…それによって経済成長を実現しようという文脈である。この点が、今の日本で社会人の学習を推進するに当たって欧米で主に使用される「生涯学習=lifelong learning」や「成人学習=adult learning」ではなく「リカレント教育」があえて採用されている理由だろう。

 リカレント教育によって生産性向上を実現するというと、上記政策課題の2点目、リカレント教育やリスキリングによりデジタル関連等のスキルを獲得させ、より少ない労働時間で同等の成果をあげようという効率化の側面だけがイメージされるかもしれない。しかし、それは生産性の片面にすぎない。「生産性=付加価値/投入資源」と考えると、分母側の「効率化」だけでなく、分子側である「付加価値の拡大」を考える必要がある。1点目の政策課題である「イノベーションの創出」はそのために最も効果的な手段である(そして、GNP=労働生産性×労働人口である。3点目の「主体的に社会に参画できる個人の拡大」は、マルチステージ化や女性活躍施策により、この労働人口を拡大しようという意味合いとなる)。

 イノベーションが生まれるプロセスについては経営学等において多くの研究が蓄積されているが、そのきっかけとして最も挙げられることが多いのは「異なる知・価値観のぶつかり合い」「異質な他者との出会い」であろう。意図的には実現しにくいこの出会いを実現できる手段として注目されているのが、「リカレント教育」を推進しようという政策なのである。

リカレントであるということ

 なぜリカレント教育がイノベーションを産み出す政策として考えられるのか。「リカレント」であることと「教育」であることに分割して考えてみよう。

 「リカレント」とは、「還流」「往還」「再発」…、つまりは、二つの領域を行ったり来たりするという意味合いである。「労働者」「実践者」としてふるまう日常の世界、「ホーム」の世界と、「学習者」としてふるまう非日常の世界、「アウェー」の世界とを繰り返し行ったり来たりする…この連載の第2回で紹介した「越境的学習者」の姿を思い起こしていただきたい。「ホーム」で形成したそれぞれの持論を「アウェー」である学びの場に持ち込んだ学習者同士が、共通したテーマのもとで学び、対話を行う。学んだ内容を「ホーム」へと持ち込み、引き起こした軋轢や葛藤を乗り越えていく。ファシリテーションを担う教員も、また一人ひとりの学習者も、それぞれが「異質な他者」だ。

 このように考えると、リカレント教育の提唱当初の意味合いであった「フルタイムでの労働とフルタイムの学習を繰り返す」ことは、イノベーションの創出を目的とするとき、必ずしも必須でないことが分かる。イノベーションの創出を目標とするならむしろ、同じ週のなかで実践と学習との往還を繰り返すパートタイムでの学習こそ、理想的ではないだろうか(ここでの「フルタイムの学習」とは「仕事を辞めて全日制の学校で学ぶ学び方」、「パートタイムでの学習」は「社会人向けの体制を利用し仕事を辞めずに働きながら学ぶ学び方」のことを示す)。

 パートタイムでの学習には、もうひとつ大きなメリットがある。フルタイムの労働とフルタイムの学習を繰り返す場合、それぞれの個人がその時その時に持つアイデンティティは、働いているときは「労働者」、学習しているときは「学生」と常に単数である。しかしパートタイム学習の場合、私達は労働者であると同時に、「学生」というもうひとつのアイデンティティを手に入れることができる。異なる価値体系のもとにある二つのアイデンティティはしばしば衝突を起こすが、学習者にとってはそれもまた学びの源であり、イノベーション、価値創造の契機である。つまり、パートタイム学習者は、自らの頭の中においても、「異質な他者との出会い」を起こすことができるというわけだ。

教育であるということ

 これまで、パートタイムでの学習は、本来はフルタイムでの学習が理想なのにもかかわらず、転職市場が十分活発ではない日本で仕方なく選択されるものと考えられることが多かった。第15回で紹介した「政府広報オンライン」のリカレント教育の定義においても、あえて「日本では」とされた。

 なぜフルタイムが理想とされたのか。パートタイムでの学習では、十分な時間を学習に割くことが難しいと考えられたためである。ある教育プログラムの修了に必要な時間を1500時間としたとき、一日8時間学習することができるフルタイム学習者であれば約200日での修了が可能だが、一日2時間しか学習できないパートタイム学習者なら2年かかってしまう。フルタイムでの学習のほうが望ましい、というわけだ。

 しかし、この1500時間という必要時間を決定したのは教育する側、その課程のカリキュラムを設計した側でしかない。たしかに、18歳入学者を中心とするフルタイム学生の場合、学習と教育は一対一に対応していることが想定されている。しかし、社会人の学習において、その学習に必要な時間を決めるのは学習者である。生涯教育学の佐々木英和は、社会人にとって学習活動は教育と一致しないと指摘する(佐々木2022)。

 個々の教育プログラムは、実は、社会人学習者が自らのキャリア課題を解決するための部品の一つにすぎない。

 そもそも社会人が学習するとき、必ずしも教育プログラムは必須というわけではない。実践を通じて学習しているもののそれが全く意識されていないこともしばしばだ。何かの機会に振り返ってはじめて、自分が学習してきたことに気づくこともある。意図的に学習活動を行うとしても、書籍やボランティアでの活動、他者との対話といった活動によることもある。その学習活動の一つに、教育プログラムの活用がある(下図)。


図 教育プログラムの活用


 もし、教育する側が学習時間が足りないというならば、まず疑うべきなのは、学習者が解決したいキャリア課題に対し、その教育プログラムがオーバースペックではないかということではないか。あるいは、逆に不足するケースもあるだろう。例えば社会保険労務士なり柔道整復師なり、何かの専門職にキャリアチェンジをするために学習する場合。同じ希望を持っていても、それまでの実務経験や学習履歴の異なる個々の学習者によって必要な学習は異なる。学習者によっては、その資格の合格だけでは不足で、他の教育プログラムを必要とすることもある。

 だから、「教育」であるリカレント教育には、個々の学習者の学習を構成するパーツとして、どのような価値があるのか明確で、選びやすいように準備しておくことが求められる。18歳入学者に対するときと同様に、教育と学習を同じ活動の裏表と考えてしまってはならない。教育プログラムの過不足を定めるのは、あくまで学習者なのである。

リカレント教育の実施主体として大学が克服しなければならない課題

 これまでの連載で、社会人に選ばれる社会人向けプログラムの条件について取り上げてきた(第11回第14回)。ポイントとしては次のようなものが挙げられる。

  • 多様な学生が集うことができる教育内容の普遍性
  • それぞれが自らの経験を結び付けられるカリキュラムの体系性
  • 所属組織に縛られず自由に発言できる安心・安全なコミュニティ
  • 異質な他者同士を出会わせる教員のファシリテーション
  • 個々のテーマに即したアカデミックアドバイジング
  • 学びを活かすためのキャリアコンサルティング
  • 修了後も学び続けられる卒業生とのつながり、卒業生同士のつながり

 リカレント教育の実施主体は必ずしも大学に限定されているわけではない。しかしこれらのポイントを持つという点で、大学は他の事業体と比べアドバンテージを持っている。教育内容の普遍性、カリキュラムの体系性、学びの場の安全性、ファシリテーションやアカデミックアドバイジングを行うことができる教育スタッフ、学習やキャリアのサポート体制、アルムナイ活動を支えられる事務スタッフ…。これらは、他の事業体が一朝一夕で持つことができるものではない。

 いっぽうで、現在大学が持つリソースのほとんどは18歳入学者に割かれている。社会人を対象とした様々な工夫は、多くの場合、リカレント教育を担っている個々の大学の教員やプログラム運営者が、それぞれのボランタリーな努力によって実現しているものだ。組織として取り組んでいる大学は少数にすぎない。国・社会が本気でイノベーションを創出し、社会に主体的に参画できる個人の養成に取り組むのであれば、こうした施策に組織として取り組む大学を増やしていかなければならない。

 確かに18歳人口の減少は確実なことであり、長期的には、日本の大学は、社会人マーケットへの進出に取り組まなければならないことは間違いない。学生に占める25歳以上の割合が諸外国に対して著しく低いことは、国の政策検討の場でも所管省庁を問わず、しばしば課題とされている。『2040年に向けた高等教育グランドデザイン』で掲げられた「学生の多様化」の実現も、社会からの要望である。

 しかし、18歳で一斉に入学し22歳で一斉に卒業する学生を対象に最適化することで今の大学が得ている経営の効率性は、社会人マーケットに進出した際にそのまま確保することはできない。国公立・私立ともに経営の効率化が厳しく求められているなかで、短期的には経営合理性が低い社会人マーケットへの進出を求められても、それに踏み出せる大学が限定されていることは致し方ないことであろう。第3回第4回で説明したように、社会人マーケットへの進出は大学にとって「多角化戦略」であり「新規事業」である。新規事業を成功させるための条件は既存事業とは異なる。身軽に試行して柔軟に修整する体制と、成功するまで踏ん張れる余力が必要だ。いわば「少産少死」モデルだった18歳入学者マーケットと異なり、社会人マーケットへの進出に必要なのは「多産多死」モデル。これまでの経営モデルと異なる事業に、大学が組織として取り組むように促すには、そのリスクやコストを乗り越えられるほど大きなインセンティブを持たせなければならない。

「スーパーリカレント大学」

 イノベーションを創出するためにも、成長産業への人材移動のためにも、既存産業のデジタル化を実現するにも、人生にわたって主体的に社会に参画できる個人を増やしていくにも、有効なのは、学び手が学びたいと思い、企業や社会がその成果を活用できるようなプログラムを叢生させることだ。その利益は、個々の学習者や個々の企業・組織を超えたものであり、いちばんの受益者は国となる。そこで、大学の意思決定を動かすような投資を求めたい。

 これまでにも、社会人向けプログラムのバリエーション拡大を目的とした国の事業は続けられてきた。特に令和2年度補正予算による「就職・転職のための大学リカレント教育推進事業」、令和3年度補正予算による「DX等成長分野を中心とした就職・転職支援のためのリカレント教育推進事業」はそれぞれ13億円・15.5億円という予算額であり、既存のものより大規模となった。

 しかし、一校当たりにすると、まだまだその事業規模は決して大きくはない。必要なのは、大学が組織として本格的に新規事業に取り組むことができるような制度変更であり、経営合理性を担保できるような規模の事業である。教育訓練給付金、企業支援等、これまで投じられてきたものとは質的に異なる施策が必要だ。

 ならば、「スーパーグローバル大学」ならぬ、「スーパーリカレント大学」の創成はどうだろうか。

 「スーパーリカレント大学」は、一気通貫体制で社会人マーケットへの進出に取り組むことになる。実現するのは次のような項目となるだろうか。

  • 企業や地域の課題を踏まえ、また学びを活かすためのネットワークを形成する。
  • 明確なターゲットに対し、テーマや教育方法、時間数、オンライン利用など多彩なプログラムを開発し、結果をもとにスピーディーに改廃を重ねる「多産多死体制」を構築する。
  • 学習者が自らの研究テーマや目指す将来像に基づき、他の教育機関での単位や学習内容、これまでの業務経験と自校での学びを組み合わせたアカデミックアドバイジングを行う。
  • 学習したことを社会で活かし、継続的な学習を重ねられるようなキャリアコンサルティングのセンターとなる。
  • これらを組織として運営していく体制を作り、担い手を確保していく。
  • 中核拠点として、連携校のプログラム開発・運営をサポートする。

 これらを実現しようとする大学に対して十分な資金を投入することになる。国立大学の中期計画や私学助成、ひいては大学設置基準において既存の大学と扱いを変える必要もあるだろう。それらを通じ、大学が低廉、あるいは無料でのプログラム提供を行うことが可能になればいい。それによって、大学のリカレント教育の活用者を抜本的に拡大していく。メリットを感じる人が増えていけば、長期的・継続的な国からの支出に対して、社会からの支持を拡大していくことも可能となるだろう。

 最後に、今学んでいる方、今その学びを支えている方にお願いしたいことがある。リカレント教育のメリット、その効用と楽しさを、ぜひ、周囲に伝えていってもらいたい。あなたの周囲の方々のリカレント教育への高い評価こそ、社会からリカレント教育の投資への支持を拡大するの源となるからだ。隠したままにしておく余裕など、もはやない。

 キャンパスを闊歩する社会人が増え、社会に次々とイノベーションをもたらしていく。そんな未来を一日でも早く実現するために。

【参考文献】
石山恒貴 2018『越境的学習のメカニズム』(福村出版)
OECD-CERI 1987『Recurrent Education Revisited』(OECD)
佐々木英和2022「社会教育行政と地域活性化」『社会教育経営実践論』(放送大学教育振興会)




リカレント教育と日本の大学(全16回) 各回内容



(2022/09/26)